8月31日(夜) 「今日で8月もおわりか。。」

私にとって8月は激動のひとつきだったような気が。
毎日、泣いてた時期から思えばだいぶ回復したな。
ようやく見えてきた、トンネルの向うのかすかな光りを
決して見失わないように、歩いていけますように。

欲しいものは、欲しい。
必要なものは、手放せない。

私は結局、苦しむだけ苦しんで、
何も手放せなかったんだけど、
(なくしたものはいろいろあるけれど)
これで本当にいいのかなぁ。。

言いたいことは言いたいし、
自分の気持ちと同じように、
人の気持ちも大事にしたい。

手招きされていると感じるその方向を歩いて、
無理せず、自然に、生きたその上で、
もう一度、選び直すそのときは、

もっとシンプルに、もっと気持ちのよい、
そういう選択ができますように。

私ひとりじゃ、ここまでこれなかった。
助けてくれる人がいて、よかった。


8月30日(夜) 「24時間ネットテレビ終了」

24時間ネットテレビが終了。
今年もあまりお役に立てず、でも楽しかった!


忘れないうちに書いておこう。
昨日、先生に見てもらった将来のこと。

(私の手を見て)

顔も見たことないけれど、
あなたのことをたくさん支援してくれる
人生ですね。

(そうそう、このサイトを通じてもたくさん
 の人に応援してもらってるです)

でも、今、応援してくれる人っていうのは
ほんの一部で、
これから、もっとたくさん増えますよ。

でも、それってずっと前から
決まっていたことです。

あ、少し前は、まわりの人は
あなたが何をやりたいのかわからず
困ったいたようなイメージが見えます。

(そりゃ、私が自分でわからんかったしなぁ。)


今が転機。

これから、2〜3年で大きく変わる。

今までとは考えられない仕事が増える。

今までと同じように仕事をしないでくださいね。
新しいやりかたで仕事を選ぶこと、すること。

波長の高い人とつきあってください。

そうして、その人たちの仕事のやりかたを
見習うこと。

人を写真にとってるんですね。
いいですよ、写真の仕事いいですね。

人に喜んでもらえる。
あなたにあるエネルギーをおしみなく
与えてあげてください。

そのエネルギーは、けっしてなくなることは
ないので、おしみなく、逆に与えることで
あなたはもっと豊かになれますから。

できれば、もっと「感謝」したほうがいいですね。
支持してくれている人に対して。

感謝してる?それって
「私をこんな舞台にあげてくれてありがとう」
と思っているようなところないですか?

そうではなくて、応援してくれている人と
同じ目線にたって。

同じ立場で、感謝してください。
そうすれば、もっとすべてがうまくいく。

その方法を学ぶ本とかもでているけれど、
あなたの場合は、人から学んだほうがいいですね。

いい仕事、いい生活、している人と
付き合うことです。そうして勉強してください。


あなたの人生は、努力したらしたら分だけ、
あなたは成果がでます。

あなたに関しては、努力が報われないとか
そういうことが一切ありません。
よいですね。がんばってください。

あと、あなたはコレって思ったら
何日も寝ないで頑張るところあるでしょう。
それでいつも身体を壊すって出てますよ。
気を付けてくださいね。

あなた、特別、身体が弱いわけでもなく、
そういうムチャなことしなければ
健康なヒトですからね。

わりと、頑固というか、、

自分で決めたルールは必ず守るっていう
意固地な部分、あるでしょう。

私の人生なんだから、私が決める。
何があっても、自分で責任をもつ、みたいな。

でもね、あなたのためを思って
アドバイスしてくれる人の言葉を
もっとよく聞いてくださいね。

その人の立場にたって、
その人が何を思って、あなたのために
言ってくれているのか。

それを考えたら、スッと心に言葉が
はいってくるはず。

心にしみこんでこない言葉だったら、
そのアドバイスをしてくれたことに
感謝すれば、それでいいですから。

愛するというより、愛される人生ですね。
小指の下のところがすごくはってる。のに、
親指のつけねの上は、凹んでる。

でもね、それってまわりまわって自分に損
なんですよね。

もっと人を愛せるようになってください。
そしたら、もっと人を愛せますから。

このへんの運銘線がね、グっときてるでしょ?
これは、周りの人たちの力なんですよ。
あなたの力だけでなく、
周りの人たちの力であなたのこれからが
伸びていくんですよ。

昔、舞台やっていて全然、売れなかった。
そのときは、

自分が伝えたいこと、自分が人に見られること
ばっかり考えてませんでしたか?

(いや、そのとおりですよ)

人に喜びを与えられることで幸せを感じていたら、
もっと結果はちがったはず。

でも、写真で人によろこんでもらえることを
知ったから、大丈夫ですね。

事故や病気(手術)が続いた。
それは、神様がわざと与えた不運じゃないですよ。
なにか得るものなかったですか?

(こんなにもたくさんの人に支えてもらえることに
 幸せを感じました。両親の愛をこれでもか、というくらい、
 痛いくらいに感じました)

それを感じられたなら、もう大丈夫。
これ以上、悪いことは起こりません。

恋愛?

えーと、あなたいいですね。
いくつでも、結婚できますよ。
あなたは、一生、「女」でいられる人です。
うらやましい。。

結婚するなら、できれば社会的に成功している
人がいいんじゃないですか?
これは私があまりいうことじゃないけれど、
そういう方が似合ってるような気がするなぁ。。


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以上、思い出し手相リーディング。

私、もっと勉強します。
私、もっと感謝します。
私、もっと人を愛します。

生きる勇気をありがとうございました。


8月29日(夜) 「今年もやります!?」

夏のお祭り。
今年も24時間ネットテレビ。
起きていられず、朝の4時に
タクシーにて帰宅。

まだまだこれから!

8月28日(夜) 「まわりからみても。」

この前あったときは、
あんなに鬱っぽかったのに、
なんかふっきれたようだね。
薬に頼らなくてよかったね、と。

別に状況は何も変わっていないのだけれど、
気持ちのもち方だけは変わったから、かも。

寂しいときは、さみしいって言う。
欲しいものは、欲しいって言う。

ただの「わがまま」なのか「素直」なのか
よくわからないけれど、

無理をしない生き方を選んだ、私。


8月27日(夜) 「考えることは、」

考えることは、いつでも、どこでも、できる。
起きてる間中、ずっと、ずっと、
考え続けることだって、できるわけで。

私はこの「考える」という行為で
自分自身の首をしめてきたのだな、と思ってみたり。

まぁ、それは自分との「気持ち」の折り合いが
つかなかったり、判断するだけの必要な「情報」が
なかったりしたのが理由だけれど。

わからないことを、自分で考えて想像して、想定して、
いろいろコネクリまわして、さらに考えて導きだした結果
を検証したりして、また考えたり。

私はなんて、疲れる作業をしていたのかしら。

わからんコトは、聞いたらイイ。
言いたいことは、言ったほうがイイ。
言いたくないことは、言わなくてもイイ。
イヤなことは、続けなくてもイイ。

もう十分、考えたので、考えたことを声に出して、
「こうしよう!」って言って、実際に試してみて、
やってみて、ダメだったら、
また違うやり方をそんときに「考える」という
方法のいいのではないかと。

