7月31日(夜) 「海を見て」

写真には残せないけれど、
絶対に忘れたくないモノがあって、

言葉でも表現できないほど、
もどかしい気持ちがあって、

それは、誰にも見せてあげることが
もったいないほど、

私の中でイチバン、キレイなところだと
思っています。



7月30日(夜) 「妙なテンションで」

妙なテンションで今日は一日を過ごしました。

「ふとした瞬間に泣きそうになる自分」は
やっぱりココにいて、誰かに私の気持ちを聞いてもらいたい、
誰かに分かってもらいたいと、叫んでいるので、
もう、心の声に素直になるしかない、と。

今まで、こんなことで悩んでいる自分が
みっともない、とか、カッコ悪いとか、
考えて、人には相談できなかったことを、
堂々と打ち明けることに!!

私の中では、大きな一歩でした。バンザイ★

で、やっぱり心の中のモヤモヤはスッキリしたというか、
悩みの輪郭がよりクリアになって、ひどく重たく
自分にのしかかってきて、泣きたくなるのは
変わりないのだけれど、

聞いてくれたあのヒトとあのヒトへの、
感謝の気持ちがイッパイで、温かいモノで
心が満たされています。

聞いてもらうだけで、「問題の解決」にはならないけれど、
苦しみの大きさは、自分の気持ちを吐き出すことで
すごく楽になるものだと実感。

すごくすごく助かったわぁ。
もし、誰かが私に苦しい心の内を打ち明けてくれたら
そのときは深刻になりすぎずに、茶化さずに、
しっかりと受け止めてあげよう。そんなヒトになりたいわ。

よくここまで、ヒトリで抱えてきたと自分で自分を絶賛中。
だって、この悩みは1年半も前からあったんだもの。
いや、正確には3年くらい前からかな。。

で、今の気持ちはというと、その問題に真正面から
向き合うことが「非常に馬鹿馬鹿しい」と心底思っていて、
(そのわりにはイライラするほど悩むけれど)

いっそのこと、全てのそういう面倒なことから
逃げ出してしまえれば、どんなに楽だろうと
そんな思考に捕われています。

今日、すごくいいアイデアを思いつきました。

交通事故の保険金、手術の保険金で、
カナダで1年間くらい住んでみるとか。
ワーキングホリデーで。

写真を撮ったり、アルバイトしたりして、
毎日を過ごす。煩わしい日本語から離れて
英語だけでコミュニケーションする。

考えただけで、ワクワクするけれど、
帰国後のビジョンが何もないので、
やっぱりこれは現実逃避なんだろうな。





7月29日(夜) 「昨日かんがえたこと。」

実家に帰ってゆっくりとした時間を過ごして
ヒトリになって、いろいろ考えて、
そしたら、答えが見つかる気がして、
私がホントに欲しかったものとか、
(今も欲しいと思っているものとか)
これからのこととか、がなんとなく
見えるような気がしていたのに、
相変わらず、暗いトンネルを走っているような
感じです。

水の中にいるみたいで、ふわふわとした感覚で、
誰かの声が遠くから聞こえるようなそうでないような。

で、一体、どこから悩んでいるかといえば、
そもそも、「このまま東京にいていいの?」って疑問から。

「東京のマンションは、そのままおいといて、
 しばらく実家でのんびりしたらどう?」

という、ママンの提案に心底ぐらついてしまった
瞬間から。

交通事故もしたし、子宮の手術もしたし、
術後の痛みに耐えながらも写真集も出した。
テレビにも出たし、反響もあったし。
夢にみた、文章を書く仕事もしてるし
今のところ何の不満もない。

で、次ぎは何するの?どこにいたいの?
この路線でもっと上を目指すの?

と、自分に問いかけたときに、イマイチ
元気になれない自分がいるわけです。
元気になれないどころか、ふとした瞬間に、
泣きそうになっている自分が。

燃え尽きるほど、何もやってないし、
人に自慢できるほど、誇れるものもまだないし、
手に入れていないものもいっぱいある。

こんなところで、疲れてる場合じゃない!
と励ます自分と、今にも崩れそうな自分との
せめぎあい。

無邪気に夢を語れたあのころの自分は
一体、どこにいってしまったんだろう?
いつから、こんなに未来に絶望を感じてしまう
ようになったんだろう?
(絶望という言葉は重すぎるか)

堂々めぐりのまま、考えて、考えて
気がついたら、4年間通った、大学のキャンパスに
いたわけです。懐かしい思い出のつまった大切な場所。。

センセイに会って、あのころの友達に(偶然に)会って、
学生に戻った気分で話しをして。

ヒトリになって、学生食堂でぼんやり。
サークル勧誘のチラシを見ながら、この空気にうっとり。
ペットボトルのお茶を飲みながらいろんなことを思い出しました。

つまらない授業だったし、
大したことない恋愛してたし、
将来に漠然とした不安はいつも抱えていたけれど、
「今」みたいな、こんな妙なテンションではなかった
ような気がする。

学生のころって、なんの肩書きもなかったし、
なんの実績もなかったけれど、自分の可能性を
ただひたすら信じることができた幸せな時代だったなぁ、と。

プレッシャーや、劣等感とは無縁だった。
それは、私が単にお気楽だっただけかしら。

遊ぶお金も十分にあったし、
遊ぶ時間も十分にあったし、
遊ぶ友達もたくさんいた。

今は仕事してるから、時間の制約はあるし、
(そんなことは当たり前だけど)
大人になれば、人の顔色だって窺うし、
(それは昔も今も変わらないか)
期待される分、プレッシャーもあるし、
(それもないと困るんだよね)
思ったほど稼げてないけれど、
(生活するには困らない程度だ)

あれ?私は一体、何を悩んでいるんだっけ?


私の悩みって、満たされてしまった錯角から陥る
贅沢なイライラなのかしら。

いやー、でも、なんかちがうような気がする。
なんだろう、今がすごく大切な時期のような気がして
しょうがない。

今ある環境をもう一度、選びなおすんだ。

住むところは、東京でいいの?
仕事は、今のままでいいの?
本当にこのまま、このまま、進んでもいいの?

