9月30日(夜) 「やくにく」

今日も焼肉。
ちなみに先週は3回も焼肉屋さんへ行った。
たまのお肉はおいしいけれど、これだけ続くと
ちょっとしんどい。

で、ついでに毎日のように外食っていうのも、
かなり胃にツライ。明日も明後日も、その次ぎも
頑張らなければ、おー。

たくさん人と会って、いろんなことを学ばせてもらって
それはそれですごく感謝すべきことだし、幸せなんだけれど、
なんだろう、自分の中の何かが「消耗」していってるみたい。

ちょっとバランスが崩れかけてる。
自分ひとりで考える時間とか、ほっとする時間とか、
何もしないでぼんやりすることとか、そういうの
最近、ぜんぜんなかったりするしなぁ。。

でも、なんかそういうふぅにまた自分勝手な思考に
なる前に、目の前の人のために、今、自分が何ができるか
ってことを考えなくちゃとか、思っていたりして、
やっぱりそれも、疲れる原因のひとつ。

さて、明日も早いし、寝るとしますか。


9月28日(夜) 「ただいま。」

今日も明日も明後日も。
昼間は仕事で、夜も人と会う予定があって。
こんな感じでここ1ヶ月くらいはずっと
出かけてばかり。

さすがに、疲れてきたらしく、身体もまだ痛いし
今日は今日で「顔色わるくない?」とか言われる始末。
人と会うのは好きだし、楽しいんだけど、
これからちょっとセーブしたほうがいいかしら。

いつも、人と会う予定ばかりはいっていると、
目の前の人が私のために、お店を選んでくれたり、
私のために、時間をつくってくれたり、
言葉を選んでくれていたり、気をつかってくれていたり
するそういうことへの、気づかいとか感謝の気持ちとか、
忘れてしまいそうでコワイ。

手帳を見て、今日は誰に会う日だっけ?みたいな
そんな感じになりつつあるし。。。

つーか、忘れないように、見逃さないように、
いろいろなこと、しっかり見てるつもりでいるんだけれど、
逆にそういうのが疲れてしまうのかも。

謙虚な気持ちと感謝を忘れずに
明日も明後日もその次ぎも、いい一日になるといいな。なんて。

今日は実家からスーツケースと荷物が届いた。
お母さんが健康のために飲みなさいと同封してくれた
バナバ茶の葉が1キロ。。

お母さんの愛がいっぱい。。



9月29日(夜) 「今日も明日も明後日も」

東京に無事、帰ってきてなんかホッとしてる。
ひとり暮らしが長いとあれかな、
なんつか、自分だけの空間がないと、くつろげないのかも。
実家にも自分の部屋はあるけれど、なんかまた違うかんじ。
しばらく実家に帰るのもよすかな。。

さて。今日は原宿で、小学生時代の友達と十年以上ぶりの再会。
彼女は仕事の都合で、上京をしてきたらしい。
連絡先を友達に聞いてくれたんだって、こういうの嬉しい。

つーか、やっぱ、コレだよね、上京物語ってサイコウ!
夢見る女は20代のうちに、東京に出て来て、
いっぱい夢みて、いいものを見て、幸せつかむんだって。
東京でがんばろうね、田舎に帰ったって、友達はみんな
結婚してるんだし、遊ぶところも少ないし、
みんな保守的だし、夢なんて語れないし、やっぱり東京だよぉ。

と、同意を求めたものの、なんとなく、東京に出て来た彼女は
半年後には、またまた仕事の都合で実家に戻るらしい。

いやいや、そうはいっても東京がいいでしょ!
私だって、仕事の都合でこっちにでてきて仕事をやめたのと
同時に田舎に帰ることも考えたけれど、やっぱり
東京でやり残したこともいっぱいあるって思ったもん。

上京仲間が増えたので、私はまた少しうれしくなって、
また少し元気になって、まだまだ東京で頑張れるって
そう、思おうとしています。



9月27日(夜) 「明日は東京へ」

実家暮らしの最終日。
ここんとこ、毎月のように帰っているからか、
東京へ戻るのが寂しさっていうのよりも、
東京が恋しくなっているから不思議。
あぁ、帰りたいなってそう思えるもの。

東京では洋服を買ったりしないので、
(お店をいまだによく知らない)
地元で秋物のトップスを2枚購入。
早くこれを着てデートとかしてみたいなぁ。

始発の新幹線で帰るので早く寝ます。



9月26日(夜) 「言い過ぎてしまった一日」

「頑張れば、なんとななる」とか
「今までなんとかなってきたから」とか。
「自分なりのやり方でやってみる」とか。
「世の中厳しいし、先のことはわからないけれど」とか。