考えてストレスためてやる気なくすより、
やってみて、失敗して、経験値をつむほうが
絶対に楽だし、結果的に近道だ。

人生、そんなに長くはナイんだし、ね。



8月26日(夜) 「ラストプレゼント」

余命2ヶ月。
私ならどう生きるか。

8月25日(夜) 「そうして、こうして」

久々に仕事をして、
心地よい達成感。

少しづつがんばってゆけばよいか。


8月24日(夜) 「そういえば」

あぁ、なんだか胃の調子わるい。
ごはん食べなきゃよかった。

そういえば、この前の占い師さんに
「あなた、対人関係でストレスためやすいでしょう。
 胃腸が弱いので注意してくださいね。」
と言われたんだっけ。
そうだったよ、私すぐに胃にくるんだった。
だけど、こんなの久々。しばらく平穏に生きて来たからなぁ。。

そういえば、最近、人前で食事ができないのも、
ストレスのせいだったのね!!

昨日もほとんど食べられなかったし。
あらま。気付かなかった。。
単に小食になっただけかと。。

ながーいトンネルを抜けて、やっと見えたかすかな光り。
もうね、考えなくてもいいんです。
考えてやっと、自分に必要なモノがわかったので。

もうね、悩まないンです。
悩んだところで、どうしようもないことが
よーくよーくわかったので。

後はね、疲れ切った頭と身体を癒すんです。
相変わらずムチ打ちで痛い身体をやすみやすみ、

う。きぼちわる。。
ドン底からようやく抜け出しました。



8月23日(夜) 「ごめんなさい。」

この週末、孤独に耐えられず。
残念!!申し訳ない。。


台所を掃除して、お風呂を掃除して、
トイレを掃除して、枕やシーツやお布団カバー
なんかを全部、新しいのに取り替えて
ひたすら新しい気持ちに切り替えようと
努力したものの、努力したってどうしようも
ないこともあることに気付き、愕然。

どっかの脳神経がおかしくなったのかしらと
思うくらいに、起きている間は、
どーーーーーーしようもない、孤独感。

このままじゃ、死んじゃうと思い立ち、
すがるようにかけた電話。
情けないコトいっぱい言って、
電話口でワケわかんなこと泣きじゃくって、

あぁ、私、何やってるんだろ。。。


そんな私の様子を見かねて、
外に連れ出してくれたのは白馬の王子様!
(に見えてしまうのはどうしてかしら)

「私もうアカンわ、この先に楽しいことなんか
 何にもあらへんし、私なんか生きていたって
 しゃあないわ、びーーーーーー(泣)」

という私に、

「あのね、とよみちゃんはキレイだから
 幸せになれるに決まってるよ!!」

と言って慰めてくれた彼。

「知ってる?女の子の一生の幸せは
 生まれたときから決まっているんだよ。
 残念ながら、どんなに頑張ってもブサイクは
 幸せになれない。だけど、とよみちゃんは
 そうじゃないから、きっと幸せになれるよ!」


なんだかよくわからないけれど、ちょっと元気が出ました。






8月22日(夜) 「もう疲れちゃった」

ここ3ヶ月くらいの
自分の吐き出した言葉を見て、
自分で自分にうんざり!!!

自分で自分にうんざりするくらいなのだから
見ている人はもっと「げんなり」するでしょう。

私が悩んだり、葛藤したりしたのは、
「私がしあわせになりたい」からであって、
何ひとつ、周りの人にはいい影響を与えてないなぁ。。

もう、疲れました。考えることに。

昨日、初めて、生身の人間に対して、
「どうしようもない気持ち」をぶつけてみた。

ここで書いたって堂々めぐりなモノを、
人に対してぶつけたって、どうなるわけでもないと
思っていたけれど、もう自分ではどうしようもない。

本当は色んなことに、自分でけじめをつけて
自分で決めたことを、なんなくやり遂げるカッコイイ女で
いたかったけれど、そんなのは所詮ただの理想なわけです。
(もう完全にあきらめモード)

私の中にあるのは「こうしよう!」という明確な意志ではなく、
「どうしたらいいの?」という、混沌とした迷いと。
「こうしたいなぁ。。」という、かすかな希望。

でも、それを口に出す言葉にすることで、
不思議と心が、すーーーーーーーーーっ、と
軽くなっていくのを感じたのです。


「誰も私の本当の気持ちをわかってくれない」

っていう、変な思い込みから少し離れられたのが
よかった。すごく嬉しかった。




8月21日(夜) 「真実は闇の中」

死にたいくらいの憂鬱が
少しづつ「寂しさ」に変わっていきます。

今は、これをヒトリでギュっと抱き締める。
あぁあ、ヒトリって寂しいなぁ。。

私が真剣に向き合った未来は
憂鬱と不安の固まりでした。

「このまま、生きていたってしょうがない」
とさえ思わせるほどの、「憂鬱な未来」を
キッパリ、スッパリと捨てました。

そうしたら、これからのことは、わからないけれど、
「憂鬱ではない未来」が来るかもしれないという
可能性が私に残りました。

それは、それで、素晴らしいこと。嬉しいこと。

でも、残ったのはそれだけ。
あんなにあんなに努力もしたのに、
いっぱいいっぱい我慢もしたのに、
あのエネルギーって一体、なんだったんだろう?

子宮の手術跡を見る度に、きっとそのことを
思い出すに違いありません。
別にアテツケのつもりはなかったけれど、
これだけ苦しんだことを、もっともっと、
理解して欲しかった(って今も思ってる)


で、やたらめったら寂しいンですが、
これは一体どうしたことでしょーか。

とりあえず、部屋の大掃除を始めました。
台所を真剣に掃除して、今から布団とか丸洗いするんです。

新しい生活を始めるんです。私は!





