8月31日(夜) 「六本木」

ヒルズでデート。
お食事をご馳走になったりして。
家に帰って妹に電話。
つながらなかったので某クンに電話。
眠たくなるまで付き合ってもらう。
みんなに支えてもらって行きてる。
8月30日(夜) 「才能たっぷり」

昨日は代官山でお食事。
政治家の孫。天才クリエーター。
イケメン。しかも若い。
キラキラしてて、でもすごくナチュラルで。

やばいなー。
ベンツとかチェロキーとかアウディとか
ヴォルボとか久々にそんな単語を聞いた。

お芝居みて、写真展みて、
なんかいろいろして

やっぱり写真を撮らなきゃと思った。
そして、機材にお金をかけなきゃ、とも。


8月29日(夜) 「人生修行」

「泣いたら負け」にしようと思っていた。
「傷ついたら引き分け」にしようと決めてた。

この勝負は、過去を引きずる自分との戦い。

今、ものすごく自分を傷つけたい。
誰かを傷つけたい。許せない。許したい。
心がえぐられるというのはきっとこういうことを言うのでしょう。


8月28日(夜) 「自分で自分を」

昨日の日記があまりに陳腐で驚いた。
もっとはっきり書けばいいのに。
こんな場所でも言いたいことが言えない。
息苦しくて狭いインターネットの世界。
もう、しんどい。

自分で自分を愛せない人が
自分以上に誰かから愛されたい、だなんて
なんだかおかしなことです。

でも、難しいのです。
誰かから愛してもらって、
誰かから好きだよって言ってもらって
初めて自分を好きになれるんです。

わかっているのになかなかねー。

8月27日(夜) 「今日こそジムにいくつもりが」

突然のお誘いで新橋でのむ。
衝撃的なことをいわれた。
でもそれを自分で受け入れてこれから
どう生きるかが大事だな。

自分の好きな自分を貫くことで
私はどれだけのものを犠牲にして
いくのだろう。

そして、どれだけのものを
手にいれられるのだろう。

私は私でいることをやめられないし
そのことを表現しないなんて。

死んだように生きたくない。



8月26日(夜) 「ジムにいくつもりが」

ジムに行くつもりが
その用意をどこかに忘れてしまったので
家の近所をいつものようにランニング。
ねっとりとした汗をかいて
家に帰ってなんとなくがいま。

もっとこの時間を大切にしたいな。
考えることいろいろあるんだから。


8月25日(夜) 「弱さを強さに変えていく」

愛されたかった。
誰かに自分の気持ちをわかって欲しかった。
誰かに見て欲しかった。
見守ってくれる誰かが欲しかった。
だから写真を撮った。
世界中のどこかには
自分をわかってくれる人がいると思った。

インターネットの可能性にかけた。
愛されるためならなんでもやってみようと
思った。

気づいたら10年が過ぎていた。
毎日、撮り続けるセルフポートレート。

でも、続けてこれたのは
ここを見てくれている人がいたからだと
いうことに当たり前に気づいた。

今更ながらありがとうございます。
あなたのおかげで私は生きています。


8月24日(夜) 「明日は大事なプレゼン」

なのに、まだ準備ができていない。
自分と向き合う作業はしんどいのー。

8月23日(夜) 「執着してしまう人」

あぁ、もう誰かに依存したい。
誰かに褒められるために、
誰かに認められるために、
誰かに喜んでもらうために
写真を撮りたい。
夢を追っかけたい。

愚痴を言いたい。
説明をしたい。
なんでそうなるのか聞きたい。
わからんことを知りたい。

実家に帰ったときにお母さんに
「あんたが前向きに生きるために
 私が何かしてあげられることあるか?」
と聞かれた。

いや、いらんで。
何にもいらんけど、ほんまに何にもいらんけれど

これからの人生で
あれ以上にキツイことは二度とないと思えるから
それでいいねん。あれでよかってん。
やっとそう思えたわ。
私、強いコやから平気やねん。

でも、まだ頑張れへんわ。

いつかもう一度、誰かを好きになって
幸せになれる日がくることが信じられん。
占いでもなんでもいいから
「この先、何があっても絶対に大丈夫」って
誰かにそれを言ってほしい。