困ったことに、情けないことに、
今あるものを全て放り投げて、ゼロから
やり直したい自分がいるんです。

不毛だとはわかっているので、
なんとか自分を説得します。





7月28日(夜) 「オイルマッサージ2」

もうホントに、風俗にハマった男並みの
衝動的な欲望を抑えきれず、といった感じで
全くもって恥ずかしい限り。

今日も、オイルマッサージへ…。
オイルにプラスして、ミルキーローションと、
顔のパックも♪

これだけ、身体に贅沢させてあげれば
私も少しは満足するだろうと思いきや、
満たされたような、そうでないような。

やっぱりあの快感と、マッサージのそれとは
別モンだからなぁ。。

清く正しく生きているんだもん。
周りからは、「豊美のくせに、真面目すぎる!」
と言われながらも、欲求不満を抱えて生きてるわけです。

甘い記憶は遥か彼方。
だってしょーがないやん。。




7月27日(夜) 「オイルマッサージ」

実家でゆっくりしようと思っていたのに、
昼間はやっぱり家族との時間が優先。
ひとりになりたくて、なれなくて。
お母さんの用事につきあったり、
みんなでランチいったり、買い物いったり。

ひとりで、ぼけーーーっとする時間が欲しくて
帰ってきたはずなのに、めったにいない私との
時間は家族にとっても貴重らしく、
なかなか自分のために時間をつくれない。

で、夜になってようやくエステへ。
全身オイルマッサージで心も身体もいい感じ。

エステは女の風俗とはよくいったもので、
ローションで全身を嬲られる感覚は、
極楽浄土っていうか、天国っていうか・・・。

身体中にたまっている老廃物をすっきりと
出し尽くしたあとは、妙に身体が軽くなった!
この快感は本当に癖になりそう。あぁ、やばいー。

明日もエステに行っちゃいそう。
(いつになったら、東京に戻る気なの?>私)



7月26日(夜) 「グリーで」

今日の昼間はGreeで知り合った女の子とランチを。
ネットなつながりもすごく愛しい。


夜は家族5人の食卓。
お母さんの豆ごはんが美味しい。
ごきげんになった私は思わずこんなことを
口にする。

「お母さん、あんな、お父さんみたいに
 イイ男と結婚しようと思ったら
 どないしたらええの?」

お母さんは、なんとも言えない顔で、
黙っている。

「なんでそんなにいつまでたっても
 キレイなん?お父さんは幸せやなぁ。」

と言ったところで、ちょっと変な顔で
うつむくお母さん。

その様子があまりにも、可笑しくて、
妹と二人で大爆笑をした。

お父さんは相変わらず、テレビに視線を
やって聞いているんだけど、
聞いていないフリ。

深夜のテレビ番組は「かつみさゆり」の
さゆりの子宮筋腫の手術のドキュメント。

あぁ。本当に大変だったな、私も。
ゆっくり、こっくり、心の休養。



7月25日(夜) 「地元の」

地元の男友達と夜の公園で熱く語りつつ時間を過ごす。
おなかがすいたからといって、近所の牛丼屋で
テイクアウトした牛丼をベンチでほおばる彼の
横にすわって、空をぼんやり眺めていました。
東京では味わえない贅沢な時間の使い方。
お洒落なお店も好きだけれど、カッコつけなくてもいい
こういう時間の分かち合い方も、すごく好き。

「東京より、星がキレイにみえるなぁ」とか
「東京より、人付き合いが気楽でいいなぁ」とか
「東京より、空気がおいしいなぁ。」とか

いろんなことを思いながら、この距離感を楽しみつつ、
将来のこととか、今の状況とかを話したり、聞いたり。


なんかわからないけれど、最近すぐにイライラしたり
落ち込んだりするんだよね。

と、思い切って打ち明けてみたら、
私が気づかなかった、いや、気づこうとしていなかった
私の落ち込みの原因を、さらりと当てられてしまった。



「人間の生きる為の本能的な部分を
自分で否定してるんだから、しんどくなっても
しゃーないわなぁ。。何かの方法で発散するしかないで。」


自分が自分に嫌われたくないので
「清く正しく美しい私」を貫きたい。
でも理想どおりの自分になりきるのは難しくて、
だから、葛藤が生まれ、押し殺さなければいけない
感情との戦いが始まり、たくさんの言葉を飲み込むことになる。



7月23日(夜) 「実家に」

結婚式の2次会へ。

結婚ってなぁ。。
なんつーか、微妙。


家庭は職場なんですよ。
「妻」という名の、副業を持つかどうか。

自分にそんな器用なことができるのかどうか。
いろいろ考えてみたりしているわけですが、
生産性と採算を計算してしまう私は
とっても打算的な人生を送ってしまいそうな
気がするわ。



7月23日(夜) 「実家に」

帰ることにした。
東京駅でいつもの東京ばななを買って
いつもの電車でいつもみたいに帰る。

帰る場所があるっていうのは
幸せだと思う。





7月22日(夜) 「記憶が」

あまりないっていうことは
別になにもしていないっていう
ことなのかしら。




7月21日(夜) 「疲れた」

これからは、もっと、自分の
時間も大切にしなくちゃいけないなと
思った。真剣に思った。

またマニキュアを剥がして
メイクをとって、また何時間後には
マスカラを塗る。

そんな当たり前のことさえ
今はどうも、もどかしいのだから。





7月20日(夜) 「3連休」

3連休が終わって、残念といようより、
なにごともなく、終わったということに
何よりも安心を感じている自分。

昨日はお台場に行って、浜辺を歩いた。
今日は八景島に行って。水族館に。
その前のことは、まぶしい記憶。

イルカを見てはしゃいだり、
ベイブリッジやレインボーブリッジに、
感動してみたり。

ヒトリになって感じる。
なんだろー、この疲労感は、一体。。

これって、絶対に口に出してはいけない
ことなのかもしれないけれど、
自分にかなーり無理してるような気がする。

私の求めているものってもっと
シンプルなんだけどなぁ。。

欲しいのは、「ここにいる理由」

海底にいるはずのイソギンチャクが
水槽の中でとてもキレイでした。





7月19日(夜) 「感謝」

自分の弱さを受け入れられたので、
(これがよかったのか、悪かったのかわからんけど)
危うい精神状態から脱したこともあり、
改めて、思うのは、しんどいときの周りの人から
のサポート。

