5月31日(夜) 「ずっとお仕事」

昨日はずっとバタバタしていたので、
今日はゆっくりできるかなと思いつつも
やっぱりお仕事。

写真の編集をしてやっとひとつ終わったと
思ったら、今度はWEBが気になって
リニューアル作業をし始めてしまった。

今日中に完成させるつもりが、力つきて
ダウン。

去年の9月の事故以来、
遅れたままになっていたこのお仕事。

がんばって、取り戻さないと。



5月30日(夜) 「忙しい。。」

リハビリしたり、諸々のお仕事をこなしたり。
洗濯したり、掃除したり、料理したり、で
一日が終わる。

仕事と家事の両立って大変。。




5月29日(夜) 「カメラ、返品したきたよ!」

私ってやっぱり、浮気ができないタイプなの。
本命を裏切れないタイプなの。
そうよ、とっても、純粋な乙女なのよねぇ。

店員さんの熱心なトークにほだされ、
なんかすごくいい気持ちになっちゃって、
「僕はカメラの値うちがわかる人には、
 いいもの持って欲しいんです!」
なんてセリフに、ついドキドキしちゃって、
アッパッパになって、興奮状態で、店員オススメのカメラを
買ったものの。。

一晩、寝て、起きてみたら。。。

「あれ?なんであたし、こんなカメラを買ってしまったんだろー?
 モトモト欲しかったあのカメラがやっぱりイイわ!!」
 
まぁ、買ってしまったんだし、
悪いカメラじゃないんだから
とりあえず使ってみるか、なんて妥協は
するのはムリ。

やり直しは今ならキくのだ。
自分で自分の失敗は全力でフォローするのだ。
人生は短い。大好きなモノに囲まれて生きている方が
絶対にごきげんなはず。

開封もしていないそのカメラを持ってお店へ。
「すいません、間違えて買いました。。。」
あぁ、対応してもらえてよかった!

私の弱点は、カメラが相手でも、男の人が相手でも、
熱心な口説き文句に非常に弱いということ。
すぐにメロメロになってしまう癖に、
その「夢中」な状態は一瞬。ぜんぜん、持続しないこと。
冷静になったときの自分といったら、まるで別人。

男の人の、愛の告白とか、上手な口説き文句に心くすぐられて、
自分と葛藤しながらも、脳内ではもう完璧にイっちゃって、
かなりいい気持ちになっちゃって、
「この人が、私の運命の人かも〜」なんつって、
二人きりになったとしても、2、3時間くらいしか
その気持ちは持続しない。

なんかのきっかけにふと冷静になったら最後。
「なんで、あたしこの人と、こういう状況なのかしら?」
と自分で自分にビックリしたあとは、同じく全力で逃げる!
終電なかろうが、どれだけかかろうが、その場で
「私、帰る!」なんて言い出すタイプ。
そして、実際に、何がなんでも帰る!

まぁ、例外的に、取りかえしのつかないことを
やっちゃう場合もあります、いわゆる、取り消しができない状態。
人の「心」を軽く扱った罪で軽く懲役3年くらいの
罪にとらわれそうな。

「ごめんなさい。気の迷いでした。
 今さら、ナンですが、今までのこと。
 全部、全部、なかったことにしてもらえませんか?」

言えないよね、フツーは。。。




5月28日(夜) 「大興奮!」

久々にムチャクチャ興奮してしまった。
心臓はドキドキ。頭の中はグルグル。
脳内に変な分泌物が、充満してた。

あぁ、私、こんなつもりでここに来たわけじゃないのに。
でも、そんなに強く言われると、私もなんだか
断りにくいじゃない。でも、今日の私の予定は…。
そうよ、そんなつもりじゃなかったのよ。

話しを聞いているうちに、その人のいうことが
ものすごくマトモなようにも聞こえてくる。
私の心の動きを察してか、その人の声は
一段と大きく、そして真実味を帯びて私の
耳に聞こえてくるのだ。

あん。やばい、かも。
声の力強さに心のガードが、さらに弱くなる。

これは神様の声なのかしら?
もしかして、これは運命の出会いなのかしら。
ここで、イエスといえば、私の人生が変わるかもしれない。
あぁ、でも変わらないかもしれない。
後悔するかしら。しないかしら。
ここで、ノーといえば、もう2度と、
「こんなに欲しい!」と思える瞬間は来ないかも。
だとしたら、今がその運命の時なの?

自分の欲求に素直になろうかな。
たまには、そんなことがあってもいいよね。
いつも、我慢ばかりじゃ疲れるもんね。
この人の言ってること信用してもいいよね。
これが運命の出会いだよね。
自分の直感を信じよう。もう自分の気持ちに
ウソをつくのはやめよう。欲しいものは欲しい!
もう、アカン。堪忍して。。

あぁ、お父さん、お母さん、ごめんなさい。
私、もう、我慢できません!


