HTML> TOYOMI.ORG :Daily Gokigens
4月21日(夜) 「おっぱい写真」

泣いたり怒ったり、気分が不安定です。
マイナスの感情に引きずられるのはどうも疲れます。

私は誰のものでもないのだから、
私は誰にも必要とされていないし、
誰も私を守ってはくれないのだから

今だからこそできる表現をしようかなと
思いました。

エッチで可愛くてポップで明るい写真。
例えば、おっぱいをこんなふぅに
お菓子のように撮る、みたいに。

大切なものがどんどんすり減っていくよ。
もう、とめられないよ。

あんなに、あんなに愛して欲しいって言ったのに。



4月19日(夜) 「アホが読むポジティブ本」

アホが読むポジティブ本「ザ・シークレット」を読んだ。
そしてカシコが読むマーケティング分析本の
「ザ・シークレットの真実」を読んだ。

なんだか疲れたなー。

世の中で多い順から並べていこう。

まず。

「成功哲学を読む人」

次に

「成功哲学を読んで実践する人」

さらに

「成功哲学を書く人」

その次には、

「成功哲学を書いてたくさん売る人」



たくさん売るには、マーケットのシェアを
拡大することが大切。

たくさん売れている成功哲学は

もちろんイイ!

でも、多くの人にわかりやすく

書いてあるために、

大事なことが書かれていない。

耳障りのいいことばかり書いてある。

「ザ・シークレット」に書いてあることは

真実に近いけれど、嘘もある。

例えば、悪い思考が頭を支配しそうになったら

気分転換しよウ!みたいなことが書いてある。


アホはこれを見て、そうか!と思う。

だってそのほうが楽ダモン。


これはアホには耳障りのいい言葉だけれど、

それはただの「その場しのぎ」でしかない。

本当に成功して成長したかったら、

その悪い思考こそ、全力で取り組むべき課題なのである。


マイナス思考にだって価値がある。

ポジディブ思考にしろ、マイナス思考にしろ

「とらわれる」ことが一番いけない。

アホに本を書くことがもっとも売れる本の

作り方に近いような気がしてきた。




4月17日(夜) 「号泣するとスッキリするのに」

我慢できない悲しみがあって
いつだったか号泣した。
頭がおかしくなったかと思うくらい
泣け叫んだ。自分がなんかの動物になったかと。

泣いて泣いても、15分くらいなんだよなぁ。
泣いたあとはスッキリしてる。

いつも泣くのを我慢していたし、
泣くことがこわかった。

でも、実際、泣くことはそんなに
こわいことでもなんでもないじゃない。
むしろ気持ちいい。

我慢に我慢を重ねてウツになって
意味不明な涙を流すより、全然らくだ!

これからは泣こうと決めた。
泣きたいとき、泣きたいだけ泣く。


私はこれからもっと傷つくかもしれない。
でも、泣いたとしても号泣したとしても
15分だ。

15分泣いてスッキリして、
たとえそれが毎日続いたとしても
今みたいに「死にたい」気持ちを向き合うより
ぜんぜんらくだ。

「生きる」方法を探そう。
いつだって「しあわせ」を選ぼう。

私にはそれができるはずだ。




4月15日(夜) 「こわいこわいこわい」

気がつけば寝ている。
記憶がない。
朝おきてびっくりする。
やらなあかんことが山積み。

とりあえずこれだけ書いておこう。
いてきます。

4月12日(夜) 「俺のいい男さがし」

この前、20歳そこそこの男の子と飲んでいたとき

「とよみさん、いい男の条件ってなんですか?」と聞かれた。


私はすかさず、「自信・余裕・思いやり」と答えた。


自信っていうのは、文字通り自分を信じていること。
余裕っていうのは、心の余裕、経済的な余裕、時間の余裕のこと。
そしてそれらを独り占めせずに、周囲に配れるやさしさ、
つまり、思いやりをもっている男が私の思う、いい男だと思う。


でも、この「いい男」になれるのは40代からだと思うなー。
20歳そこそこで、心の余裕、経済的な余裕、時間に余裕が
あったらおかしいよね、うん。


言い換えてみると、「いい男」というのは
たくさんの果実を実らせた「大きな木」ともいえる。

自信は「木の幹」、余裕は「大きく張りめぐされた枝葉」であり、
思いやりは「たわわに実った果実」だ。


同世代でも、若い男の子でも見ていて
「このこ好きだな」とか「応援したい!」と思うのは

「自信」をもっていて、自分の軸をちゃんと持ってる人。
そして、地に足がついていること。

夢を持っていることと、夢見がちなこととは全く違うのだ。


自分の幹を太くして、大地からたくさんたくさん栄養を吸収して、
大きな枝葉をつけて、これからもどんどん成長して
甘い果実をこの子はつけるんだろうなぁと思うと
ひとりで未来を想像してニタニタしてしまう。

完成された「いい男」も好きだけれど、
これから確実に「いい男」になるであろう未完成な男の子も
どっちも大好き。




裏返しに私が思う「悪い男」というのは、


自分に自信がなくて、それでも愛されたくて、
いつもビクビクしていて、やたらに貧乏で
なぜか必死に忙しくて
自分がもっているものを誰かにあげることもできずに
ひとりで縮こまっている男のことじゃ。
もやしじゃ!

