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3月31日(夜) 「あたたかいきもち」 |
昨日のお台場の撮影。 ヘアメイクはヴィダルサスーンで世界大会で 優勝した経験のあるすごい人。 衣装はブラジル・ブランドのエリス。 それからウェディングドレス。 モデルはブラジルのクォーターの女の子。 カメラマンは私。 それからプロデューサーは私の友人のTさん。 Tさんは何年か前にネットから私の写真に 「何か」を感じてくれて撮影を依頼してくれた人。 しかも、大阪から! Tさんに初めてあった新宿のカフェ。 その時に私はきっぱりと彼からの撮影依頼を 断ったことを覚えている。 「ごめんなさい。 モデルの女の子が私に撮られたいと 思ってくれないと私はシャッターを押せないんです。」 傲慢だったわけじゃない。 当時の私はホント初心だったのよ。 私のことを好きじゃない人に 愛を込めてシャッターを押せなかった。怖かった。 二人で愛し合う行為に第三者を仲介することを 受け入れられなかった。 失礼なことをしてしまったのに Tさんは私の気持ちを尊重してくれて 私の活動を温かく見守っていてくださいました。 それから数年。 私もいろいろ経験をさせてもらったおかげで 今はみんなで仕事することが楽しいです! ヘアメイクさんの気持ちも 衣装さんの気持ちも モデルさんの気持ち、 そして何よりもその場をつくりあげてくれる プロデューサーの気持ちも 全部うけとめてシャッターを押せるようになった。 今のところプレッシャーに感じることはない。 私、成長したかもしれない。 Tさん。私をカメラマンとして扱ってくれて ありがとう! 素晴らしい出会いに心から感謝します。 |
3月30日(夜) 「お話のはじまり」 |
ある日、私の枕もとに 「にくしみ」と「かなしみ」が一緒にやってきました。 彼らがいうには「いとしい」と「かわいい」だけじゃなくて 僕たちのこともちゃんと、ちゃんと見て欲しい。 そしてできれば愛して欲しい、というのです。 私は「冗談じゃない!」と言って断りました。 人を憎むのは疲れる。悲しむようなネガティブなことも 嫌いなの。もう二度と来ないで!と言って そのまま眠りました。なんなの、アイツら! マジでめんどくせー。 それから3日後です。 また私の枕もとに、今度は「やさしさ」がやってきました。 そしてこう言うのです。 「あのね、僕の優しさをわけてあげるからね、 「にくしみ」も「かなしみ」も愛してあげてくれないかな? お願いだよ、お願いしたからね」と。 とりあえず私は仕事で疲れているのですぐ眠りたいのです。 だから「わかった考えておくから」と適当に返事をして またすぐに眠りました。 で、そんなことも忘れて仕事にかまけて 忙しい毎日を過ごしていたのです。 ちょうど一ヶ月たったとき 今度は「いかり」が私の枕もとにきました。 それはそれはすごい形相で! で「いかり」が私に説教するんです。 「だいたい、お前な、キレイごといい過ぎ! 自分の感情やろ?それを差別すんなや! だいたい自分のこと美化し過ぎやねん! お前がいくつになっても「にくしみ」や 「かなしみ」を愛してやらへんから アホみたいに悲劇的な出来事が 自分にふりかかるんやで! なんで私はいつまでたっても幸せになれへんの? なんで私ばっかりこんなツライ思いを せなあかんの?とか思ってたやろ? 「にくしみ」と「かなしみ」もちゃんと 受け入れたれ!愛せとは言わんから。 せめてなかったことにだけはしてやるな。 「にくしみ」も「かなしみ」も無視されて 「なかったこと」にされるのだけは可哀想やからな!」 だって。 ものっすごいイヤやけど 今日からちょっと意識して 「にくしみ」も「かなしみ」も受け入れて みようかなと思います。 |