8月20日(夜) 「少しだけうごいた、こと。」

アレは、アレで、コレはコレ。
それもこれも、どっちも一緒にしては
いけない。できない。

あぁ、「普通」ってそういうことなのかと
改めて、(聞いて)わかってやっぱり今までの
「普通ではない」状態のツラさをしみじみ
感じちゃった。

私が、「普通」にできるかどうかは
ものすごく心配だったけれど、そんなのは全然
気にすることでもなく。

それはそれで「大切な思い出」が増えた
ということで、あまり今は考えないようにしてっと。

手放すか、手放さないのか。
物事はシンプルに「好き」か「嫌い」かで
判断すればいいんだよ。って言われたけれど、

「そんなのは、全てを手に入れた人が言える
 セリフですよねぇ。。。。。」

と、言いかけてやめておいた。

何が「好き」で何が「嫌い」なのか
私には全くわかりません。
自分の感情なのに、自分で全く自信がもてません。

逃げたいんです。向き合いたくないんです。
もう、これ以上、苦しみたくはないんです。お願い。








8月19日(夜) 「ツライしんどい悲しい」

東京を離れていた数日間はあっという間で、
また、今日からひとり暮らし。

誰かがそばにいるときはなんとも
思わないのに、ヒトリになると
なんでこんなに寂しいのかしら。

私、やっぱり、ヒトリじゃいられないし、
あんなに必死で、前にすすもうって決意
したけれど、やっぱりコワイ。

「そんなことぐじぐじ悩んでいたって
 しょうがないよ」って言われても、

泣きたいときは、泣きたいし、
どんなに強がっても寂しいんだから
しょうがない。

私、やっぱり、お風呂に花びらを散らして
くれた人が好きだわ。


8月18日(朝) 「行って来ます。」

さて。お江戸に戻りますか。
私の未来のステージへ。

8月17日(夜) 「心の整理を占いでしてみる。」

実家での最終日。
今回の帰省の目的は、
「とにかく、元気になること」
「自分の心を取り戻すこと」
「これからの方向性を決めること」
だったんです。

で、たくさん愛情ももらったし、
たくさん楽しいこともしたし、
あとは、これから自分がどう動くかということ。

とりあえず、美容院に行って髪の毛を切った。
トリートメントで髪をチュルチュルにする。

もう、考えることは全て考えました。
もう、悩むことは全部、悩んできました。

あとは、誰かに背中を押してもらうだけ。

ということで、有名な占いどころへ。

まずは1件め。

手相と名前。生年月日で見てもらうことに。

とりあえず、お決まりで恋愛のことをおたずね。
手相を見て、

「あなた、今まであまりにも、よくない男性と
 付き合いすぎましたね。長く続いた人がいるでしょう?
 これがイチバンよくなかった、あなたにとっては。
 早く別れればよかったのに。」

あのう、自分でもわかってることを人から指摘されると
なんで、こんなにむかつくんでしょうか?
しかも、心底、後悔してることを言われるとキツイ。
別れたくても、別れられないことだってあるんですよ。
いや、そんな昔のことはもういいんです、トラウマだけど。

で、これからの私ってどんな感じなんですか?

「あなた、若く見えるし目も大きいし大丈夫ですよ。
 うん、笑顔もいいですね、これからはきっと
 いい出会いがあるんじゃないですか?
 いつもそんなカッコしてるの?
 似合ってるしいいと思いますよ。」

えー。センセイ。それって外見での判断ですか?
なんか適当な気がするんですけれど。

いろいろ話しを聞いたけれど、人生相談みたいになってて、
占いの先生のアドバイスが、当たり前すぎて、
それは占いからしてそうなのか、人間としてそうすべきなのかが
微妙で曖昧で。

あと最後に言われたのが、

「あなた、不倫に向いてますよ。気を付けてくださいね!」

なんかよくわからないけれど、とりあえず、
ありがとうございました!ってことで、
こりずに、2件めの占いに行く!


ここでは、生年月日と名前。

「あなた、対人関係があまり上手ではないですよね。
 人の集まりに顔を出すのあまり得意ではないですよね。
 それで、ストレスをためる、よくないですねー。」

センセイ。あのですね。
確かに、対人関係はモトモトは得意じゃないけれど、
大人になったし、社会人だし、人と会うのは好きなので、
笑顔と愛嬌で「努力に努力を重ねて」そのへんは
カバーしてるんですよ。確かに無理してるから
ストレスはたまるけれど。

「だから、そのストレスをためるのがよくない。」

はぁ、、よくないって言われてもどうすれば。。
だからストレスためないように
適度に息抜きするように心がけてるんです。。
自分の欠点は自分でよくわかってるし、
努力でなんとか乗り切っているので。。

そんなことより、これからの私は?

「お酒、のまない方がいいですね。
 人が変わるでしょ?そんなに安売りしちゃ
 いけませんなぁ。。」

あのぅ。そんなことも自分でよくわかっているので、
17のときに、禁酒しました。
それ以来、男の人の前で飲んだことはないのですが。
おかげさまで、無事故です。鉄のガードで。

なんだか、しょうもないダメ出しばっかりされてばっかり。
自分のことは自分がよく知っているので、
これからの自分が知りたいの!


私、恋愛できますかね?という問いに対しては


「11月まで恋愛運がいいので、がんばってください。
 でも、アナタのようなタイプはヒトリでいたほうが
 楽じゃないんですか?」


そっかぁ!私はやっぱりヒトリでいるのが
いんですね!ってオイ!


「私、結婚できますかね?」

「するなら、今年中がいいです。」

って、そんなん無理に決まってるやん。。
恋愛についてのアドバイスを求めたところ


「あなたねぇ、暴力男を呼び寄せるところが
 ありますよね。肉体暴力、言葉の暴力を振るう
 男性に縁がありませんでしたか?
 あなたがそういう人を呼び寄せていることを
 忘れないでくださいね。」

いや、このへんの男運の悪さって
自分に原因があるのではないかと思っていたけれど、
やっぱりそうですか。。かるーくショック。
まさに、だめんず。

でも、何年も前に失敗しているので二度とそういう人は
選びません。

「あとね、あなたねぇ、熱しやすく冷めやすいタイプですね。
 あなたの場合、付き合った時点がピークでそのあと
 下降気味ですよね。それではいけませんねぇ、
 治してくださいね。」


って、センセイ。

私の生年月日と名前でそういう数字が出ているのであれば、
私はその性格をどうやって治せばいいというのでしょ?
性格って努力で変わるもんなのか?

付き合った時点で、ジョジョに冷めていっても、
また、これも努力でカバーでしょう。大人なんだし。
冷めていく気持ちに気付きながらも、
がんばって、がんばって、相手を好きでいる!
はぁぁ。これが実に、しんどいです。

「あなた、本当に無理をして付き合う人ですよね。
 無理しちゃだめですよ。」

えーと、センセイ、矛盾しています!(私の中で)

「一緒にいて、あなたが無理をしないでも
 そばにいられる人を探してください。
 苦しいときに助けてくれる人。
 必要な時にやさしくしてくれる人。
 こういう人を見つけてくださいね。」


って言われて、そう言われて、
今までの付き合いって、私がしんどいときに
余計に苦しめてくれる人とか、
必要なときにそばにいてくれない人とか、
私が弱っているときに、心配しすぎて、
私を困らせる人が多かったなぁ。。。

といろいろなことを思い出して、

もし、本当に、

私が苦しいときに、そばにいて
助けてくれる人と出会えることができたら
どんなにか幸せだろうって

そう思えたら、なんか切なくなっちゃった。


「そうだ、私、東京にいててもいいんですか?」

という問いに対して

「あなたは、お父さん、お母さんの愛情をたっぷり受けて
 いらっしゃいますから、どこにいても大丈夫ですよ。
 東京でも、北海道でも、沖縄でも。海外でもいいです。」

これは嬉しい!これで、心おきなく東京に戻れる。

「写真の仕事って向いてますかね?」

「向いてますよー。あなたは人と人との中継役になる
 仕事が天職です。写真はそのものですね。」

やった!どおりで、自分自身を売り物にする商売が
うまくいかなかったわけだ。
役者やっても売れなかったモン。

「引っ越しするなら、来年の4月。
 契約は3月中にすませること」

そっかぁ、なるほど。

占いって、自分の性格はわかるけれど、
これからのことって実は、見えないんじゃないかと。

なんだかなぁ、元気が出たような、
自分の問題点ばっかり言われて凹んだような。

どうせなら、もっと誉めてほしかった。。。。




8月16日(夜) 「しあわせっていっぱいあることに気付く」

高速にのって、山奥までドライブ。
とある牧場テーマパークへ。

ウマにのったり、アーチェリーしたり、
ひつじをみたり、ソフトクリーム食べて、
フランクフルト食べて、楽しいことを
嬉しいことを、いっぱいいっぱいする!