「あの、、あたし、これ、買います!」


というわけで、買ってしまった。新しいデジカメ。
本当はカシオの新しいのを買おうと思ってたんだけれど、
(3万ちょっとで)

でも、ダメだったのよ。
ちょっとカッコイイ、ビックカメラの店員の
口説きモンクに、やられてしまった。

だって、私が欲しいと思っているセリフを
ホントに上手に語ってくれるんですもの。




世界最速*わずか0.12 秒の
レリーズタイムラグ。 精密テクノロジーの結晶。1cmマクロ。
プロユースに応える、
有効513万画素の画像クオリティ。

まさに、プロにしっくりとくる
コンパクトデジタルカメラです!



あ〜〜〜〜〜〜〜〜〜ん。 お願い、もっと言って欲しい!! 欲しかったものを手にいれた私は まさに放心状態。 でも、今も、胸がドキドキするわ♪
5月27日(夜) 「ツイていない一日」

今日はあんまりツイていない一日だった。
朝、起きたらやたらに髪の毛がベタベタする。
それはもう尋常でないくらいに。
どうやら、昨日のお風呂で
トリートメントを洗い流すのを忘れていたらしい。
ツイていない。。

初めての場所に行くために地図をプリントアウトして
歩いていたときのこと。やっと目的の場所を見つけたので、
思わず、駆け出した瞬間に思いっきりコケた。
ツイていない。。

待ち合わせの時間にはピッタリに着く予定。
悠々と電車に乗り込んだら、いつもとなんか景色が違う。
どうやら、反対方向の電車にのったようだ。
しかも、快速。あぁ、ツイていない。

と、ここまでは、ツイていないと言いつつも
よく考えれば自分がドン臭いだけの話しなのかも。

妹から連絡。お父さんがまた入院することになったらしい。
短期間の療養らしいけれど、心配。

これは、ツイていないとかそういう問題じゃない。




5月26日(夜) 「とりあえず眠くて」

11時に就寝するべく
いろんなことをダッシュですます。

マッハで食事をつくり、
ダッシュで後片付けをし、
カラスのような入浴(?)

睡眠時間の確保は大変だ。


5月25日(夜) 「化粧は女のみだしなみと」

化粧は女のみだしなみというけれど、
ここ何ヶ月かの私は、気が向いた時にしか
メイクをしないというかなり、グータラな状態に。

まず、朝起きて、メイクをする時間がない。
なので、そのまま出かける。
どっかのタイミングで、メイクをする時もあるんだけれど、
バタバタと原稿を書いたりして、
そのまま昼過ぎを迎えてしまうと、
「なんのためにメイクをするのか?」という疑問に
自分で答えられず、そのまま、スッピンで一日を過ごす。
あぁ、女としては失格。だけれど、
慣れてしまったらこの「楽」さ加減は、クセになりそお。。

ところで、今日はあるカメラに一目惚れをしました。
メモリがSDカードということ以外は
すべて私の求める条件をクリアしています。

今の私のメインカメラよりも、
画素数は多いし、液晶画面も大きいし、
なんといっても、起動時間が早い!

あぁ、欲しい、欲しい、欲しい!

思わず買ってしまいそう。
(この前、ニコンのを買ったけれど)

その愛しいカメラのお値段は3万円ちょっと。。。

複雑です。今の私のカメラは当時7万円近くしたと
いうのに、もっと性能のいいのが、
半額以下で買えちゃう時代だったなんて。。


5月24日(夜) 「おいしい食卓」

週末もあっという間におわり。
仕事を離れて、仕事を忘れて、
ずっと遊んでたような気がする。
楽しかった。

日曜日の夜。
今日の幸せな夜ごはんは、

ローストビーフのパイ包み、
トリュフソース。

白ワインをきかせた、
ニンニクがたっぷりの
アサリのパスタ。

ミズナとトマトの豚しゃぶサラダ。

デザートに幻のチーズケーキ、
篭盛り白ら。

ごちそうさまでした。


5月23日(夜) 「世界の中心で」

「世界の中心で愛を叫ぶ」
を六本木ヒルズの映画館で見た。
今度はネットでチケットを購入したので完璧。

評価の高い映画だけれど、
私にとっては、あんまり。。。

泣くには泣けたけれど、
誰に感情移入していいのか最後までわからず。

自分の結婚しようとしている人が
あんなことになってたとしたら、
「しっかりせえよ!」と一喝して、
あの映画みたいに、一緒に何かをするなんて
私にはできないと思った。

