12月31日(夜) 「ぼんやり」

 
起きたらすごい雪。
どこにも出かけられないなぁ。
東京に住んでて地元も同じの友達を
呼び出してファミレスでおしゃべり。
その間にも事件が起こり
なんとも言えない気持ちに。
夜は家族ですき焼き。
平和だなあ。平和ってこういうことなんだな。
12月30日(夜) 「ただいま実家へ」

 
結局、大掃除が朝までかかってしまった。
2時間をほど仮眠をして初台へ。
間違って届けられた荷物を引き取りに。
年末の忙しい時期に宅配便さんのこういうのって
すごく困るなぁ。でも優しい人が連絡をくれて
よかった、そうだこれで、よかったんだ。
新幹線にのって、実家についたら20時。
妹と京都へ夜遊びをしにいく。
楽しかったな。私はね。
12月29日(夜) 「忙しい一日」

 
大掃除を適当にすませて
夕方には実家へ、のつもりが
バタバタと予定がはいってしまう。
昼間は東京に帰省した友達親子とランチ。
昼過ぎから友達とお茶をしながら電話。
大掃除の準備をしているところに
知り合いから連絡があって、一緒に
夜ごはん食べることに。
そのあとは恵比寿のパーティーの
あと片付けに参加。
いろいろあるんだ。いろいろと。

12月28日(夜) 「やっと仕事おわる」

 
やっと仕事おさまったなう。嬉しくて泣きそう。
しかし、大掃除も年賀状もこれからやらなきゃと
思うとうんざりで泣ける。。
わたしにお正月はやってくるんだろうか。
12月27日(夜) 「しんていし」

 
心がおれそう!!
12月26日(夜) 「クリスマス」

 
目の前でクリスマスプロポーズ。
女の子にとっては忘られない瞬間に
なるのだろうな。
そうかー。
12月25日(夜) 「舞台」

 
仕事関係の人の舞台へ。
キラキラしてる人たち大好き。
わたしもがんばろう。
12月24日(夜) 「ひとりでもクリスマス」

 
仕事をなんとか無理矢理に22時すぎに終わらせて
家に帰ってひとりでクリスマス。
いつかこんな無理矢理が笑い話になりますように。
12月23日(夜) 「いろいろ考えるけど」

 
人と向き合うってことは
ほんと大変ってことだ。
12月22日(夜) 「感謝」

 
仕事はとってもキツいけれど
なんとなく忘れられないほど嬉しく感じる
瞬間があってそのことをずっとずっと
探し求めているというわけではないけれど、
なんだ、とにかく、いますごくつらいわ。
12月21日(夜) 「無理」

 
いたいいたいいたい。
みぎていたい。
12月20日(夜) 「この苦しみを」

 
毎度、毎度、同じところでつまずいて、
その度に誰かに救ってもらって、ひとつひとつ、
大切に抱えていた「罪悪感」を手放していく。
これまで、そういう生き方してたなぁ。
12月19日(夜) 「肉体の限界を知る」

 
右手ちゃんが腱鞘炎になってしまった。とりあえず明日はマウスとキーボードさわらない。いま、右手だけ絶対安静状態にしてるけど、月曜日からのハードワークに耐えられるのかな。。がんばって私の肉体。明日はおやすみにしてあげるよ。ごめんね、わたしの右手ちゃん。ありがとう左手さん。
12月18日(夜) 「久しぶり」

男友達が仕事つながりで私の
高校生のときの元カレに出会うというので
なんだかちょっと嬉しくなった。
みんなみんなつながっていけばいい。

今日は遊びたい気分とツイートしたら
友達が飲みに誘ってくれた。
ツイッターは本当に便利だ。

先導and洗脳するための組織のシステムづくりについて議論。
そして、相手を思考停止に追い込むための
ロジカルプレゼンテーションについて語り合うった。

ビジネスが愛や思いやりで
あふれていればいいのにと思う。

そんなふうに仕事がしたいけれど
そうするためには私には
まだまだ実力が足りない。

プレゼンに勝つということは、
相手を思考停止に追い込むいうことだ。

12月17日(夜) 「エゴと友情のはざま」

疲れたなぁ。
夜の1時すぎに帰宅、、する前に
友達から連絡があり3時くらいまで
のむことに。

あれだけ会社をやめるときは
転職先が決まってからにするべきだ!
と言っておいたのにもかかわらず
辞表を簡単にだすなんて
馬鹿じゃないの、と
たくさんイライラした。

