11月30日(夜) 「ジブン・リ・ブランディング」


ジブン・リ・ブランディングについて
ブログに書いて、またあれこれ考える。

究極のセルフプロモーションサイトとは
どんなものなんだろうと。

その答えをきっと私は見つけると思う。
自分でつくることで。


11月29日(夜) 「しっかりコツコツ」



疲れた、眠たい、

それ以外のことも考えてるのに
どうしてここに向かうとそんな言葉
ばかりでてくるんだろう。

ブログ書いてるからかな。疲れるのは。

さて。

なんとなく見えてきた次ぎの
チャンスの扉。

どうやったら開くのかまだ
見えてこないんだけどとにかく
ノックしてみること。

そして1年後の自分に
妄想インタビューをする。

今は、幸せ?
充実してる?

あのとき、どうやって乗り越えたの?
私はどうしたのかな?

と。

意外におもしろい答えが返ってくる。

未来の私はいつも今の私に
こう言ってる。

「わたしは、あきらめなかったよ」


11月28日(夜) 「東京にただいま。」


東京に帰ってくるとホっとするわー。
もうこっちが故郷みたいなものなのかな。

紅葉狩り楽しかった。
東京でもまた行きたい。


11月23日(夜) 「しばらく留守にします。」


ここのところ尋常じゃなくらいの忙しさです。
明日から旅行に生きます。


先週の日曜日は友達の結婚式。
明治記念館で挙式ってことで
たまには着物でも着てみようと思い、
オカンに電話しみました。

「なぁ、私の着物をちょっと東京までおくってよ!
 シルバーのカッコエエやつあるやん。あれ!」

すかさずオカンが

「あんなんやめとき。お母さんが可愛いのを選んで
 レンタルして送ってあげるから!」

というので、おとなしくオカンの趣味に
まかせることにしました。

んで、着物は直接、明治記念館の美容室まで
送ってもらったのでその当日まで私は
自分がどんな着物を着るのか
わからなかったのです。

着てみて驚きました。

鏡の中には、

ジャパニーズ・キモノを着た

アデージョがいることを想像してたのですが、、、、、









どうみても、

どっかの鍋料理屋の
アルバイトです。


ちゃんこ料理屋の
パートのおばちゃんとも言われましたが、



おかげさまで
私のあだながこの日から
「おかみ」になりました。



11月19日(夜) 「楽しい土曜日が終わったので」


ぎゃーす。

今週は後半から名古屋と
京都と大阪と神戸に行くつもり。
そんなわけで一週間かけてやることを
3日でやらなきゃいけないので
かんなりハードです。

というかまだ寝れません。
もうすぐ朝ですよー。



11月21日(夜) 「なんという忙しさ。」

楽しかった土曜日がおわり。




今日は予定していた撮影が急遽、延期に。
タレントさんのドラマの収録がおしまくって
なんと今朝、仕事が終わったんだって。
そら仕方ないですねということで
今日の撮影はあきらめることになったんだけど、

あー。とっても残念だなぁ。
ああやってこうやって、アレコレ妄想がふくらんで
撮影前の興奮がテンションが絶頂になっていたのに、
この私の気持ちはどこにもっていけばいいの?

この興奮をおさめるためには、
私には新しい「妄想」が必要なのよ。

なので、自分が「大人の女」になったんだと
自分に思い込ませる遊びをすることに。



私は大人の女、
私は大人の女、
私は大人の女、









気がつけば、
フレンチレストランへひとりでいた私。


自己洗脳の力はすごいね!