映画でなくても、高校時代の恋愛って
甘酸っぱくて、切ない。

私も、やってみたいことがあります。

17歳だった私と当時の彼氏は、毎回のデートの度に
写真をとって、二人だけのアルバムをづくりに
一生懸命だった。

私たち、結婚するんだから、一冊にまとめようね。
子供ができたら、見せてあげような、って言いながら。

そのアルバムには、まだ封をきっていない、
お互いに宛てた手紙がはいっているのです。

「結婚して、1年目の記念日に、このとき
 お互いに宛てた手紙を読もうよ。」


その手紙の封がきられることはなかった。
(3年で破局したもんなぁ。)

いつか、あけて読んでみたい気もするけれど、
いつか、彼に届けてみたい気もするけれど。。

探偵ナイトスクープにでも、ハガキを出したら、
取り上げてもらえそうな気がするが、
やめておこう。。


5月22日(夜) 「子宮の次ぎはオッパイかよ!」

健康診断へ。

血圧をはかったら、上が83で、下が54。
視力検査。去年までは両目が1.5だったのに、
右目が0.9まで落ちていた。ショック。
体重、身長はとりあえずおいておいて、
健康診断のメインイベントともいえるのは
婦人科検診。

あの分娩台みたいなイスに座らされ、
またひっくり返らされ、て触診を受ける。
もちろん、女医じゃない。

悲しいことに、もうすっかり慣れてしまった。
先月に引き続き、私は何度も何度もこの
恥ずかしい診察台に座らされているんだもん。
ただ、私はデリケートなので、
もうちょっと丁寧に、扱っていただきたい。。

とりあえず、子宮に異常はないとのこと。
そらそーだ。手術したばっかりだもん。


続いて、乳がん検診。
ジェルを胸のあたりにたっぷり塗られて、
エコーカメラらしきもので、胸をぐりぐりとされる。


器具が、何度も何度も私の胸を上を
行ったり、来たりしている。
その動きは、検診にしてはあまりにも慎重だ。

エコーの写真を撮られた時点で、
「何か異常があったかも…」
そんな予感。イヤな感じ。

診察室に呼ばれ、ドクターによる内診を受ける。
胸のエコー写真がカルテに貼られている。

「乳線症の疑いがありますねぇ。。」

その言葉に、私はまたしても頭が真っ白にある。
一体、その病気はなんなのか?
乳癌になる可能性はあるのか?
治療はどんな方法がるのか?
手術をしなければいけないのか?
子宮筋腫の次ぎは、オッパイなのか?

いろんな疑問が頭をかけめぐる。
もう懲り懲りだっつーの。。

よくよく聞いてみると、良性疾患で、
治療の必要はなく、経過観察でいいとのこと。

「胸のしこりが大きくなったりしたら、
 診察にきてください」

ってそんなンで本当にいいの?
どうやら大したことではないらしいので、
安心はしてみた。


家に帰って、早速、乳腺症について調べてみる。

http://allabout.co.jp/health/womenshealth/closeup/CU20031129/index2.htm

「30代〜40代の女性によくみられます。」

って、私はまだ20代なんですが。

原因はホルモンであるエストロゲンが過剰に分泌されること。
そういえば、子宮筋腫もホルモンのバランスの崩れが原因に
なるらしい。私の場合は、乳腺症であっても不思議はない。

症状のひとつに「『生理前に痛む』といったことがあります。」
他の女の人も全員が感じていることだと思っていた。
そうか、これは乳腺症が原因だったんだ。。

対処方法には、
「ホルモンバランスを正常に戻すように生活を整えることが一番」

って、一体、どうすれば私のホルモンバランスは
正常になるのか、本当に誰かに教えて欲しい。

このまま、ホルモンのバランスを崩した続けていると、
子宮の筋腫はまた再発するだろうし、
乳腺症の症状はおさまらなだろうし、
排卵期に、エストロゲンの分泌が急激に下がることでおこる
片頭痛からも逃れることができないのよ。

うちの母親がまたひとつ「入院保険」を増やしました。


5月21日(夜) 「インターネットな気持ち」

今日も夕刊フジを片手に電車にのる。
「ネットアイドルは今」の連載は今日で終了。
実際にそう呼ばれた私と、
彼女たちをずっと見て来た書き手との
意識の違いはあるものの、そう外れていないと
思った。なんとなく救われたような気がしたのは
私だけじゃないと思う。