言葉の端々が気になって、思わず、
キツイことを言ってしまった。少し、後悔している。
言い過ぎた。もう少し、見ててもよかった。ごめんね。

きちんと目標をもって。目標をもったら計画立てて。
計画を立てたら、実行をして。

大きな夢をもって欲しいし、その夢をかなえて欲しいという
私のエゴが暴走しました。

これこそ、私の「夢」なのかもしれません。


9月25日(夜) 「楽しすぎた一日」

大学時代の友達とホームパーティー。
実家の台所の使い勝手がわからず
(いつも使ってる調味料とかないし)
デパ地下で美味しそうなものを適当に
買い込んで、昼間からぐだぐだとおしゃべり。
お腹がいっぱいになったら、近所の露天風呂へ。
専業主婦な彼女たちと、自分の立ち位置は
明らかに違うものの、またそれが新鮮で
楽しい時間はあっという間に過ぎる。
ダンナ様のために夕食をつくるという
彼女たちを見送り、私は地元の男友達と待ち合わせ。
またまた、男と女とのこれからの人生について
語り合ったりしちゃって、彼を自宅まで送り届けて、
ひとりでドライブした後に、深夜に帰宅。

いろいろあるけれど、友達って本当に大切だし、
ありがたいし、これからも大事にしたいのです。



9月24日(夜) 「何も考えなかった一日」

今日はなんにも考えなかった一日。

朝、起きて、お母さんと一緒に
近くのお店に、コーヒーを飲みに行って、
パソコンショップで、デジカメのメモリカードを
買いに行って、ドライブして、お寺をめぐって、
美術館にいって、企画展をみて、
焼肉をご馳走になって、温泉に行って、
カラオケに行って、それから、えーと。

振り返ってみても、素晴らしくどうでもいい一日。

なんか、心の隙間を埋めるために、
いそがしく動き回っているような気がした。

明日は大学時代の友達と会う予定。
心にいっぱい、元気をもらえますように!



9月23日(夜) 「忘れたこと。思い出したこと。」

この連休は実家でぼんやりと過ごすつもり。
(といってもいろいろ予定はあるのだが)
昨日も夜遅くまで遊んでいたせいか、
せっかく、帰ってきたというのに、
うっかり忘れたことがたくさん。

・友達と会う予定があったのに
 約束するのを忘れた

・友達に渡す写真を現像するの忘れた

・お気に入りの洋服を忘れた

・写真を撮るつもりでいたのに、
 カメラをもってくるの忘れた

・お土産の東京バナナを買うの忘れた


あぁ、なんてこった。。

最近、ぼんやりといつも感じていることなんだけれど、
このごろのブログの流行の仕方はなんとも
気持ち悪い。誰も彼もが、日々の日常の出来事や
スケジュールなんかをさらけ出していて、
それを人に見てもらいたがっている。
そうなんだよね、みんなそれを見てもらいたがっている。
そこがなんか、なんか、すごい違和感。。

でもって、ランキングとかコメントの数とか
競い合って、当然のごとく社長ブログがトップに
なってたりして、やっぱりあの人はすごいなぁ、
なんて思っているわけで。

昔、一部の女の子が必死になって、日記を更新して、
ランキングサイトに登録して、アクセス数を
ふやすために、寝る間もおしんで、試行錯誤してた
時代も、見てきた私としては、心を病めてしまう人が
もっと増えるんではないかと心配。


9月22日(夜) 「七輪で焼肉を。」

本日は、某パーティーで知り合った
某社の某氏と初めてのお食事へ。
微妙に仕事つながり。

恵比寿で焼肉を食べながら、(ごちそうさまでした。)
お互いの夢や仕事を語る。

あぁ、なんだろうこういうのって。
毎日が刺激的で、とってもいい感じ。
昨日も昨日で、面白かったし。

私の周りにいる人って、みんなすごく
前向きで仕事好きで、キラキラしてる。

なんか、うん、私も頑張れそうな気がしてきた。
かも。

9月21日(夜) 「なんかもう。」

なんだかもう、どうでもいい感じ。
なげやりな気分。

何かを手にいれるということは
何かをあきらめるということと同じ意味で、
私が欲しかった未来は一体、一体、
どこにあるのかしら?
と考えてはみたけれど、
状況なんて刻一刻と変わるんだもの、
ねぇ、どこのタイミングで判断すれば
よいかもわからないわ。

でも、とりあえず、決めなきゃいけないし、
決めたら動かなきゃいけないし、
動いたら、後にはひけないし、

これは、大変だ!!

ところで、今日の神南テレビの打ち上げの
水餃子パーティーは最高に楽しかったです。




9月20日(夜) 「LOVERS」

日曜日の夕方。人と会う約束。
家の近くまで迎えにきてもらって車で移動。
映画「LOVERS」を見て、お寿司を御馳走になって、
ちょっとドライブして帰宅。23時。
なんて健全な。。。

長時間、緊張したせいか、映画を見て
同じ姿勢を保っていたせいか、背中がやたらに痛い。
リハビリ生活が長引きそうな予感に鬱。

いろいろ考えたこともあったし、書きたいこともあったけど、
それからパソコンはさわる気になれなくて
そのままベッドで朝まで寝てしまう。

で、今日は、24時間テレビな人たちと打ち上げ。
水餃子でパーティー。明日は、某パーティーで
知り合った人と会う約束があり、次ぎの日は、また別の人と。
そして次ぎの日も次ぎの日も次ぎの日も誰かが
私に会ってくれる予定。