3月28日(夜) 「今、セックスレスとひきこもりがアツい!」 |
「なぁ、最近って何がはやってるの?」 「うーん、ひきこもりとセックスレスちゃう?」 「ほんまやなぁ、増えてるもんなぁ」 「これからもっと増えるやろー」 「…儲かりそうやな!」 「なんでやねん(笑)」 という会話を聞いたわけではないのですが、 最近の私の中でまた 「人間のことをもっと知りたい」 という欲求が高まってきて 「ひきこもり」と「セックスレス」 に関する本を読んだりしています。 社会に一応、適応しているように見える。 だけど、本当は人間にはなついていない。 そんな潜在的な「精神的ひきこもり」な人が 実はたくさんいるそうです。 テレビとか見てると、ひきこもりの問題を 「親に甘えてる」とか「怠け者だ」とか言って 嘆かわしい問題だととらえられているけれど、 本当は甘えているのではなくて、 子ども時代に親に甘えられなかった人が 発症する「病」なんだよね、きっと。 親との関わりの中で 自分を表現できなかったことが トラウマになって どうやって社会とコミュニケーションを とっていいのかわからなくて、 人と関われなくてひきこもっている。 コミュニケーションの問題の延長上に 「セックスレス」の問題もある。 で、私がなにを考えているかというと そんなこんな、人間の心の仕組みも全部知った上で 自分なりの 「フォトセラピー理論」を確立させてみたいな、と。 私が写真を撮ることで救われたように、 誰かにそのことを教えたい。 まだまだ勉強することあるけど、がんばる、うん。 応援してくれる人がいたら嬉しい。 えーー。 …いなくても頑張るけど! |
3月27日(夜) 「しあわせをつくっていきたい」 |
LOVERS BABY LOVEの新作をアップしました。 去年の6月に撮影したものです。 やっと時間ができて編集できましたー。 これからどんどんまた撮影にいきたいと思います! 生まれたての赤ちゃんと素敵なパパとママがいる ご家庭とご縁がありますように。 っと、その前に撮影をお願いしていた お家に遊びに行かせてもらおうっと♪ 明日にでも連絡してみようかな。 自分でいうのもおかしな話ですが、 私はLOVERS BABY LOVEの写真が大好きで大好きで大好きです。 自分で見ていて涙があふれます。 こんなにも美しい世界があったなんて 私、知らなかった。 今日は素直になりたい気分なので 本当のことを言おう。 私は親のことが大嫌いでした。 なんでこの人は私の気持ちを理解してくれないんだろう? 自分勝手な大人なんて大嫌い、私を傷つける言葉しか 言えない親なんていないほうがマシ。 そう思いながらも、心の底から孤独で寂しくて 親から認められたくて、褒められたくて、 愛されたくて愛されたくて愛されたくて しょうがなかった。 その部分は自分の心の「傷」になっていたので ことあるごとにその傷が膿んで腐って どうしようもなかったんだよなぁ。 でもこの傷を抱えて生きていくほど 私、強くなかったんよ。 だとしたら、トコトン、自分と向き合うしかない。 なんで私は親の愛情らしきものを受け入れられないのか、 なんで自分は親から愛されていないと思うのか。 自分と向き合うと決めて とにかくいろんな本を読んで、カウンセリングも受けて もがいて苦しんでようやく壁を乗り越えたとき、 やっと自分が親を愛せるようになったのよ。 親に対して、「愛して、愛して、私を愛して〜」って 思っていたばかりの私が「私が親を愛する」というところまで 成長させてくれたのは一冊の本だったんだけどね。 ま、これは話せば長くなるのでまた今度。 で、やっと自分の親を受け入れられるようになって 自分の親だけじゃなくて、誰かの親をやってる人の見る目が変わった。 あ、それから自分が子宮の病気で手術したことも 大きな発見だったな。