で、そのあとカフェに寄って
本を読んで、めちゃめちゃ感動して
家に帰って、写真集の編集作業を。


この写真集は女優さんや俳優さんの名場面を
収録した写真集なんだけど、
すごい女優さんって写真の中でオーラが見えるの。
えぇ、こんなにキラキラしてるもんなんですね。
私、そういうの初めて見てびっくりした。
作業も半分くらいすすんだところで

私は、飽きた。

で、家にくすぶってると頭がアホになるので
映画館へ。

「プラダを着た悪魔」が今日、公開だったので
それを見ることに。

ストーリー自体は別にどうってことないんだけど、
絵がめちゃくちゃキレイやんか。

ファッション雑誌が動いてるみたい。
この映画のヘアメイクとかスタイリストの人の
勝利の作品だなぁ。

身にまとう作品をつくりだすあの世界に
憧れたことはなかったけれど、
今日はちょっと、いやかなり心が響いた。


自分が撮影するとして、

モデルを仕事にしてる女の子と
女優をやっている女の子と

どっちを撮りたいかいわれれば
まぁ、それは私の中では答えが
決まっているんだけど、

女優がまるでファッションモデルのように
みえるこの映画はなんとも
小気味の良いキレ味を感じたよん。


でも、ストーリーが気に入らないなー。
もうちょいヒネって欲しかった。



11月17日(夜) 「いったいどうしたんだ。」

わけのわからないいそがしさです。
もう、ねます。

限界っす。

今日は、仕事のあとに
帝国ホテルにいってました。

打ち合わせ。

あー。おもしろかった。
11月14日(夜) 「うふふ」

■憧れが現実になったとき女は「かわいそう病」になる。


子供のころからずっと
不思議に思っていたことがありました。

なぜ、大人の女の人はひとのことをあれこれ
「かわいそう」というのでしょうか。


結婚できなくてかわいそう。
共働きなんてかわいそう。
子供がいなくてかわいそう。
ひとりっこなんて、かわいそう。
専業主婦で楽しみがなくてかわいそう。
結婚して、自由な時間がなくてかわいそう。
あんな人と結婚しちゃってかわいそう。
パートタイマーなんてかわいそう。
正社員なんかまだ続けていて、かわいそう。
仕事をすること許してもられなくてかわいそう。
子供が病気でかわいそう。
ひとり親で子供がかわいそう。
夫婦の仲が悪くてかわいそう。
あぁ、私のまわりには、かわいそうな人だらけ。


子供のころは、
「大人になったら、こんな生活をしてみたい。」
たくさんの夢があって、憧れがあったはず。

それを手に入れて全てが現実になったとき、
あるいは、あきらめて憧れをもつことをやめたとき、
女は「かわいそう病」になるのだと思います。

でも、私もこの病気にはかかりそうな気がします。
気をつけないと。


憐れむフリをして、他人を否定して、それに比べて
「私は幸せなんだ」と、思い込もうとする大人。




かわいそうだと思うだけでなく、
「あなたって可哀想ね」と口に出す人もいます。


こういう言葉に
少なからず嫌悪感を抱いてしまう私は
心が狭いでしょうか。


結婚はまだしないの?結婚はいいよ!ひとりは寂しいよ。
仕事はまだやめないの?子供がかわいそうだよ。
子供はまだつくらないの?旦那さんがかわいそうだよ。
仕事を続けさせてもらえないの?大変だね、かわいそう。
持ち家じゃないの?かわいそう。



