7月29日(夜) 「眠れない」

眠れない。なんだか眠れない。
睡眠薬を飲んではみたけれど、眠くならない。
明日は撮影なのに。どうしよう。

今朝、おすぎかピーコかどっちか忘れたけれど、
ハチミツとクローバーっていう映画を
ものすごくオススメだと言っていたので
見に行ってきた。

芸術大学での学内恋愛。
なんとなく懐かしいあの空気。
うーん。青春っていいね。

私はいつからか、昔のことばっかり見て
下ばっかり向いて、
上を見ることを忘れていたなぁ。

でもね、不思議なくらい、
昔のことばっかり思い出している。

最近は2歳とか3歳くらいの記憶を
ほじくり返して、あのときの悲しい気持ちを
何度も体感していた。

「誰も私の気持ちをわかってくれない」

って、もう何十年も思いながら
生きていたんだなっと思うと
我ながら、それはそれでスゴイと思う。


まわりの友達がどんどんママになっていくのを
見て、気付いたことがある。

それは、ママになった女の人がとっても
幸せそうだということ。

これは私にとってすごく衝撃的だった。
なんだか今までの人生感がくつがえされた。
そんなのありかよ!ってくらいに。

私のお母さんは、小さいころから私に
「子供なんて産むものじゃない。
 どれだけ苦労させられるかわからない。
 あなたは絶対に子供なんかつくらないで」
と言い続けていた。

お母さんは子育てに苦労をしていたし、
いつも頑張っていたし、必死だったような気がする。

だからこそ
それはとっても信ぴょう性と説得力のある言葉で。

私の子供のころの話しをするときお母さんは、
いかに私の夜泣きがひどかったか。
迷子になって、心配させたか、
傘がさせなくて、服がうまく着られなくて
情けない思いをさせられたかを語っていた。

そして、どれだけ一生懸命に子育てをしてきたのかを。

それを聞くたびに、私はとっても
申し訳ないなぁ、苦労をかけたなぁ、
お母さんには、恩返ししなくちゃなぁと思っていた。



まぁ、そんなわけで

出産イコール苦労のはじまり


というイメージを持っていた私は
嬉々として、子育てに挑む身近な女友達を見て
なんというかカルチャーショックを受けて
しまったのだ。

そして、彼女たちは決まって

「子供っていいよ。産めばいいのに。」という。


今までずっと

「産んではいけない」って言われ続けた私には

これもかなり衝撃的。


そんな親子を見ていてまず私の心の中に
「うらやましい」という感情がうまれる。

母になった友達がうらやましいんじゃない。

バカみたいに思われるかもしれないけれど、
そんなふぅに、誰かを幸せにすることができた
赤ちゃんがうらやましい。


私はこの世に生まれて、お母さんは喜んだのかな。
本当は私なんてイラナイ子供だったんじゃないのかなと
きっと潜在的に思っていたところがあったのかどうかは
自分でもわからないけれど、

はっきりと、赤ちゃんに「うらやましい」と思える。
ほんと、恥ずかしいけれど。


私は自分が赤ちゃんだったころの写真が大好きで
その写真はお父さんが撮ってくれたものがほとんど
なのだけれど、それはそれは愛情であふれていて、
お父さんは世界イチのカメラマンだと今でも思っている。

でも、そのアルバムの中には、幼い私の姿ばかりで
笑ってるお父さんやお母さんの写真はほとんどない。

私がいかに可愛い赤ちゃんであったかはその写真からは
わかっても、

私が生まれたことで、お父さんやお母さんを
どれだけ幸せにしたかは、どれだけ笑顔にしたかは
記録として、残っていないのだ。

お母さんが私と一緒にいて、
笑っていたところも思い出せない。


だから、私は写真を撮ることにした。

本当は、
私がもういちど、お母さんのお腹にもどって
赤ちゃんになって生まれたい。

そうやって、私が生まれたことを
喜んでいるお母さんの笑顔を撮りたい。


でも、そんなことできないから、
その代わりに、


新しく生まれた赤ちゃんとそのお母さんの笑顔を撮る。




私のお母さんも、私が生まれたときは
本当はとっても喜んだのだと思う。
ただ、必死になりすぎて、ただ単純な「幸せ」というのを
いつか見失ってしまったんじゃないかな。