誰もがそう簡単に妊娠したり出産したり できるわけではないことを学んだ。 そうこうして、 身近な友達が出産して、幸せそうにしていることが 私をどれだけ幸せにしてくれたか。 私も赤ちゃんのころ、こんなふぅに、だっこされてたのかな。 私もこんなふぅに泣いてたかな、見つめられてたかな、 おっぱい欲しがったのかなと思い始めたら 余計に自分と自分の親が愛しくて愛しくて。 私はもう大人になっちゃったし、 今さらお母さんに「ミルクちょうだい」とは言えないけれど 今でもお母さんに甘えたい気持ちはもってるし、 多分それは私だけじゃないと思うんだよね。 誰だって、いくつになっても「母性」を欲している。 私が誰かのお母さんになる日が来るかもしれない。 もしかしたら、そんな日は永遠に来ないかもしれない。 だけど、私が欲しくてしょうがなかった「母なる愛情」を 写真を通じてたくさんの人に届けたいんだ。 私は今でもどうしょうもないくらいにネガティブだし コンプレックスの塊だし、ネクラだけれど、 その凹んだ部分があったからこそ、 |
3月26日(夜) 「やめれんない」 |
ぬぬぬ。 |
3月25日(夜) 「からだじゅうがきんにくつ」 |
土曜日にさ、ジムでヨガしたり、ダンスしたり、ブートキャンプ、 それからエアロビ、キントレをしたおかげで 全身が筋肉痛。まだまだ痛い! いったいわたしは何をしてるのか。 きのうも仕事をせずに寝てしまった。反省する! |
3月23日(夜) 「自分の人生を愛するということ」 |
講演は大成功でした! 会場全体が愛で包まれた瞬間を私は忘れないよ。 またあとで詳しく書こうっと。 さて、きょう気づいたこと。 私は人前で「愛」だの「自分の人生を愛する方法」だの 偉そうなことを言ってるわりに 自分の心の一部がどうしようもない病みに侵されて いるのに、見て見ぬフリをしておりました。 気がついたらその傷口はひどいことになっていて なんでこんなになるまでほっておいたんだろう!と 反省することしきり。 この苦しみを手放したいなぁ。 はやく自由になりたいなぁ、とそう思うのだけれど、 この苦しみから逃れることがまた、こわい。 人間って不思議ですよね。 ってことでどうしたら楽になれるのかな、 どうすれば私は私の人生に感謝できるのかなって 今日はぼんやり考えていました。 で、よくよく考えたらね。 この「満たされない部分」が私をここまで 連れてきてくれたんだな。と。 普通に恋愛して、普通に結婚して 子どもとか産むことができて、それなりに 満足な暮らしをしていたら 私はここまでやれてなかったな、と。 だから今私が経験させてもらっていることは この「病み」のおかげなんだなと思うと 少しありがたく思えてきた。 でも、解放するのがこわい! もうひとがんばりなのだ。 |
3月17日(夜) 「明日は舞鶴で講演をする」 |
写真の資料と映像がようやく完成。 これからライブ(講演会)のひとりリハーサルです。 もうすぐ舞台の上に上がれるなんて 嬉しいなぁ。本当に夢みたいだ。 自分の言葉で人に伝えることができるなんて 幸せだなぁ。ありがたいなぁ。るんるんだわ。 感謝の気持ちでいっぱいです。ありがとうございます。 で、感慨深いので どれだけ嬉しいことかをちょっと書いておこう。 幸せな気持ちって幸せなときじゃないと書けないしね。 願えばすぐにかなうみたいに思われがちだけれど、 「もういちど舞台にたつ」という夢は すんごい時間がかかった。長かった。。。 私はもともと、舞台役者。 舞台の上でしか生きられない人間でした。 ずっとずっと舞台の仕事が好きだったし、 役者をやめるなんて考えられないし、 売れようが売れまいが、関係なく舞台からおりるのは 自分が死ぬときって決めてた。 舞台に立つためなら何を犠牲にしてもいいと思ってた。 フツーの生活、フツーの毎日。フツーの暮らし。 