「私は、かわいそうじゃない!今のままで幸せです!」
と言うと、カドがたつのでなかなか言えませんよねぇ。
悪気なく言ってるんだもん。


私は私の周りには、かわいそうな人ではなく、
幸せな人にいてほしいです。

みんなそれぞれ悩みは持っている。
だけど、幸せなんだ。

そう思いたいです。

だから、周りの人の生き方を否定することは
絶対にしたくない。


結婚している人も、結婚しない人も、
子供を持っている人も、そうでない人も、
共働きの人も、そうでない人も、


大人の女の人がそれぞれの価値観を否定することなく
生きていける社会になればいいのにねぇ。。。
11月13日(夜) 「今日、泣いたこと」


なんだか最近、涙もろいなぁ。。。


今日は朝から撮影の仕事。
仕事といっても、雑誌とかそういうのではなく、
個人的な依頼のもの。

赤ちゃんの出張撮影。
ありがたいことに何度も、依頼して
もらえて今日で何回目か。。。


んで。

ついこの前まで
赤ちゃんだったそのコが、
幼児になっていて、驚いた。。。

ついこの間まで、
おすわりができるようになったねー、
と言ってすぐに泣くそのコを
あやしながら撮影してたのに。

この前、会ったときは、
アンヨができたんだねー。すごいね!
なんて言っていたのに。

今日、会ったら、しゃべってた。
もう赤ちゃんじゃない。もう赤ちゃんじゃない。
もう赤ちゃんじゃない。驚いた。


写真っていつでも、どんな時でも、
「その時しか撮れないもの」が写るはずなんだけれど、

子供に関しては、本当にそれを感じる。
あともどりはできない。

ちょいと老けた人を若く修正することができるけれど、
幼児になった子を赤ちゃんのように撮ることは
できないんだもん。


もう、このコの手づかみ食べは
今日しか撮れないかもしれない。

お母さんとのだっこの写真も
今日しか撮れないかもしれない。

お昼ねの時間になって
眠そうにしているこの、ぐずった顔も
もう見られなくなるかもしれない。

そのうち着替えもひとりでできるようになって、
ひとりで出かけるようになって、
カメラの前では愛想笑いができちゃうような
気づかいができるようになるんだろうね。

そうやって、あっという間に
成長していくんだね。

だとしたら、かけがえのない今。
一枚でも多くの写真を私は残さなきゃと思って、
夢中でシャッターを押したなぁ。


子供の写真は宝モノだねぇ。


で、本当に今日、泣けたのは
撮影の帰りに見た映画。

http://www.sadmovie.jp/


「手紙」より、泣ける。
「涙そうそう」なんかより、もっと泣ける。 
11月12日(夜) 「舞台は楽しい」


今までいろいろな仕事をしてきたけれど
いちばん、楽しかったのは何ですか?
と聞かれたら、舞台役者だと言う。

自分にもっとも向いている仕事はなんですか?
と聞かれたら写真だと言おう。

だから今日は舞台稽古の写真を撮ってきた。
初めて撮ったけれど、

やっぱり舞台ほど楽しい仕事場はないと思った。

私はいつか、写真家として舞台に立ちたい。
そして舞台に立つひとの写真を撮りたい。
自分が撮った人が、もっと大きな舞台に
立てるように応援したい。

ありがとう。



11月11日(夜) 「うれしい」


5年くらい前に、
とある男の人から

「君には女の色気というものが全然、足りない」

と言われたことがある。

そのときはすごくショックで、

「色気ってどういうことですか?」

と聞いたら、

「心の成熟度だよ」

と言われた。


その時はまぁ、なるほどなと思い、
自分でも未熟なところはあることを自覚していたから、
それはそれで受け入れられたのだけれど。

今日、また別のとある男の人から

「あなたって、女の匂いが全然しない人ですね」

と言われた。


どういう意味だよ?