あぁ、幸せだなぁ。。。。。。。

少し前までは、孤独と絶望感でどうしようもない
気持ちを抱えていたけれど、本当にイイ人たちに恵まれて、
誰かと一緒にいられることの幸せを心から感じます。

できることなら、何もなくしたくないんだけれど。




9月19日(夜) 「土曜日らしく。」

楽しい時間はあっという間。
家に帰って、写真の整理の続きを。

人の性格や思考のパターンを読み取ることが
わりと得意な私は、この人はこういう人だから、
こうすれば、きっとああなる。ほら、やっぱり!

ってな感じの、言葉のやりとり(かけひき)が好きで
その相手を見つつ、自分の出方を決めるところが
あるんだけれど、そのパターンを読んでしまうと途端に、
自分が本当に築きたかった「関係」というのを
忘れてしまうがちであることに、
今さらながらに気付いてしまった。

でも、人間関係なんてすべては縁と成りゆきで
できているもんなんだと思う。

「理解している」と「受け入れている」は全く違うし、
「知りたい」は「大事にしたい」とも全く違うのです。

例えば、もし、私に好きな人がいるとして、

その人が大切にしているものが壊れたら
「可哀想だな」と思うので、壊さないように
気をつけることはあるけれど、

私も「大切にしよう」とは思わないし、思えないです。

あくまでも、自分本位。




9月18日(夜) 「いたれり、つくせり。」

仕事をテキトーに終わらせて、
(正確には終わらなかったので、自宅で作業するつもり)
渋谷で某社の某氏と待ち合わせ。

ふぐのコース料理を御馳走になる。
すごーい、うれしーい、しあわせー。

で、その後は、雰囲気のある素敵なバーへ移動。
調子にのって(うっすーい)カクテル2杯。
当然のごとく終電がない深夜2時。
今夜はごちそうさまでした!楽しかったですぅ〜♪、と
タクシーで自宅まで送ってもらい、

で心地よい疲労感とともに、やっと自宅へ。
明日は明日で人に会う予定。

こんなに、気持ちのいい思いばかりして、
いつかバチがあたりませんように。






9月17日(夜) 「昨日は」

仕事がおわり、某社の某パーティーへ参加するために
ホテルの会場へ向かう。うわ、すごいなぁ。。

学生のころ、憧れてた世界がそこにあって、
あぁ、あの教授が言ってたのはこういうことなのか、
なんてことを思い出しながら、料理の美味しさにも感動。

あのステージで挨拶をしている人とか、
今までどんな苦労を乗り越えて、今、あの場所に
立っているんだろうとか考えたら、
もっと私も頑張らなくちゃと思うんだけど、
サラリーマンは向いていないしね。
私にできることを頑張ろう(言い訳+あきらめ)

家に帰って、お風呂で好きな本を読んで、
音楽を聞きながら、パックをしたり、マッサージをしたり。

スキンケアが楽しいのは、手をかければかけるほど、
肌が少しづつ元気をとりもどしていくこと。
同じように、髪の毛も、トリートメントをすればするほど、
キレイになっていくような(錯角かもしれないけど)
気がしてうれしい。

パソコンに向かって、写真をいじって、気がついたら
もうこんな時間。

身体は相変わらず痛いんだけど、
少しづつペースを取り戻さないと。

だって、春に撮影した写真をまだ整理できていないんだもん。。




9月16日(夜) 「最終回」

ラストプレゼントの最終回。
おもいきり泣くつもりでいたのに、
実はそんなに泣けなかったり。

あぁ、これならセカチューの方が
最終回に関していえばよい出来だったなぁ。

久々にここ何日かは家でゆっくり。
明日からはスケジュールがつまり気味。
その次ぎも次ぎも次ぎも次ぎも次ぎも次も…
2週間ほど先まで、人に会う予定がギッシリ。
ふぅうう。。

昨日と一昨日の私のどうにもならない
気持ちは今日になると、どっしりと心の錘
みたいになっていて、まぁ、憂鬱だけれど、
それほどたくさんの面積は占めていないので、
ある意味、楽かも。そういう感じ。
スッキリするまでも少し時間はかかるかもしれないけれど、
多分、そんなに悪くはない。

自分の身体のリズムを考えると
10日過ぎに、いつも心のバランスが
崩れるような気がする。
多分、ホルモンのバランスが一番
崩れやすい時期がこの時なのね、きっと。

いつものとおり少し仕事をして
今日はもう寝る。

…つもりが、なかなか寝つけないので
真夜中の散歩。

3番目に遠い自動販売機まで歩いて
ジュースを買って、家においてあった
お酒をちょっと入れて酔っぱらってみるフリ。










9月15日(夜) 「昨日、考えたこと」

このまま逃げてやるっ!
そんで、引き分け。
心も同じだけ痛み分け!
同じくらい「痛い」ならそれでイイ。
もうやめる!全部、もうやめ!!