そんなものよりも、舞台に立てることが私の生き甲斐。 毎日稽古して、毎日、叱られて。 役と向かい合って役者として生きる。 あのキラキラとした景色を見るために。 でも、あることをきっかけに (理由は話すと長くなるので割愛) 舞台をおりることに。でも、ホントはやめたくなかった。 それからは舞台のこと考えるのも 辛くて泣けてしょうがなかったなー。 だからしばらく、舞台なんて見なかった。 誰に誘われても断ってた。 だって舞台を見ても全然、楽しめないし。 なんで、あの舞台に立っているのが 私じゃないんだろうって悔しくて。 世界で一番、好きだった場所に戻れない。 こんなに悲しいことはない。 そんな舞台のトラウマもようやく乗り越えて フツーに舞台を楽しめるようになってきたのは 今から3年くらい前かな。 で、その時くらいから 舞台に立ってる人から写真のオファーが増えてくる。 これまた、試練ですなぁ。 やっと「泣かずに舞台が見られる」って程度の 中身はヨワヨワな精神状態の私。 舞台の上に立ってる人と向き合うのは すごい大変なことだった。 今では、笑い話なんだけど 撮影おわったあと、なんか寂しくて。 泣きたくなる理由なんて自分でもわからなかった。 ただ、舞台に立ってる人を写すたびに、 「なんでわたし、こんな裏方みたいなこと やってるんだろう」 って。 そのときはすでに写真家として、 テレビに何回か出た事もあったし、 メディアでちょこっと取り上げられたりも してたけれど、全然マダマダだったし。 (今でも全然まだまだやけど) あまりに撮影のたびに泣けてしょうがなくて ある人に相談したら 「君が舞台に立ちたいっていうのは エゴじゃなくてなんなんだ? ただ目立ちたいだけじゃないの? 舞台に立つ人に光を与える仕事を やってるんだから、それでいいんじゃないの?」 って言われて、これまた凹む。 「この世で私の気持ちをわかってくれる人など どこにもいない!もう死にたいわー。」 とまた絶望して、泣いてたな。。。 現役で舞台に立ててる人にも、 舞台に立ったことのない人にも、 一度、舞台に立つ喜びを知って、 泣く泣く舞台をおりることになった 私のとてつもない悲しみなど知るよしもない。 私にしか私の「絶望」をなくすことはできないんだ。 去年の写真展示も精神的にキツかった。 私は写真展の会場で何をしていたかというと、 自分の写真を見てくれてる人の後ろ姿を見てた。 向き合えない。感じ合えない。ひたすらむなしい。 だから、私は絶対にもう一度、舞台に立つって決めた。 悔しかったり、悲しかったり、みじめな思いで 写真に関わるのはもう終わりにしたかったし。 いつか舞台に立つ、もう一度、舞台で仕事をする。 そのために頑張る。 自分のちっぽけなプライド。 「私はいまは舞台に立っていないけれど、 そのうち、いつか、舞台に立つ人なんだ」 そう、自分に言い聞かせるようになってから、 やっと素直にステージの写真もようやく楽しく撮れるように♪ 私がたまに撮影しているライブの写真も 最初のころは、本当に辛くてしょうがなかったもん、ホントは。 でも、うん、これでよかった。 たくさん悔しい思いをしてよかった。 いっぱい泣いたけれど無駄じゃなかった。 心で泣きながらも、愛をこめてシャッターを 押すことができていた私を ちょっとは褒めてあげてもいいと思う。 もうすぐ写真家としてようやく初舞台。 がんばって成功させて次の舞台につなげたい。 全国の舞台をまわれるようになりますように。 舞台の神様に「おかえりなさい」って言ってもらいたい。 最後に役者として舞台に立ったあの日から7年が過ぎた。 次のステージに行くのにこんなに時間かかっちゃった。 これからも、これからも、絶対に絶対に夢をかなえていく。 どんな時だって、絶望と戦ってきた。 負けたら、私の人生が終わる。 |