遊ぶだけ遊んで、家に帰って、
お母さんに、

「ただいま!今日のごはんは何?」

って聞いて、家族5人で食卓について、
お母さんの栗ご飯を食べて、

私は、ホントに、ホントに、
こんなにあったかい家族に囲まれて、
こんなに愛されて、幸せだなぁ。。。
生きていてよかったなぁ。。

って思ったんです。

最近、「生きててよかった」と
思うことが多い。

なんとか立ち直れそうだ。

お父さん、お母さん、ありがとうね。
だけど、そばにいられなくて、ごめんね。

もうすぐ、やっぱり東京に帰るけど。



8月15日(夜) 「家族と一緒に過ごしたり、友達と遊んだり」

さて、お父さんとお母さんと
妹と一緒にお墓まいり。

昼からは親戚の宴会。
おばあちゃんが90歳の誕生日を迎えた。
おめでとう。もっと、もっと長生きしてね。
おばあちゃんに、いつか、きっと
恩返しするからね。

親戚の宴会は夜まで続き、いいかげんに
疲れた私は、地元の男友達を誘ってデートへ。

2コも年下なのに、器が大きいなぁ、と
いつもながら感心してみたり。

家まで送ってもらって、そのあと、また
妹と一緒にドライブに行く。

一秒たりともヒトリではいられない。







8月14日(夜) 「海を見た。東京とは全然ちがうんだ。」


片道6時間かけて、日本海の海岸へ到着。
よく頑張った>私

白波が立つ波に身を任せて、
何も考えずにひらすら、はしゃいで。
おいしいごはんを食べて、夜になったら
旅館の非常口から抜け出して、浜辺で
満天の星を見た。

本当に、本当に、キレイで、
久しぶりに「心」が動いた!

東京で見るカッコつけた夜景も好きなんだけれど、
田舎で見る夜景の素晴らしさにはかなわない。

空が真っ黒!(東京のはネイビー)
星がたくさん!(東京はあんまし見えない)

ネオンの美しさよりも、星の輝き。

あぁ。こんなにキレイな景色があるのなら、
あぁ、こんなに、幸せな瞬間があるのなら、
もうちょっと、もうちょっと、頑張れるかな。
生きていたら楽しいこといっぱいあるのね、
ってそういうふぅに思った。

流れ星を発見!

「幸せになれますように、幸せになれますように、」

今は、私にとって、何が「幸せ」なのかわからないけれど、
ただひたすらにそれを祈る。

私が何を選んだとしても、私が何を選ばなかったとしても、
そのむこうには「幸せ」がありますように。
そしてそのことを信じられる自分でありたい。







8月13日(夜) 「旅立ちは明日!」

帰省ラッシュの新幹線にのって。
とりあえず、実家に帰ってきましたよ。
お母さんにいろいろ話しをしたかったけれど、
うるさく言われるのがうっとうしかったので、
早く寝ることに。

明日はね、7時に起こしてちょうだいね。



8月12日(夜) 「しばらく旅に出ます、ね。」

あぁ、なんで私はこんなに重たい「気持ち」を
ひとりで抱えて悩んでいたんだろう、と
今さらながらに思います。

こんなに重くなりすぎて、その重さに
自分が逃げ出さずにはいられなくなる前に、
誰かにこの苦しい胸の内を聞いてもらうことができたら。。

素直に泣いたり喚いたりして、
ちょっとくらいカッコ悪くても、
本音でぶつかり合えていたら、
また、結果は違ったのかもしれない。

そんなことを思い直しても、もう仕方ない。
だって、頭ではいろいろ考えることはできても、
心がこんなに、固く固くなっているんだから。

メールが届いて、それを読んで、どんな言葉がそこに
あっても、全然、心が動かない。

今までに感じたことのない「寂しい」感覚が
自分の体を支配しているのを、とっても
不思議だなぁ、と思っています。

家族にすら理解してもらえなかった
自分の気持ちを、他人に受け止めてもらえる
はずがない、っていう根本的な思い込みが、
はやく、消えてなくなりますように。

この場所にしか、本当の気持ちを書けない
情けない私がいつかもっと、リアルに近い言葉を
誰かに話せるようになりたいなぁ。なんて。

本当は東京にいたいんだけど、(すごく、すごく)
東京にいてもやっぱりツライこともあるので、
新幹線のチケットとお休みをもらって
実家に帰ることにしました。

で、お盆だったりして、本家の実家ではいろいろと
親戚が集まったりしてコレマタ、
面倒なこと、この上ないので、傷心旅行にでも
出かけてみようかと。

行き先は日本海。丹後のあたり。
スーツケースに入れたモノチェックリスト

新しい水着
デジカメ
ビーチサンダル
日焼け止め
ビーチボウル
うき輪
ゴザ
新しい下着!
リゾート用のワンピース!

それから、○○○○○!!!

体は相変わらず痛いけれど、きっと楽しい
夏休みにしてみせるわ。



8月11日(夜) 「なんて忙しいのかしら。」

頭と体、相変わらず痛いまま。
心、なんとなく固まったまま。

昼間、リハビリに行こうとぼんやり歩いていたら、
「おっと、危ない!」
バランスを崩しコケそうになりました。
これ以上のケガは本当に勘弁。

ナイスなタイミングで、私を支えてくれたのは
サラリーマン(には見えない)だと思われる
オジさん。

あぁ、残念。
傷心の私に神様がプレゼントしてくれた
王子様ではなかったのね。

「あ!すいませんでした!」
とそそくさと、その場を立ち去ろうとする私に
つきまとうオジさんは、

これからどこに行くの?
病院に行くの?頚椎の捻挫?
それは、災難だったねぇ、僕も追突されたことが
あってね、いやぁ、あの時は大変だったよ。

と、どうでもいいコトをひたすらしゃべり
続けてる。助けてもらったこともあって、
邪険にもできず、適当に相づちを打つ私。

今度、会ったらパーティーしようよ。
快気祝いだよ、お祝してあげるよ。
連絡先教えて、携帯番号は?ね、番号教えて!
ダメなの?ね、なんでよ。
タイプじゃないから??



