1月30日(夜) 「あかなかん」 |
今日は2時間くらい歩いた。 でもまだ眠れない。 いろいろ感じた。 時間が流れてることとか。 あの場所は様変わりして それでもまだあると思っていたけれど もうなくなる。 時間は流れる。 ついていた電気が消えていたのを 確認したとき 私はやっぱり半分以上、執着を 手放していないのだと知った。 |
1月29日(夜) 「ぐぐぐ」 |
ほんま胃が痛いわ |
1月28日(夜) 「執着を手放して」 |
執着を手放して 未来になげてみよう。 今、手にはいらないものは、 未来に手にはいるように がんばればいいのだ。 半年もたてば状況は変わる。 そのときにチャンスがやってくる。 絶対に、絶対に、欲しいのなら そのとき本気で欲しがればいい。 今はタイミングではない。 そう思ったら、そう気づいたら 執着を未来に向かってなげればいい。 手放すことはこわくない。 ほうりなげて、とりにいく! 欲しいものがあるということは 何よりも幸せなことなんだ。 つらいってことは それだけ本気ってことなんだ。 |
1月27日(朝) 「変な話やけど」 |
昨日の夜、すごくよいほんを読んで 久しぶりに温かい愛につつまれてねむりについた。 私がかけて欲しい言葉がその本に いっぱい書いてあった。 親友になぐさめられた気分になった。 未来に希望がもてた。 今朝、夢の中に私がでてきた。 舞台の上ですごく輝いていて 何か表彰されているみたいだった。 ブルーのロングドレス。 すごく嬉しそうな顔。 キラキラと輝いて。 それを見て私はドキっとした。 そのドキっとした感覚が トキメキに近いというか恋に落ちる 瞬間に近い感覚だったので 本当にびっくりした。 どこまでナルシストなんだっていう話。 |
1月26日(夜) 「正直しんどい」 |
ウツウツとしておる。 なんにもしたくない。 やらなきゃいけないことはやってるけど。 ブラジャーがきつい。 最近、胸が大きくなった。 ホルモンのバランスというものは よくわからない。 |
1月23日(夜) 「あのときと同じだ。」 |
あのときと似ていると思った。 あのときと同じくらい嬉しかった。 あなときと同じくらい あとから切なくなった。 あのときと同じくらいやりきれないおもいと あのときと同じくらいの無力感。 まるで何事もなかったかのように まるで私など存在しなかったのように 世界がまわっていって 私の頭だけがおかしくなるのは、 私、ほんとうに耐えられなくって、 私だけじゃなくて 誰かの頭もおかしいのだと知ると あぁ、みんな同じ苦しみをもって 生きているのだなとそれだけで すごく嬉しくなる、ひとりじゃないって思える。 そして私はこんなにひとりじゃないって思えて 幸せなのに、まわりは なにがそんなに嬉しいの?って顔して 結局、あなた誰からも愛されてないことに 気づいていないの?とかいいたそうにしてるけれど それでもいいんだ、わたしにとっては 「理解」と「共感」と「同情」さえあれば それで生きていけるから。 |
1月18日(夜) 「やっぱりしんどいねん」 |
映画見て号泣をした。 腰がくだけて立てなかった。 映画館のトイレで声を殺して号泣した。 トイレからでてもあとからあとから 涙があふれて、いすに座って さめざめと泣いた。 涙がかれなくてびっくりした。 帰りの電車でも涙がざーざー流れてくる。 心の奥底からわきあがる絶望感。 あ、この感覚、知っている。 そうか、私はやっぱりウツなのだな、と。 精神安定剤ほしいな。 それにしてもあれはひどいと思う。 ひどいので誰かに慰めてほしい。 でも貴重な経験をさせていただいたので ありがたいとも思っている。 でも、やっぱりあれはないと思う。 思いやり。優しさ。そんなものなど 最初からどこにもない。 四文字熟語で言ってあげる。 「自己保身」 はやく気づこう。お互いさまに。 |