こういう時に、やさしくされると、
ホントに心にしみるわぁ。

私の精神状態を心配してごはんに誘ってくれる人がいたり、
健康状態を気づかって、サプリを送ってくれる人がいたり、
突然の誘いにもかかわらず、話しを聞いてくれる人がいたり、
パーティーに招待して、料理をつくってくれる人がいたり、
私のワガママで、遠いところに一緒に行ってくれる人がいたり、
もういいから、帰って来なさいと言ってくれる母がいたり、
(これは「気持ち」だけ、受取っておくことにした)
景気づけに、合コンを企画してくれる友達がいたり、
暑い日に、私と一緒に歩いてくれる人がいたり。

あぁ、ありがたいなぁ。。
そういったやさしさに、感謝をしつつ、
私も誰かの支えになれるような人間になりたいと思って
います。本当にありがとう。

何も考えずにいられる、素敵な場所を見つけたり、
おいしいごはんを食べさせてくれる店を見つけたり、
東京の楽しさを再発見したり、
自分が自分らしくいる場所を探したりしながらも、
誰かに助けて欲しいときの、甘え方を覚えたり。

いろんなコトが見えてきた。
悩んでよかった。

で、多分、おんなじことで悩むと思う。

「弱い自分」から「強い自分」に変わらなくちゃって。

ま、そんときはそんときで、また、新たな痛みに
たえつつ、生きていかなくては。





7月18日(夜) 「昨日の私は一体、誰?」

昨日の落ち込みからうってかわって、
今日はかなりゴキゲンだったりします。

言いたいことを言えなかったり、
したいことを我慢していたりして、
それがすごくストレスになっていたらしい。

自分の弱さを認めて、我慢していたものを
手にいれたら、楽になりました。

だけど、
「強がっていた自分」から「弱い自分」に
なっちゃったわけで、

いつも
「こうなりたい自分」でいたのに、
「あまり好きではない自分」になっちゃったわけで、

上に登るのはしんどいけれど、堕ちて行くのって
危険な快感をともなうなぁ、と思いながらも、
心も身体もすごく楽に感じるので、

これが「自然体」の私なのかもしれないって、
そう思い始めています。

今は、自分と向き合って、いろいろなことを
感じて、いろんな人に助けてもらいながら、
自分の中の持ち物を整理するときなのかもしれないわ。


7月17日(夜) 「昼間のカフェで」

昨日の夜、ずっと前から伝えたかった気持ちを
(今までかくしてきた本音)を、少しだけ出してみた。

長い間、我慢もしてきたし、努力もしてきたし、
言ってもどうにもならないことだから、こらえてこらえて、
言わなかったけれど、この苦しみは自分では背負いきれなくて。
「この状態は、ツライんだけど」と。
やっぱりうまく伝わらなくて、困らせて、苦しめて、
こんなことなら、やっぱり言わなきゃよかった、と後悔。

私が本音を出すと、誰かが傷つく。
心を開くのがこわい。
「誰も私の気持ちを理解してくれない」なんて
悲しみを味わうのは、もう2度とゴメンって思っているのに、
なんで同じところをずっとグルグルしてるんだろう。

投げたボールはとても大きくて、その人には、
重かったにちがいない。
近すぎると重たい。遠すぎると届かない。
遠いと近いの間に、とてもいい位置にいる人でないと
届かないことがある。

でも、まぁ、伝わらないならそれはそれでいいや。
自分の気持ちを認めたことで、余計にしんどくなったけれど、
そこから何かが変わるならそれもアリかと思った。

ある事を伝えたくて、昼間のカフェでお母さんに電話。
いろいろと詮索されているうちに、頭がぐるぐる。

「わたしはね、親やからわかるよ。あんたがどれだけ
 明るい声で話していても」

というセリフに、あふれだした涙がとまらない。
わかってくれていたんだ、私の気持ちを。

「大丈夫よ、無理なんかしてないよ。
 ただ、ちょっと、今は何にもしないでいたいだけだよ。
 何でもないから、心配しないで。」

と繕って電話を切る。
12年前の日記のことで、お母さんは私の気持ちなんて
わかってくれるはずがないというのを、
何度も何度も、自分に言い聞かせ、あきらめていたのに、
ちゃんと分かってくれてた。そのことが嬉しかった。

そのあと、その場所で、どれだけ泣いたかしら。
他人には昨日、伝わらなかった気持ちが
肉親には、言わなくても伝わってる。

私の苦しみに気付いてくれた人がいることが
すごく嬉しかった。

ひとしきり泣いて、さて、そろそろ仕事に戻るかと、
カフェを後にしたところで、またお母さんから電話。

「あんた、しばらく家に帰ってきたらええんちゃうか?
 仕事やめて、一ヶ月でも二ヶ月でも、家でのんびりしたら
 いいねん。東京のマンションはそのままにしておいたらいい。
 家賃は払ってあげるから心配しんとき。

 もし、会いたい人がいるなら、新幹線にのって、
 東京に行ったらいいねん。お母さんがそのくらいの
 贅沢はさしてあげるわ。考えたらええねん。

 交通事故に遭って、手術もして、仕事もがんばって
 いろいろあって疲れたんよ。

 このまま東京にいたら、いつか、フッとあんたが
 死んでしまうような気がするわ。今、あんたに
 死なれたらあたしもツライ。」

イヤだ、お母さんそんなこと言わないでよ。
私、大丈夫なんだから、東京でうまく生きているんだから。

そう言いながらも、
ひとまずおさまったはずの涙が、次ぎから次ぎへと溢れて、
東京の雑踏の中で、嗚咽するほど泣いちゃった。

親ってありがたいなぁ。
お母さんってこんなにあったかい存在だったんだ。
うれしかったよー。本当に、うれしかったよー。
お母さん、ありがとう。ありがとう。

最近は本当に「このまま死んじゃいたい」と思える瞬間があって、
それを冗談まじりに口にしてしまうこともあった。
(ここには書いていなかったのに)