あまりにも、しつこいのと、
「お祝してあげる」なんて言葉が無性に
カンにさわったので、


「うるさいよ!エロジジィ!」


と言ってやろうかと思って、
向き直ったはいいけれど、

その時、ふと気付いてしまったのです。




私、今日はお化粧をしていない。。



ブサイクに偉そうにいう権利はないと思い直し、
愛想よくニッコリと。「ごきげんよう」と言って
足早に立ち去りました。

私、一体、何やってるんだろう。




後ろを振り向きたくもないし、
前にも進みたくないし、

周りはいろいろとうるさいけれど、

ただ、なんとなくここで、

「待っている」のです。




8月11日(夜) 「なんて忙しいのかしら。」

頭と体、相変わらず痛いまま。
心、なんとなく固まったまま。

昼間、リハビリに行こうとぼんやり歩いていたら、
「おっと、危ない!」
バランスを崩しコケそうになりました。
これ以上のケガは本当に勘弁。

ナイスなタイミングで、私を支えてくれたのは
サラリーマン(には見えない)だと思われる
オジさん。

あぁ、残念。
傷心の私に神様がプレゼントしてくれた
王子様ではなかったのね。

「あ!すいませんでした!」
とそそくさと、その場を立ち去ろうとする私に
つきまとうオジさんは、

これからどこに行くの?
病院に行くの?頚椎の捻挫?
それは、災難だったねぇ、僕も追突されたことが
あってね、いやぁ、あの時は大変だったよ。

と、どうでもいいコトをひたすらしゃべり
続けてる。助けてもらったこともあって、
邪険にもできず、適当に相づちを打つ私。

今度、会ったらパーティーしようよ。
快気祝いだよ、お祝してあげるよ。
連絡先教えて、携帯番号は?ね、番号教えて!
ダメなの?ね、なんでよ。
タイプじゃないから??



あまりにも、しつこいのと、
「お祝してあげる」なんて言葉が無性に
カンにさわったので、


「うるさいよ!エロジジィ!」


と言ってやろうかと思って、
向き直ったはいいけれど、

その時、ふと気付いてしまったのです。




私、今日はお化粧をしていない。。



ブサイクに偉そうにいう権利はないと思い直し、
愛想よくニッコリと。「ごきげんよう」と言って
足早に立ち去りました。

私、一体、何やってるんだろう。




後ろを振り向きたくもないし、
前にも進みたくないし、

周りはいろいろとうるさいけれど、

ただ、なんとなくここで、

「待っている」のです。




8月10日(夜) 「それは、それ。これは、コレ。」

うわーーーーーーーーーーーーーーん。

と、泣いてしまいたい気分なのですが、
泣ける場所もなく、泣かせてくれる人も
見当たらず。

あぁ、こんな時こそ孤独を満喫しよう。

しょんぼりとヒトリの家に帰って、
カギを開けて、電気つけて、テレビつけて、
ごはん食べて、洗濯物をたたみながら、
過ぎてしまった日々を思い返しているのです。
あぁぁぁあぁぁああああ!!!

冷蔵庫のトマトを見ては涙ぐみ、
使いかけのシャンプーを見てはため息をつき、
なんだかやるせない気持ちでいっぱい。


最後の最後まで、泣かなかったし、
(つーか、泣けなかったよ)

最後の最後まで、責めなかったし、
(事実を並べただけなんですよ)

最後の最後まで、やさしくできたし。
(やさしさの意味さえわからないままに)

これでよかったと、これでよかったんだと。
そう思っています。

言いたいことは言っていたし、
伝えたいことは、言葉にしていたんだけど、

「伝わっていなかった」という事実が
あっただけです。ショック。

あんなに、あんなに、「言葉」を選んで、
「心」を大切にして、いたわりあって
「時間」を重ねてきたつもりだったのに、
なんで、こんなことになるかなぁ。。

そうだよなぁ、お互い、本当に
思いやって生きてきたのになぁ。。
ただ。根本的に都合のよい解釈をしていた、と!


どっちが悪いとか、そういう問題じゃなくて、
私はただ純粋に悔しくて、悲しくて、
情けない気持ちでいっぱい。

でも、最後に「自由」をありがとうって感じです。
今までの中で最高にキレイな形でした。



だけど、だけど。。



喧嘩になってもいいから、
感情をむき出しにすればよかった。

嫌われてもいいから、
本気で怒ってあげればよかった。

誰よりも、優しくしてもらった分、
優しくしていたんだけど、結果がコレじゃぁ、
どうしようもナイ。


それも、全部、全部、予め
言っておいたことなんだけどな。

感情的になれないし、
怒っても顔には出さないけれど、
私が言っていることは、本気で深刻で、
切羽詰まっていることだからね。
あとで後悔しても、そん時は遅いからね。
私がどっか向いたときは、もう絶対に
向き直ったりしないからね、と。


あぁ、もう、心の行き場所がどこにもないよ。
あぁ、もう、誰の前でも泣けないよ。



8月9日(夜) 「人生は二者択一ではない。」

>どんな気持ちで、その言葉を言ったか。
>どんな状況で、その言葉を選んだか。

>考えればキリがないけれど、
>最後の最後に記憶に残るのは「言葉」なんです。

と、書いてみたのは、昨日の気持ち。

でも、その「言葉」を信じて、ここまでなんとか
やってきて、信じることで救われていました。
信じていられる間は、とてもとても幸せだった。


今ではその「言葉」を素直に信じられないことが、
ものすごく情けなくて、悔しいのです。

やだなぁ、もう、疲れちゃったよ。

その、決意表明って一体、なんなんですか?
今まで、守られなかった約束の言い訳はもう
聞きたくないので、今回の約束を守れるであろう
その根拠を教えて欲しい。

ってことを言う元気もなく、ただひたすら
ヒトリの時間を満喫してました。

スパイダーマン2を見て、お茶を飲んで、
公園を散歩して。

でも、やっぱり「ヒトリ」って寂しいなぁ…
なんてことを考えると、
優しい嘘にすがってみようかな、なんて
気にもなります。

いやー、でも、
なるようになれ!