1月17日(夜) 「あきらめた」 |
もう仕方ないことなのだろう。 そうやって受け入れて、あきらめて 「勇気」なんていう言葉も 忘れていくのだろう。 |
1月16日(夜) 「不思議」 |
こわい夢ばっかり見る。 |
1月15日(夜) 「人生の目標」 |
人間の器を大きくしたいです。 ありとあらゆる価値観を受け入れる ふところの大きな人間になりたいです。 どんだけ傷ついてもそれを糧として 生きていけるような強い人になりたいっす。 |
1月13日(夜) 「寂しさにつける薬は売ってないのかね?」 |
あー。どうしようもないくらい 孤独、さみしい、孤独、せつなーい。 もう全部、忘れたいわ。 何も考えたくない。 どうしたら寂しいのが消えるかね。 ・時間が経つのをじっくり待つ いや、待てねー。 ・大人のおもちゃを大人買いする え!そんな問題じゃねーよー ・たまごっちを買う 電子ペットかよ! ・男を買う いや、そうじゃないってばー ・旅にでる 余計、孤独なるわー なんてどうどうめぐり。 あほまっさかり。 |
1月12日(夜) 「がーがーいっちゃって!」 |
自分の心の中を 愛で満たすのは意外と大変だ。 やさしくしてあげたいのに そうできないときもある。 孤独で死にそう! |
1月11日(夜) 「いやし」 |
昨日はとあるサロンに行ってきました。 以前、一緒にお仕事をさせていただいたことのある 元・女流写真家さん。 現在はセラピストとしてご活躍されています。 「去年はいろいろツラいことがあったので 今年は、もっと自分に優しくしてあげたいなと思ったら 急にお会いしたくなったんです」 久々にお会いして、 とっても嬉しくって たくさん写真の話をして アロマでボディトリートメントもしていただきました。 身体がほぐれると、不思議に心がほぐれていくんだねー。 私、今まで心がガチガチになっていたみたい。 いろんなことを忘れたフリをしていたし、 そんなに傷ついていないような気になっていたし、 すべてが終わったことだと思い込もうとしたいた そんな自分の本当の姿にやっと気づいて(今さら!) 昨日は久々に、ワンワン泣きました。 去年は泣きたくても全然泣けなかったのに。 心がやっと柔らかくなってきたました。 いい感じです。 だから、 どんどん、許していこうと思います。 思いがけない出来事で深く傷ついてしまった自分を許す。 私を傷つけた出来事とそれに関わった人、全員を許す。 泣きたくも泣けなかった自分を許す。 密かにいろんな後悔をしている自分を許す。 いまだに許せずに、心の中で責めている自分を許す。 忘れて心の奥底にしまいこんでいたものを これからしばらく探しにいきます。 発見できたものを 片っ端から許していきます。 許します。許します。 人間の器というものは 「人を許す」ことや「受け入れる」ことで 大きくなるものだと思います。 やっぱり傷つかないと成長できないもんだな! その痛みから逃げていても成長の機会を逃がすだけ。 いろんな試練はお星さまからのギフトだと思って ありがたく頂戴します(笑 2009年、どこまで大きくなれるかなー。 来年のいまごろに、成長した自分の姿を楽しみにしたいと思います。 |
1月10日(夜) 「初めて味わう」 |
深い孤独。 |
1月9日(夜) 「むむ」 |
