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6月30日(朝) 「しあわせ、しあわせ」

しあわせ、しあわせ、しあわせ、

って言ってると本当にしあわせになれるような

気がしています。

きっとそうなるよ、大丈夫。



6月28日(夜) 「最悪のシナリオに最高の演出を」

きょう、本当は実家に帰るつもりだった。
でも、帰らなかった。
理由は仕事がアホみたいにいっぱいやってきて
土日に実家にいてもほとんど原稿を書いて
すごさなアカンことになるやろうということと
やっぱり家に帰って、オカンと話をするのが
こわかったな。

また、怒らせるな、悲しませるなぁと
思うとそれだけで胸が痛む。

私には大切な人がたくさんいて、
その人たちが少しでも傷つかない方法があるのなら
それを真剣に考えているよ。

私が選んだ人を守らなくては。
私を選んだ人を守らなくては。

そしてそのなかにもちろん家族が大部分を
しめているのだけれど。

どうしたって、無傷じゃ乗り越えられない山がある。
おそらく最悪のシナリオになっているとおもう。
そこにどうしたら最高の演出ができるだろう。

最悪な展開に、どうやったら幸せの種がうえられるだろう。
乗り越えたときに、それぞれのおもいで、
笑える日を迎えることができるだろう。

そんなことばっか考えてる。



6月27日(朝) 「おはよ」

今日も、わたしはキレイだ!
今日も、わたしは元気だ!

無敵モードでいってきます!

6月25日(夜) 「ありがたい。」


お仕事がいっぱいやってきた。
めちゃめちゃありがたい。
しんどいけれど、ありがたい。

それはそうと話が変わるんだけれど!

よく成功哲学の本なんかに書いてある一説。
偉い人たちがいうには「感謝」の気持ちが大切。

だから、望まない出来事にも「ありがとう」言えるような
人間になりなさいっと。

私、このことって本当にわけがわからなくて、
わけがわからないままに、無理やりにポジティブシンキングで
「感謝の気持ちで前向きに頑張らなきゃ!」って思っていた。

最近になって、ようやくやっとその意味がわかってきた。

「ありがとう」って言える心境になるまでには
通らないといけない過酷な道が存在するんだ!!

憎しみも、悲しみも存分に味わって
感情を抑圧するんじゃなくて、十分に表現して、
自分で受け止めたり、誰かに支えてもらったりして
ちゃんと「昇華」することができた人だけが


「人生において変え難い貴重な経験をさせていただいた」
「耐え難い苦難を乗り越えることで、人間的に成長させていただいた」

ということに気づいて
「ありがとう」の境地に辿りつくんだなぁ。


わぁ。なんと険しい道なんだろう。

「ありがとう」の境地に辿りつくまで…。


憎しみとか、悲しみとか、
ドロドロとした自分の感情を向き合わなくちゃいけないし、
それを誰かに聞いてほしくなるし、
いつもは強がっているのに、甘えたくなるし、泣きたいし、
いつのまにか全部人にせいにしたりしてて、
なんかカッコ悪くて、情けなくなるし、
自分のことホントに大嫌いになりそうになる。


でも、そうやって、湧き上がってくるどうしようもなく
激しく苦しい感情をぞんぶんに味わってから

消化して、昇華させることで、
人間的にもう一個上のステージにいくんだなぁ、きっと。

(たいがい脱落してひがみっぽい人間になる?)