と自暴自棄になってみたほうが
意外と気分が楽なのかも。



(以下ネタバレ注意)



結婚式をすっぽかして、彼の元に走ったMJ。
彼女の未来はどうなるのかが気になります。

彼は「任務があるから、一緒にはいられない。」と言ったのに、
どうして目の前にある、安定である「結婚」を捨ててまで、
彼の元に走ったのか。彼のリスクを一緒に背負うことを
決断できたのか。

これも、「愛」のチカラなのかしらん。
彼女のこの先の人生が、幸せでありますように。

自分で決めたことなら、納得できるよね。


8月8日(夜) 「ひたすら眠り続ける」

家に帰って、なんとなーく。
ごはんを食べる気力も元気もなく、
ただ時間を過ぎるのをぼーーーーーーっと。

寝る直前に1本の電話で起こされて、
「今から寝ようと思ってたんだ」という話しをして、
電話を切って、気がついたら、朝になっていて、
いつもとは少し違う光景が目の前にありました。

あぁ、そこにいたんだ、みたいな。

人の「優しさ」ってなんなんだろう?って
最近はよく考えます。

「向き合う強さ」と「受け入れる度量」のない
あの人の、聞き心地いい言葉を、
ずっと聞いていたような
気がします。

でも、その「言葉」はとても、とても好きでした。

やっぱり「言葉」にするということはとっても大事で、
どんな状況で、どんな気持ちで発したにせよ、
「言葉」は、相手に何かを伝えられる、究極の形ですから。

「言わなくても、わかるだろう?」なんてそういうの
あんまりアテになりません。自分の感覚で推し量れるほど
自分に自信なんてありません。

信じる、信じないって、やっぱり、その人が私に何を
約束してくれたか、だから。

どんな気持ちで、その言葉を言ったか。
どんな状況で、その言葉を選んだか。

考えればキリがないけれど、
最後の最後に記憶に残るのは「言葉」なんです。


「他に好きな人ができたのなら、言ってね」

この言葉って、優しいのか残酷なのか、
考えれば、考えるほどよくわかりません。

「何も言わない」ことで、何かが伝わると思ったら、
大間違いです。

せめて、「何も言わない」と決めたら、そのことを、
伝えて欲しいと思いました。理由なんていらないので。


8月7日(夜) 「憂鬱なこと/楽しみなことリスト」

相変わらず背中と頚椎が痛い。
去年と同じかそれ以上の症状。
パソコンに向き合っては少し休むのくり返し。
作業効率、悪いなぁ。。

モヤモヤしている気持ちをスッキリ
させるために、自分の抱えている心配ごとを
リスト化してみるコーナー。
そして、今の気持ちをそのまんまに、かいてみる。

▼憂鬱なこと

・右手が腱鞘炎になりました。
 多分、頚椎で神経が圧迫されているから?

・お盆の間、病院でリハビリできないので、
 体がひどく痛むであることが予想できること。

・京都の丹後に友達と海水浴の旅行に行く
 計画に体がついていかないかもしれないこと。

・すごく残酷な現実を告げなければいけないこと。

・今回の事故で、前回の追突事故の後遺症診断が
 受けられないかもしれないこと。

・自分の中の言い訳が、つじつま合わなくなっていること。

・たくさんの人をまきこんで、「やめ」にしなければ
 いけないことがあること。


▼楽しみなこと

・引っ越しをする。

・新しい家具を買う。

・しばらくヒトリ旅にでて、自分を見つめなおす。

・新しい服を買って、新しいクツを買うこと。

・海で新しい水着を着ること。

いろいろ考えて、いろいろ悩んで、今、自分の
周りにあるものを、すべて、選びなおすことにしました。

▼今、考えていること。

仕事はこれでいいのか、
将来設計に無理はなかったか、
住むところはここでいいのか、
日本で暮らしたいのか、外国がいいのか、
私のやり方は間違ってなかったか、
本当に欲しいものはなんだったのか。


「欲しいものが一生、手にはいらない」かもしれない、
残酷な現実を目の前にして、思い直しました。

私が欲しいのは、「形式」でも「契約」でもなく、
ホントに「あったかい」と感じられるモノです。

「欲しいものが一生、手にはいらない」かもという不安は、
どれだけ私は憂鬱にしたかわかりません。

私だけの努力では、私の裁量だけでは、
どうにもならなかったという事実が、とても悔しいです。

でも、それと同時に、
「私が頑張ればなんとかなる」と考えてた自分に
嫌気がさすのです。
なんておこがましいのだろうと。

「我慢している」「素直になれずにいる」自分に辟易しました。
そうして、こんな自分に成らざるを得ない「環境」を
スッパリと切り捨ててみようかなと、決意したのです。

でもなぁ、、人の気持ちだけは、ナマモノなので、
スッパリ,キッパリとはいかないのが現実で、
私がしたのは「決意」だけで、実際には何も
動いてはいないので、それが、また憂鬱。憂鬱だなぁ。。



8月6日(夜) 「痛くて」

一体、どれほどまでに不器用なんだろう。
体が痛くて、痛くて、痛くて。

でも、痛いのは体だけじゃない。


8月5日(夜) 「頭はグルグル、身体はイタイタ」

完治していない頚椎にとって
今回の衝撃はどれほどのものだったのかしら。

こんなときこそ、アイツに聞いてみよう!と
地元で保険業をしているK君に電話を。
彼の話しによると2度めの頚椎捻挫というのは
最初に比べて、相当痛い、と。
さらに、回復もかなり時間がかかるから
覚悟しておきたほうがいい、と。

それを聞いた瞬間に目の前が真っ暗になりました。
さて、今日も当然のようにリハビリへ。
まぁ、はっきりいって気分は最悪です。
でも、この現実を受け入れる他ないのです。

お医者さんに診断書を書いてもらいそれを
ビルの管理会社に郵送。保険屋との交渉がまた
新たに始まる予感。できたら、保障してください。
そんな感じ。

もし、私が恋をしていたとして、
もし、その人と会うことになっていたとしたら、
私は、どんな言葉で、どんな顔でこの状況を
伝えるんだろう。


嫌われたくないので、負担になりたくないので、
多分、元気なフリをして、精一杯のつくり笑顔。
心配しないで大丈夫!私は強いから大丈夫!と。
こんなにドジな私でごめんね、気にしないでね、と。

でも、その反面で、
甘えたい、なぐさめてほしい、励ましてほしい!と
願う自分もいるわけで。
思い通りのやさしい言葉がもらえないことに
ちょっとイラだってみたり、思いがけないやさしい言葉に
涙しちゃったりするのかしら(想像)

誰の前でも、精一杯、自分を演出して、
生きてきたような気がするなぁ。。

こんなナマナマしい感情を、生身の人間に
ぶつけるわけにはいかないので、
私はひたすらここに吐き出すしかないんだけれど、

いつか、こんな強がりな私も含めて
愛してくれるヒトができたらいいなぁ、、とそう思いました。

まぁ、つまり、なんというか、今はとっても寂しいです。
誰にも頼ったり、甘えたり、弱音をはいたりできない自分が。

誰かに愛されたいけれど、結局自分は、自分のことしか
考えられない人間なのかな、とも思います。

背中が痛いです。今夜も眠れそうにありません。



8月4日(夜) 「人生波乱万丈」

去年の追突事故に引き続いて、
また今年も不慮の事故で頚椎捻挫。

それも、追突事故の賠償の相談を弁護士さんにしにいって、
「後遺症診断をとって、これで決着しましょう!」
という話しの直後(それも10分後くらい)に、
事故に遭うなんて。。。


なんで、私ばっかりこんなにおもしろほど
不幸な出来事に遭遇してしまうのでしょう。
「笑いの神がおりたきた!」とよく表現することが
あるけれど、私にはなんか貧乏神がついているような。