変わらず応援はしていくけれど、
なんともやりきれない気分。

12月16日(夜) 「ふたご座が降る夜」

いつもよりほんの少しはやく帰宅。
そしていつもよりほんの少し
ちょっとちがった夜を過ごす。
パイシートでつくったアップルパイに
ハーゲンダッツのアイスを添えて。

12月15日(夜) 「ついーとふぉおみ」


「でも、やるんだよ」は自己肯定でも思考放棄でもありません。
自分の限界を知った後でしかたなく決める覚悟です。
「君には無限の可能性がある」
「人はやりたいことをやる自由がある」とされる社会では、
良くないこととされがちな覚悟ですが。

http://twitter.com/#!/TomoMachi/status/19752347492


今日はこの言葉に励まされた。



やりたくないよ、意味ないと思うよ

仕方ないと思うけど、ほんとはでもやりたくないよ。

でも、やるんだよ。


言いたいことなんかいっぱいあるよ。

それが言えなくてすごくストレスだよ。

毎日しんどいけど、

でも、やるんだよ。


理不尽だなぁと思う。

矛盾を抱えて生きることを

いけないことだと思わないけど、

あまりにも思いやりがないと思う。

でも、やるんだよ。




最近、特に思うのは、人生に近道などないということ。

結局、全てのアイテムを揃えないと

次のステージにはすすめない。


裏技をつかって、次のステージにすすめたとしても

結局、過去に戻って、もってないアイテムを

探しにいかなくちゃいけないんだから。


文句を言わずにやるのは疲れるので

文句を言いながらやる。


愚痴だって、弱音だってはかなきゃいけない。


「愚痴をいう」「弱音をはく」「悲しむ」「怒る」「嘆く」


人間に生まれたのだから、すべての感情を味わって


最後に、「でも、やるんだよ」って言葉をデザートにして

生きている幸せを噛み締めるんだ。


12月14日(夜) 「つまれ」

今日は年賀状の撮影を自宅で。


たくさん撮影をしたのでここからのセレクト作業が大変かも。

12月13日(夜) 「つまれ」

私の被写体になってくれた男の子から電話。


「とよみさん。僕、デビューしました。初仕事はAKBと一緒です。」



うわああああ。感動だ!


こんなに嬉しいことはないなぁ。。


つまれ、つまり、なんだ。

私の見る目がしっかりしてるということだ。

12月12日(夜) 「自分インタビュー」

この10年間で失ったものは何?



「根拠のない自信」


12月11日(夜) 「うれしいにゃ」

先日の友人の結婚パーティーでの写真撮影。


「せっかくのパーティーだから、撮影とか気にせずに
 とよみちゃんには、楽しんでいって欲しいねん」


というありがたい彼女の気遣いをスルーして、


「そんなん、全然、気にしせんでええから!」と強行撮影。


さっき、友人からテンションの高い電話があって


「写真が素晴らしすぎてひっくり返るくらい驚いた!
 こんなに人が生き生きしてる写真、素敵すぎる!
 一生に一度の日を豊美ちゃんに撮ってもらえてほんまよかった。
 あのとき、遠慮してしまったけど、豊美ちゃんが
 言うてくれへんかったら、こんなことにならへんた。
 うちのお母さんもすごい喜んでくれる。
 式の写真より、パーティーの写真ばっかり焼き増ししてる!」


そらそやろー。愛情たーーっぷりはいってる写真やから!