このわけのわからんトラウマを
なんとかしたい。


と、大真面目に言ったので
大変にオカンを悲しませてしまった。



8月22日(夜) 「あぁもう無理」

禁断症状。
1週間経てばキツくなる。
2週間経てばマシになる。
3週間経てばもう忘れてる。
1ヶ月過ぎたらまた欲しくなる。

8月21日(夜) 「わくわくしてるうちに」

わくわくしてるうちに
知りたいって思ってるうちに
行動しなきゃ、約束しなきゃ、
イメージしなきゃ、欲しいものは形にならない。

いつかまた、こんなふぅに何か
そんなんじゃいつまでたっても何年たっても
夢は夢のまま。

なんか適当にやっててもかなう夢なんて
所詮そんな程度のものなんだぜ。
でっかい夢には本気で取り組まないと。

8月20日(夜) 「昨日の夜に」

昨日の夜に実家から東京に帰ってきた。
帰ってきたっていう表現がしっくりくる。
東京のほうが落ち着く。
いつのまにか私は東京の人になってしまった。

実家に帰ろうかなと考えた。
一瞬だけ。
でもそんな考えは3時間もすれば
どこかに消えてしまう。
一瞬の気の迷いみたいなもので
そんなときはきっと必ず私の
脳のどこかではない、身体のどこかが
暴走しはじめているに違いない。

8月14日(夜) 「あはん、あはん」

荷物をまとめて
実家に帰る準備を。

今日もやたらに眠たい。
8月13日(夜) 「ジムにいく」

身体が気持ちいいと言っていた。
もっと大切にしてあげたい。
8月12日(夜) 「おなかのいたみ」

だらだらと仕事して
だらだらとごはん食べて。
お腹いたかったので
なんとなく終了。

もしかして再発したかも。
そんなことを思った8月。

8月11日(夜) 「愛の与え合い」

友達が遊びにきてくれた。
いろいろなお土産をもって。
なんかうれしかった。

与えることと求めることのバランスが
うまくいってるとき
すごく幸せを感じる。

与えられることの幸せ。
ありがとう。

8月10日(夜) 「おなかいたい」

お腹がいたい。
今日は10日でしょ。
なんか今月はずいぶんはやいではないか。

今日はずっと地味に仕事してた。
えらいぞ、わたし。

ブログは毎日更新中!


8月9日(夜) 「めちゃめちゃ疲れた」

朝からクッキーを焼く。
昼から芝居を見る。
夕方、年下男子に呼び出され渋谷でお茶。
夜は渋谷で芸能人パーテー。

渋谷署の前にはひとだかり。
まさかあの現場だったなんて。


8月8日(夜) 「今日はジム」

今日は久々にジムにいく。
身体が気持ちよがっている。
よしよし。

来週はまじめにいこう。
もう、あそばないぞ。


8月7日(夜) 「今日は銀座」

今日は銀座でお食事会。
一体、毎日、毎日、よくもこれだけ
遊び歩けるものだと自分で感心する。
いや、感心していてはいけない。
こうやって毎日を振返って
私はわたしのすべきことを
ちゃんとなしているかどうかを
きちんと検証せねば。