もやしは安いし、おいしい!だけれどあんまし栄養がない。
私は贅沢な女なのでとびっきりおいしい完熟の果実が欲しい。

あー。
今日も私は「いい男」に囲まれて幸せじゃ。

…と思い込もうとしている、アホ・ポジティブ。




4月10日(夜) 「どうやって自分を騙すか」

寂しい、辛い、我慢できないくらいイライラする。
傷ついた自尊心。作り笑いの毎日。

必死で自分をコントロールしようとしてきたなぁ。

ちょっとくらい辛くても我慢すれば大丈夫だから。
きっとこれくらい普通のことだから。
いま、辛いけれどあの時に比べればマシだから。

辛いのは私に感謝の気持ちが足りないから。
寂しいのは私がわがままだから。
悲しいのは私が被害者意識を持ち過ぎだから。

こんなこと誰に言ってもわかってもらえないから。

だから私はこの苦しみを十分に味わおうと思った。


しかし、もう十分です。
吐きそう。




4月11日(夜) 「アホ・ポジティブ」

ポジティブにも2種類あると思う。

物事のいいところしか見ない
夢見るアホ・ポジティブと

絶望的なことが起こっても、
必ず解決の糸口や希望が見出せると
信じて、もがいて乗り越えることのできる
地に足をついたカシコ・ポジティブと。

私は、「アホ・ポジティブ」が大嫌いじゃ!

いつか大成する!いつか世界が自分を認める日が来ると
豪語して、あたかも自信家を装っているくせに、

何か問題が起こったときにそれに対処することもせず、
自分を平気で不幸にする人。
問題を先送りにして、取り返しのつかない状況になっても
それでも、まだ問題と向かい合う勇気をもてない人。


都合の悪いことから逃げてばかりの人間は嫌いじゃ。
もっと自分を大切にして生きよう。


最近、悩みまくって、やっとわかってきた。
本当に怖いのは、傷つくことでも失うことでもないわ。

傷つくことや失うことを恐れて、
逃げる癖をつけること、痛いことから逃げてばかりいること。

それは何を意味するのか?

「成長しない」生き方を選ぶということだ!




#成長したくない、このままでいいという人は
 痛いことから逃げていればいいと思う。
 そうしてずっとそこにいればいい。



私はアホかカシコどっちなん?
どちらかというとカシコの部類にはいると思う。


自分の痛みをコントロールするのはすごく得意だ。

自分の弱点を知っている。
自分の人生において自分が何をして欲しいか知っている。


だからそれを与えてくれる環境を選ぶし
自分を傷つけるような人とは極力、距離を置く。

そのために、自分の心の動きを常に見てるし
周りの人間の心もいつも読もうと思っている。
そして、私を自分勝手に利用する人は許さない。



これは私が「傷つかないように」生きるために
自分が身に付けた戦術でもある。


しかし、しかし、しかし。


一生懸命にまわりの状況をコントロールしても
「なんでやねん!」ってちゃぶ台をひっくり返したいくらいの
わけのわからんステージにいつのまにか自分が立ってる。

このカシコの私にコントロールできないことがあったなんて!


それが今。

何年か前に同じ状況に立たされて
「瀕死」の寸前までいったことがある。

今からちょうど4年前のこと。
あのときもたくさんの人に支えられてようやく
息を吹き返したというのに、なんで同じ状況にまた
たたされているのか全く意味がわからん。

やっぱりあんとき死んどけばよかったか。
うそ!違う!

あのときも苦しみながら学んだことを
今こそ生かそうと思う。



アホ・ポジティブはキライじゃ!という私が
ほんまは実は「アホ・ポジティブ」だということを
今さらながら認めようと思う。

…すごい敗北感あるけどな。


痛みから必死で自分を守ろうと逃げてたわ。
痛みを感じないように自分をごまかしてきたわ。
全力で努力してきた。

友達がいつも言ってくれてた。
「あんたはいっつも無理しすぎやねん」

ほんまや。

痛くない、痛くない。平気。大丈夫。
私はこんなことくらいで負けへんから。
自分に言い聞かせて耐えるだけの毎日。

でもな、痛いねんな。
我慢できひんくらいツライねん。

だから、もっと努力してやったわ!

