3月29日(夜) 「眠れない。」

うん。眠れない。 ぐっすり眠りたい。 今日は銀座でエステの予約。 ゆっくり眠りたい。
3月28日(夜) 「お仕事」

調子がいいなと思っていて 頑張りすぎたらまた少しだけ逆戻り。 テンションひくく、体調わるく、どこにも いきたくなーいなんて言いながらも やらなきゃいけないことは山ほど。
3月25日(夜) 「お仕事」

先週くらいかね、なんか調子がいいみたい。 時間さえあれば寝ていたいと思っていて、 実際に20時間ちかく寝ていた週末から脱出。 「もうアカン死んでしまいたい」という 意味不明な自分を責める悪魔のささやきから解放され ちゃんと「生きてる」実感がするんだもんね。 わーい。やっとウツ状態から脱出できそう。 今回は1ヶ月くらいで復活できた。よかったー。 昨日なんか急に元気がでてきて 部屋も片付けたし、今もこうやってパソコンに向かえる。 あたりまえのことが当たり前にできるって 素晴らしいなぁむん。 仕事も苦痛だったけど、これもここ何日か前から楽しい。 シャッターをおす喜び、文章を書く楽しさ。最高やね。 連載の締めきりが週3本から4本に増えそうな今日このごろ ちょっぴり「ライター」っていう肩書きも 悪くないなとか思ったりして。ふふ、ゲンキン。
3月24日(夜) 「ふにふに。」

家に帰ったら、お茶が湧かしてあって、 ご飯が炊けていて、かわいいピカチュウが ソファに座っていて 「おかん、おかん」と言ってた。 たまらん。
3月23日(夜) 「恋のきっかけ。」

誰かを好きになるきっかけって、 ほんのささいなことのような気がする。 たとえば、最近よく見かけるとか、 よくわからないけれど目が会うとか 私を見る目がセクシーのような気がするとか。 そんなちっちゃな勘違いが重なって 「恋」に発展しちゃうんだわ、きっと。 そんなわけで、私いま、 亀梨クンに胸キュンなわけ! だって、出かけるとき駅でいつも会うし (というかポスターなんだけど) ふと、顔をあげたときに目があうし (テレビのコマーシャルね) 私をじっと見てくれてるし (ただのカメラ目線だってば) なんかドキドキしちゃうのよねぇ。 つい最近まで、はからずも ヨン様にトキメイテしまった私。 次ぎはジャニーズか。。。
3月18日(夜) 「今日は頭が動いている。」

本屋にいって、夜回り先生の本を2册。 カフェで読みながら涙がとまらず。 そのあとは飲みに行って、 朝の3時くらいまで。 昼すぎに目が覚めて、もういちど眠って 目が覚めたら夜の8時になっていた。 お風呂にはいりながら、もう一度、 夜回り先生を読み直して、涙。 せんせい、あたしダメなコだなぁ。 なんで頑張れないのかなぁ。 でも頑張りたいのよ。本当はね、 もっと前みたいに写真もいっぱいとって 言葉もいっぱい書いて、たくさんの人に会って みんなにすごいねって言われたいし。 でも力が出ない。悲しい。 とかいいながら、自分の中にバーチャル先生をつくって 語りかけては「甘えてるだけ」な自分に 少しづつ気が付いて、今はパソコンの前にいる。 今日は、一緒に夜ごはんを食べながら、 目の前にいるひとにこう言った。 私、いままで生きてきたなかで今がいちばん 幸せかもしれない。 私、今は、全然、がんばっていないかもしれないけれど、 幸せじゃないとは思わない。 昔は、「頑張らない」と不幸だと思ってたもん。 頑張れない自分のことキライだったもん。 でもね、ちゃんと頑張る。 今も幸せだけれど、もっと幸せになるために ちゃんと努力する。 今はね、ちょっと安心してるのかも。 安心してここが私の家だよ、家族だよって思って なんにもしないのに許してくれてるその状況を 確かめているのかもしれない。 昔のことを振り返ればね、 ひたすら、がむしゃらに頑張ってた時期ってね、 すごくすごく傷ついてたの。 罵倒されたり、嫌がらせされたり。 もう思い出したくもないけど。 自分でもう一度、自分を信じるために 必死で戦ってた。自分のプライドを守るために 一生懸命だった。 今、頑張れないのは、 私のこと、罵倒する人がいないからかなぁ。。 ううんでも、そういうことじゃないんだよね。 きっちり足元を固めて、今度は自分のプライドを 守るためじゃなくて、誰かに愛を伝えるために 行動を起こすんだよね。 その愛を確かめるために、ちょっと休憩してるんだよね。 でも、もうすぐ大丈夫。 いろんな事から逃げたくて今日も1日中を ベッドの上で過ごしてしまったけれど、 こんなふぅに自分の気持ちを言葉にできるし、 頭がきちんと動いてる。 お薬も忘れないでちゃんと飲む。 もう少しで、ちゃんと前みたいに 頑張れるようになるからもう少しだから。 今日はね、どこかの知らない言葉から メールをもらったの。 泣けたなぁ。ホントに嬉しかったな。 顔がわからないからうれしいの。 どこの誰かわからないからうれしいの。 本当に心と心だけで反応しあえたって 感じるからうれしいの。 やっぱり、SNSって好きじゃないなって 改めて思ったよ。
3月15日(夜) 「私の居場所」