仕事しなきゃ。しかし眠たいので寝る。


8月6日(夜) 「今日も」

新宿でお食事。
おいしいお魚をご馳走になる。
しあわせー。

「絶対に幸せになれる」といわれて
本当にうれしかった。

誰かに自分の幸せを祈ってもらえる
確信してもらえる。
なんてありがたい。

本当に嬉しかった。
だから写真を撮る。

元気になった。
私は絶対にやってやる。

8月5日(夜) 「いい感じに」

過去を超スピ=ドで処理している。
すごいことです。
8月4日(夜) 「友達が遊びにきた」

3年ちょっと付き合ってた彼氏と 

ものっそ、久しぶりに会ってみました。 


会う前は、私もちょっぴり乙女モードで 


「いやーん。メッチャ、カッコよくなってたらどうしよう!!!」 


といらぬ心配をしてドキドキしていたわけですが、 


いざ、会ってみたら 

どこから、どうみても、ただのオッサンでした。 

ひとときの夢をありがとうございました。 





とはいうものの、はるか長い年月を超えての 

素晴らしい再会です。 


昔のこととか、これまでの人生とかいろいろ話しながらも 

なんかすごく考えさせられる時間でした。 

こんなに複雑な思いをしたのは久しぶり。 


うまくツタワラナイ気持ちにイライラしたり、 
わかりあえないことが悔しかったり。 
これって、普通の男友達との会話では 
絶対に味わえない生の感情だわ。 

恋愛感情の残りカスみたいなのが 
私の中にもあったのね。 
なるほどねー。 



いろんなことを話したけれど 
覚えているところをちょっと書いてみます。 



必死になって、夢やこれからのビジョンを語る私に 

うんうん、とうなづきながらも 

元彼が衝撃的なひとことを。 


「別に、オレはお前が頑張ってても 
 頑張ってなくてもどっちでもいいけど。」 


なんですと!!!! 

これは、すっごくびっくりした。 

彼の価値観でいうと、 

豊美が頑張ってても、頑張っていなくても 

幸せでいてくれたらそれでいいよ、 

という意味だったのですが 

私の価値観だと 

夢があって、努力していることに意味があって、 

頑張っている自分を好きになれることが幸せ!! 


と、思っていたので。 



昔と同じようにズレてるふたりの価値観。 




あげくの果てに 


「こんなこというたら、アレかもしらんけれど、 

 豊美も女やんけ。女が何を頑張ることあるねん。 

 女やからそんなに仕事とか頑張らなくてもええんちゃうん?」 


とまで!!! 


言いたいことはわかるけれど、 

夢とか野望とか何ももたずに、 
好きな人のそばにいて、献身的に支えて 
その人の帰りをずっと待つような女 
にはなれんのです。 

夢見がちで欲張り。これは性分なんです。 

「愛する人を支えて、ひたすら耐える。待つ。」 

元カレはそういう女を求めていたんだ、そういえば。 
ということを考えつつ 
なんかいろんなこと思い出して来たわー。 


彼と付き合ってるときは、自分のやりたいこととか 
夢とか全部あきらめて我慢ばっかりしてたなぁ。 

彼と付き合うようになって、 
当時、所属してた劇団やめたりしたし。 

大学生になってもサークル活動禁止!とか 
いわれてたこともあったし。 

我慢や自己犠牲の上で成り立つ恋愛だったなぁ。 

さて、そんなことを思いつつも一方で、誰かに、 

「頑張らなくてもいいよ」なんて言われたことなかったし 

そんなこと自分に言ってあげたこともなかったので 

それはそれですごく驚きでした。 

心の奥底で誰かに 

「もう、頑張らなくてもいいよ」 

ってそう言って欲しかったような気もします。 

一瞬だけ、嬉しかった。ちょっとだけ。 

心が弱っているときだったら、やばかった!(笑 





他にもいろいろ話をして、 



「私、これからどうやって生きていこう?」 


という問いかけに対して 


・過去を捨てろ 

・プライドを捨てろ 

・自分をさらけ出せ! 