どうして伝わったんだろう。
以心伝心かしら(ってこんなネガティブな思い)

やっぱり、自分の家に帰ってからもそのことを思い出しながら
これを書いてやっぱり泣いちゃうんだけど、
今は、泣きたいだけ、泣けるからいいか。
誰になんの気兼ねもなく泣けちゃう。
これって幸せ。無理して笑わないでもイイ。
自分の今の気持ちを吐き出せる場所がある。
よかった。

東京に荷物や、やりたい事をおいて、
実家に帰る。
いつでも東京で再スタートができる状態で、
実家で、何もかも忘れてのんびりする。

それができたらいいかもしれない。
でも、できないかもしれない。

そんなことさえ、考えるのがイヤになっちゃった。
もう、なにも、考えたくないんだよね。

だから、ヒトリになりたい。
実家に、帰ることはないと思う。
(ホントは帰りたいけれど)

実家に帰ったら、帰ったで、みんなの顔色を見ながら
きっと暮らしてしまうもの。
元気になって、また東京に行く日が来たとき、
泣いているお父さんの顔を考えたら、
また自分を責めちゃうもの。

心配かけちゃいけない、悲しませちゃいけない、
早くこの家から出て行かなくちゃ、
でも出て行ったらまた誰かが悲しむからその分、
また頑張っちゃうから。

私が欲しかった場所は、なんにも考えずにいられるトコロ。
未来も、過去も、考えずにいられるトコロ。
嘘をつかなくてもいいトコロ。
泣きたいときに泣ける場所。

(でも、ないんだな、これが!)



7月16日(夜) 「今日も気持ちがすごくラク。」

昨日で、自分の正体がわかったおかげで、
今日もずいぶんと気持ちが楽に過ごせた。

今までのこと振り返ってみて、
乗り越えた山は大きかったなぁ。。としみじみ。

山を乗り越えたあとは、また大きな山があって、
どこまで行っても、それは続くんだけれど、
後ろを振り向いたときに、今の目の前にある高さの
山よりも、もっと険しい山があったことを
思い出して、よし、頑張ろう!なんてことを
思ってみたりして。

明日は産婦人科に定期検診へ。
あんまり自信ないんだけど、(こわいけど)

仕方ない。がんばってみるか。




7月15日(夜) 「捨てられない、自分とどう向き合うのか」

あー、本当に気持ちが楽になった。
漠然とした不安を抱えながら生きる私を
いろんな意味で助けてくれたのは、今日、出会った人。
このタイミングで、こんな形で、
出会いたい人に会えるなんて。
欲しかった言葉にめぐりあえるなんて。

神様からの贈り物にちがいない!
感謝しています。ありがとう。

ずっと心の中にあった不安と葛藤。

ありのままの自分を受け入れてもらえるわけがない
というあきらめと、

本当の自分を誰かに知って欲しい、
受け止めて欲しいという(無謀な)欲望と。

そして、こんなことで、悩んでしまう
ちっぽけな自分に対する蔑の心。

誰かに頼ろうとして、やっぱり無理で、
(大人なんだから、甘えられないし)

自分で解決しようとして、ドツボにはまって、
(同じところをグルグルまわる)

何も考えずにいられる時間は愛しいけれど、
(昨日みたいに温泉に行ったり)

ふとした瞬間に、こみあげてくる悲しみに
どう対処していいか、わからず戸惑うばかりだった。
(自分をコントロールできない危うさ)

だけど、同じように、自分の弱さに向き合って、
そこから目をそむけようとせず、
自分の言葉でその痛みを語れる人の話しを聞いていると、

「こんなふぅに悩んでいるのは私だけじゃないんだ。」

という、「安心感」に包まれるのです。

話しを聞いてもらい、共感してもらえることで
得られるその感覚は、ものすごく「優しい」。

優しい気持ちになると、自分に対しての眼差しも
不思議と優しくなるもので、

「こんなダメなあたしだけれど、
 もうちょっと頑張って愛してみようか。」

という気になってくるのです。

つまりは、自分と向き合う勇気をもらえたっていうこと。
こういう出会いってすごく貴重だと思う。感謝!

決して、「解決策のヒント」を聞きにきたわけでもなく、
「答え」が欲しいわけでもないし、
「受け入れて」欲しいわけでも、ないのです。

自分の中に、自分ではコントロールできない
「もうひとりの自分」がいて、
(多分それはずっとないがしろにしてきた自分の感情)

その部分を、否定することなく、批判することなく、
切り捨てることなく、あるがままの状況を
理解してもらえた(ような気がする)ことが
すごく嬉しかったなぁ。。


最近、いろんな人に甘えてばかりで、
人に支えられて生きているような気がする。
今、まわりにいてくれる人を絶対に大切にしよう。




7月14日(夜) 「書いては消して」

仕事の帰り道、なんかこう、
「もっと、ヒトリに」なりたくて、
電車にのって、ちょっとだけ遠くへ。
前から気になっていた温泉にいってみた。

温泉でツルツルになったお肌を自分で触っては
なんて女らしいのかしら!と感嘆し、
鏡に自分のスタイルを映しては、うーわ。と思う。

東京にこんなに緑が多いところがあったのかー
なんて思いながら、庭園を散歩。
葉っぱが風にゆられる
サラサラという音と、川のせせらぎを聞きながら、
湯上がりの火照った身体を夜風にさらしてみたり。
あー、なんて贅沢な時間なのかしら。
この気持ちよさは何にも変えがたいもの。
じあわぜだなー。って。満喫してました。

何にも考えずに、感じずにいられたら
もっと楽に生きられるのになぁ。。

昨日の、ひとりでお家でお酒を飲んでみる初体験は
意外と成功で、最近、なかなか寝つけなかった私も
あっという間に夢の中。

目の前の人が考えていることを理解することに夢中で、
目の前の人の思考をコントロールすることを必死で試みて、
でも、そんなことは所詮、無理なので、
あきらめる理由を今度は、躍起になって探し出す。