しかし、こんだけ褒めてもらえたら嬉しいな。

自慢したいくらいほんといい写真、撮るんだ、私。

結婚パーティーとか特に。

うれしいなぁ。喜んでもらえてほんと幸せだな。



私が関わった撮影がたくさんの人を笑顔にする。

写真の神様、ありがとうございます。

私の才能が「写真」でよかった。

身近な人を幸せにできるんだ。

大切な人を笑顔にできる。

あー。私に産まれてよかったな。



写真の神様に愛されているこの人生。

神様、お願いです。



身近な人を大切します。

友人、家族、自分のことも大事にします。



もっとたくさんの人を幸せにしたいのです。

だから、どうか、私にもっと大きなチャンスをください。



12月10日(夜) 「思考整理」

ちょこっとだけ書きます。


私が思う伸びしろのある人っていうのは、


その人の意識している自分。(自分から見た自分)

その人がなりたい自分(なりたい未来の自分)

その人が隠したい自分(否定された自分)

その人が隠しきれない自分(他人から見える自分)




この4つが思いっきりブレてる人です。


そもそもブレるってことは


「抑圧のエネルギー」がすごいっていうこと。


抑圧のエネルギーは成長のエネルギーに必ず転化できる。

一生、抑圧をしたまま、変わらずに去っていく人もいるけれど。

抑圧のエネルギーを成長のエネルギーに転化できるかどうかは、

その人がどれだけ愛されたかにかかっている。

あと、その人が愛をどれだけ受け入れたか。





私は写真を撮るときは。

その人の中にあるこの4人を

全部、わけ隔てなく愛することを意識しています。


その人の意識している自分。(自分から見た自分)

その人がなりたい自分(なりたい未来の自分)

その人が隠したい自分(否定された自分)

その人が隠しきれない自分(他人から見える自分)



心の壁をとりはらうこと、感情の蓋を取り除くこと。

その人の無限大の可能性を信じること。



言葉にするとすごく大仰になるけれど、

私は、カメラを持ちながら、その人にレンズを向けながら

写真の神様にお願いをしているのです。

「どうか私に愛させてください」と。




うまく言葉では言えないから、身体全体のオーラで。

そして、眼差しでその思いが伝わればいいなって思ってる。



写真を撮影するって、愛することそのもの。




人が人を愛するという行為を「撮影」に置き換えることができるということを

私はもっとたくさんの人に知ってもらいたいな。




読んでくれてありがとう。


12月9日(夜) 「思い出の整理をする」

2010年の年末は、この10年を
振り返ろうと思っている。

10年って長いね。

でも、区切りの年だから思い切って振り返ろう。
そしてすべての「重たい想い」を手放そう。

整理してちゃんと
「幸せな思い出BOX」に片づけるための思いだし作業。
スッキリ捨てよう。


今日はなんだか眠れなくてパソコンいじって、
ふとメールボックスを検索してみたくなった。

前の彼氏とネットを通じて出会ったころの6年前の12月のメール。
読み返していたら、目から水がたくさん出てきた。


初めてのメールのタイトルは「写真拝見しました。」

知らない人からメールをもらう経験はしょっちゅう。
なのでメールをもらったこと自体は別に驚くことではないのだけど。


私の写真のことをとても好きだと言ってくれて、
写真の撮影をして欲しいと言われたので、
渋谷のBARで出会った。

で、正直、出会ってもなんとも思わなかった(笑)

ただなんとなく不器用な人だなと思ったくらい。
あと、話がとんでもなくつまらなくて。。
この人、何が言いたいのか全くわからんなぁ、と心の中で
ぶつぶつ文句を言ってた私。

会う前にやりとりしてた、彼からもらったメールで、

「違う表現方法に出会って、もっと途方もない
 向こうに行ってみたいんですよね。」

って言葉が私の好奇心を刺激したことは
鮮明に覚えている。


もっと途方もない向こうってどこなんだろう??

表現の可能性ってどこまであるんだろう??