望まない幸せでない出来事に遭遇してもがいている時期は、

・カッコ悪い自分と向き合う
・カッコ悪い自分でもどこかの誰かに愛される価値があると知る
・人間とはなんと愚かな生き物なんだろう!と悟る

絶好の修行の時間なんだろう。


苦難に「ありがとう」って言えるまでの険しい道のり。


私、あまりに辛くてこの道を外れて、
「幸せになりたい自分」を放棄して「なまけもの道」を
歩こうかなぁと思ってました。


なんか小さいけれど、希望の光らしきものが見えてきたので
険しい道のりへの歩みをまた始めます。
傷ついてもいいや。




望まない不幸な出来事にも

ちゃんと「ありがとう」っていえるような

人間になりたいのだよ、私も。



自分の人生を終えるときにも
「ありがとう」の気持ちで心が満たされてると、いいなぁ。



6月23日(夜) 「今日はさつえい。」


今日の撮影も楽しかったー。
年下の男の子はほんと、かわいいと思う。
最近、とくにそう思うのは
私が大人になったからかなぁ。

オジさんが、若い女の子に
お金を使いたくなる気持ちが
よーくわかるもん。

なんていうの、年下男がもうすでに
「ファンタジー」の領域。

夢を見せてくれる魔法なんだよ。





6月22日(夜) 「明日はさつえい。」



がんばるのです。
ただ、ひたすら信じるのです。
自分の力を。

今まで、つらかったとき
どうやって乗り越えてきたかなぁ。

あのとき、ああやってきた。
だから今回もそうする。
そして大丈夫。

という王道の乗り越え方のような
ものをもっていると
人生はもっとラクチンに
いろんな課題をこなしていけるなぁ。

私の場合、つらかったときは
新しいオトコを探した。

でも、今回のしんどさは
そんなことで解消なんかしない。

ただ、ひたすら強くなるだけだ。




6月21日(夜) 「あなたのしあわせ。わたしのしあわせ。」



「もう、どうしていいかわからへんねん。 
 最悪、このままでもいいと思ってる。」 

幸せになりたい。 
でも今の生活を変えたくない。 
また、いつもの堂々巡りがはじまった。 

彼女にどんな言葉をかけてあげていいのかわからなくて 
私は思わず彼女の、太ももをギュッッとつねった。 


ぎゅう 


「え!…ちょっと、痛いねんけど(笑)」 



「もうちょっとの間、痛くするから、我慢しとき!」 



「えー!いつまでつねってるのん?」 




「手ぇ、見てみ?」 


「手?」 


「そうやで、その両手!」 


彼女の視線の先には、 

無意識にしっかりと握られた 

グーの形をしている手。 




「それが、あんたの今の心とおんなじ!」 


「どういうこと?」 


「今までいっぱい、痛いこと我慢したやん? 

 今の痛みに耐えるために、そして次の痛みに備えるために 
 そうやって、手をぎゅっとしてこぶしを握り締めて 
 これ以上、痛くならないように必死で自分を守ってる。 

 あんたの心、ゲンコツみたいにガチガチになってるで。」 


「そうやなぁ、ほんまやなぁ。」 


「その手で何ができる?そのグーで何ができると思う?」 


「…ボクシングやな!」 


「そうや。そうやって痛みに耐えるためにつくったグー。 
 それで自分を痛みから守ることはできても、 
 誰かと向き合ったときには、殴るための手のカタチ。 
 ゲンコツのままやと、私、傷ついてるねんでーって 
 言いながら人を傷つけてしまうねん」 


「そうか…」 


「痛いのは、怖い。これ以上、痛いのはもっと怖い。 
 でも、その手をひらかなあかんで。 

 少しずつ、少しづつその手をひらいて、自分の手で 
 できることを考えてみるねん。」 


「例えば?」 



「グーのままやったら、人を殴ることはできるしかできひんん。 
 でも、パーにしたら、人の頭をなでてあげることができるやん。 

 グーのままやったら、欲しいものが目の前にきても、 
 つかむことができひん。 
 でも、パーにしてたら、新しいものが手にはいる。 

 グーのままやと、握手もできひん。痛さはマシやけどグーは孤独や。」 


「……」 


「そやから、怖いけれど、少しづつ、その手をひらいていくねん。 
 その両手にいっぱい、幸せがやってくるのをイメージして。 

 いきなりその両手のグーを解くのはこわいやろ? 