そう思っていたけれど、なんかマトモに
勝負すらできていなかったような気もする。

要するに自分がいかに「子供」だったかを
思い知らされたわけです。

ずっと、「わかんない、わかんない」って
考えているフリをしていただけなんです。
いや、でも最初は本当にわからなかった。
でもさすがに、わかんないわけないよね。
私だってそこまでバカじゃないし。

ただ知りたくなかっただけ。

本当はその奥にある狡さとか、作戦とか、
恐ろしく要領のいいところとか。

だって、自分の危うさや狡さまで
気付いてしまうんだもの。
そんなもの、どうでもいいよね、ホント。

欲しいモノってなんだったのかって
そんなこと、自分がよーくわかってる。

だけど、本当に本当に必要だったし、欲しかったし、
欲しいと思えるものに出会えたことが、
そのことがとても幸せだったんですよ。

手に入れるつもりもなかった?
欲しくて、欲しくて、すごくストレス感じたけれど、
ただ「欲しいなぁ。」って思っていたその時が
幸せの絶頂期でした。ツラかったけど。

キレイに輝くアレは、遠くから見ているだけで
たくさんのヒトを幸せにしてるだろうから、
それはそれでいいんじゃないでしょうか。

少なくとも、私は遠くにいる方が幸せでしたよ。
そして、絶妙のポジションに座っているヒトを見つけましたよ。

そうそう、その位置です。賢い!




9月14日(夜) 「やっぱり」

不条理だな、なんかそれっておかしいよね。

いろいろ考えれば考えるほどなんかイライラ。
今日、考えたことは多分、正しいし、
今まで、感じていた疑問はもっと大きくなるし、
何やってるんだか、わたしってば。
もう、楽になりたいさ、いい加減に。
あかん、時間の無駄や。

でねぇ。。あぁ、どうしよう、
こんなところに書いてもしょうがないんだけれど、
ホントにホントに不思議なんですが、

なんで、こんなに、ムカつくんでしょーか!!