という3つの課題を。 

いやぁ、ありがたいわ。本当に。 


「そんなふぅに真剣にアドバイスくれて 
 ありがとうね。うれしいわー。」 

という私にさらにありがたいアドバイスを。 


「お前は東京で夢をかなえるいうて頑張ってるけれど、 
 オカンやオトンはどう言うてるねん? 
 俺も一応、真剣にお前のこと考えていうてるけれど、 
 親のいうことが一番、正しいぞ。まじで。 
 お前はほんまに親が望んでいるような生き方してるんか?」 

という説教にはじまり 

「俺は、お前が東京にいるより、関西に帰ってきて 
 ファミレスとかでバイトしてるほうが 
 よっぽど幸せやと思うで! 
 お前のオカンもそれを望んではるんとちがうか?」 

とか、言われる始末です。 



言いたいことはなんとなくわかるけれど、 

うちの親だって 

自分の娘が自分を押し殺して、 

東京での夢をあきらめて 

実家に帰って来て、死んだように生きているのを 

見たくはないだろうよ。。。 



私の幸せは私が決める。 

私の幸せは、私のためだけじゃなく 

私のまわりにいる全ての人のためでもある。 

自分の人生にちゃんと責任もって生きてるつもり。 

親だってちゃんと、幸せにしてあげたいよ。。 



あー。元カレって!ス!ト!レ!ス! 



わかって欲しいのに、なんでわかってもらえないんだろう。 

そもそも、その部分でわかりあえないから、 

お別れしたのに! 

なんでその部分を再認識しなくちゃいけないんだろ。 



「頑張らなくてもいいよ」っていうけれど、 

頑張らずにかなえられる夢がどこにあるの! 

東京で頑張らずにどうやって、ごはんが食べられるの! 

田舎に帰って、私の居場所がどこにあるというの! 


そんな言葉をぶつけたかったけれど、 
大人だったので我慢しました。 
この人には言いたい事、ぜんぜん、言えない。昔も今も。 


あとねー、言われてショックだったのがこのひとことです。 


「なんとなくお前の話を聞いて思ったけれど、 
 お前みたいにそんなに頑張ってる女と一緒にいても 
 フツーの男は、安らげへんと思うで」 





なんなんだろう、この衝撃は。。。。 


男友達にいわれるのと、元カレにいわれるのでは 

言葉の重みが違うわ。。。 

でも、なんかもっともだと思う。悔しいけど。 




8月4日(夜) 「友達が遊びにきた」

芝居をやりたいという友達。
我が家で打ち合わせ。
劇団をやってる友達とひきあわせて
あっさりと出演決定。
しかもおどろくことに
この二人、同じ生年月日だった。

引き寄せてる〜すごい〜。

8月3日(夜) 「久々ひとり。」

今日は本を読んだり
映画をみたりなかなか
有意義な日でした。

ほんの少しですが、仕事もしました。
そろそろエンジンかけないとな。

8月2日(夜) 「お願いおほしさま。」

今日はパーリー。
楽しい、パーリー。

前々から会いたいなと思っていた人と
不思議なつながりを発見。
わお!うれしい!

絶対に仲良くなりたい!

8月1日(夜) 「過去」

そういえば、この前ね。
占いにいったときに
「あなたは過去にとらわれていますね。」
といわれました。

えーーー!
そうなのか!
私、そうだったのか!

とらわれない過去などないでしょう。
過去を切り捨てることなどできないでしょう。

自分ではそんなに過去に執着していないつもりだったけれど
その占いにいった数日後に、

元彼(1)を電車で偶然見かけたり、
元彼(2)から連絡があって、ごはん食べにいくことになったり、
元彼(3)から連絡があって、会うことになったりした。

こんな書き方をすると
いっぱいの彼氏がいたみたいだけれど、
それぞれ5年以上の間があいておる。

元彼(3)にいたってはもう14年、会っていない。

成長の過程で通り過ぎたはずのいくつかのことが
また私の目の前に現れる。

そして私は復讐する。
ちがう、「復習」する。

甘やかな思い出の中に、確かに存在した苦しみを。
愛されたくて、愛されなくて、募らせた憎しみを。

それでもまたいつか恋がしたいものです。

あのね、今度は違う人と!