そうこうしているうちに、
自分が何を求めていたのか、本当は何が言いたかったのか、
わからなくなることがあって、たとえ、ずっと欲しかった
答えが目の前にあったとしても、今度はこわくて手が出せない。

そんな葛藤を繰り返しながらも、いろんなことを
もっともっと知りたいと思ったり、それを形にしたいと
思うことが、写真になるんだから、それはそれでいいのかも。

お酒を飲むとなんか気持ちが楽になるなぁ。
自分が自分に対して寛容になる。
こういう感覚って不思議。




7月13日(夜) 「らくーに。」

仕事の帰り道、本屋で立ち読み。
女を口説き落とすための101のなんたらという
マニュアル本を読みふける。

読みすすめていくうちに、そうそう、そのとおり!
とか思っちゃったりして、その本を読んでいるだけで
口説かれている気分になっちゃって、(←単純!)
非常に心地よい感じです。

しかしまぁ、こういうこと頭で理解したいと思うのは
あくまでも作品づくりのため。

男心と女心の両方を「頭」で理解していないと、
写真の編集ができないんだもん。

男が見ている部分と、女が見て欲しい部分の違いを
きっちりと理解した上で私のつくる妄想世界。
ここが一番、心地いい場所。

ところで、常々、私はヒトリで晩酌してしまう
オンナにちょっと憧れたりしてたんだけど、
とうとう、本日、ヒトリ晩酌デビューを果たしました。

ずっと飲めない体質だと思っていたけれど、
意外に飲めちゃうじゃない。
頭で考えてること、そんなにおかしくはないし、
意識もはっきりしてる。
だけど襲ってくる睡魔には勝てないなぁ。。
しかも身体を動かすのがとても億劫。
やっぱり外で飲むのはやめよう。

ブロガーに蔓延する「燃え尽き症候群」なんてのが
ニュースのトピックにあったけれど、
そういう人がそろそろ増えてくる時期なんだろうなぁ。

誰かの期待に応えようなんて思って、
書くなんてナンセンスだって。
自分の思考に完璧なんかないって、
誰かに何かを思わせたいとか、
自分のことをこう思って欲しいとか、
そういうの考えながらかいたって
全然、楽しくないし、疲れるだけだし、
結局、続かないンよね。

そうよ、すべては自分のために!

…と思いながら、脳内にとびかう言葉を
垂れ流している私は、現実世界ではそれなりに、
自分の使う言葉とかも気にしているわけです。

だから、疲れます。
ひとりの時間がこんなに愛しいんだから、
しょーがないよね。




7月12日(夜) 「見つかったら死ぬほど恥ずかしいモノ」

12年前の日記を勝手に読まれた事件の
ショックをまだ引きづりつつ、
今日もいろんなことを考えました。

私が以前、住んでいた部屋を
今さらながらに片付けているお母さん。

そこに、見られてはいけないイロンナものがあることに
気付いて、頭を抱えております。(もう遅いのか!)

見つけられてはしぬほど恥ずかしいもののリスト

●17歳から20歳までに書き上げた、
彼氏への想いを書き綴った恋愛日記。

(自分でも恥ずかしいので読み返せない)

●ふざけて撮った、ちょっとHな写真。

(残してあったとような気がする。作品なんだけど
 あれだけは、発見されると困る、まじで!)

●好奇心で買ったちょっと○○○な本

●手錠、ガータベルト、使えない下着

(撮影用の小道具だったんだけど。。。)

●いろんな男の人からもらったラブレター。

(オバアちゃんになってから、読み返したかったのに)


あーーーあ。こんなことになる前に、全部、
自分で処分しておけばよかったにょ。

それはそうと、この土日をヒトリで過ごして、
東京生活での孤独を満喫してました。

でも、このちょっと寂し気な感じが好き。
誰にも求められない、期待されない、必要とされない、
そういう一日が、心の平穏。

夜中の2時のコンビニ。
窓から見える三日月。
遠くに聞こえる車の音。
顔も見えないほどの暗闇で
人とすれ違う緊張感。

気分はジュリアン。







7月11日(夜) 「思い出しながらも心が痛くて」

12年前の日記が見つかった&お母さんがそれを
読んでしまって大変なショックを受けた事件。

昨日も電話がかかってきて、それとは関係のない
話しをしたんだけれど、妙に私に気を使っていて
それがまた痛々しいかったよ。本当にごめん。

多分、日記に私、ボロカス書いていたんだと思うけれど
(でも、12年も前のことだから覚えていないんよ)
今はもう大人になったし、いろんなこと許せるし
(私も今は、人のこと言えないことしてるし:苦笑)
今さら、傷つけてしまったことがすっごく気になる。
(正直、あのころのことは思い出したくもないし)

そんなことを悩みながら、眠りについたら
案の定、夢を見た。

夢の中で私はお母さんと喧嘩をしていて、
あのころと同じように

「なんで、私の気持ちをわかってくれないの!!
 私の方が正しいのに、なんで責められなきゃいけないの?」

って泣きながら叫んでいるわけです。
夢の中では、お父さんがそばにいてくれて、私の味方を
してくれて、それがすごく嬉しかったなぁ。
夢の中での話しだけれど、すごくすごく嬉しかったなぁ。。。

あの時もお父さんに頼りたくて、頼れなくて。。
あの時、うまく甘えられていたら、こんなに引きずること
なかったのかな。(しかし、あの状況でお父さんを頼って
拒否されていたら、立ち直れなかっただろうし)

12年経って、大人になったのに、自分の意志で東京にでてきたのに、
もう実家には戻らないって決めているのに、

今日も、お父さんとお母さんが恋しくて、
ほんっと、バカみたい。子どもみたい。

で、よくよく考えたら、お母さんが12年前の日記を
捨てたっていうのが、だんだん、ムカついてきた。

ものわかりのいい顔して、大人の顔して
すべて受け入れ、理解して、許してきた、あのころの私を
母は愛してくれていたと思う。

だけど、その裏で悲しみ、傷つき、ノートにだけ
自分の気持ちを打ち明けていた私を
母は、受け入れることができなかったんだな。
当時だけでなくて、2004年の現在も!


