復帰して1週間。
なかなか楽しい。
この先の人生をどう生きるのかずっと考えていた。
未来から10年後の自分がやってきて、2021年に変革しないとダメだよ、って言われたような気がしていた。未来から見て若い今のうちに何ができるのか。何を目指していくのが良いか。
恋愛について相談したいなと思い、占い師さんに電話。
恋愛のご相談なんですが、チャネリングでさっきからアートっていう言葉がおりてくるんです。って言われてびっくり。
私の占い師さんに対する質問は、どこを頑張っていったら運命的な出会いがありますか?
1会社の仕事を頑張る
2依頼されたポートレート撮影を頑張る
3SNSで頑張る
どれがいちばん可能性があるかを聞きたいと言ったら、アート!
アートを頑張っても花の撮影だし、人と会わないし、何かに繋がっていくとは思ってなかったけど、アートから光の道が世界に繋がっていると聞いた瞬間から、わたしは迷いを捨て、アートに生きることにした。
写真家というのは、ちょっとだけ窮屈なので、その日のうちにプロフィールを現代アーティストに変更した。
現代アートのことが分からないから本をかった。いま、新幹線の車内で読んでいる。
世界で唯一の自分を発見し、その革新を歴史と相対化させつつ、発表すること
女性の子宮が幸せであることを私はアートを通して祈り続ける。
この本を読んだら、写真と絵画を合わせた手法を研究する。時間がない。急ぎます。
おめでとう、私。
数十年ぶりに家族でランチでお祝いしてもらい幸せ絶頂。
夜は自分で自分を祝ってみるリッツカールトン。
自分の人生を変える最後のチャンス。背負って与えていくよりも、受け取ることにフォーカスしていく。
今年やること
自分にたくさんご褒美
ダイエット
セルフポートレート
旅行
温泉
鑑定
写真作品の世界展開
写真はガラスプリントがんばる。楽しみです。
退院して2週間。
なかなか体力が回復しなくて、2%くらいずつ良くなっていく感じ。
毎日、寝たいだけ寝て、散歩にいき、歩いていると疲れるので、ベンチに座ってぼんやり時間を過ごすという日々。
昨日、急に心が明るくなって、あぁ、このおやすみ楽しいなって思える瞬間があった。
できること少しづつ増えてきて、たまにごはんつくったり、本屋行こうかなと思える。
無理をすれば仕事ができる状態だけど、もう無理はしないと決めた。
生き方を変える!決めた!
顔色がひどい。
昨日は、頑張ってマッサージへ。少し気分が良くなって。
今日はプラセンタと占いへ。
今回のことはパーフェクトタイミングで起こったこと。仕事との相性は良く人生の使命に繋がる。ただし、もっと遊んで楽しむこと、働き方を変えること。きちんと休むことが大事。
復帰にあたり交渉し、契約することが大事と言われた。頑張って交渉しないと。
明日はもうちょっと元気になれたらいいな。まだまだ動くと息切れ動悸が激しい。つらい。
夜は眠れないからいろいろ考える。私にとって子宮は何だったのかな、と。
腫瘍だらけの子宮を大切にしてきたのは、大切というか、温存してきたのは、どこか子宮に頼っていたからかもしれない。
子宮が助けてくれる、いざとなったら子宮の病気を理由に自分を取り戻すことができると。
私は自分の事を知ったふりでいた。
毎日、医療ドラマ見て、医師の思いや患者の選択みたいなものを、考えながら時間を潰している。
なんでこんなことになったのかという自己への責は薄れていき、周りへの怒りも少しは落ち着いてきた。なにを掴めるのかは、まだわからない。
入院5日目。全然、回復しないけど、おうちに帰りたい。思い出したことがあるから忘れないうちに書いておく。
この病院に前回、入院したのは、1999年の秋。もう20年以上も前。
当時も仕事やりすぎて、気管支炎で入院。平日はweb仕事、休日は写真撮影とお芝居。身体を酷使してたな。上京に憧れてたのも、この頃。
当時の入院の時もPCを病室に持ち込み仕事してた。入院中に、集英社のBARTの編集の人から撮影と取材の申し込みメールが来て、とても嬉しかったのを覚えているわ。ネットでは東京在住ってプロフィールにしてたから、編集者さんは私が関西在住でまさか、入院中だなんて思いもしなかったでしょう。
せっかくのチャンス、遠いから、入院中だからって諦めるという選択肢はなかったわ。まだ退院できない体調だったけど、先生に頼み込み、1日の外出許可をもらったの。京都駅から東京駅まで2時間半の新幹線移動。撮影場所は新宿の京王プラザホテル。撮影の後、体調が悪化したけど、新幹線にのり、なんとか日帰りで帰ったわ。外出許可時間をすぎてしまい、看護師さんには叱られた。
ちょっとだけ東京行ってきました、なんて言えるわけもなく。
雑誌を手にした時も幸せだった。入院中に頑張って東京まで行ってよかったと思ってた。取材で将来の夢は?と聞かれて「ハリウッド女優になること」とこたえて、誌面にも掲載された。周りからは笑われてたけど、とんでもない目標を掲げて、人の目を気にしないで堂々と言える自分のことが本当に好きだった。夢と現実のギャップこそが、頑張る理由だったし、その拗らせの中で、熟成させていく何かを愛しいと感じてた。
1999年の話しから戻って、今は2021年。ハリウッド女優にはなってないけど、海外と仕事するくらいにはなった。まだまだ発展途上。毎日、英語で話してるから、海外ドラマの役者気分は味わっているわ。
昔と同じ病院のベッドの上にいる私が、外出許可をもらいたいなという理由は「犬に会いたいから」。
切ないわねぇ。
写真は2000年1月。
昨日はまた激しく出血していたが、今日はほとんどなかった。
今日やったこと。
会社に古い携帯を宅配便で送る。仕事のメールに目を通す。東京と静岡と大阪の友達とLINE通話。あと占いに電話してメンタルを整えていた。
明日やること。
高額医療費の申請。生命保険会社に連絡。これができて体力あったら作品つくりたいな。仕事はしない!
水曜日にたくさん出血。嘔吐。
木曜日に仕事やすみ。金曜日に最後のチカラを振り絞る。
散歩してたら、血がたくさんでてきて下着やタイツも貫通して血溜まりができてしまった。パンツ型のナプキンを買いにドラッグストアに行っただけで、血痕をたくさんつくってしまう。
土曜日、産婦人科を受診。貧血が酷くてすぐにベッドへ。ヘモグロビン値6.6で、輸血必要と言われた。大病院の紹介状をもらい緊急入院。
水曜日の時点で、死ぬかもと思ってたから安心した。本当に死ぬかもと思った。貧血で気絶しそうで怖かった。