あなたがここにいるだけで幸せ。
そばにいるだけで幸せ。


このシンプルで美しい愛を私は写真に残したい。

その赤ちゃんがいつか大人になったとき、
そのママがいつか、そのときの笑顔を忘れそうになったとき
私の撮った写真が、何かの助けになればそれでいい。


明日、撮影します。楽しみです。


7月27日(夜) 「足の裏」

「大人になってからできる足の裏のホクロって 
 危険なんだってねー。悪性になる可能性もあるんだってー。 
 ほら、メラノーマ(悪性黒色腫)っていうやつだっけ?」 


なんて話しを聞いて、へぇぇぇ、 
そんなこともあるんだぁと他人事のように 
友達の話しを聞いていた私ですが、 

さっき、足の裏を見たら。。。 





なんだ、これ。。。 


5ミリ以上もあって、形が不自然だし、 
茶色に近い感じ。 

っていうか、自分の身体にこんなのあるって 
知らなかった。 
急にこんなに大きくなるものかしらん。 


いろいろネットで調べてみたら、 
調べてみるほど心配になったので 
とりあえず皮膚科にいってみました。 


待ち合い室には患者さんは誰もいなくて 
初診だということを伝えると 
早速、診察室へ通される。 

そこにいたドクターは、 
ぬくみずサンみたいなオッサンで 
それだけでもなんか、期待はずれで 
テンション下がりまくりなのに、 

そのオッサンは私の足をベッドにのせて 
何をやりだすかと思ったら、 
「ハイ、チョットシツレイ!」とか言いながら 
定規をもって、私の足のシミの大きさを計り出す。 





工エエェ工エエェ(゚Å゚)ェエエ工ェエエ工	






大きさが診断の基準ですか、そうですか。 


ダーモスコピーとかこの病院にはないらしい。 
それにしても診断の基準が定規って。。。 



とりあえず診断の結果はホクロだと思われます 
ということで、今のところは大丈夫だと 
言われたものの 


「足の裏のホクロは、刺激を受けやすいので 
 悪性化しやすいんですよね。 
 悪性化するかどうかはわからないけれど、 
 もしそうなったら、まず手遅れです。 
 手術で切除しても気休め程度にしかなりません。 
 心配なら今のうちに手術できますけど、どうします?」 


どっかの宗教のツボを売りつけられている気分。。。 


なんか、突然の手術のお誘いを受けてしまって 
思わぬ展開に困惑しつつも、 
もうなんかこれ以上、心配するのも面倒なので 




「あぁ、わかりました!じゃぁ、手術します!」 




と答えてしまった私。逆ギレ気味。 


んで、手術までの準備とかいろいろ聞いてると 


「2週間はお風呂もシャワーも入れませんので」 


とヌクミズみたいなオッサンが言う。 
  

いやー。それは無理でしょ! 

仕事もしてるのに、人にも会うのに、 
2週間もお風呂は入れないなんて、 
乙女に死ね!って言ってるのと同じですよね? 
そうですよね?う〜〜〜ん。無茶だ。 


んま、どっちにしても手術するなら 
他の病院に行こう。 

セカンドオピニオンを求めて 
今度こそ、ダーモスコピーのある病院へ。 


あぁ、憂鬱やわぁ。 



というか


「死にたいって思いたくない」


って必死だった私が


フツーに


「死にたくない」

って思ってる。




7月25日(夜) 「過眠」

土日で、伊勢原の方面で1泊。
その前の連休は北海道旅行。
その前にはバリ島にも行ってるし
なんだかんだで旅行ばっかり。
来月はまた、実家に帰省しなきゃ。。。

うつだったり、うつのような状態だったりするのは
続いているけれども、だんだん気分は上向き。
そして気分のブレもだんだん少ない。
焦らず、あせらず、治していこうっと。

今日はNHKでやってた女性とうつみたいな
特集をぽかーーーんと口を開けてみてました。
苦しんでいる人がいっぱいいるんだなぁ。
ひとりで抱えている人に比べて
私なんて支えてくれる人もいるし、
理解してくれる人もいるし、
実はすごく恵まれているのかもしれない。

うつは再発してしまったけれど、
治っていたときは
「自分のことを好きになれずに
 苦しんでいる人を助けたい!」なんて
本気で思っていたのよ。

そして、そう思っていたことを思い出した。

自分を好きになる方法。
ゆっくり休んで、少しづつ自分と向き合うこと。
なんでもいいから思ったことを
安全な場所でそのまま書いてみること。
自分にカメラを向けること。
自分が気に入る写真を、気の済むまで
撮ってみたりして時間を過ごすこと。