ある意味、私をここまで、感情的にグタグタにしたのは、
それはそれですごいと思うし、完璧に私の負けだと思います。

で、完全なる敗北宣言。



このまま逃げるので、

引き分けってことにならないかしら。





9月13日(夜) 「日曜日の夜は」

日曜日の夜は、六本木ヒルズでお食事。
久々にお化粧なんてしてみたりして。
パールのネックレスをしてみたりして。

相変わらず重たい話をなんとか、
軽く、軽く、軽くするように努力してみる。

いかに、テンションをコントロールするかが
実はものすごく大切で、あぁ、それって「気分」とも言えるかも。

解決しない問題には、「取り組まない」という姿勢、
欲しかったモノを、「あきらめる」という勇気、
すべてのことを「忘れてしまう」という解決法もある。


考えて考えて悩んで悩んで、結果が出ないから、
苦しいのであって、そのせいで、
死にたいくらい悲しくなるのなら、
なんかそれって何の意味もないわけで。

生きるために、どうすればいいのかを考える。
生きるために、気持ちのいいことだけをしてみる。

そういう自分勝手な、自分のことだけ考える時期があっても、
人生、長いんだし、いいんじゃないかというのが
私の無茶な結論で。

それにね、魔法がかかったように、なんかフワフワしてる時期って
おそろしいほど、一瞬なんだって。

それが過ぎれば重たい現実、だからね、
なるべく考えないようにすればいいからね。

大切なものが残ればそれでいいし、
何も残らなければ、それはそういうことだったんだっていうこと。

重たければ、捨ててもいいよ。もう無理しなくても。





9月12日(夜) 「ヒトリの土曜日」

昨日の夜はお化粧をしたまま
そのままベッドへ。
幸せと不幸せの真ん中くらいの眠りの中で、
いろんな夢を見た。

朝の5時。なんとなく起床。
夢の中で泣いてたみたい。気分が悪い。
鏡を見てビックリ。あわてて、メイクオフ。

先週、録画しておいた
セカチューのビデオを見て、また泣いた。

泣きつかれて、また、鬱々と夢の中。

目が覚めたらもうお昼で。

今度は、昨夜録画しておいたセカチュー。
最終回を見て、またまた、泣いた。

しばらくパソコンをいじったり、
かかってきた電話のことを心配したりして、
洗濯していたら、また、憂鬱になって
眠くなる。お昼寝。

起きたらもう夜の6時。
暗くなった部屋で、目が覚めたとき、
ものすごく孤独を感じて、いたたまれなくなる。

これから、私、どうやって生きていこう、みたいな。

「コーヒーでも飲みにいきますか!」

と、自分で自分を誘い出し、適当なカッコで外出。
歩いていたらお腹がすいていることに気付いて
そのへんのお店でぶらりと夕食。

あー。自由だなぁ。。。
こんなに自由で気侭で気楽で、いいんだけど、
こういうのとってもいいんだけど、

心にすきま風。
実家に帰ろうかな。なんてまた思ってみたり。

家に帰って、化粧水をバシャバシャと顔にかけて、
パックしたり、マスクをしたり。

最近のひそかな楽しみは、スキンケア。
この前、実際の年齢よる5コくらい年下に見えると
言われたお世辞を信じて、もっと素顔をキレイに
したいな、と。

努力の甲斐あって、少しだけ改善した感じ。。





9月11日(夜) 「同じくらいに。」

今日、出会った人と話しているうちに、
自分とすごく似たところを見つけて
安心したり、がっかりしたり。

ま、簡単にいうと、なにがあっても、
「自分がイチバン大事!」
というところ。

たくさんの幸せに恵まれているのに、
もっともっと、と欲張りになるところ。

誰にも束縛されたくないところ。

自信が欲しいからこそ、たくさんのヒトに
求められたいという気持ち。

自分が居心地よく生きるための
優先順位を知っているところ。

真面目と不真面目の中途半端な位置が好きで、
冒険や挑戦をするためには、「安定」が必要で。

大切にしなければいけないこととモノの
優先順位が明確なのです。

計算ばっかりして、生きていくと
疲れちゃうのも事実でそのへんの
息抜きの仕方が上手でうらやましいなと
思ってみたり。

自分が大事にしているものリスト。

たまに、更新しているけれど、
そこに手に入らないモノばかり
増えていくような気がします。






9月10日(夜) 「気にしない!という方法」

鼻水が。。。
寝不足と疲れが祟ったせいか、
すっかり風邪気味。
身体が熱い。

今日もらったメールの一通はとっても嬉しいメールで、
もう一通は、私の気持ちをものすごくラクにしてくれたメール。

今日、届くはずの、届かなかったメールは
私をなんとなく、さみしいぃ気持ちにさせたし、
私が出せなかったメールは、読み返すとなんだか軽すぎて
やっぱり出さなくてよかったと。
そう思いました。

ま、いろいろあるけれど、気にしない!




9月9日(夜) 「こんなところを見られては困ります。」

久しぶりにお化粧して、
久しぶりに、たくさんの人が集まる場所へ。

あぁ、どうか、どうか。見られませんように。
どうしよう、絶対に、見られませんように。
と、ひたすら思っても、まぁ、しょうがないか。。。
でも、本当に見てほしくないんだけどなぁ。

今日は遅くなったので、
予約録画しておいた「ラストプレゼント」を
見ることなく、とっとと寝ることに。

明日も早いし。仕事だし。



9月8日(夜) 「ラストプレゼントのビデオを見て」

先週、見そびれたビデオを友達から借りて見た
あの号泣ドラマ「ラストプレゼント」

またもや泣いちゃって、泣いちゃって。
公式サイト見たら
「あと3ヶ月しか生きられないとしたら、
 誰と何をしますか?」
というテーマで、コメントを募集してて、
それを読みふけっていたらまた、泣けちゃって。
みんな考えることはやっぱり同じ。
最後は大切な人と一緒にいたいし、
「私のこと忘れないで!」って思うンだね。

私だったら、何するかなぁ。
やっぱり、実家に帰って家族5人で暮らすかも。
いっぱい、お母さんやお父さんに甘えて、
「今日のごはんは、なぁに?」なんて子供みたいに、
はしゃいで暮らしたいなぁ。。

もうね、東京で成功するとか、そういうの考えないと思う。
遺作として写真集だしてくれる出版社を探したりとか
多分、そんなこともしないと、思う。

お父さんが惜しみなくシャッターを押してくれた
子供のころのアルバムを見て、
私が覚えていないころの私の話しを
お母さんにいっぱい聞かせてもらいたい。
私が初めて歩いた日のこと、私が初めて言葉を話した日のこと。
お母さんが覚えてくれている私のことを全部、知りたい。
私が覚えていることでもいいから、聞かせてって。

それから家族旅行をして、おいしいもの食べて、
ひとつの部屋でお布団ならべて、寝てみたい。
家族全員で旅行したのっていつが最後だっけ?
覚えているのは、岩がゴツゴツした海辺が
見えるお部屋に泊まったことくらい。
悲しいなぁ、忘れちゃってるなんて。
でも、ま、ずいぶんと昔だったもん。

どれだけ自分が愛されて生きていたかを
確かめてから最後を迎えたいという素直な気持ち。
あぁ、やっぱり私って最後までワガママ。

家族以外は、そうだね。
好きなヒトに最後くらい甘えたいって思うけど、
なんかそういうのは無理かもしれないな。
何も言わずに姿を消しちゃうかも。

私以上にオロオロした姿とか見ちゃったら、
きっと、死ぬことがもっと怖くなる。

本当は私のこと、いっぱいいっぱい覚えていて
欲しいから、必死になっていろんなところ行って、
(東京タワーとか、お台場の観覧車とか、
 都内の高いところから必ず見えるどこかに!)
その人が、一生、私以外の女の子を好きになれないくらいの、
忘れられないくらいの激しい思い出をつくりたいんだけど、