捨てないで欲しかったなぁ、12年前の私の気持ち。
きちんと、受け止めて抱き締めて欲しかったなぁ、12年前の私ごと。

「ごめんね、あの時は私も自分のことが精一杯で、あなたの気持ちに
 気付いてあげられなかったけれど、今なら、受け止めてあげられる。
 あの時、何を感じていたのか、聞かせて。」

とかゆーふーに、接してくれたなら、(これぞ理想の母親!)
私も救われるけれど、

「もう、思い出したくもないから、捨てちゃった。
 あなたも、もう忘れて欲しい(泣き声)」

その気持ちは痛いほどわかるけれど、これは、ないよなー、
とも思う。


でも、これって私の中の(子ども)の我が侭なわけで。


大人になった私は、今さらながら母を傷つけてしまった
ことをひどく反省しつつ、

子どものままの私は、12年の時間を経て、12年前の私の
気持ちを切り捨てられたことに、ちょっと傷ついている。


というわけで、夢の中でお父さんが、やさしかったのが
すごくすごく嬉しかった。







7月10日(夜) 「12年前の私の気持ち」

これは、事件です。
大変な事件が起こりました。

あの時、私の書き残した言葉が12年の時間を経て
こんな形で、よみがえってくるとは。
そして、こんなにも、人の心を深く傷つけるなんて。
しかも、このタイミングで。

どうしても、言いたかったこと。
苦しくて、伝えたくて、それでも、誰にも言えなかった
気持ち。忘れたくない出来事。

「どうして、自分だけがこんなに不幸な目に
 遭わなければいけないのか。」

と、叫びたくて、できなくて、
そのあふれる思いを、ただノートに書きなぐっていた
あのころ。

そんなノートが何冊かあったことを私は
すっかり忘れていました。

そのノートを、私の荷物の整理をしていた母が
見つけてしまったのです。さらに、そのノートを
読んでしまったと。なんということでしょう!衝撃!

その内容に非常にショックを受け、
泣いて電話してきた彼女。
あの声の様子じゃ、1日、泣いていたんだろうなぁ。。

「そんなに、苦労をかけていたとは思わなかった。」と
「ダメな母親だった。あなたに、謝りたい」と。

いきなりの話しの展開に私の頭は真っ白。

まず、勝手に日記を見たことが、やっぱりアカンでしょう。
でも、見たのなら、せめて、見たことはナイショにして
おいて欲しかった。

ということを母に伝え、私も気が動転しているので、
なんとか、言葉をつなげようとするものの、
なんと言っていいのかわからない。

だって、12年も前のことだもの。
私、何を書いたのかしら。どんな言葉で自分の苦しみを
表現したのかしら。彼女に対する批判をどう書いたのかしら。

私はあの人を許さない、とか、
絶対に後悔させてやる、とか、
もう、死んでしまいたい、とか、
私の気持ちを誰もわかろうとしない、とか、

そういう言葉をネガティブな言葉をたくさん
使っているような気がする。どうしよう。
何をどんなふぅに書いたんだろう。
とてもとても、気掛かり。

あれは、いつか、大人になったときに、
自分で読み返すつもりで置いておいたのに。

あの頃の私はあまりにも子どもで、
自分の傷を自分で癒す方法もわからなくて、
でも、傷ついたことは忘れたくなくて、
いつか、このときのことを思い出して、
過去の自分をしっかりと抱き締めてあげよう、と
そんなことを思っていた。(はず)

12年前の私の気持ちに気付いた母の
ショックも大きいが、

私のショックも大変、大きい、です。
私の知らないところで、私の言葉の残骸が、
心をこんなに傷つけてしまったなんて。

「苦労をかけてすまなかった、謝りたい」と
電話越しにその声を聞いたとき、
身体中の力が抜けそうになりました。
え?なんていったの?って。

「なんで今さら!」という怒りに似た思いと、
「やっとわかってもらえた!」という達成感と、
「母に、後悔の念を抱かせてしまった」という罪悪感と、

ぐちゃぐちゃになって、今も自分で
自分の気持ちがよくわかりません。

だってもうあきらめていたもの。
何を言っても、伝わらない。
どれだけ言葉を選んでも、理解してもらえない。
そもそも、理解してもらうことを望む「私」が
イケナイのではないかと、そう結論づけて
生きてきたのに。


彼女が電話で、
「このノートもう、捨ててもいいかな?
 もう、このときのこと思い出さないで欲しい」
と言ってたけれど、

ってゆか、お母さん。私の大事な「過去の感情」を捨てたりしないでよ。
と言いたかったけれど、そのノートがある限り、
あの人はまた泣くのだろうし、私も母に見つけられたことを後悔するのだろうし、
捨てちゃったほうがいいのかも。なぁ。。。。。

だけどね、だけどね、

お母さんにとっては、捨ててしまいたい過去(ノート)だったかもしれないけれど
私にとっては、大切な私のカケラで、いつかそれを拾い集めて、
大人になってから、それを愛おしいと思いたかった。

いろんなことがあったなぁ。
それでも、なんとか乗り越えてきたなぁ。
大したもんだよ、あたし。
これだけのことを、乗り越えて頑張ってきたんだから、
この先もなんとかやっていけるだろう、うん。