「私ってかわいい」
「私が大好き」

とか、無理矢理おもってみること。

書いてきてアホらしくなってきたけれど、
これじゃどっかの安モンの自己啓発だ。

もうちょっと私もまだまだ抜けきれない。
まだまだ自分を好きになりきれない。


7月21日(夜) 「悪夢」

昨日、言いたいこと書いたら、
すっかり熱が出て、11時にもならないうちに
ベッドにはいったら私の大嫌いな人が
夢にでてきて、夢の中でもすっかり罵倒されてたよ。
わーー。こわいよーーーー。
目の前にしたら、私も言いたいこと言えるんだけど、
なんたって常識が通じる人間じゃないから
距離を置くのがいちばんなのに、
心の傷も癒える前から、無意識で攻撃されるなんて
皮肉なものよね。ホントにどうかなりそう。

今まで、自分と向き合うのがすごくイヤで
自分の中のドロドロとしたものを見せるのもイヤで
ずっとここから離れていたけれど、

なんつか。


そういうのも含めて自分なんだと
思えるようになってきました。

今は、自分のことあんまり好きじゃないけれど、
自分嫌いな自分も自分ってことで、
受け入れられるようになりたいです。


7月20日(夜) 「久しぶりに書きたいこと」

久しぶりに書きたいことなんて
たくさんあるしね。
でも、誰かに言いたいことなんて
なんにもないからね。

ホントに不思議な場所。
私が書きたいことを書いて
いつのまにか思ってもみないことまで書いて
伝えたいこととか、整理したいこととか
なんにも関係なく、なんの脈絡もなく
ただ言葉を並べているだけで、

「意味のあること」をしているような
気になってた。思えばとっても恥ずかしい。

最近の私はといえば、状態がいい日があれば
悪い日もある。いまだもって不安定な感じ。

突然に「死にたい」と思うことは少なくなったけれど、
前向きに明るい未来があることを信じられないにゃぁ。
ただ、今という時間がぼんやりと過ぎていくだけ。

でも、少しづつ良く成ってきているのか、
「このままじゃヤバイ」という焦りを少し感じてきているよ。

夏を転機にするって、春ごろは決めていたのに、
いろいろなことに引きずられて、もうすっかり夏かぁ。
しばらくこのままなのかなぁ。それもイヤだなぁ。

5月の大きな用事をすませて、
海外でゆっくりして、
7月の大きな用事も無事にすみました。

あとは8月の用事をすませば、
フツーにフツーの毎日が訪れるはず。
それまで、この不安定な状態を乗り切るべく
無理せず、ぼんやりと生き抜きたい。

あと一山のぼりきれば
きっと楽に歩けるはず。そのはずなのだから。

あぁ、それにしてもあのコトは本当にムカつくなぁ。
どうやって仕返ししてやろうかと思って
「自己愛性人格障害」のことを本気で調べまくって
しまったではないのよ。

妄想で塗り替えられた、あの人の
頭ン中を少しでも楽にしてあげようと思った私が
バカだったわよ。

何ヶ月か前にかかってきた悪魔の電話。

なぜ、私が私には関係のない人のことであれほど
罵倒され、傷つけられ、自尊心を踏みにじられる必要があったのか。

話したことを「誰にも言うな」と口止めされ、
「私さえ我慢すれば、いいんだ」と言い聞かせ、誰にも相談せずに
いたというのに、

私が言ってもいないことを、言いふらし、
誤解を解こうとすると「嵌められた」と被害者気取り。

もう、泣きたいのはこっちのほうだよっていうか、
怒りを押さえ付けて、いっぱい我慢して、
すっかりノイローゼですよ。

誤解を解くべき人にはきちんと説明をして
一件落着だと思ったら、今度は人を通じて
「連絡してこい」だって、何のつもりなのかしらん?

言いたいことがあれば、私に直接言えばいいのに。
私は関わりたくないから連絡もしないだけ。

私が「誤解だ」と主張したことが気に入らないのであれば
もうそれはそれでいいですよ。わかって欲しいとも思わないし、
ハナから怒鳴り付けるような人とはわかりあいたいとも
思ってないし、嫌われても関係ないしさ。

今の私、本当にキライだ。
自分のこと大好きだったのに、なんで
こんなふぅになったんだろう。

頑張ってたのにね。
理不尽なこと言われても、自分さえがまんすればって
耐えていたのに、

こんなふぅに後から怒りでどうしようもなくなって、
憎しみのエネルギーで心を病ませてしまうくらいなら、
あのとき

「ふざけないでよ!」と言ってやればよかった。


よし、今度は言ってやろう。
というか、関わるとロクなことがないので
絶対にもう会わない。