その時点でもう、その人の未来の好きでなるであろう
誰かに、嫉妬しちゃってるんだから、
ホント私って性格が悪いなぁ。しょうがないか。

あとは、たくさん写真を撮るかなぁ。
友達には、私がもうすぐ逝くことはナイショにして
いつものように遊んで、自然な笑顔をいっぱい
写真に残しておこう。

生きていることの喜びを最後まで忘れないように、
(だって、死ぬその瞬間まで生きているんだから!)
ベッドで一日のほとんどを過ごすようになったら、
今までとったたっくさんの写真を見返そう。

「あぁ、いろんなことがあったけど幸せだったなぁ。」
って心の底から思えそうな気がする。
そうそう、ここのサイトのログも全部、全部、読み返す。
嬉しかったことも、悲しかったことも、苦しかったことも、
ココには、全部つまっているから、最後に読み返すには
ふさわしい内容だと思う。


残された友達や大切な人のために、私は何ができるかしら。
手紙とか、ビデオレターとか、いろいろあるけれど、
私の場合はやっぱり写真かな。

そのヒトが、一番、キレイに輝く瞬間を
写真に残してあげたい。大好きだったよ!ありがとうって
それがすごくわかりやすい方法だと思うし。

あぁ、こんなこと考えてたら、ホントに悲しくて、
何やってるんだろう、私、もっともっとたくさん写真を
残しておかなきゃっていう気になってきた。



あれこれ書いたけれど、やりたいことはただヒトツ。ムフ。




9月7日(夜) 「時間よ止まれ!とか思いたかったり。」

何かと迷うことが多いこのごろ。

いいとか悪いとかではなく、
メリットが大きいか、デメリットが大きいかではなく、
正しいか、間違っているか、ではなく。
好きか、嫌いかではなく。

「ソレ」で自分が輝けるかどうかで、
判断することにしました。

たとえば、したほうがよいことでも、
そのことで自分がくすんでしまうようなら、やらない。
いくらそれが好きでも、結果的に自分をくすませて
しまうなら、選ばない。

うーん。とってもシンプル。

だって、好きとか、嫌いとか、一瞬の感情でしょ?
しょせん、正しいとか、間違ってるとか、世間の通念でしょ?

あくまでも「自分」を軸に考える。
自分をみている「もうひとりの自分」を意識する。
私は輝いているかどうか、って。

いらないモノって意外にあるような気がしてきた。
(こだわって重たくなるものの中で)

さて、そんなこんなで、
一秒、一秒が、身を切られるほど切ない感じがします。

目の前にうつる景色が、「忘れないで!」と
言ってるようなそんな感覚。久しぶりの。

なんとなーく、元気になって、
少しづつ、生きる気力が復活してきて、

ようやく自分の人生を愛せるような気がしてきました。

毎日のリハビリを続けて、身体が少しづつ元通り。
今日は事故以来、初めて、写真を少しいじってみた。
新しいことを考えてみたり。

なんかこういうのが一番、楽しいんだわ。
悩んだり、泣いたりしても、「今しかない」時期を
私は過ごしているのだから、どうせなら、笑っていたほうが
いいとやっと割り切れるよう、あと少しの努力。

ね、本当に、今だけだから。今しかないから。
だから、大切なこの時間をできるだけ、ごきげんで過ごせるように。

今は、それだけ、考えていたい。



9月6日(夜) 「日曜日。」

昨日の夜はいろいろと考えるところがあって
なかなか寝つけず。朝方、眠りについて昼ごろ起床。
つまらないこと考え過ぎなんですよ、きっと!
だけど、痛いんですよ、ココロがちょっとね。
知れば知るほど、ウンザリ、ですよ。

目が覚めたら、妹が荷造りをしていて、
「あぁ、そうか、今日、帰るんだね。」って。
またヒトリの生活が始まる。

銀座でもブラブラする?それとも、表参道?
なんて相談をして、結局、表参道を散歩。
ウィンドウショッピングをしたり、カフェでお茶したり。
昼間に女友達とこんなふぅに遊ぶことはないから、
こういうのもちょっと嬉しかったりする。

新幹線のホームまで見送り。品川でバイバイ。
お父さんとお母さんによろしく伝えて。

で、そのあとは別の人と会う予定があったので、
そのまま待ち合わせ場所へ。

お土産のケーキとお守りと、真珠のネックレスをいただく。
うわーー。こんなの本当にいいのかしらと思いつつ嬉しい。
車にのせてもらって、お台場まで。食事を御馳走になって
10時過ぎには帰宅。ただいま。