原稿を無事に書き終えて今日は
銀座のMacストアへ。

神田さんの個人放送局についての
セミナーに参加。

あぁ、やっぱりすごいなぁ。。

インターネットの可能性を教えてくれた
その人の存在を知ったのは1997年。
あれから7年かぁ。。

いろいろ思う所あったので、また
気が向いたらBLOGに書こう。

明日は健康診断なので早く寝なければ。



5月20日(夜) 「テキトウがイチバン」

明日中に原稿を10本って。。
そら、無理やろ。でも、やらなアカンやろ。
ということで今日の帰宅はかなり遅め。

それでもテキトウな料理をつくって。
おいしいのかマズイのかわからんまま、
テキトウに食べて、テキトウに片付けて、
テキトウな自分の写真を撮って、
テキトウなことをここに書いている。

最近は考えることが多くて、
自分で自分の考えていることを
覚えておくことが難しくて、
とにかくノートに書き留める。

一日のうち一時間くらいは、
ノートに書きなぐっているかも。

(外出先でノートを忘れるたびに、
 コンビニにノートを買いにいくくらい)

書いていることといえば、何を考えているか。
それから、忘れないためのリストの見直しと
書き直し。これがなぜかすごく楽しい。

■近々会いたい人リスト
■食べたい料理のリスト
■行きたいお店のリスト
■最近つくったおいしい料理のリスト
■今年中にやりたいことのリスト
■死ぬまでにやりたいことのリスト。
■未来の私にプレゼントしたいもののリスト。

自分の考えていたことを思い出して
「そうそう、私はこう思ってたんだ」と
自分を取り戻した気がして、とても安心する。

※安心してるだけじゃダメで
 実現しなきゃ意味がないんだが。

そうして、自宅に帰ってから
何をしてから寝るかの TODOを
書いてはみるんだけれど、

いつもその8割りくらいしか達成しない。

月曜日につくるつもりだった、
写真集のDM募集用のフォームもできていないまま。

でも、今日はもう寝なくちゃ。
明日は銀座にあるセミナーに行きたいなぁ。
原稿、書き終わらせれば行けるんだけど。



5月19日(夜) 「やっぱり、夕刊フジがおもしろい」

「ネットアイドルは今」の連載第2回めを読む。
ものすごくリアルでおもしろい。

ほとんどのメディアで、ネットアイドルが
取り上げられるといえば、プロフィールに3サイズに
将来の夢。ホームページ運営の苦労話し。

ほんとは、何を思っていたのか、どんなことを
感じていたのかなんて、どこにも書いていなかったもんなぁ。

周りから見ていて「痛々しい」くらいの
彼女たちの頑張りは、誰にどんなふぅに見えていたんだろう。



5月18日(夜) 「夕刊フジがおもしろい」

夕刊フジがおもしろい。
「ネットアイドルは今」というタイトルで
今だからこそ言えるネットアイドルの真実を
4回連続で紹介するという。

しかも書き手の方は、5年間で、156人の
ネットアイドルとコンタクトをとっている。
すごい。。

で、5/17は第一回だったんだけれど、
ありがたいことに私のことを取り上げてもらった。

ここでは、ネットアイドルを
「素人の女の子が独力でホームページを立ち上げて
 タレントや歌手を目指す」と定義しているので、

「成功したのはごくわずか」なんて見出しもあった。

その切り口でいえば、そうなのかもしれないけれど、
そうじゃない人たちは、今どこで何をしてるのかしら。

「ネットアイドル」と呼ばれた時代は、
大変なことも多かったけれど、あの時、私は楽しかった。

「これが最後でもイイ」と思いながら、
スタジオでフラッシュを浴びる快感っていうのは
いつまでたっても忘れられないモノかもね。


5月17日(夜) 「いろいろ」

今日はとりあえず、オフ。
だったんだけれど、なんだかんだで忙しい。

写真集のDM用のハガキのデザイン、
新しいカメラのレンズを物色しに新宿へ、
セルフで写真をちょっと撮ってみたり。

今日の写真も、携帯電話で撮ったものなんだけれど、
写りは本当にキレイだなぁ、と思う。

キレイじゃないのは、私の顔で、
自信がないのは、私の方で、久々に何枚か
自分の写真を本気で撮ってみて、
なんかショックだった。。


昨日はあんなに、必死に、モデルの女の子に、
「そのまんまでキレイだから大丈夫!」
って説得しながらも、

自分がコンナんじゃ、いつか、卑屈になって
しまいそうだ。

というわけで、
緊急的に、美しくならねば!と決意する。

エステやメイクとかじゃなくて、
とりあえず試したのでアレをやってみたい。

顔面矯正。。




5月16日(夜) 「写真は人を救うか?」

前にも書いたような気がするけれど、
写真で私は救われた。

どうしようもなく、心を傷つけられていたとき、
自分が自分で信じられなくなる程、自尊心を
失っていたとき。

私は自分の写真を撮ることで、そして、それを
誰かに見てもらうことで、自分を取り戻してきた、
自分を確認してきた、自分を愛してきた。

写真で私は救われたんだ。

で、もしかしたら、私は写真で人を
癒すことができるんじゃないかと、実は思い始めている。
(おこがましいことかもわかんないけれど)