もっと痛みを感じないように。
ネガティブにならないように。
すべてに感謝の気持ちを持てるように。


…そのうち痛みだかじゃなくて何も感じなくなった。
気がついたら「悲しみ」が心を支配してた。
あげくのはてにストレスで病気って。。。


私の涙ぐましい努力って私を「痛み」から守る「仮面」を
つくっていただけで、

その方法は決して私を幸せにしなかったことを、
今こそ受け入れよう。


失うことは怖い。
傷つくことは痛い。
ひとりぼっちは寂しい。


でも、このまま逃げていたって
心が麻痺して、私が私でいられなくなるだけやん。


「私らしさ」を引き換えに、差し出していいものなんて
本当は何もないはずだ。

本音や言いたいことをぐっと堪えて
「とりあえずいい人」でいることを、なぜ私はいままで
(いつも)選んでいたんだろう。


「私らしくあること」を我慢して、
本当の自分を受け入れて欲しい人から
「豊美って本当に優しくて女神のようにいい人だ〜」と
思われていてもはっきりいって私の人生になんのプラスにもならん。


私はいつだって「幸せ」を選べる人間でありたい。


もうええねん。


「ものわかりのいい人」をやめる。
「相手の気持ちを先回りして読んで何も言えない人」をやめる。
「傷つけた罪悪感から、自分の主張をしない人」をやめる。
「言いたいこと言いのうるさい女だと
 思われるのが怖いと思っている人」をやめる。



私はこれから言いたいことを言う。
主張すべきことを主張する。

痛みから逃げずに自分を傷つける。
摩擦を恐れずに人を傷つける。


そんな自分を許す。
そしてそんな自分を許してくれる人を選ぶ。

私は今まで
「やさしくてものわかりがよくていい女」だった。

これからは
「うるさくてわがままで、悪い女」になる。

今もモテてるけれど、
こっちのほうがさらにモテるような気がする!

何度も繰り返して書くけれど、
私はいつだって「幸せ」を選べる人間でありたい。


4月9日(夜) 「うんうん」

ちょっとツライ日々が続いていて
お母さんに電話をしたというのは数日前のお話。

今日になって
その「話を聞いてもらえた」ということが
本当に本当に嬉しく思います。

別に話をしたからって悩みが
解決するわけではないんです。
でも、

今回は私の感情を否定せずに受け入れてくれました。
「受け止めてもらえた」と感じれたことが
すごくすごく嬉しかった。

相変わらず自分の価値観を押し付けて
隙あらば私をコントロールしようとする母ですが、
前みたいに息苦しさは感じなくなった。

成長して、一段上に上がったので、
ちゃんと自分の周りを見ることができて
その中にいる私という「軸」が
できてきたからかもしれません。


今まで、うちの母と娘の関係といったら
仲良しは仲良しなんだけど、
あまり健全ではありませんでした。

私のほうは
「なんで私の気持ちをわかってくれないんだろう?」
といつも悲しくて、あきらめていたし、

母は母で
「自分の娘なのに、何を考えているのかわからない」
という苛立ちや寂しさをもっていたと思います。

今までは私が何を相談しても

「あなたにも悪いところがあるんじゃないの?」とか
「そういう事態を招いたあなたに責任がある」とか
「なんでこんなことになってしまったのーーギャー!!」

慰めて欲しいときにギャンギャンと私を
責めてばかりだった母。

なぜ母はあれほど、傷ついている私に向かって
噛み付いてくるんだろう?

と、考えてみたのですが

母にしてみれば娘の私が傷つくことで
「こんなに一生懸命に育てたのに、我が娘が不幸になるなんて!」
と、母自身の自尊心が傷ついていたのですねぇ。


私のほうは「悲しみ」とか「怒り」を感じているのに
イチバンわかってほしい「親」にそれを受け止めてもらえず。

私は「私の感情を否定された」と感じてしまい
いつのまにか「本当の気持ち」を心の奥底にしまいこんでしまって
ストレスを発散できず、鬱々と毎日を過ごすハメになってたのです。