今日はめずらしく頭が動いているので 今、思っていることを全部はきだしてしまおう。 またそのうちに思考が霧で覆われて何も 考えられなくなってしまうだろうから、今すぐに。 早く早く。 昨日は夜回り先生がテレビにでて 何やらいろんなことを話していたよ。 学校で追い詰められ、社会に追い詰められた 子供たちが「いっぱい、いっぱい」になったとき 4つのタイプに行動が別れるそうだ。 1つは、まわりの人たちを傷つける行動。 いじめだったり、恐喝だったり。そうやって 自分のうっぷんをはらす。元気のあるコは こうなるんだそうな。 2つめは、夜の世界に逃げる。薬をやったり、 シンナーやったり、暴力団と関わりをもったり 売春をしてみたり。 3つめは、家の中に逃げる。学校に行けなくなる。 そうすると親に今度は責められる。ひきこもりになって 自分の部屋からも出られなくなる。やさしい子に多いらしい。 4つめは、自分を罰する。もっとやさしい子は、 親に迷惑をかけたくないので必死になって学校にも行って さらにストレスを抱える。そして、リストカットをする。 自分の手首をきりながらこんなダメな自分を許して欲しい、 愛して欲しいと願いながら。 私はいじめもしたことないし、薬もしたことないし、 登校拒否もしたことない。リストカットもしたことない。 だけど、いつだったかな、そうそう2年前の秋に どうしようもなく、自分ではコントロールできない 自殺願望にとらわれたんだよね。ひどい、うつ状態。 たまに、今でもそういう気分になることがあって ここ1ヶ月くらいはそういう気分を落ち着かせるための 薬を飲んでいた。そうすると、ただ、まったいらな 心の状態になってしまう。もちろん死にたくなんかない。 だけど、とにかく「逃げたい」と思う。 でもどこに「逃げたい」のかわからない。 ただ目の前のことから逃げたいのだ。 まず、パソコンに向かうのが億劫になった。 2年前、うつ状態になったとき何はなくとも自分のくるしい気持ちを キーボードでは打ち込むことはできた。 自分の心の有り様を言葉にすることで、少しだけ生きていることを 実感できたし、 でも、今回だけはダメ。自分が苦しいこととか 思っていることだけでも、パソコンにはきだしてみれば 少し何かが見えるかもしれないのにって思っていたけれど、 パソコンを見るのもイヤ。 2年前と、今と何が違ったのか。 それは、きっとソーシャルなんとかっていう アレがやたらに流行しているかどうかの違いだと思う。 インターネットはね、私の逃げ場所だったんだね、きっと。 どれだけリアルで私のことをバカにする人がいても、 どれだけ傷つける人がいても、 「どこの」「誰かも」「わらかない」「誰か」が 私の気持ちのカケラに少しでも気付いてくれたらそれでよかった。 それを確かめることが、私が私でいてもいい「許し」だったし、 嘘じゃない私がここにいることの「証し」でもだったのね。 ソーシャルなんとかは苦手だ。 インターネットで気のあう友達とのコミュニケーションは 楽しいけれど、それ以外のひとづきあいが面倒だ。 ま、実際に私なんてメール不精だし、人の日記にコメント つけないし、日記のコメントも返すこともないのに、 インターネットには「リアルな人の気持ちの流れ」が見えてしまう。 なんか人の気持ちを読むことにすごく疲れちゃう。 SNSって、書き込みとかしてなくてもつまらない飲み会に 参加しているみたいな疲労感があるな。 いろんな話しが聞こえてきて、たくさんの人の気持ちがあって それについつい反応してしまいたくなるときまる。 書き込みとかしなくても、心は確実に動かされている。 飲み会って親しい友達とだけすれば楽しいのだろうけれど、 (私の場合は)会社の関係の人がいて、学校の先輩がいて、 後輩がいて、職場の友達がいて、親友がいて、なつかしい友達がいて 家族までいて、私のことをテレビや雑誌で見てたひとがいて、 そんな大規模な飲み会に毎日、参加しているような もんですよ。気疲れしないはずがない。 じゃぁ、だったら見なきゃいいじゃんってことで 見ないようにしたいんだけど、心が弱ってるとついつい見ちゃう。 見ると疲れる。やっぱり見なきゃよかったと思う。 だから、パソコンから逃げる。逃げ場所だったネットから 遠ざかる。そうすると自分の気持ちの吐き出す場所がなくなる。 うつうつとしたじょうたいがつづく。 自然に頭が回復するのを待つ。そんな感じだったのかな。 きっとSNS疲れしているのは私だけじゃないと思うのだ。 カシコイ人は、SNSを全承認なんかにしないのかな。 私は基本的に全承認にしておきたいな。 ものすごく矛盾しているけれど、 やっぱりたくさんの人に愛されていたいんだもん。 ウツ状態のときってこんな思考をしていると思う。。 愛して欲しい。でもこんな私でゴメンなさい。 許して欲しい。愛して欲しい。 会社の売り上げが上がらなくて、いい文章もかけなくて、 だから、私が無能でごめんなさい。 親戚づきあいうまくできなくて、私がうまくとりまとめられなくて だから許して、ごめんなさい。 悲しい思い出からうまく逃げられなくて、たまに意味もなく悲しくなって、 私の心がすごく弱くてごめんなさい。 もう、頑張れないよ、頑張りたくないよ、 許して欲しいよ、愛して欲しいよ、何もしたくないよ、 頑張っても頑張らなくても愛されないのなら生きている意味なんかない。 こんなに辛いのなら、生きる意味なんてない。 今は全然ないから、すごく気持ちがラク。 で、話しはもどって、夜回り先生ってすごくいいね。 私は自分の気持ちを親に話したときに、まったくわかってもらえなくて、 「我慢するコ」「自分の本音を話さないコ」「自己犠牲を美徳とするコ」に なったけれど、こんな大人がいるってわかっただけで、 私の中にいる「子供の心」がすごく救われたよ。 私も救われてみたい。 今から本でも読みにいこうかな。
3月15日(夜) 「私の居場所」