妹が帰ったあとの、ヒトリの部屋。
はぁあああああ。なんか落ち着く。やっと安心。

ありがたいことに、妹がいろんなところを
掃除したり整理したりしてくれている。


なんか、私ってイロンナ人に助けてもらって
生きているのに、なんでこんなに自分勝手なんだろう。


こんな私なんかをこんなに優しくしてもらって、
私、なんにもできてなくて、スミマセン。

だけど、(精神的に)助けてもらったこと、
(献身的に)優しくしてもらったこと、絶対に忘れませんから。

いつか、お返しできるよな人間に成長するので、
きながーーーーに、待っていただければ。。。。。









9月5日(夜) 「重たいココロ。」

「一生を費やすにふさわしい価値がある。」

という、下りを今日は何度も思い出して、
そのことが可笑しくて、笑ってしまった。
なんでこんなに笑えちゃうんだろう。
あぁ、本当に全くかなわないな。って。

とにかく私の心にひっかかったのは「一生」という言葉。
一生って「死ぬまで」「命ある限り」遠くて長い時間の向こう。
そしてたったヒトツのものを選びだしたという「意志」。

偶然でも、たまたまのタイミングでもなく、
きちんと考えて、決断して、選んだという「事実。」



何なの、それ。すごいよね。




それができない私と
それができたヒトとでは、なんというか人間力に
大きな差があるような気がして、
自分がすごく、ちっぽけな人間のような気がして、

いや、それが悲しいとか情けないとかそういう
気分じゃないんだ、だけど、なんか。

そういう人になりたいなー。という希望。

こわいけれど、選んでみる。
不安だけれど、決めてみる。
もったいないけれど、捨てることにする。

そういうことができない、今の私が
もっとスッキリ生きることができないのかしら?と
悩むことすら、実はしていない。

「何も考えていない」し、「何も考えていない」し、
「それはそれで別にいいか」と思っている。

無気力に笑ってみたりできるのは、
ジタバタするのをやめたわけで、考えることを放棄したんです。

私の「心」が何を感じているのか。
私の「身体」が何を欲しがっているのか。

今はね、ゆっくり、じっくり、味わってみたくて。

今日、妹とテレビのニュースを見ながら
他愛のない話しをしていたとき。
ふと、彼女の口からこんな言葉が。

「死んでも、天国にいったら、家族で一緒に暮らせたり
 できるのかな?」

痛いコト言うなぁ。。
来月になれば、私もまた実家に帰るし、
キミもまた、東京に遊びにくるんでショ?


お姉ちゃんは、ヒトリで家から飛び出してごめんね。
あの家に、戻る勇気がなくてごめんね。
家族で一緒に暮らす夢を壊してしまってごめんね。


と、何度も何度も心の中で謝りました。


死んでも、家族は家族なんだから、
あっちでは、みんな揃って、暮らそう、ね。


ねぇ、「家族」ってイッタイ、何かしら?
しかもその「家族」っていうのは、
自分の意志で選べたりするから、もっと複雑だ。



9月4日(夜) 「デザインっていう仕事は」

別に仕事の愚痴とかでわないんだけれどね。
デザインとかいわゆる制作の仕事ってね、
納品したときに、クライアントに「バッチリですねー。」なんて
言われるとホントにホントに嬉しくて、
あぁ、頑張ってよかった、誉めてもらえてよかった、
また今度もイイモノつくろう!もっと勉強しよう!

とモチベーションもテンションもすごく高まっちゃう。
そういうときは、本当にまさに至福のときなんだよね。

でも、そういうお仕事ばっかりではなくて、たまーに。
「いや、もう、ぜんぜん、ダメ」とかっていう場合もあるわけで。

何度も何度も修正して、何度も何度もつくりなおして、
自分の「創造的価値観」をね、その度にぶっ壊していく
作業が必要でね。

まず、自分のエゴを捨てなきゃいけない。
クライアントの価値観を自分で探っていくこともしなくちゃ。

しかもね、それが長くなるともっと精神的にツラくて。
一体、いつ終わるんだろう、、って見えないんすよね。
「今日はここまでで終了!」って自分で区切りをつけられない。
給食食べ終わるまでお昼やすみがとれない小学生のよう。
締めきりが決まっていたのに、延ばしていただけたりもする。
ありがたい。と言えなくもないんだけれど。

ここを修正して、あそこを修正して、自分のよいと思っていた
構成はどこにも影がなくて、まるでロボットになった気分。
言われたことだけやるようになっていく。自分の判断ができない。
もう、創造的な楽しみなんてなくなっちゃうんですよ。

で、挙げ句の果てに、「全部つくりなおし」なんてことも
稀にあるわけで、そのときの精神的苦痛といったら。。
「私の仕事って、なんなんだろう。もう何もしたくない。」という
テンションから無理矢理、自分の気持ちを高めて、
「さー、今までのこと忘れて、イチから全部やりなおしだー!!!」
なんてふぅに切り替えなきゃいけない。

(そんなんできるか!)と言いたい気持ちをぐっとこらえる。
お仕事ですからね。仕方ないですよね、と自分に言い聞かせ。

制作を仕事にする人間が大切なのは、
いかに自分のテンションをコントロールできるかっていうこと。

そして、制作の仕事をお願いする側は、
以下に、「チームとして」相手をサポートできるかが
とっても大切。

でね、最近、特に思うことなんだけれど、
インターネットが普及したおかげで仕事が増えました。
顔も見たこともないヒトから、仕事をもらって、
顔も見たこともないヒトへ、お仕事をお願いして、
ディレクションしたり、自分でデザインしたりして、
いろんなモノつくって、いろいろやってるわけなんですが。