色気がないということではないらしい。

女の匂い。


私にはない、女の匂い。。。。。




ないと言われれば欲しくなる。

女臭くなってみたい。






一応、女なんだけどなぁ。。

考えてることはオッサンやけど。



11月10日(夜) 「うれしい」

強く願えば夢は必ずかなう。
信じていられることが幸せです。


11月9日(夜) 「できた。」


写真集ができました。
撮影も編集も自分でやりました。

こうやってひとつの本になると
本当にうれしいなぁ。

今回、つくったのは6册だけ。

3册はモデルさんの宣伝写真として。
残りは、私の営業ツールとして。



見ればみるほど完成度が高いなぁ。
って自画自賛でスミマセン。



彼女と初めて出会ったのは、
関西の某テレビ局の番組。

私をアイドルとしてゲスト出演させてくれた
その番組で、彼女はアシスタントを
やっていたのです。

活躍の幅をひろげるために
彼女は東京へ。

んで。なぜか上京のタイミングも一緒で
仲良しこよし。


最近、彼女は事務所を変わって、
松竹芸能に移籍したようで。

そんな私も実は、
昔、大阪の松竹芸能におりまして。


…って、私は過去形なのが悲しいですねぇ。

まだまだ私だって、はじけたいのです。
引退して、マネージメントに専念します!
なんてこと言えないのです。 


みんなでがんばってるんだもんなぁ。
私だけじゃない、

それぞれに悔しい思いをしたり、
つまづきながら、歩いてる。

だから、やめられない。
夢を追いかけることは。




11月8日(夜) 「ねむい、つかれた、だるい」



ねむい。つかれた。だるい。

なんてことし書けなくなったら
おしまいだねー。

今日は、仕事おわりにとあるところで
とある話しを。

好きなことなら苦労できるけど、
好きでもないことの苦労を楽しめるかね。

いやー。それは無理だね。

好きなことのために、
好きでもないことの苦労。

うーん。微妙ですね。

誰か、相談にのってくださいよ。
ひとりじゃどうにもならんのです。






11月6日(夜) 「ホテルオークラで朝食を。」




本屋さんに立ち寄ってふと手にした
「散歩の達人」という雑誌。




東京をこんなに愛しいまなざしで
写真にする人もいるんだなぁと
ちょっと写真に見愡れてしまった。

そういえば、こんな気持ちで
「東京」を見たこと、私、ないかもしれない。

東京を好きだと思ったこと、
今までなかったかもしれない。。。。


5年前に、上京することになった私。
上京の理由が、実はそんなに前向きなものでは
なかったせいもあって、

あのころの私は大都会に「負けたくない!」という気持ちで
いっぱいだった。

負けられヘン、負けられヘン、ぶつぶつ独り言。


何に勝つのか、負けるのか当時の自分でも
よくわかっていなかったんだけど、

ことあるごとに「東京らしさ」にぶつかるたびに、
イチイチ、つまづきながら、

「あかん、こんなことでは、東京になめられる!」

といっていつも自分で自分を励ましていたっけ。

もうすっかり東京になじんでしまった
田舎出身の友達はそんな私の様子をみるたび、

「大丈夫、大丈夫。東京なんて田舎モノの集まりやから」

と慰めてくれたのだけれど、

東京に来てまで、「ただの田舎モノ」には絶対になりたく
なかった私はそんな慰めの言葉なんか耳に入らなかった。

そもそも「東京」と仲良くするつもりはなく、
東京と「勝負」するつもりでいたんだから。



高いビルを見上げて口をひらかないように

うっかり喫茶店にはいってコーヒーの値段に驚かないように、

芸能人を街中で見かけても、叫び声をあげないように、

東京の言葉をマスターして、関西弁がまじらないように、

お台場にはしゃがないように。

ゆりかもめで興奮しないように。


ひたすら自分を自制していたあのころ。


今になって思うのだけれど、なんでもっと、
素直に東京を楽しまなかったんだろう。

なんで東京に対して、「敵意」すら感じていたんだろう。

東京に来たら、雑誌にのっているようなお店にいって、
雑誌にのっているような服を着て、
芸能人もいっぱい見て。


もっと素直に東京を楽しめばよかったのに。



でも、今からでもいいんだよね。


秋葉原のメイドカフェだって行きたいし、
代官山でスイーツとか食べに行きたいし、
上野動物園にパンダも見にいきたいし、
鳩バスにだって乗りたい。
お台場にもガイドブック持って行きたい。


そうそう。上京したときに、密かな夢があってね。

東京のゴージャスなホテルで朝食を食べたいって
憧れてたんだぁ。


林真理子のエッセイにホテルオークラで
朝食を食べるという描写があってね。

すごくいいなぁ、と思ってた。

ホテルオークラの朝食。
食べてみたいなぁ。

行ってみたいな。行こうかな。
週末に早起きして、ホテルで朝ごはんを食べに。






...