テレビの収録。プロのモデルさんに、
女性の感じるエロティシズムのある写真をレクチャー。

グラビアの仕事をする彼女は、ちょっとした職業病だった。
とにかく頑張る。男の人に喜んでもらえる写真のために。

仕事用の写真はそれでいいけれど、
男性向けにつくられた写真では、女性を感じさせることはムリ。

男の人に媚びなくてもいい。
服を脱がなくても、いい。
無理におびえてみせたり、瞳をうるうるさせたり、
挑発したり、誘惑したり、気持ちのイイ振りしなくていい。

メイクや衣装や照明や、高いカメラなんか必要ない。
なんにもない。そのまんまの自分でいいの。
ガンバっていない、自分だってすごく素敵なんだから。

言ってもわからないなら、撮ってみせてあげる!

「そのまんまの私でいいんですね!
 この写真ならいろんな人に見て欲しいって思える!
 頑張らなくても、カッコつけなくても、
 こんなにキレイなんですね」って。

どれだけ言葉で説明しても、説得しきれなかったことが
私の撮った一枚の写真が、彼女の意識を変えた。

彼女は本当の自分を取り戻したのか、
私の写真に、なりたい自分を見つけたのか、

何度も、何度も、「ありがとう」を言ってくれた。

「そのまんまでいいのよ。そのままで十分だからね。
 頭で何も考えないでね、リラックスしててね。」

私はこう言って、シャッターを押しただけ。
写真の力ってすごい。すごいよ。


ものすごい感動した。
私の方が100万回くらい「ありがとう」って
言いたかった。

写真の力を私は信じる。



5月15日(夜) 「次ぎの展開にどきどき」

明日はテレビのロケ。
あぁ、緊張してきた。何を話そう。
どんなふぅに説明しよう。
写真のこと。

そもそも、言葉で言い表せないから
私は写真を撮るのであって、
簡単に言葉で伝わるようなモンじゃないって
いうのは大前提なんだけれど、
それでも、私の写真に「何があるのか」は
きちんと自分の口から、話したい。

わかりやすい、最大公約数の言葉を選んで、
簡潔に話さなきゃ。
あ、でも、コレって仕事のプレゼンと
同じ要領か。おっしゃ。がんばろ。

それはそうと、今日のバレーのよかったぁ!!
毎日のようにテレビにかじりついて見てるけれど、
あの加奈ちゃんのカワイサといったら
なんつっていいのかしら。

彼女の喜んでいる顔を見るたびに、
胸がジーンとなる。本当にいい顔するなぁ。。
今日は控えで残念ン。

この一本を決めるために、
彼女たちは一体、どれだけのことを
犠牲にして生きているんだろう。。

今まで加奈ちゃんに釘付けだったけれど、
今日は、佐々木みき選手に胸キュン。
彼女はどれだけのオンナのコの心を
ときめかせているのかしら。

レズッ気のない私でさえ、
ちょっとハマってしまいそう。
見ているだけで、ドキドキ。。




5月14日(夜) 「心の中ぐるぐる」

自分の「気持ち」を受け入れることはできても、
「現実」を受け入れることのできない私は、
自分が思う「こうあるべき世界」の中で生きている。

だから、人の言葉が「ゆがんで」伝わることもあれば、
自分の気持ちが「遠回りして」伝わることもある。

だけど、ココは、自分で自分を守ることのできる
場所なのだから、安全なのだから、
しばらくここで、自分の「気持ち」を膝をかかえるようにして
抱き締めながら、生きていこうか。