毎日のように「人間」について 学んでいる。 成功哲学は飽きるほど読んだ。 ここ最近は カウンセリング、コーチング、NLP、 脳化学、催眠術、恋愛マニュアル(笑) で、今日読んだものはサイグラム。 これは、誕生日から人間を 6つのパターンにわかるもの。 これがおそろしくはきけがするほど 当たっていて 私はなぜこの本を1年前に 読まなかったのかと本気で悔やんだ。 わからなかったことが今ならわかる。 あれはこういうことだったのか、 これはやっぱりそうだったのか。 あまりのことに私は吐き気が 笑いに変わるほど頭が混乱して 時間が逆戻りして人格が入れ替わって 私があの人なのか、あの人が私なのかも わからなくなるくらい とにかくとにかく、そう衝撃を受けた。 サイグラム、すごい。。。 私の思い込みと価値観が (あたりまえなんだけれど)私独自のものだと いうことに気づけて おそろしく謙虚になれた。 決めつけ、よくない。 思いこみ、役にたたない。 その人がその人らしくあるために 私ができることなんだろう。。 そんなことを考えていたけれど、 結局、こたえはとってもシンプルで あることに気づいた。 「まごころ」をこめてつくった言葉しか 人の心には届かない。 誰かをコントロールしようとして うまれたエゴな言葉の陳腐で嘘くさいことなど 私はこれからも知らずに生きていたかも しれないと思うと ちょっと、こわくなった。 |
1月8日(夜) 「執着をてばなす。」 |
自分の思いを文章にすること。 言葉で表現することって 最高のデトックスだ! 執着することをやめた。 勇気をだしてなんとかしようと 思ったこともあったけれど 心が喜ばないことを 意地になってしたってしょうがない。 手放したら楽になった。 心のスペースにまた違うものが はいってきた。 不安や不信に縛られて生きるのは しんどい。 私は不当に批判をしたかったわけじゃない。 何も気づかずに、成長できずに生きるより 自分の弱さを受け入れながら 他人にやさしくなれるように 自分の器を大きくしていこう。 それがいちばん幸せに近い。 |
1月7日(夜) 「久々に本当のことを書こう」 |
ストレスたまりまくってしょうがないなー。 胃が痛い、胃がキリキリ。 もうしょうがないなー、わたしってば センサイ! しかし誰かに愚痴をいうわけにはいかない。 今日はそんなわけでジムにいってきた。 走ってきた、ヨガをした、筋トレをした。 これで気持ちが少しスッキリした。 私の気持ちのモヤモヤの正体を スンナリ受け入れられるようになったわ。 何にイライラしていたかというと お正月!いつもと変わらないお正月。 お父さんがいて、お母さんがいて、 おばあちゃんはもう先にあっちにいってしまったので いなかったけれど、妹がいてくれて 幸せなはずのお正月に私の心はささくれだっていた。 友達からの年賀状は年月を重ねるごとに 子どもの写真が多くなる。 結婚しました、子どもがうまれました、 家をかいました、今度、遊びにきてください。 たまにこういった年賀状をみて 悲しくなるという人がいて 私はそういう人のことを 「なんてかわいそな人なんだ!」とその人の 心の狭さをおもいやったフリをして 哀れんでいたのだけれど まさか自分がその「妬む人」になるとは 思いもしなかった。 さみしくてみじめな気持ちになったなー。 まわりの友達が当たり前に手に入れている 「新しい家族とのお正月」が私にはないこと。 ただそれがすごく寂しくて悲しくて でもそのことに気づけなくて ずっとモヤモヤしていた。 これでせめて彼氏がいてくれたら… と思う事はあってもそれは 贅沢なお願いごとだと思うので そんな気持ちにもフタをしていた。 でも、今日は思ったな。 私だって人間なのだから、人を うらやんだり、ねたんだりすることもあるさ! だけど、その悔しい思いをした分、 絶対に幸せになろう!と心から誓えるのだから それはそれで自分の心のカテにすればいいさ! 自分の弱さを受け入れて ちょっと成長できたいい一日でした。 胃が痛いけど、明日もがんばるにょ! |
1月6日(夜) 「こんばんは2009」 |
気がついたら明けてたね。 なんだかね、最近は あんまり元気がでなくていやな感じ。 もっともっと自分の心の中を 愛で満たしたいなぁ。 そうじゃないと写真撮れないもの。 こんなとき自分がカメラマンでなくて よかったと思う。 |