で、おもしろいのは(おもしろくないんやけど)
とにかく、痛いこと。首が背中が痛い、痛い。
頭痛と吐き気がすごい!すごい!
手が痺れています。目の調子も悪い。

もうね、昨日より今日、痛いんです。
さっきより、今が痛いんです。

「しばらく安静にしてください」と
お医者さんにいわれたけれど、一体どうしろと?
昨日の夜も、湿布をして飲み薬も飲んで、
じっとしてるんだけど、神経が高ぶって眠れず。

あーー、もう、ホントに。
悲しいなぁ、くやしいなぁ、みっともないなぁ。。
こんな話し、誰にもできひんしなぁ。。

おかあさーーーーーん。
おとおおさーーーーーーん。

助けてほしいよぉ。
首が痛いよぉ。
背中が痛いよぉ。
こんな時に仕事なんか行きたくないよぉ。

掃除・洗濯できるわけないよぉ。
ごはんもつくりたくない。
弱音、はかせてほしいよぉ。

バカみたいだけど、なぐさめてほしいよぉ。。

せっかく、リハビリも終わって、手術も終わって、
健康な身体ってありがたい、どこも悪くないって素晴らしい!
そう思っていたのに、また病院通いが始まっちゃったよ。

もう、ねぇ。。病院通いは疲れたよ。
健康な身体、返してほしいよ。どこも痛くない身体に
今すぐ戻してほしい。

痛いなぁ。。首が背中が痛いなぁ。。

私、なんか、生き方、間違ってたかなぁ。
人に迷惑かけて生きていたりしていないつもりだったんだけど。

お父さんとお母さんの、気持ちを裏切って
東京にでてきたことが間違いだったのかなぁ。
それで、神サマが私にバチをあててるのかなぁ。。

なんの心配もしないでいい、ふかーーーーーい
「愛」に包まれた場所で、泣かせてほしいなぁ。。
(そんな場所はどこにもないけれど)


負けへんでー。負けへんでー。

私はー、東京でー、ひとりでー、たくましくー。


生きていけるかな?これからも頑張れるかな?

正直、今のこの瞬間は自信がない。







8月3日(夜) 「これから、おもしろい話しをします。」

昨年の9月、追突事故に遭って以来、
リハビリをくり返しなんとか私のカラダも、
元の状態に近くなってまいりました。

未だに週に一度のリハビリがないと少し不安だけれども、
長時間のパソコン作業もツラくない。
以前ほど疲れやすくもない。この事がとても、うれしい。

ということで、そろそろ、あの追突事故に決着をつけても
いいのではないかと思い、本日は交通事故紛争処理センターへ。
担当の弁護士のセンセイと相談したところ、
症状固定日をつくるため、やはり「後遺症診断」をした方が
いいとのご指示。次回の相談は10月。

この1年近く、長かったなぁ。。
保険屋さんとのやりとりや、リハビリ通いで面倒な思いも
たくさんしたけれど、健康のありがたみや周りの人の
親切にすごく感謝できたので、すごくいい経験だったかも。

そんなことを思いながら、センターを後にした帰り道。
「これで、事故やリハビリともバイバイだわー。」
晴れやかな気分で、エスカレーターにのって、大きく深呼吸。
すーーーはーー。




まさにその瞬間!






ドーーーーーン






という大きな衝撃音とともに、
一瞬、私の身体が宙に浮いたような感覚がありました。
それに続いてけたたましく鳴り響く非常ベルの音。
頭が大きく後ろにそれ、バランスを崩した私は
慌てて身体の体勢を立て直します。


何ごとかと、
後ろを振り返ってみると台車でエスカレーターに
乗り込もうとしている女性の姿が。

どうやら、エスカレーターの緊急非常停止装置が
作動した模様。あぁ、びっくり。
それにしても、この停止の仕方はすごく乱暴だったわ。

それ以上にビックリしたのは、しばらくすると
追突事故に遭った時と同じ症状が私の身体にあらわれたことです。

頚椎の痛み、頭痛、吐き気、めまい。。。。


…も、もしかして、これは、





「リハビリ生活、振り出しに戻るの巻!?」





神様、勘弁してください、マジで。
センセイ、痛くて眠れません。
お母さん、東京はやっぱり厳しいよ。








8月2日(夜) 「さらに、いろいろ考えて」


この3年という長い間の期間、
私は自分の「やり方」を守ってきたけれど
本当にそれは正しかったんだろうか?

「あるモノ」が欲しくて欲しくてしょうがなくて、
努力してきたんだけれど、頑張れば
頑張るほど空回りして、結局まだつかめないまま。
もっと早くに方向転換してればよかったのかなぁ。

何度も何度も書くけれど、
手にはいりそうではいらないモノのために、
これ以上、努力するのは精神的に辛くて、

とはいうものの、
「もう無理だ」とあきらめてしまうのは、
もっとツライのです。


と堂々めぐりで、自分会議が続きます。

私の人生って、一体なんだったんだろう?
とひたすら考えているのですが、
こんなこそ、WEBで残っている自分の心の
つぶやきに耳を傾けてみるべきではないのか、と

2年前の日記で、こんなことを書いていました。


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2002.8.5



以前からずっと会いたかった人と待ち合わせ。
聞きたかったことはいっぱいあったけれど、
話せば話すほど、知りたいことが増えた。
もっともっと知りたいって思えた。


「あのね、私はたくさんの方法で自分を表現したいの。
 その方法を限定したくもないし。誰かに縛られたりしたくない。
 でもその"自分"が大きくぐらついたとき、
 どうしようもなく不安定になる。で、自分を語る言葉がうまく
 見つからない。伝えたいテーマがありすぎて絞りきれない。
 核となる部分がつくりこめてない。

 あなたのように、自分のフィールドをきっちりもって、
 伝えたい明確な何かをしっかりともっていて、
 何よりも伝える方法と手段が確立していて、

 そしてそれを応援してくれている人たちがいて、
 次に何をやりたいのか、何をすべきなのか、
 まわりの人たちがあなたに何を期待しているのか、

 それらの全てがクリアになって、
 あなたが私たちの目の前に存在することが
 すごく素晴らしいと思うし、そんなあなたに憧れる。
 そんなあなたがひどくうらやましいです。

 どうやったらあなたのように私、なれるんだろう?」

そんな私の無骨な質問に丁寧に答えてくれたその回答に
目からウロコ。あの言葉を大切にしていこう。

毎日、毎日、いろんな人と出会うけれど、
くやしいくらいみんな素敵なんだな、これが。
今日、私と一緒にいてくれた人は特別、輝いて眩しく見えました。
なんで私の周りにいる人ってこんなに輝いているんだろう!
そのことが嬉しくもあり、それに焦ってもみたり。


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このころまだ「写真」という明確な
キーワードに絞りきれなくて、
ネトアの肩書きで原稿書いたり、テレビ出たり
いろいろと試行錯誤していた時代。


