救急車を呼んだ

出血がとまらないので金曜日は病院に行こうと思い仕事を休む。土曜日は撮影の仕事があるからなんとしても体調を良くしたい。

近所の産婦人科に行ったら、予約制なので断られた。近所の内科に行ったら、子宮からの出血による貧血は診れないと言われた。仕方ないので、電車にのって、産婦人科へ。エコーで子宮の状態を確認してもらい、手術をすすめられ、止血剤を出されて帰宅。

帰宅してしばらくは落ち着いていた出血がまた再開する。お風呂場に何度も行って身体を洗う。下半身がすぐに血まみれになる。バスタブにはったお湯は赤く染まっていく。ホラー映画みたい。汚れた洋服や床を掃除して、気分転換に近所を散歩することに。

ナプキンにショーツ型のナプキンを履き、短パン、その上から黒のパンツを履いた。これで大丈夫なはず。と思っていたけれど、歩いているうちにどんどん出血が増えてきて、靴まで血に染まり、白いコートまで真っ赤になってしまった。私このままだと死ぬかもしれないな。このとき、初めて、明日の撮影は難しいと覚悟を決めた。

帰宅してから、明日の仕事のリスケの電話。救急相談に電話して、救急車を呼ぶかどうか相談。まだ身体が動くので、近くの病院のリストをもらう。電話中にも床が汚れていく。さっき掃除したのになぁ。病院に行くために着替えようとしたら、冷や汗と動悸がとまらない。もう限界。

東京で暮らして初めて119に電話した。きちんと住所がいえてよかった。マスク、ナプキン、お財布、保険証をカバンにいれた。あとスマホと充電器。水ももっていく。

救急車が来るまでに汚れた床と洋服を着替えたい。もう立ち上がるのも難しかった。

インターホンがなって救急隊の人たちがやってきた。カバンもってくれて、家の鍵もかけてくれる。かかえられてエレベーターにのって、頭と身体中が痺れて意識が遠のく。二回くらい嘔吐した。隊員さんが、もう大丈夫ですよ。ベッドありますからね。が幸せだった。なんか、私、生きていていいんだって思えた。

救急車にのってから血圧がはかられた。90-69。顔面蒼白。らしい。

病院を探してもらう間に、経緯の説明。

順天堂医大で子宮の手術、広尾日赤で、子宮の開腹手術、昨年1月に子宮から大量出血で緊急入院。

長い長い子宮のストーリーを語りながら、これまで、たくさんの人に自分の子宮と関わってきてもらえたことに改めて気づく。

コロナ禍で救急車の搬送先の病院が見つからないというニュースをテレビで見たことがある。まさにその状況で、救急隊の方に申し訳ない気持ちになった。

ベッドがなくて入院はできないかもしるない。誰か病院まで来てくれる人はいますか?って聞かれて、誰もいません、と答えた。

家族は湖国だし、彼氏もいないし、、なんかこの時に、また申し訳ない気持ちになってしまった。「プロの独身」を名乗るなら、ちゃんと前もってこういう場合を想定して誰かと契約しておけばよかった。

20分以上、病院探しに時間がかかり、入院はできないけど、処置だけはできるという東京医科女子大へ。私のカバンの中から保険証を救急隊の人に出してもらう。私、なんにもできないな。

病院のベッドに移るとき、救急車のベッドが真っ赤になってた。汚してごめんなさい。

病院のベッドにたどりついたら、しばらくして出血はおさまり、ピークは過ぎたようだった。一気に身体の水分が抜けたので、点滴。ヘモグロビン値をはかるため血液検査。診察してもらい、大人用のオムツを履かせていただいた。なんかもう。。

ヘモグロビン値は9くらい。点滴してるから今は7くらいだろうという見立て。前回の入院のときは5.9まで下がっていたし、貧血に身体が慣れていること、子宮内膜にあまり血が溜まっていないようだから、今後の大量出血はなさそうということで、入院はしないで帰宅することに。

お会計は5700円くらい。昼間の病院では5000円くらいだったなと思いながら財布をひらく。

病院からタクシー乗り場まで、歩くのも辛くて、寒くて、心細くて、東京ひとり暮らしって、こんな時とってもドラマチックなんだなと、この今の気持ち、絶対に忘れないようにしようと決意した。

ピンチを乗り越えて、誇らしい自分と、心細くて、泣きそうな自分と交互に向き合いながら、人間の感情ってこんなふうに溢れ出してくるんだな、流れていくんだな、って味わってみた。

いつも賢く考えてばかりいたから、感情に身を委ねることしてなかったね。

生きてるって素晴らしい。

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