 そやから、左手貸してみ?」 


「左手?」 


「そう、左手だして!」 


「…はい」 



「左手は、こうやって私が握っていてあげる。 
 何があっても、一生、あたしら一緒やん。 

 怖いけれど、右手はひらいてみ? 
 痛くてもええやん。 

 あんたにはもう大概、 
 いい加減、手放さなアカンもんがあるはずや。 

 その右手で新しいもの、つかんでみ? 
 まだ、間に合うから。大丈夫やから!」 



「わかった! 
 オネエ、あんたたまには良いこと言うやん! 
 わたしがんばってみるわ!」 



「そうやで、閉じたらあかんで! 
 ぜんぶ、ぜんぶ、ひらいていこうな!」 





という会話を姉妹でしたのはちょうど1年前。 

私と妹は気持ち悪いくらいに仲がいい。 
支え合って生きている。 



彼女は、勇気を出していろんなものを手放して 
今まで自分の痛みから守るために防御していた 
心の鎧のようなものを、ひとつひとつ捨て去っていきました。 


「私のことを本当に理解して、大切にしてくれる人と出会いたい」 


仕事をやめて、新しい仕事を探して、人間関係も全部整理して。 
携帯番号を変えて、メールアドレスも変えて。 



そうやって、やっと 
ピカピカの王子様を見つけたんだよなぁ。 


そんな妹の誕生日が今日です。 


今日の妹の日記。 

-------------- 

日が明けて1つ歳をとりましたよ 
おねえが21なので私ははたちになったことになりますね  

思い返せば去年の誕生日にたてた目標は… 
知らないうちに達成していた事に気づきました 
夜の世界を卒業して昼間の仕事に就くことと、 
お互いが支えになれる男性と出会う事 !

-------------- 


姉として、妹の成長を見ることは 
本当に嬉しいです。 

先日、その妹の王子様が東京出張のときに 
二人で食事をしました。なにこいつ!とってもステキな人。 

姉として頭を下げて 

「これからも妹をどうか、どうかお願いします」 

と言いました。 



近々、また実家に帰るので幸せそうな二人を 
見られるのが楽しみです。 


家族が幸せだと、私は嬉しいです。 

私も家族に喜んでもらえるような幸せを手にいれたいです。 


私が幸せだと、みんな幸せになると思います。 


いつでも、幸せを選べる自分でいたいです。 



6月19日(夜) 「じぶんのきもちがわからないよ」」


恋人と友達の境界線にあるものは  キス。

仕事と趣味の境界線にあるものは  お金と責任。

家族と他人の境界線にあるものは  戸籍?

今日と明日の境界線にあるものは  「おやすみ」と「おはよう」

親切とおせっかいの境界線にあるものは 自己満足

冗談といじめの境界線にあるものは サービス精神

夢と現実の境界線にあるものは   努力と根性。

恋と憧れの境界線にあるものは   独占欲

被害妄想とネガティブ思考の境界線にあるものは  自信。

誇大妄想とポジティブ思考の境界線にあるものも  自信。

寂しいと悲しいの境界線にあるものは  恋しい

大好きと大嫌いの境界線にあるものは  理解

自由と自分勝手の境界線にあるものは  自己責任

お昼ごはんと夜ご飯の境界線にあるものは おやつ

愛情と同情の境界線にあるものは     未来

思い出と記録の境界線にあるものは  気持ち

大人と子どもの境界線にあるものは

幸せと不幸せの境界線にあるものは

私とあなたの境界線にあるものは






私と私でない私を行ったりきたり。

大丈夫、大丈夫じゃない。

寂しい、寂しくない。

愛してる、愛してない。

生きたい、死にたい。

食べたい、痩せたい。

逃げたい、逃げたくない。

わかりたい、わかりたくない。




境界線の間にあるものこそが「私らしさ」

中途半端こそ完璧。

不完全な美しさ。





6月18日(夜) 「しあわせをえらぶんだ、おそれずに。」

本当に欲しいもの
本気で欲しかったものを
あきらめることが
こんなに辛いとは思わなかった。

辛いのに泣けない。
プラセンタのおかげで
神経がずぶとくなった。

よかったのか、悪かったのか。

6月16日(夜) 「しあわせになりたい、ただそれだけだ」

最近、しあわせってなんだっけなー。 
とぼんやり思う事が多いです。 

辛いこととか、悲しいこととかいろいろあるけれど、 
その出来事そのものが「ふしあわせ」なんじゃなくて、 
その時々の感情をぞんぶんに味わうことのできることが 
もしかしてすごく「しあわせ」なことなんじゃないかなと 
思うこのごろ。 