「あの言葉を大切にしていこう」なんて書いているわりに、
どんな言葉を言われたのかよく思い出せないのですが、
確か、こんなことを言われたような気がします。

「とよみ、成功するには戦略が必要なんや。
 どこでどうやったら、周りの人間が自分のために
 動いてくれるのか、どの分野やったらイチバンになれるのか
 を考えなアカン。ほんで、何と何を組み合わせたら
 いいのかを考えろ!」

と。

思い出したけれど、別に今の問題の
ヒントにはならないけれど、気がまぎれた。

去年のいまごろはこんな感じ。

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2003.8.11

東京でやってみたいこと。

ニューオータニのホテルで朝ごはんを食べること。
六本木ヒルズで夜景展望台を見ること。
青山ブックセンターに真夜中に行くこと。
としまえんに行くこと。
エステに行くこと。
ゴルフの練習をすること。

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もうちょっと、マシな「やってみたいこと」
は考えられなかったのかしら(笑)

今となっては、なぜ、私が
ニューオータニなんかに行きたかったのか
全然、覚えていません。
多分、そんなエッセイかなんかを読んだんでしょう。

六本木ヒルズの夜景展望台に行きたいと思ったのは、
その理由をすごく明確に覚えています。
それはある人のヒトコト。
「あんなところには連れていかない」と言われたからです。
そういえば、あれはどういう意味だったんだろう。


青山ブックセンターに真夜中に行くことも、
なぜ、そんなことに憧れたのか…。


としまえんに行くこと?
遊園地には行ったことないけれど、
先月あのあたりを散歩しました、ひとりで。
何がしたかったんだ、私は。

エステに行くこと。
これは今も行っているので予定どおり。

ゴルフの練習は、何回か頑張ったけれど、
才能がないのでやめておきました。

東京でしかできないことって
(仕事や夢以外で)
あるようでないようで、


あぁ、私、あんまり意味のあること
考えて生きてきていないなぁ。。。

だけど、思考のカケラを確認することで、
バラバラになりそうな心と身体が
ヒトツになる。

明日、会う人にいろいろ聞いてみよう。






8月1日(夜) 「もどかしい」

3年って結構長いなぁ。。
別にそれはそれで、不幸というわけではないし、
今も特別しんどいわけではないけれど
(たまにツライぐらいで)
我慢強いほうだったので、あまり気にせずにいたけれど、

「この先、一生、私はこのままこの状態かもしれない」
という現実が妙にリアルに私にのしかかってきて、
そのことを受け入れることができなくて、
だから、私は今の今も悩んでいるのだなぁ、と。
ここ半年は特に、ずっと考えていました。
ずっとイライラしてました。

言わないでおこうと思った自分の気持ちを
少しづつ、少しづつ、誰かに聞いてもらったり
しているうちに、私の願い(要望?)はそんなに
無茶なことじゃないような気がして、
結局、素直に打ち明けてみたんだけれど、
(大きな前進なのか、はたまたこれは自爆行為か)

ヒトリで抱えてた問題を、大風呂敷の上に
置いてみただけで、解決しそうにもない。。
「焼け石に水」というか、「あとのまつり」っていうか、
なんか余計に悲しくなってしまったなぁ。。。。。。。。
価値観の違いって、こういうことなの?

「傷ついている」ことを盾に、生身の人間の前で、
泣いたり喚いたりすることは、しないつもりだし、
(その代わりにストレスで身体がおかしくなるんだが)
どこかで見たヒステリックな女にはなりたくないし、
誰の前でも、自分を取り乱したりしないように、
たくさんの人に受け入れられるように、
自己矯正していたわけです。

心のバランスをとるのは簡単なことじゃないけれど
ここで書きたいこと書けているうちは
それはそれでいいかと思ってきたんだけど、

なんか、今までのやり方では、うまくいかないと
感じることが多くなってきたました。(発見!)



どんな時でも、冷静に考えて(一応)
爆発しそうな感情を抑えて(怒りとか悲しみとか)
ほとんどのコミュニケーションを、まるで、
仕事の「交渉」のようにしてきたところがあった私が、
最近、気付いたこと。感じていること。


もしかしたら、(確信ではないけれど)私の中にも
「抑えられない」「隠せない」「どうしようもない」
感情がある、、のかもしれない。ので。

で。やっぱり、自分は「自分」と一生、
生きていくのは決定しているので、
今の抱えている問題というのは、
その視点で考えればそんなに重要ではないはずなんだけれど、

今までずっと、嫌っていた
「コントロールできない自分の感情」を
自分の中で少しづつ受け入れていってもいいかな、と。

そんなことを思うわけです。
ずっと押さえ付けていた自分を解放する瞬間も、
本当にやりたいことをやっちゃうっていう時間も、
この先、ずーーーーっと、続いていく長い人生の中で
そういうのがあってもいい、と、
自分で自分に許しを与える、そんな感じ。

でね、今ここに大きな問題があって、
それを解決するエネルギーが私にはなくて、
解決できる可能性に希望も見出せなくて、
ひとりで悩んで苦しんで(って大袈裟だけど)
このまま生きていくことすら、辛くなってしまうなら
(あぁ、絶望的)今こそ、何かしなければ!

という思考のプロセスをモトに
いろいろなことを妄想しています。


カナダに、ワーキング・ホリデーで1年間ほどいって、
国際結婚して永住してみようか、とか。

ハワイで、アイスクリームを売りながら
細々と暮らしてみおうかな、とか。

もう一度、学校に入ってみようかな、とか。

こんな考えてものすごく馬鹿げているし
実行しちゃったりしたらそれはそれですごいアホな
ことだと思うんだけれど、

「写真の勉強をしにアメリカで遊学しよう!」なんて
自分と相談しているときは、今日までの鬱々とした
気分が吹き飛んで、自分の人生が可能性にあふれている
ような気がしてくるのです。

さっきまであんなに塞いでいたのに。

これは、単なる現実逃避なのか、妄想なのか、
上の空で見る白昼夢なのかよくわからないんだけど、
ドキドキしたり、ワクワクしたり、「楽しみだ」と
思えることは確か。

(それ以外のことで、楽しみなことは今なにもない)


そんなことを考えながらこの文章を書いているうちに、
電話がかかってきて、また、頭がグチャグチャになったりして、
迷惑かけてごめんなさいと謝りながらも(私は悪くないよー!)
「あんたね。もっと、しっかりしなさい」と叱られて、
いやいや、お母さん、私ほどしっかりした娘はいないですよ。
こんなにも真剣に自分と向き合って、自分の人生を
考えているんだから、少しくらい誉めてもらっても
いいくらいだ!とやっぱり言わない。

シンプルに「幸せ」ってどういうことなのかしら?

私がうれしいこと、私が気持ちいいこと、
私が安心できること、私が大切なこと、
私が好きなこと、私を好きなヒト、私が好きなヒト。
私が言いたいこと、私が伝えたいこと、
私が表現したいこと。

手に入らないものは多いけれど、「写真」に撮ることは
できるので、これからも撮ります。

手にいれたものを手放そうとするとき、
どうして、こんなにこんなに苦しいのかなぁ。。。。。