「周囲を責めてばかりの母」と「自分ばかりを責めてしまう娘」。
このパターンは我が家だけでなく、
他の家庭でもよく見られる光景だと思います。



で、話を戻して、昨日、お母さんに電話をして
気持ちを受け止めてもらえて、本当に嬉しかったという話。


生まれて初めて、自分のネガティブな気持ちを
自分自身が「受け止めきれた!」という感覚がします。


鬱状態のの時の涙は、意味不明にだらだらと流れるばかりだったのに、
感情がうわーーーっとこみ上げてきて


ちゃんと、泣けました!偉い、私!
ちゃんと泣けたら、ようやく現実が見えてきました。

トンネルを抜けて「生まれ変わった!」と思います。


今年の私のテーマは「感情の解放」にします。

ポジティブもネガティブも全部、受け止めて
解放していきたいなぁ。


4月8日(夜) 「この症状は」

すっかりウツだ!
4月7日(夜) 「なみだとまらない」

土曜日はLOVERS BABY LOVEの撮影でした。
お父さんがいて、お母さんがいて、
子どもが笑っていて。

その光景が奇跡のように思えるのです。
キラキラしてるなぁ。

私がホントに欲しいものは、
お金でも地位でも名声でもなく
「家族のぬくもり」なんだなということを
改めて思いました。

最近、日々生きることそのものが
あまりに辛くて、生命の危機を感じたので
お母さんに電話をしてみました。

「毎日が死にそうに辛い、消えてなくなりたい」という代わりに
「毎日、寂しい。お母さんに会いたい」と言ってみたら
やさしくしてもらえて嬉しかった。

お母さんっていいなぁ、と最近思います。
あんなに大好きで大嫌いだったお母さんのことを
やっと受け入れられるようになって

私も誰かの「お母さん」になれる日が
来たらいいなと思えるようになりました。

未来に希望なんてあるのかなぁ。

一秒、一分、生きていることがつらい。
死にたい、生きたい、死にたい、生きたい。



なんという病みっぷり!

あとで消そう。



4月4日(夜) 「なやむわー」


フォトセラピーを誰のために
どうやって。。。

この部分は悩みまくるわ。
考えまくるわ、わたし。

基本的には女の子。
女の子の自己肯定のための
セルフポートレートを中心に話をしたいな。

それから自分の中の
インナーチャイルドワーク。


番外編でレコーディングダイエット。

それから夢をかなえる手帳づくり。

しかし、対面で女対女はつらい。

うーむ。



4月3日(夜) 「ポジティブ病」


日本に蔓延するわけのわからん
ポジティブシンキング病は
絶対に日本をダメにするなー。

ネガティブな感情を押さえ込んで
しまっては絶対にイカンと思う。

怒りもある程度ちゃんとした
方法で

(人にぶつけるとか、モノに当たるとか
 影で悪口いうのとかはナシで)

発散しないとなー。

楽しい怒り方ないかしら。
これを見つけたら、私、天才やと思うよ、まじで。


4月2日(夜) 「自分好きとか嫌いとか」

「好きなタイプってどんなの?」って
聞かれたら何て言いますか?

私は昔「うーん。私のことを好きな人なら誰でも!」と、
アホみたいに適当ことを言っていたのですが

最近、私も大人になったのか
明確にこれだけは譲れん!という
ポイントがでてきました。

それは

「自分自身のことを好きな人。
 好きになろうと努力してる人。」


ってところです。


ちょっと毒舌かつ愚痴っぽくかつ
説教くさくなりますが
書いてもいいかしら。


熱く語りだしたらとまらない私に
興味のない方はスルーでお願いします。



自分のもつ問題から逃げてばかりで
自分のことを好きになる努力をしない人は
あらゆる意味で人生を無駄にしてると思います。


私は自分のことが好きです。
でもダメダメなところもたくさんあるし、
全部を好きになれないから
もっと好きになれるように努力したいと思っています。
だから頑張れます。
そして、自分のことがもっと知りたいです。


別に自分が努力してるから偉いとか
そういうことが言いたいんじゃないので
誤解されたくないんので
言葉を選びながら書きますね。
でも、誰かの気分を害してしまったらごめんなさい。
うまく伝わりますように。



