2月28日(夜) 「もう全部を頑張るのやめた。」

執着していたものを手放すように 頑張っている。 頑張っているというか、意識している。 やっぱり、全部を完璧にするのは無理だ。 こうありたいという自分のセルフイメージに 執着するあまり、無理に無理を重ねて 自爆する「習慣」から、抜け出そう。 捨てるものを決めた。 もったいないけれど、捨てる。 今までありがとうって言えるように、 おしまいの始まりを感じながら、 今日は、いっぱい走った。
2月27日(夜) 「頭痛い。」

頭が痛かったり、吐き気がしたり、 食欲がなかったりするので、 なーんにもする気が怒りませン。 あ、誤字変換。起こりません。 楽しいこともいっぱいあるのに、 やりたいこともいっぱいあるのに、 気分がノラなくて、イヤになっちゃう。 今は身体中が痛くて、今から寝ようと 考えていて明日になったら 起きるのかと思うとそれだけで憂鬱。 もう一度、くり返しになるけれど、 楽しいこともいっぱいあるし、 やりたいこともいっぱいあるし、 人生に何も不満なんてないんだけれど、 生きていることが憂鬱だと感じてしまう この脳みそをほんとなんとかして欲しい。 薬がどーのこーのという問題でなく、 なんか心の中の膿を一度、全部だしきってしまいたい。 大切なものが増えるたびに、 なんだか守ることに必死になる。 抱えることに一生懸命になってしまう。 一歩ふみだす足取りが重くなってしまう。 こういう生き方はしたくないのに、ね。
2月26日(夜) 「最近、サボってばかりいたけれど。」

おそろしく思考力とやる気が奪われるなぁ、 この薬って本当にイヤになる。 ほんの少しづつ復活しながらも 気分はなんとなく、地べたをはいずり まわってるような感じ。 薬を飲まなくなると 「思考力」が戻ってくるのに 「やる気」はどっかに飛んでいっちゃってるよん。 とはいえ、今日は久しぶりにパソコンに向かって あれこれ自分の気持ちを吐き出したい 気分になっているので、心のままに書いてみようっと。 あぁ、やっぱり面倒くさい。 明日にするか。
2月25日(夜) 「今日もやる気なし。」

同じく。
2月24日(夜) 「今日もやる気なし。」

同じく。
2月23日(夜) 「最近、サボってばかりいたけれど。」

パソコンと向き合ったり 自分と向き合ったりするのが ものすごく億劫で逃げていました。 逃げてしまうのも、 ひとつの方法だ!なんて 言い訳しながらもそんな大層な 信念があるわけでもなく 怠けたかっただけなんだけれど。 さて。気分もいいので 復活しますか。
2月13日(夜) 「昨日、またひとつ大人になった」

文章を書くことが仕事になって、 プライベートで言葉を書くことが少しだけ面倒になった。 いくつか連載をもってて締めきりは週に3回。 毎回、おもしろいことなんてそんなに書けないしね。 さて、日経の平均が下がると私の気持ちもダウンです。 もうやめたいなぁ。いろいろと。
2月7日(夜) 「夜はもうこわくない。」

今日は朝から幸せだった。 昨日の夜は、自分の不幸せをいっぱい思い出していたから、 今の幸せがすごく際立ったのかもしれない。 自分にいじわるをしたくなるのはこんなときで、 私は1年以上前のチャットのログをすみから すみまで読んでしまった。 チャットのログを全て残しておくなんて、 なんてバカげたことをしていたんだろう。 いつかはこれが役に立つことがあるかもしれない、 いつかはこれに守られることがあるかもしれない、 いつかはすべてが思い出になるに違いない、 そう確信があったから残していたのだけれど、 読み返してみても、別になんとも思わないや。 言葉というものを信用しないと言ってたあの人はもう 何を書いたかなんてきっと忘れてるに違いない。 その方がいい。
2月6日(夜) 「ライブに行ってみたり。」

いや、だから自分がSNSをどう使うかじゃなくて、 SNSを使っている人とどう付き合うかが難しいんだって。 という話しをしました。
2月5日(夜) 「病院にいってきた。」

相変わらず、病院に行って いつもの薬をもらう。また検査だってさ。 もう別にいいんだけど。
2月4日(夜) 「今日はうまく生きられない。」

忙しい。仕方ないけど。
2月3日(夜) 「今日はうまく生きられた。」

好きで自らすすんで使っている人と、 好きじゃないけれど、「付き合い」で「仕方なく」 使っている人がいるんだよね、やっぱり。 招待されると断れなかったりするもんね。 私のまわりには、アンチSNSな友達が何人かいて、 義理でしょうがなく登録はしたもののログインは ほとんどしないという人もいるわけです。 SNSを積極的に利用したくないという、その理由は、 ・むやみに自分のプライベートを公開したくない。 ・会ったこともない人と交流するほどヒマじゃない。 ・会社の上司と、高校の同級生と、ネットの友達とか…  みんなに「同じ顔」は見せられない。 というもの。いやー、ごもっとも。 人にはいろんな場所向けの顔があるのは当然のこと。 会社にいる時の自分、学生時代の友達と会ってる時の自分、 好きなことを通じて出会ったネットの友達といるときの自分って 多分、テンションも話すことも全然、違っていて、 それぞれが違った自分に対しての印象を持っているはず。 SNSって、つながりが増えれば増えるほど、 様々な人間関係が混在していく。 どこから見られているかわからないし、 どう見られているかを、コントロールできないってう 怖さっていうのは、あるよね。うん、すごくある。 ある人が、こう言っていたことを思い出しました。 SNSの良さは、会いたいと思っていた人に会えること。 SNSの欠点は、会いたくない人に出会ってしまう可能性があること。 昔を懐かしむわけじゃないけれど、 「匿名が基本」だった昔のインターネットな場所は、 もっと自由だった。もっと楽しかった。 言いたいことも、書きたいことも、思っていることも、 もっともっと自由な発想のもとでふくらんでいったような気がする。 あのころが、たまにすごーく、懐かしくなったりするのは 私だけなのかなぁ。。
2月2日(夜) 「今日は無理。」

即効ギブアップ。 もう無理。
2月1日(夜) 「今日はうまく生きられた。」

今日も忙しい一日だったけれど、 いつものそれとは違って とってもいい気分。 やっぱりやりたいことして 生きていたいいな。 誰かに必要とされたり、 誰かの役に立っていたいけれど、 やっぱり自分の好きなことやらなきゃ。