システマチックにメールに添付されて送られてくる
成果物は、パソコンが仕様のとおりにつくってくるわけではなくて、
パソコンの前にいる人間が、あれやこれやと頭と心を痛めながら
つくっているということを、忘れないで欲しいなぁ。。なんて。

いや、これはね、「甘え」っていえるかもしれない。
「頑張ったから、苦労したから、大目に見てもらえる仕事」を
適当にこなすことが目標ではなく、
仕事を選ぶ人間になりたい、仕事に選ばれる人間になりたいって
思っているけどね。でも、たまには弱気にもなる。

私の大切な大切なデザイナーのパートナーが
「もはや限界です。」なんてことを私に伝えてきて、
自分の愚かな仕事ぶりに、ただただ、反省するばかり。

人の感性やモチベーションというとっても壊れやすいものを
扱いながら、すすめる仕事っていうのはね、あーだこーだ。


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と、言いながら、素敵な金曜日の夜を過ごしました。



9月3日(夜) 「仕事って」

ここ半年くらい、毎朝、化粧をするという
習慣がなくなってしまった。
イケナイと思いつつも、素顔の方がラク。
いつでも、顔を洗えるという気楽さには勝てず。
今日も人に会う約束があったのにも関わらず
スッピンを通した。明日はお化粧しよう。

さて。

仕事が行き詰まると
「あーあ。結婚でもしようかなぁ。」なんて
本当に本気で思ってしまう。(ホントに)

仕事で身動きがとれなくなると、
「今すぐ、◎◎に行きたい!◎◎◎したい!」なんて
衝動が抑えられなくなってしまう。

仕事に飽きてくると
「仕事って、我慢大会みたいなものか」なんて
自分をあきらめさせることに必死になる。

終わりの見えない仕事に取り組んでいるとき、
かるーい絶望感を味わいながら息をしている私。

私って「デザイナー」には本当に向いていないと
つくづく今日も思ってしまった。

自分を殺しながらの作業って計らずも
こんなにストレスを感じるものなのね。

努力が足りないとか、そういう類いのモノではなく
これはもう向き不向きの問題ではないかと
自分をたしなめつつ。

よくも悪くも、私は自分の思うようにしか
生きられない。

こんな自分を持て余しつつ、
今日もたっぷり疲れたので、おやすみなさい。




9月2日(夜) 「もしも、わたし に」

もしも私に、仕事以上に大切なものがあれば、
もしも私に、自分の以上に大切なものがあれば、
もしも私に、「これさえあれば何もいらない!」とさえ
思わせてくれる何かがあれば、

こんなにも、こんなにも、たくさんのモノを
欲しがることはなかったんだろうか。

ってことを今日はぼんやりと考えてました。

いやーでも、あきらめられないな。
やっぱり、欲しいモノは欲しいなぁ。

ヒトツ手に入れたらもうヒトツ。
両手からこぼれ落ちるのも気付かないくらいに、
目の前にあるキラキラしたものが
欲しくて欲しくてしょうがないんですが。

あぁ、愚かってこういうことをいうのかしら。

上京している妹がパソコンに向かう私の横で
テレビを見て笑っている。

家族ってこういう時間や空間を共有していても、
ぜんぜん、違う方向みてるんだもんなぁ。
別に深い意味はないけれど。





9月1日(夜) 「優先順位」

いろいろと反省して悩んできたので、
9月は本当に大切なモノが何なのかを
見極める能力を磨いていきたいな、と思っていたり、
そう頑張らなくてもいいかとも思ってみたり。

で、とにかくヒトに会うことを
今月の目標に。なんて考えてたら
手帳には2週間先まで、人に会う予定が
ギッシリ。わー、うれしい★

新しい世界も見て、
きちんと人に感謝できるヒトになって、
欲しいものは欲しいと言えるようになって、
素直な自分になったときに、
何かが得られなかったとしても、

それはそれで受け入れていこう。

現実を受け入れる強さ。
未来を見据える潔さ。
やわらかく生きながら、
たくさんのことを見たい。

さて、今日は妹が東京に遊びにきたので、
はりきって料理を頑張ったら、
キッチンがまるでサウナのように暑い!!

ガスオーブンもガスコンロも全開にしてせいか
まるで蒸し風呂のよう。

「お姉ちゃんのウチはまるでサウナみたいや」

と言われるのも当然。
汗だくになて、ディナーが完成。

トマトのキノコのパスタ
いろいろ野菜とサーモンのマリネ
お豆腐となめこの和風サラダ。

頚椎を痛めてから、料理の姿勢がつらくて
(首を下に向けるのがね)
しばらく凝った料理していなかったけれど、
久々にするとやっぱり楽しい。
そして、おいしい。

私って天才かも♪