私が「自分のことを嫌いな人」を好きになれない
理由がいくつかあるのですが、大きくわけて3つです。


・無責任な嘘をつく
・人の気持ちがわからなくて無自覚に傷つける
・自ら幸せになろうとしない



まず「無責任な嘘をつく」というところから
見ていきましょう。

なぜ「自分のことを嫌いな人」は「無責任な嘘をつく」のか。

自分嫌いさんは、自分で自分のことを好きになれないくせに
周り好かれたいという欲望は人一倍あります。

だからわりと人にもいい顔で接しています。
でも、自分の度量というものを知らないのです。

例えばお願い事をしたとき。

「これ、明日までにやっておいて!」

「うん、わかったー!」

自分にできるかどうか検証もしないで返事をします。
そして結果、できなかったとき。

「頼んだのに、どうしてできなかったの?」

「やろうと思ってたんだけど、ちょっと色々あって…」

当たり障りのない適当な言い訳をします。
嫌われたくないのでそれはそれはスマートな言い訳です。

本人には悪気はありません。
自分に足りないものを知らないのです。
足りないものを知らないから努力の仕方もわからないのです。

だけどこういうことを繰り返していくうちに
自分で自己不信に陥っていくのです。
「なぜ自分には当たり前のことができないんだろう?」と。

こういう人を見ていると非常に可愛そうに思えてきます。
当然、周りにいる人からの「信頼」もどんどん減ってきます。





次に「人の気持ちがわからなくて無自覚に傷つける」という点です。


自分大好きさんは、自分のことをよく知っているので
自分がいつ、どんなとき嘘をついているかも自覚しています。

自分が本当に思っていることと、自分が発した言葉が違うことを
ちゃんと意識することができるのです。

だから、
「この人は口ではこう言っているけれど、本当はこうだろうな」と
想像力を働かせることができるのです。

しかし、自分大嫌いさんは、自分と向き合っていないので
人間のココロの複雑さを知りません。

なので、人が発した言葉の「表面だけ」を真に受けてしまいます。

例えば「私は大丈夫だから気にしないで」と
涙目で目の前の人が言っていても
「本人が大丈夫だって言ってるんだから、大丈夫だろう」と
自分の都合のいいように解釈してしまいます。

結果、大切なものを失うことによってそのときに初めて
気づくのです。そしてときには逆ギレします。

「言いたいことがあるなら、言ってくれないとわからないじゃないか!」と。

自分嫌いさんがこういう経験を繰り返していく中で
「自分は誰にもわかってもらえない」「人は信用できない」という
思い込みをつくりあげていくのは、まさに悲劇です。



最後に「自ら幸せになろうとしない」という点。




自分嫌いさんは、
「自分のことを好きになれない、でも、誰かに好きになって欲しい」と
思っているのに、その欲望すら自分で認めることができないことがあります。

現実と理想のバランスがとれていないために、地に足がついていません。
周りに過剰な期待を抱いたり、自分にはすごい力があって
いつか社会に認められるという幻想を抱きがちです。
やっていることと、言ってることが伴っていないので
周りから見ると少し可笑しいときがあります。


幻想を抱いているのにも関わらず、ココロは前述のように傷だらけ。
自分嫌いさんは「生きづらさ」を感じたまま暮らしています。

まるで大人になれないピーターパンのように。
親から見離された幼稚園児のように。

孤独で、不安で、それでも愛されたくて
部屋の隅でひざをかけて、誰かにかまってもらえるのを待っている
「自分嫌いさん」。


幸せに向かう鍵は「自分自身と向き合う姿勢」です。
自分から逃げてばかりでは、幸せになれるはずもありません。



で、まとまりのない文章で私が

「自分嫌いさん」を好きになれない理由をくどくどと
書いてみましたが、

どうすれば

「自分嫌いさん」が自分のことを好きになれますか?


誰か教えてください。


4月1日(夜) 「第一話だよ」

3月30日のお話の続き!


--

ただただ忙しく毎日が過ぎていく。
終電で帰り、自宅に戻って仕事の続きをする。
やったらやっただけ結果が出る。
人生は喜びと感謝に満ちていると思う。

「いかり」が怒りながら言っていた
「にくしみ」と「かなしみ」を愛するということは
頭の中ではしっかりと覚えていた。
だけど、急にそんなこと言われたってよくわからない。
ま、時間がないのだからどうしようもないじゃないか。

忙しい時間の合間には「やさしさ」が
ココロを癒してくれた。僕は僕の中の「やさしさ」を愛する。

仕事も楽しい。忙しさがあるから癒しの時間も楽しい。
やりたいこと全てが実現できているわけじゃないけれど
人生は概ねうまくいっていて幸せだ。

そんなある日、トラブルが発生した。
理不尽な対応を受け、納得できない仕打ちを受けた。
いつもの僕なら「これをバネに頑張ろう!」と気持ちを
切り替えて前向きに頑張れるのだが、今回ばかりはそうはいかない。

いつものミスではなく、
このトラブルだけは自分の力だけではどうにもできないのだ。
自分でコントロールができない状況を前に
僕はただ「無力な自分」を感じるばかり。

いつもは自宅に戻っても仕事のことをあれこれ考えるのに
完全に思考が停止した。何も考えられない、何も感じない。
どうしたんだろう。空っぽになってしまった。

その夜のこと。

今度はまくらもとではなく、夢の中に「いかり」が現れた。

(続く)