3月12日(夜) 「親父の年収を超える日」 |
3月12日はお父さんの誕生日。 なんと還暦だって。 あーびっくりした。 でも、もっと驚いたのは会社をやめること。 なんか泣きそう。悲しくて。 |
3月8日(夜) 「わくわくする」 |
今日のライブは本当に楽しかったなぁ。 大人の文化祭ってことで お友達と会場で販売されていた Tシャツ着て、おめかしして 遊んできました。 仕事の付き合いでいつも オジサンとばかり遊んでいるから 女の子と遊ぶの、楽しい! それはそうと 今日のライブを見せてくれた人たちは ホンモノのプロだなぁと感心させられました。 たくさんの女の子に夢とか憧れとか希望とか、 与えるっていうことは、 本当の意味で「信頼」とか「つながり」を つくるっていうことは、 薄っぺらいやさしい言葉をかけるだけじゃなくて、 その子たちのもっている、 闇まで一手に引き受けてあげて、 心の中まではいって、 身体ごと感じさせてぐちゃぐちゃにして 求め合うことを体感させてあげることなんだな、と。 歌のうまいへたや演奏のテクニックじゃなくて、 「本気」と「一生懸命」は多くの人の心を動かすよね。 ホンモノは個人の好みを超えて 魂をゆさぶる。 私も写真を通じてたくさんの人の心を動かしたい。 はやく仕事を片付けて作品づくりに専念したいなぁ。 ってことで、3月10日に、 私が撮影した表紙の小説が発売されます。 キャンペーンの準備に追われております。 今から徹夜で仕事じゃ! |
3月9日(夜) 「なにくそ」 |
ねむくてしにそうだ。 すいみんじかんが。。 |
3月8日(夜) 「わくわくする」 |
あー。書きたいこといっぱいあるのに 今からでかけなきゃーー。 自分の人生を愛することって 本当に大切だなと思う。 毎日感じていることだけど。、 今まで生きててこんなの初めてだ。 今日は朝の5時からおきて仕事をした。 そして今から横浜に納品にいく。 帰ってきてすぐ仕事。 明日は久々のオフ日に設定をした。 なので24時までは懸命に働くことにする。 仕事と作品撮りのバランス。 考えたい。でも突っ走るか、今は。 |
3月4日(夜) 「テレビ局から」 |
テレビ局から電話かかってきた。 わたしの写真をCMで使う件、 今回は見送りだそうな。 ざんねーん。 でも一瞬だけ未来をさきどりしたな。 次のチャンスはすぐそこにきてる。 がんばるぞ! 髪の毛切りたいな。ばっさりと! |
3月1日(夜) 「カメラマンの気持ち」 |
あっという間に3月ですか、 そうですか。 カメラマンもやるぞーと宣言したら いっぱい仕事がやってきた。 ホントありがたい。私の人生は最高に恵まれてる。 産まれてきたことに感謝! でも、自分の進むべきを 間違えちゃいけないなと最近つくづく思う。 やっぱり私は技術とプライドで勝負するカメラマンではなく、 感性と直感の写真表現のアーティストなのだなぁと。 私は前から「カメラマン」という職業の人たちの 一部の方の写真の撮り方があまり好きではなくて、 どうして彼らは、モデルさんたちに対して もっと優しくしてあげられないのかなぁ、 私だったら、こうするのに。 私だったら、絶対あんな撮り方しないのに、 ってそう思ってました。 で、最近やっとカメラマンの気持ちがわかったよ。 今まで知らずにいてスミマセン。。 やってみなきゃわからなかったんです。 カメラマンがどれだけ自分自身にプレッシャーを かけながら仕事に挑んでいるのかを。 で、何がどういうふぅにわかってきたかというと、 「今日は私はカメラマン!」という自覚をもって お仕事をすると、いつもの気持ちと違う。。。 写真家のときの、ある意味、ひとまかせな 「写真の神様、今日もいい作品撮らせてくださいね☆」 っていうあのふわふわーとした心境と全く違うんだよね。 や、そら仕事と作品づくり一緒のモードなわけないけど。 