もう我慢できずに、
今日は行ってきました。













11月5日(夜) 「映画をみてきた。」

さっき、映画を見て来ました。
東野圭吾の「手紙」ってやつ。あれです。
感動して泣けました。よかった。
山田孝之が出てるというだけで、
白夜行の続編に見えます。
彼は不幸な役をやらせたら日本イチですね。



で。全然、映画とは関係ないのですが、
ある本を読んで
大変なことに気付きました。





私ってもしかして、

カメラがなかったら

ただの変態。




いや、立派な変態かもしれません。










私は、可愛い男の子や女の子の部屋に
上がり込んで、下着姿にしたり、
セミヌードになってもらったりして、
写真を撮って、

それを脳内で恋愛物語に変換して
ウハウハしているわけですが、

もし、私が写真を撮っていなかったら、

欲求不満に苦しんだ末に、
手当たり次第に男を食い散らかし、
女の子には、セクハラいじめをしていたかも
しれません。

おおこわ。


また、私は、ネンネな赤ちゃんや、
ヨチヨチの赤ちゃんの育児写真を撮って、
母乳やヨダレが出るほど興奮しつつ

まるで自分が産んだ子のように
脳内育児を楽しんでいるわけですが、

もし、私が写真を撮っていなかったら、

母性本能が暴走して、
手当たり次第にそのへんの赤子をつかまえ、
自分の乳をくわえさせ、
ヨチヨチ赤ちゃんを見つけては、
誘拐していたかもしれません。


危険。。。。


さらに。

私はセルフポートレートを好み
わりと(精神的にも)露出度の高いものを
撮影しているのですが、

もし、私が写真を撮っていなかったら、

露出好きではなく、露出狂として
街を騒がせ、警察のお世話になっていたかもしれません。

私が犯罪者とならずに、平穏無事に暮らしていけるのは
写真があるからなのです。


写真があって本当によかった。


写真がなかったら、どうみても変態です。



本当にありがとうございました。




11月4日(夜) 「泣けるほどきれいな夜空」

今までのこと全部、思い出して、
そらをみあげて、泣けちゃったわ。

あー、いろんなことあったなぁ。
でも、スタートラインにさえまだ
立ててないんだと
実感した。

やっと地に足がついた。

あとは、走り出すだけのはずなのに、
あれこれ準備が整ってません。

だから、あとはやるだけ。





11月3日(夜) 「3連休の予定が」

連休なのに予定がありません。
なんだかなぁ。。。

でも、ま。仕事するか。




11月3日(夜) 「うむ。」

見た目は普通の渋谷のBAR.
お店の中にスタジオスペースがあって
そこで番組を企画して、出演できる。


そんな挑戦的な、

「BarTube」に行ってきました。



写真
写真
写真
写真



私もここで番組やりたーい。

何をしようかな、どんなのしようかなって
考えています。

ひとりでトークしようか、
誰かを呼んで対談番組にしようか、
それとも、
自分でなんかの講座をひらこうか。。。

悩み相談室とかやってみたい。
なんかおもしろそう。




11月1日(夜) 「あまりこんなこと言うのもアレですが。」

ニュースを見たら自殺の話しばっかり。
死にたい気持ちは伝染しちゃうから
報道しないほうがいいのにね。

で、このごろは「いじめ」そのものが原因より、
いじめによって発症した、病気によって
死んでしまう人が多いような気がします。

この前の中学生だって、あれは、
うつ病の人が書きそうな遺書だった。

遺書に恨みを書いて死ぬような人は
自己愛性人格障害とまではいかなくても
どこか神経症のような症状がありそう。

脳の病気。
ちゃんと治療すればいいのに。。。

でも、本人に自覚がないと
それも難しいんだろうなぁ。