みたいな感じで。


ここで書いているこの言葉も、
私がもっと大人になったときに、読み返して
同じ思いたくて、書いているのだけれど。


だけど、また誰かを傷つけるかな。


大切な人の傷ついている姿を見るのは、
本当にもうたくさん、だ。






7月9日(夜) 「あづぃ」

なんでこんなに暑いのかしら
ここ数日。

殺人的な太陽の下、歩いて
生きて行く気力を奪われる。

雲の上には太陽があるのかも、って
くらいの毎日がちょうどいい
温度の幸せかもしれないって
今日は思った。

それはつまり、可能性を可能性として
残したまま生きていくという選択。






7月8日(夜) 「あづい」

仕事の帰り道。
バーゲンやってる靴屋を何軒か
のぞいてみる。

かわいくてヒールが高くて
足が痛くならなくて歩きやすいの。
探してるけれどなかなかないわ。

こんなに暑い日に、家で自炊。
オーブンなんか使ってみたりして。
部屋中が蒸し風呂みたい。
週末にはとってしまうマニュキュアを
塗ってみたりして。

あー。あづううう。
明日は大崎でアフリカだ。






7月7日(夜) 「ちっちゃいことは気にするな、と」

ずっと心の中でモヤモヤしていたことがあって、
早く答えを探したくて、いろんな本を読んだり
もはやこれ以上、考えないほうがいいんじゃないかと、
ジムにいって汗だくになったりしてたんだけれど、

今の自分に一番しっくりくるのは
「ちっちゃいことは気にするな!」そして、
「適当に人のせいにしちゃえ!」ということ。

もちろん何の解決にもなってないんだけれど、
そもそも「どうしようもないこと」を考えていたんだから、
結論のもって行き方としては
これでいいのではないのかと、自分会議を
そろそろクロージングしようと思う。

さっきまで「ずっと考えていたこと」を
「ちっちゃなことだ」と結論づけたことは
ある意味、大きな開き直り。

でも、ちっちゃなことなんだけれど、
すごくすごく大切なことだったんだけどなぁ。
(そして、まだどうどうめぐり)

ジムの帰り道、空を見上げてみたけれど、
天の川は見えなくて、東京はやっぱり★が
少ないなぁ、なんて思ってみたり。

山の上の方まで車でドライブ。
街灯のない真っ暗な場所に車をとめて、
サイドブレーキをひいて、
ヘッドランプを消して、
ルーフを開けて、
シートを倒されて、
「ここが二人だけのプラネタリウムだよ…」
なんて言われるようなデートをしてみたいわぁ。。。

自分の妄想が爆走。
あまりの暑さに、脳みそがとろけているようです。





7月6日(夜) 「明日は七夕」

ハカセ残念!
写真は時として、女ゴコロを大きく動かすものだから
もしかしてって思ったけれど、やっぱり、ダメだったね。
で、王子様は情緒不安定女のジュリにいっちゃうのかー。
あぁ、あの中ではちょっと気に入っていたのに、
ちょっとジェラシー。。

(別にそんなことは本当にどうでもいいんだけど)

これ以上、もうつまらないことを考えるのは
やめにしようとジムに行ったら、休館日だった。
急に空いたカラダをどうすることもできず、
結局、1時間ほど、近所をウォーキング。
風が強くて、道に迷って、星が見えなくて。
ふらりと立ち寄った本屋で、ひたすら立ち読み。

ずっと、気になっていたこと。
欲しかった「答え」は本屋さんにあったけれど、
こわくて、その本は買えなかった。

だってそんなモン、読んで頭ン中で、「あぁ、そうか」って
納得したり、理解できることでもなんでもなくて、
やっぱり、自分で味わってみたいと思うんだもの。
本の続きはココで書くから、それでいい。

で、結局、全然関係のない本を一冊、購入。
『モテる技術』の女性版の『愛させる技術』

ちょっと読んでみたけれど、この本をマに受けたら、
とんでもない勘違い暴走オンナになれそうだ。

でも、読みすすめていくと面白い。
なにこれ、すごい、面白い。。

(1時間ほど読みふける)

さて、知り合いから何通からメールが届いた。
ヤフーの新着情報の「新着ピックアップ」で
あっちのサイトが紹介されているらしい。

ありがとう、ヤフー大好き♪

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キュートで雰囲気のある写真が満載。 

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素晴らしいコメントに感謝!そして拍手★





7月5日(夜) 「酔っぱらって」

不覚にも、酔っぱらってしまい、
「もう帰りたい〜」とか「やっぱり帰りたくない〜」とか
言いながら、どうやって歩いてたんだろう。。

夜風が心地よかった(と思われる)帰り道。
電車の中でもすっかり寝てしまった私を
支えながら、送ってくれた人、ありがとうー。

なんだか頭がガンガンして、
いろいろなことがグルグルして、
自分のこと、自分が一番、よくわかってるつもりで、
実は、全然コントロールできてなくて、
もう、いいのかな、ほんとに、こんなんで。

書きたいことが書けないっていうのは
慣れているから別にそんなこといいんだけど、

言いたいことが言えないっていうのは、
けっこう、しんどいことだなぁ。。

もう、こんなに頭の中、いっぱいになっちゃって、
ずっと、ずっと考えているのに、
出口が見えない。




7月4日(夜) 「結局」

ツマブキくんのいない週末なんて考えられないわっ!
オレンジデイズの時の切なさを思い出しつつ、
映画ウォーターボーイズをテレビで見ながら、
高校生男子の裸にちょっとドキドキしてみたり。
若いって素晴らしい!

高校最後の夏、私は何をしてたっけ?
あー、そういえば、初めて○○○したなぁ。
勉強もせずに何やってたんだろう。。

そんなことを考えながら。
夜ごはん食べたり、テレビ見たりして、
結局、真夜中まで週末の家事に追われる。
洗濯物もこれで完了!と思って
フタを開けてみたら出し忘れた洗濯物が
大量に入ってた。どおりで少ないと思ったんだ。。

さっき、嬉しいことを発見した。
「女性」「写真家」というキーワードでヤフーしたら
私が載ってる!!