パソコンの前に座るのが最近ツライ。 書きかけの原稿は朝に続きを書く。
3月14日(夜) 「ホワイトデー」

いえにかえったら 白いたきたてのごはんがあって、 それが私だけのために用意されたことを知って わたしはとってもうれしくて、 いつもならふつうのお茶碗によそうところを、 思わずどんぶり鉢によそってしまって うれしくておいしくて、おかわりをした。 お母さんみたい。ありがとうね。
3月13日(夜) 「気が付いたら」

また1しゅうかんたってる。 いつのまにか夜になってる。 今日は14時間くらいねてしまった。。。。
3月5日(夜) 「実感がないというか。」

朝、起きてもやっぱり昨日と 変わらなくて実感ないので、 やっぱりああいうのは、大きなイベントやって しみじみぃと思ったりするのかも しれないですね。 とはいえ、なんだかどっと疲れてしまって 昼寝に昼寝をくり返して起きたら 夜の9時です。
3月4日(夜) 「えへん。」

昨日はフレンチでお祝いしました。 なんかあんまし実感わかないなぁ。
3月3日(夜) 「新しく、生まれ変わる。」

っていうほど、大袈裟ではないけれど、 これは人生にとっては一大事だ
3月2日(夜) 「悲しくないのに、涙がとまらないのは。」

セロトニン不足のせいなんだ、きっとそうなんだ。 薬のふくさようがひどいので、2日、勝手に断薬してみた。 すっかり元通りになっちゃって、さっきも泣けて 泣けて泣けてしょうがない。もうなんなんだと自分に腹が立つ。 悲しいことなんか何ひとつないのに。 まぁ、あえてひとついえば、今日の夜にかかってきた電話が ひどく私を落ち込ませたっていうくらい。 言いたいことなんかいっつも半分も言ってない。 ここにはよいのかな、書きたいこと書いてもいいのかな。 誰がわたしの気持ちをきいてくれるかな、 もう誰もみてくれてないのかもしれないけれど、 あぁ、全部はきだして楽になりたい。 なんて言いながら鬱々してたら、 急に気分がスッキリしてきた。薬が効いたのかな。 あぁ、本当に一気に雨になったり晴れになったりする 自分の頭と付き合うのがしんどい。 はやくー、元に戻れ!
3月1日(夜) 「明後日、桃の節句」

桃の節句がもうすぐ。 新しい何かを手に入れるっていうことは 何かをなくすっていうことなんだなぁ。 幸せって、こんなに静かに 訪れるものなんだ。 まだ、実感わかない。 でも、少し嬉しいみたい。