写真家のときはね、役割でいうと「お母さん」の気持ち。 あなたが産まれてきたことが嬉しい。 今、私のそばにいてくれることが幸せ。 何もしないでいい。ただ今の時間を一緒に 穏やかにしあわせに過ごしましょう。。。。 ってこんな感じなんだけど、 「カメラマン」やってるときは、わたしオッサンです。 集中してすっごくピリピリしてるし、 ヘタしたら、怒鳴りたい気持ちを抑えてるときだってある。 大人なので作り笑顔で乗り切りますが。 それって何なんだろうって考えたら やっぱり「競争」してるからなんだよね。 「勝負」をしてるから。 私、欲張りだから仕事も真剣なの。 仕事では絶対に勝ちたいの。負けたくないの。 クライアントの期待以上のものをつくりたいし、 「とよみセンセイに依頼してよかった!」って思わせなきゃイヤだし、 そのためには出来る限りの努力をする。 今までに撮ったカメラマンの中であなたが最高! って絶対に毎回、言われたいもん。 そうやって顔の見えない誰かと競争してる。 クライアントの評価に絶対的価値を置いてる。 次の仕事も絶対に私にまわって来て欲しいと願う。 写真の評価の軸が「自分」ではなく、「他者」になってる。 作品づくりが「自己満足」なら、カメラマン仕事は「他者評価」。 …ひとつひとつ仕事をこなす度に、 自分でも成長していくのはわかるし、それは喜びでもあるんだけど、 同時にすごい自分にプレッシャーをかけてるんだよね。 そして、少なからずのストレスもある。 そこで大きな発見! 自分にかけているプレッシャーを 知らず知らずのうちにモデルさんに かけようとしている 自分がいることに気づいたのだ! たまにね、たまーに。 モデルさんに説教したくなる瞬間があるのだよ。 「あなたプロでしょ?もっと真剣に仕事しようよ!」と。 そんな気持ちになるたびに、 「あかんあかん、もっと優しくならなきゃ。。」と 自分をなだめているのです。 あ! 自分を追いつめてプレッシャーをかける。 その結果、モデルに威圧感を与える。 モデルに優しくなれない。 これって私がいままで、こういうカメラマンは イヤだなぁ、と思っていたその人そのまんまだわ(笑) 絶対になりたくなかったタイプのカメラマンに なりそうになっている自分を発見して 愕然としたのですよ。ええ。 写真を撮るしんどさと喜び。 相反する気分にふりまわされて、ちょい疲れます。 自分を追いつめてしんどい思いをして 勝ち取る評価(勝利)に酔いしれることも あるけれど、それは決して私を「最高に幸せ〜!」って 状態にはしない。 なぜなら、勝負は勝ち続けないと意味がない、から。 私にとって写真を撮ることは、誰かを愛する手段で 気持ちのイイ快楽で、一枚一枚がラブレター。 そんな作品撮りの優しい穏やかな気持ちで カメラマンの仕事をするのは、いろんな意味で難しい。 仕事として撮る!その責任と自覚をもってしまった以上、 「カメラマンとしてのプライド」みたいなもんが 生まれてしまったのがその原因でもある。 いろんな意味で難しいからどうするか。 1.カメラマンの仕事をきっぱりやめて 写真家として作品づくりに精をだす。 2.カメラマンの仕事は写真家として世に出るための ネットワークづくりだと考えて割り切ってやり続ける。 3.とりあえず、必要な機材を買うための 経費を稼ぐためにカメラマンの仕事をして、 必要なものが揃ったらやめる 4.まずは写真家として成功して、ある程度、 自分の作風が世間に認知されたから カメラマンの仕事を再開する。 5.カメラマンの仕事もやろうと決めたのは 「会いたい人にカメラをもって笑顔で 会いに行きたい!」って思ったから。 夢がかなうその日まで頑張って、 写真家としての時間も確保しつつ、 もっと人間の器を大きくする! 答えは5択です。 私が選んだ答えはなんでしょー。 さぁ、考えてみよう! |