7月3日(夜) 「あまりにも天気がよかったので」

この一週間、あまりにもパソコンに向かい合わず
(つまりは自分と向き合わず)
人生にドンヅマリ感を感じつつ、
カメラがないことを理由に、大した仕事もせず、
毎日を過ごしてきたので、気持ちを切り替えて、
この週末こそは、

メールの返事を書こう。
写真の整理をしよう。
作品の仕上げにかかろう。
2週間たまった洗濯物を片付けよう。
大掃除をしよう。

と、決心をする。

さぁ、今日も一日頑張ろう、と。
朝、起きて、洗濯機をまわして、
部屋の空気を入れ替えようと窓を開けた瞬間、

…なんということでしょう。
急に気が変わりました。

自分のたてた予定にしばられるのがイヤになって、
そういえば、この週末はバーゲンの真っ最中だという
ことに気付いてしまって、
病院でリハビリと診察を受けたあと、そのまま渋谷へ。

東京のバーゲンってすごいなぁ。。。
一体、今日だけでどのくらいの売り上げがあるんだろう。

店員の勧誘はもはや、叫び声だし、
人・人・人で前が見えないくらいで、
お店への入場制限ですごい行列だし、
オカマはいるし(女装してるオジサン!)
プロのモデルの女の子がイベントで来たりして。
混雑と熱気で、頭がおかしくなりそう。

はぁぁ、やっぱり地元の方が気楽でいいわ。
東京ってバーゲン行くのも大変なのよねぇ。。

で、結局いつものお店で、
スカートと、ホルダーネックのトップを買って、
8軒目の靴屋で、ヒールのないペッタンコ靴を買う。

足が短い分だけ(?)身長がない私にとって、
ペッタンコな靴を穿くのは、ちょっと勇気がいる決断。
(なんかバランスがとれないような気がして)

よくよく考えたら、一緒に歩く人が、
私の全身を目にするのは、最初に会うその時だけであって、
あとは、上半身とかしか見ないわけで、
全体のバランスとか、そこまでそこまで、気にすることは
ないんだって、と。自分に言い聞かせる。

そうだ、最初に会うその時だけ、背伸びして誤魔化せばいいんだ。
そうに決まってる。





って、









7月2日(夜) 「荷物がないのでどうしようもない」

突然のお誘いを受けて、銀座で映画を鑑賞することに。
仕事をテキトウ(?)に仕上げて、
「スチーム・ボーイ」の試写会へ。
ストーリーはともかく、CGはとても素晴らしい!
ただ。あんまし人には薦められるほど、
面白い映画じゃなかったなぁ。。

今日は、人と話していて思ったんだけど、
「色んな意味で」という言葉はなんて、素敵な言葉なんだろう!

 Yahoo!で「色んな意味で」というキーワードで検索してみたら
めちゃくちゃ、ツボにはまって笑えた。。

色んな意味でゴメンナサイ

色んな意味で世界一

色んな意味で桃色

色んな意味で大変。

色んな意味で無謀?

色んな意味で鼻血出そうだよ…!!

色んな意味でいっぱいいっぱい。

美味しかったよ色んな意味で…

色んな意味でアイタタタ(苦笑)

色んな意味で人生どんづまり

間違いだらけ。色んな意味で・・・(薄笑




言葉って色んな意味でおもしろい!







7月2日(夜) 「荷物がないのでどうしようもない」

写真をアップしようにも、どうしようもない。
実家に帰るために、まとめた荷物の中に
カードリーターを入れちゃって、
その荷物を東京に送ったんだけど、
まだ受け取れていない。
夜9時に家に帰るなんてムリだってば。
あぁん、何もかもにイライライラしちゃう。

昨日のコントロールできないほど
なぜか大量にあふれだす涙は止まったので
ひと安心。

今、実家に帰りたいかと自分に問うてみれば、
答えは明らかに「ノー」で、
自分の心変わりの早さに驚いてしまう。
あれだけ泣いたのは一体、なんだったのかしら。

だけど、無性に帰りたくなる時があるんだな。
自分の気持ちに、嘘とかホントとか、
そんなの関係ないし。

それにしても、このイライラどうしよう。

タバコを吸えるわけでもないし、
お酒が飲めるわけでもないし、
ホストクラブに行くアテもないし、
こんな状態で、友達に会いたくもないし、
どうしたら気分がマシになるかしら。

ひとりでカラオケに行ってみる!
というナイスなアイデアが思いついたけれど、
昨日の睡眠時間もなぜか3時間だったりするので
さっさと眠ることにした。

でも、ちょっと自分の身体を虐めてみたかったので、
(ダイエット用ではない)コーラを買って
一気に飲んでみた!

ちょっと、不良になった気分だ。







7月1日(夜) 「もう、どうかしちゃったみたいに」

東京人生、始まって以来のホームシック。
家に帰りたくて、帰りたくて、帰りたくて。

仕事の途中で、家のリビングを思い出しては
涙があふれ、

トイレに入って、お母さんの顔を思い出しては、
涙があふれ、

電車を待っているホームで、お父さんのことを
考えては、涙があふれ、

電車の中で、上京してきた当時のことを
思い出しては、涙があふれ、

家に帰って、ひとりでごはんを食べて
妹に言われたヒトコトを考えて考えて、
涙があふれ。。

あぁ。もう、なんでこんなに悲しいんだろう。

一番、悲しいのは昔のことを思い出すこと。

やっぱり、どんなことしても帰りたいや。
お父さんとお母さんと一緒に、暮らしたいわ。
あー、帰りたいよぉ。

明日の朝イチに新幹線にのって
帰りたい、帰りたい!

家に帰って、「ただいま」って言ったり、
誰かに「おかえり」って言ったり、
「いただきます」って言って
お母さんのつくったごはんを食べて
「ごちそうさま」って言って
「おやすみ」って言って、
自分のベッドに入る
そんな生活がしたい。

家に帰りたくて、帰りたくてしょうがないよ。


「家族5人でもう一度、暮らそう」って言われて、
それを一番、待ち望んでいたのは私だった
はずなのに、あの時、どうして、
「私は、東京に行くから」なんて
言っちゃったンだろう??

自分の中にいる、「過去の自分」が、
家族の愛情を欲しがってしょうがないわ。

今の私は「今さら…」って強がっているのに、
昔の私が「帰りたい、帰りたい」って叫んでる。

私ってこんなに寂しい人間だったんだナと
しみじみ。

自分の感情がココまでコントロールできなく
なったのって初めて。

ずっと、無理してたのかしら。