「殻に閉じこもる」っていうのとは違うけれど、
「殻」がなければ「芯」もない。

人の言葉だって、見ている景色だって、
自分の脳で変換して受け入れているのだから、
何も問題ないのではないのかしら。

あぁ、でも、私はこのへんの「歪み」を知っている。
やっぱり、少し不安になる。





5月13日(夜) 「再び、あの診察台へ」

再び、某大学病院へ。
手術の後の初めての診察。

入院のとき担当してくれた主治医(男)の
センセイが今回の担当。顔を覚えているだけに
なんか恥ずかしい。いつもの女医はどこいったんだ。。

仕方なく、あの分娩台みたいなイスにのり、
私は開脚したまま、イスは90度にひっくり返る。

内診、触診、エコーでの診察の結果は良好。
子宮の傷もキレイに治ってきてるそうだ。
筋腫も良性で子宮ガンの可能性はゼロ。
うれしい。身体を引き続き大事にせねば。

次回の診察の予約をして、家路につく。

自分でもわからないけれど、グッタリと
疲れてしまった。

「日常生活もなんでももう制限はないですよ」
と言ってもらえたので、なんかホッとした。

もう入浴もできるし、あんなコトも、
そんなコトもできちゃうのだ。

よっしゃーーー。お風呂はいってこよっと。






5月12日(夜) 「私の手に戻ってきたキーケース」

あぁ。。。うれしい!!
キーケースが私の手元に戻ってきた。

わざわざ警察に届けてくれた人がいるなんで、
東京のこの街もまだまだ捨てたモンじゃない。
感謝、感謝。本当にありがたい。

オフィスの引っ越しをしてすぐの出来事。
前まで仕事場は恵比寿に近い広尾にあったので、
街の雰囲気からして届けてくれた
人がいても不思議ではない。(偏見かしら?)

今のオフィスがある街はなんだか
オヤジばっかりで、みんなが仕事にあくせくしていて、
チョット馴染めないと思っていたけれど、
こんなに親切な人がいるなんて、最高!!

お礼状を書いてポストに投函。
誰かにこんなに幸せな気持ちにさせてもらえるなんて。

私もたまに下を向いて歩こう。
何かが落ちていたら、迷わずに交番に届けよう。

誰かをこんなにも幸せな気持ちにさせることができる。
落とし物を届けるのは素敵な行為だ。

単なる自己満足に過ぎないけれど、
落ちてる財布を見つけたくてしょうがない(笑)






5月11日(夜) 「もう全部ふっきれた。これでイイ。」

過去の記憶を何度も呼び起こしては
あの時感じるべきだったホンモノの感情を
見つけだそうと躍起になっていたところがあるけれど、
もう、あきらめた。こんなのマニュアル通りに
しても仕方ない。現実を受け入れられないんだから。

私が苦しんだのは事実として認識できても、
「利用された」とか「傷つけられた」とか感じることができない。
だけど、あの本には、相手の敵意を認め、「怒り」を感じて、
自分の自尊心を取り戻すことの重要性が記されている。

っていうか、ムリだ。人を憎む感情と私は共存できない。
だったら、これからは、ひたすら避けて生きていけばいい。

(つまり、自分に敵意を持っている人間はいなく、
 自分が攻撃(批判もしくは罵倒)されている理由は
 相手の心理状態もしくは、自分の何かに原因があると
 信じ込むこと。誰かから憎まれているという事実を
 受け入れないということ)

なら、私の心の平安は保たれる(今のところは)

一番大事なことは、
私は他人の心の闇(病み)をはらすことなどできない
フツーの無力な人間だということを、肝に命じることだ。

どこか、ズレている。何かおかしい。そう感じていながらも、
「私がこの人を救わなければ」なんて、勘違いもいいトコロだった。
でもその時はホントにそう思っていたのよ。私でなければって。

羨望が憎しみに変わると攻撃せずにはいられない人がいる。
人を貶めることでしか救われない人間もこの世にいるなんて
思いもしなかったよ。うわーーーん。

で、今日は信じられない出来事がおこった。
それは、あのお店から仕事場までのほんの数十メートルの距離。

ポケットに入れていたはずのヴィトンのキーケースがない。
っていうことは、家のカギがない。帰れない!
それだけじゃない!!
キーケースの中にはキャッシュカード。スイカ。
しかも銀行に寄って引き落としてきた現金3万5千円も
はさんでいたはずだ。

銀行に行く必要があったのでつまりは
財布の中の所持金は少ない。キャッシュカードもない。

キーケースをポケットの中で確認したのは
ほんの5分ほど前。今なら間に合う?
来た道を何度も行ったり来たりするけれど
とうとう見つけることができなかった。

身体中の血の気がひくというのを
久しぶりに体験した。なんということでしょう!!!!

まず銀行に電話して、不動産やに連絡をして。。
あぁ、頭が混乱する。この街で誰かが届けてくれるとは思えない。
卑しくも「あの3万5千円で何ができただろう。」
なんて考えも浮かんでくる。

私の何が悪かったのか。
人を憎もうとしたことがきっといけなかったに違いない。
もう2度と、自分の中に「怒り」とか「憎しみ」を
探すことはやめよう。

失ったモノは厄落としだと考えよう。
私の身体の一部の代わりに、あのキーケースが犠牲になったのだ。


宗教じみているけれど、ストレスで胃が痛むときも
「ありがとう」と感謝の気持ちをもつといいらしい。
自分の魂を犠牲にせずに、「胃」がその代わりに痛みを
請け負ってくれているのだと思えば「胃」に「ありがとう」と
言えるという理屈らしい。なるほど。よく考えたモンだ。

落としたキーケースに「ありがとう」と言えるようになれば、
今回のこの経験もムダではない。感謝だ感謝!