彼がどこにいこうとしているのか
そんな彼が私の写真の何を気に入ってくれたのか
それはすごく興味があったな。




6年前の12月にもらったメール。


このメールに返信してみようかな。




いや、したらあかんやろ。

…しないけどね。


しないけど、こんなに簡単に過去に戻れてしまう


「電子メール」というものに、いま、すごく驚いている。



ちょっと泣いたらスッキリした。


次回は8年前くらいに戻ろうかな。


12月8日(夜) 「寝れない」

仕事いそがしくて
神経たかぶってなかなか寝れないよ。
困ったナウ。
12月7日(夜) 「風邪っぽい」

朝。起きたら喉が痛かった。
湯冷めしたかな。
寒かったし。
12月6日(夜) 「お風呂」

仕事を適当にして
夕方からは遊ぶことにした。
だって日曜日だしね。
映画かお風呂か迷ってお風呂。
ぶくぶくぶく。
なにごともなく終了。
12月5日(夜) 「はあああああああ」

ため息ばっかりでるわ。
さっき、泣いたらスッキリした。
友達の結婚式ってすごく楽しいけど、
その分、楽しかった分、
ひとりになったときの揺り戻しがすごい。
なんだかんだいってうらやましいのが半分。
あとの半分はもっともっと複雑な気持ち。

さて話は変わります。

女子は「可愛い」って言われた分だけ、ちゃんと可愛くなる。
新しい恋をしてキレイになった女子を見ると、
彼氏がたくさん「可愛い」って
言ってるんだろうなと勝手に妄想ちゅ。
思いを言葉に。言葉を大切な人に。届ける。


…とつぶやいたところ、
すんごい勢いでRTされてた。
共感してくれる人、納得してくれた人が
たくさんいたみたい。うれしいな。


恋愛すると女の子って変わるんだよね。

「愛されている」っていう実感が
女の子をキラキラさせていく。


逆に不満や不安ばっかりの恋愛は
女の子をどんどん濁らせていく。

友達に彼氏ができたと報告をうけたとき、
その子の顔を見ると、
だいたいどんな恋愛してるかわかるよね。
(勝手な妄想してます。ごめん。)


撮影するとき、私は男の子にも女の子にも
惜しみなく最上級の褒め言葉をたくさんプレゼント
したいと思っています。

そして、それは家族に対しても同じ気持ち。


例えば、実家に帰ったとき
お母さんに対しても、
思いつく限りの褒め言葉を。

「お母さん、見る度にキレイになっていくね。」

「お母さん、そんなに可愛かったら
 犬の散歩中にいろんな人が声かけてきて大変でしょ?」

「お母さんが美人でよかった。私を可愛く産んでくれてありがと。」

「東京でもいろんな人に会ってるけど、
 お母さんほどキレイな人にはまだ会ってないよ。」

とかとか。


肝心なときに大切なことが伝えられないのは
もうイヤなので、普段から言いたいことを言う。
素直な気持ちをぶつける。
甘えたいときは、甘えたいって言ってる。


大人になって、カッコつけなくていいやって
思えるようになって私はだいぶ楽になってきた。

いい意味でもっと力を抜いていこう。



12月4日(夜) 「ミルフィーユ」

麺劇場 玄瑛 の辣油。
今日つくった野菜スープにたらしてみた。
この世のものとは、思えないほど極上の味わいになりました。
まるで羊水です。

今日は仕事のあと少しだけ
友達の会社へ遊びにいっておしゃべり。
紅茶のミルフィーユを食べた。
ほうじ茶を飲んだ。
ただ、それだけなんだ。

話を聞いてもらえてすごく嬉しかった。
でも、ほんと、それだけ。
それだけなのに、な。

満たされていない心のスキマが
こんなに深いことを思い知らされるなんて!

12月3日(夜) 「疲れたのです。」

ネコミミのマフラーをネットで衝動買いしたのは何日か前。
まだ、自宅には届いてない。
届いたら、にゃーにゃー言いながら散歩をしようと思う。
今日は、ネコミミのパジャマを、ネットでポチリ。
パジャマではお散歩に行けないので、
おうちで、にゃーにゃーする。
あー。ネコになりたい。ほんとにネコになりたい。
ネコになりたいようううう。。
ネコになって、
そしてご主人さまの膝の上で、まるくなって、
ごろごろして、にゃーにゃーして、頭をなでられたい。
12月2日(夜) 「写真を語る」

人はなぜ写真を学ぶのだろう?

ステキな写真が撮りたいからだ。

なぜ、ステキな写真が撮りたいのだろう?

自分が満足したいのと、

それから、人に「いい写真だね!」

と言ってもらいたいからだ。



ステキな写真というのは

どういうものだろう?