望んではいない出来事が起こったとして、 

泣きたいのを我慢したり、 
言いたいことを言えなかったり、 
悲しいことを隠し続けたり、 
誰にも頼ったり甘えたりできずに、 
つくり笑いで生きていくよりは、 


泣きたいだけ、泣くことができて、 
自分の話を聞いてくれる人に打ち明けて 
ときには、誰かに頼ったり甘えたりして、 
「本当に私ってみっともないなぁ」と 
自分で自分に心底うんざりしながらも 
そんな私でいいんだよって言ってくれる人たちと 
たくさんの涙と本物の笑顔で生きていきたいなぁ。 

「いちばん悲しいときに、いちばん強い人でありたい」 

って言ったのは誰だったか忘れたけれど、 

私は、 

「いちばん悲しいときに、いちばんやさしい人でありたい」 

んで、やさしいっていうのは、主に「自分に」です(笑) 


そして、今日の撮影で愛のエネルギーをたんまり 
吸い取ってこようと思います。 

撮影で充電、充電!



6月13日(夜) 「前にすすめないとき」

前にすすめない。
何も決められない。
決めたくない。
ひとりでいたくない。

こわい。
こころぼぞい。
誰かに助けて欲しい。
誰にも頼りたくない。
甘えたい。

手をつないで欲しい。
さみしい思いはもうたくさん。

悲しい。
泣きたい。

もう死にたい。

今のすなおな気持ち。ぜんぶ。


あ、死にたいはウソ!

死にたくなるけど、死ぬことはない。

6月11日(昼) 「どうすればいいんだろ」

なんかもう疲れたー。

もういあだ。


6月8日(昼) 「髪の毛きった」

今日の朝、起きたとき
意外と憂鬱でもなく不安でもなく
心の状態がいいことに気づいた。

あ、昨日は髪を切ったんだ。。

髪の毛を切った帰り、いつもナンパをされる。
それはきっと気分の問題なんだろうな。
髪の毛切った姿を誰かに見て欲しい、
かまって欲しいオーラがでてるんだろう。

昨日は3人に声をかけられた。

今から、横浜にいく。
撮影のため。

がんばるんだ。私。

これくらいのことで負けちゃいられない。

涙しても。



6月7日(夜) 「昨日の夜」

きのうの夜、たまらずに泣いた。
わんわん泣いた。
さみしくてつらくて。

泣けないことは辛い。
泣いたところでもっと辛い。

でも、気づいた。

泣いて、誰もそのことに気づいてもらえないこと。

「ひとり」というのがいちばん悲しい。

誰も、誰も知らない。

私の涙。

6月6日(夜) 「最悪の覚悟」

八ヶ月ぶりに話しかけられた。
なんか嬉しかったんだ、それでも。
居心地いいなって思ったんだ。
幸せだなぁと感じた。

おかしいなぁ。

6月6日(夜) 「最悪の覚悟」

八ヶ月ぶりに話しかけられた。
なんか嬉しかったんだ、それでも。
居心地いいなって思ったんだ。
幸せだなぁと感じた。

おかしいなぁ。

6月5日(夜) 「まぁまだだね!」

いいなー。

6月4日(夜) 「幸せと不幸の間のなまぬるい温度」

幸せだと思い込めば、幸せ。
不幸だと言い切ってしまえば、不幸。
そんななまぬるい温度に慣れてしまって
いつしかここから抜け出そうという
気力もなくなっている。

ぬるま湯の温度は次第に下がり
いつのまにか冷たい水に。
それでもそこから動くのがこわくて
「これが私の選んだ幸せ?」と
零しながら、誰の手にすがることなく
朽ちていくのはいやだなぁ。
そんなのいやだなぁ。

真夜中だけれど、チョコレートが食べたい。
真夜中だから、チョコレートが食べたい。

せめてのわがまま。

もう寝るよ。3時をまわったから。





6月2日(夜) 「いつのまに6月になったのだ!」

寝だめしてしまった。
起きたら昼の3時だった。
仕事がおわらない。
今、夜の4時をまわった。