あぁ。。。くぅうう。でも、そんなふぅに思えるほど
私は人間ができていないんだよなぁ。。

でも、ま、いいか。
もっと働いて、頑張って、稼げばいい。

悶々としている私の携帯電話がなった。
まさか、その電話が私のキーケースが警察に届いていることを
知らせてくれる電話だなんて思いもしなかった。

人生はミラクルだ。
私はラッキーだ。

感謝して生きよう。人を憎んだり、憎まれたりするような
出来事とはもう完全に決別するんだ。

(時折、ふいに訪れる、過去の記憶ともうまくやり過ごそう)




5月10日(夜) 「なんで私は写真を撮るのか?」

今日、初めてわかったことがあるので
書いておこう。

またいつか私が私の人生を振り返ったときに、
自分の思考のプロセスを思い出せるように
以下は備忘録。

私にとって写真を撮ることは、
壊されかけた自尊心を取り戻す作業だった。
罵倒され、無視され続けた私の
ボロボロになった心の
「私は私でいたい!」のメッセージ。

私は「写真」に命を救われました。
多分これは大袈裟でなく。

「写真」は私だけの世界。
そこに誰の意志も命令も入らない。
とても大切な場所です。

だから、絶対に撮りつづけます。
生きていくために必要なことだから。

私がここに自分の「感情」を書き始めたのは、
当時は自分で自分が何を感じているのかすら
わからないくらい精神的に消耗していたからです。

思考を束縛されるその苦しみがわかりますか?
(体験した人にしかわからんと思うけど)

何をどう考えて言葉にしても
「それはおかしい」「非常識だ」「考えが浅い」
そう批判され続ければ、誰だって自分で自分のことが
わからなくなります。

「私はこう思う!」主張すればするほど、
話しの問題を点から面へすりかえて、
私は「私の考え」を述べているのに、
「人間とはどうあるべきか」なんて通念を盾に
徹底的に論破されるのです。

疲れるなんてモンじゃありません。

私は自分の主張は正しいと信じていたので
「どう話しをすれば、わかってもらえるのだろう?」
「私の説明が悪いから、理解してもらえないんだ。」
とずっと自分の責任だと感じていました。

あきらめて、相手のいうことをただ聞いているうちに
とんでもない要求をつきつけられて、
服従するしかない状況に追い詰められることもしばしば。
もともとできもしないことを要求されているのだから
失敗するのは当たり前。

でも、そんな状況にあっても
「私が無能だから失敗した、自分の責任だ」と
いつも自分を責めていました。

それでも、私は自分の気持ちを捨てたくなかった。
あの時「書くこと」に命を救われました。
これも、多分、大袈裟ではなく。

だから、絶対に書き続けます。
生きていくために必要なことだから。

あ、こんなところにあった。
私が苦しんでいたときの、本当に素直な気持ち。

過去に自分の吐き出した言葉を
今こそ大切にしたいです。

過去にとわわれてるっていうのはでなく、
あのツライ出来事があったからこそ、今の自分があるんです。

そのことをまず、私は受け入れないと。
そして、私を自身の手で救ってあげないと。

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2000.8.26

与える喜びが、奪われる悲しみに変わってしまうのは
いつからだと思いますか?
尽くして尽くして我慢して我慢して
それでも裏切られた時、どうやって人は立ち直るのでしょう?
大切な人に会える日を指折り数えて、
愛された記憶を思い起こして
あたしの気持ちを聞いてほしいのに
なかなかうまく伝わりません
ほんとに?
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2000.8.16

本当は今は誰とも会いたくありません。
矛盾するけれど、あたしが感じてきたことを
あたしの痛みを思いを、誰かに聞いてほしい。
でも、同情されたり、あたしを傷つけた人を批判されたり、
あたしが話しをしたことによってその人がイヤな思いしたら?
寂しい女、不幸ぶってる女だと思われたりしたら?
包帯をとってこんなに痛いんだよって誰かにその傷を見せたことで
その傷はもっと膿んでしまうかもしれない。
ただ、黙って、あたしの話しを聞いてそばにいてくれる人がほしい。
もうホントに疲れました。おやすみなさい。 

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今の自分が過去の自分にかなり同情。

4年も経つのに、癒されない当時の傷を
私は自分だけの力でなんとかすることができるかしら。

だけど、今の私は、過去の自分を救いたい。
当時は写真を撮ったり、書いたりすることで救われたけれど、
もっと違う方法で完全に助けてあげることは
できないものかしら。

だって、今でも夢でうなされるんだもん。
問題は「過去」になく「現在」にも引き継がれている。

確かに4年前の私が言うように、
自分の話しをただ、黙って聞いてくれる人がほしい。

友達や家族は、変な先入観が入るからダメなんだよなぁ。。
やっぱカウンセリングかぁ。。

カウンセリングかぁ。。。
抵抗あるなぁ。。。




5月9日(夜) 「久々に」

写真を撮りたい気分です。
セルフポートレート。

ベッドでごろごろしながら
携帯電話でパチリ。

実物より100倍くらいキレイに撮れた!