誰かに「この写真が好きだ」と

言ってもらうためには何が必要なのか。



写真の構図がどうとか、撮った人が誰とか

関係あるけど、そういうところではなく

もっと本質的なところを徹底的につきつめて考えたい。




要素はこんな感じ。



(撮影者)写真のテーマ

(撮影者)写真を見せる環境

(撮影者)(鑑賞者)写真についての前情報

(鑑賞者)写真を見るタイミング

(鑑賞者)写真を見る側の記憶(トリガー)

    ↓

 (写真への深い理解と共感)

    ↓

(この写真が好き!という気持ち)




撮影者がコントロールできることは

意外に少ないような気がするけど、どうだろうか。

ちがうよねー。



写真家は、自分で決めたテーマに沿って

真面目にコツコツと写真撮ってればいいかというと

ぜんぜんそうではなくて、

ちゃんと見せる場所や、タイミングや、

見せる人やその演出の仕方もきちんと考えないといけない。




婚活だってそうだ。

料理を勉強して、心の修行をして、美しくなるよう努力を続けても

ちゃんと外に出て、人に会って、タイミングも見計らって、

時には演出だってして、

自分のことを好きになってもらえばければ

結婚などできるはずもない。



で、写真に話を戻して、


「どんな写真を撮るか」の次に


・写真をどこで見せるか

・写真をどのようにして見せるか

・写真を誰に見せるか

・写真を見せたい人はどんな人か

・写真を見た人は、なぜ、自分の写真を
 好きと言ってくれるのか


そこまで突き詰めて考えてやっと

「自分は写真で何を伝えたいのか」

ってことがわかるのだ。



一般的な写真のセミナーでは、


「写真をどう撮るか」ということにしか

言及していない。


写真の撮り方は教えてあげられるけれど、

「人生の生き方」までは教えてあげられないよー

ってことなんだろう。


きっとそうなんだろう。



まぁ、そこまで自分とトコトン向き合いたい人は

少ないと思うから、それが正常なんだろうけれど。



だが、しかし!



私は写真を通じて、もっともっと

自分の人生を豊かで美しいものにしたいし、

まわりの人の人生もそのようにしたい。




写真を通じて、人に愛される喜びというものを

たくさんの人と共有したい。


「中村豊美の写真が好き」と言ってもらえることは

最愛の人のアイラブユに匹敵するくらい

嬉しいことなのだよ。



2010年はフォトセラピーの構想ばっかりで

全然、動けなかったけれど、

ちゃんと言葉にしていこうと思う。

ちゃんと、わかりやすく伝えていきたいと思う。


まずは、かきなぐりでもいいから時間をつくって

残していこう。思いを言葉へ。




2011年のテーマ。「思いを言葉へ」
12月1日(夜) 「組織の中で生きていくこと。」

組織にいる6タイプの人間。

組織を動かせるリーダー。

その横にいてリーダーに対していろいろ言ってあげられる参謀。

決められたルールを守るフォロワー。

ルールを守らず、ぐれているパラサイト。

周囲を腐らせるキャンサー。

最後の1つは異端者、エイリアン。


エイリアンは、個人としては才気煥発で優れているけれども、
コンサバティブな組織の中では排除される傾向にあります。


http://business.nikkeibp.co.jp/article/person/20061128/114497/


と、書いてあった。


ふぅううう。


組織で生きていくのってすごく難しい。
もう2010年。

この業界はベンチャーでも何でもないのだ。


どうすれば、優秀なフォロワーになれるんだろう。

私は組織の中では、リーダータイプでも参謀タイプでもないから、

なれるとしても、フォロワーなんだよね。



人を動かす人(リーダー)

ルールを決める人(参謀者)

ルールを守る人(フォロワー)

ルールを破る人(パラサイト)

ルールを批判する人(キャンサー)

ルールに無関心な人(エイリアン)





私、完全にエイリアン体質だな。。

自分のルールの中でしか生きてない。



社会にうまく適合したい。

生きているのが苦しいわ。

一生懸命が空回り。

できないことがすごく苦しいのよ。

自分を責めて自分にがっかりして
ほんとバカみたい。