かづきれいこは「メイク」で人の心を
癒しているが、私は「写真」でも同じことができると思う。

メイクをして、鏡にうつった自分を見て喜ぶその気持ちと、
写真を撮って、その出来上がりを喜ぶその気持ちは、

壊れかけた(まさは、壊されたかけた)
「自尊心」を回復させる助けになる。

これは、生きていくために必要なモンなんだよ。

さて。今から、テレビの打ち合わせに行ってきます。



5月8日(夜) 「週末」

何をしようかなと思いつつ
やっぱり仕事をしているかも。

洗濯して、ごはんつくって、
お布団を干して。

いい感じに頭がお休みモードで、
何も考えていません。




5月7日(夜) 「最後の苦しみ」

何日か前に書いたとおり、
過去の嫌な記憶が悪夢となって
でてきて私を非常に鬱っぽい状態にすることがある。

誰にも理解してもらえないので、余計に凹んで
いたんだけれど、今日は、目からウロコの情報を発見。

私の状態はまさに,「モラル・ハラスメント」の
フラッシュバックだったのです。間違いない!

あの状況が,この現象が,言葉に置き換えることが
できるなんて本当に嬉しい!

モラル・ハラスメントの被害者の方の
掲示板の痛ましい書き込みを読んで,びっくり。
私と同じ経験をした人がたくさんいる!
なんつーか,心が癒されます。


苦しんでいたのは自分だけではなかった,と。
改めてようやく納得できた。
もう何年も何年も大昔の出来事なのに,
やっと自分の心の傷が癒えそうな予感。

今まで,誰に相談しても,同情はされても
理解をしてもらうことはできなかったあのこと。

被害者の方の書き込みを読んでは,ひたすら感動。
私が体験していたものとそっくりそのまま。

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・自分が正しく、従わない私を悪だと言い、間違えを正してやってるので感謝して
 欲しいと主張する。
・私がいかに仕事ができないかと主張し、だから自分に従うべきと主張する。
・そんなことは聞けない。など反論すると「傷ついた!謝罪しろ!」と言う。
 (逆はいつもの事で、指摘すると、その感じ方、考え方が変と言う。)

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私の場合はこれだけでなく「自分の非を認めろ!」という執拗なまでの要求を
何度も何度もされた記憶があるわ。(当時から何でやねん!と思ってたけど)

あと,大勢の前で罵倒されたり,私がやろうと思っていることを
何が気に入らないのか,全然関係のない社会的通念を楯に
私を批判してきたり。今から思えばそれは病的な関係。

とにかく追い詰め方が巧妙で,マインドコントロールの領域。

そうそう。自分の感情がわからなくなって,
自分の判断に自信がなくなって,相手の顔色をうかがって
毎日,ビクビクしながら私,あのころ生きていたよ。。。

自分なんか生きていてもしょうがないって本気で思う反面,
絶対に負けない!とひたすら影の努力に徹してた。


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http://www5a.biglobe.ne.jp/~with3/gyakutai/morahara/kaifuku.htm

被害者は、自分が体験したことを安全な場所で話したり、文字にしたり、
テープに録音したりして、それを他の人と分かち合いながら、自分の身に
起きたことがモラル・ハラスメントという暴力であり、自分はその被害を
受けたのだということを認め、受け入れることが必要です。
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なるほどねぇ。。だから,被害者の人の書き込みを見ると
心が癒されるわけね。

だって,だって,本当に嬉しい。
今までだって,どれだけ自分を責めて生きてきたか。
誰にもわかってもらえずにどれだけ苦しかったか。

何年も前のことなのに,悪夢にうなされるのは,
私の心が弱いせいかしら?と自分を責めていたけれど,
これも正常な反応だったのね。そのことがとても嬉しい。

(無意識のうちによっぽど自分を責めてたらしい)


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http://www5a.biglobe.ne.jp/~with3/gyakutai/morahara/dassyutu.htm

そのような状態はしばらくすると消えていきますが、その後も突然、
暴力を受けていたときの体験がよみがえり、そのときと同じような感情や
感覚になることがあります。
また、眠っているときに悪夢を見たり、夢の中で虐待されたりもします。
そのようにして被害者は、何度も恐怖や絶望感を味わわされてしまうのです。
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そうそう!私が言いたかったのはまさにこれ!
先日はホント,この状態だったの。
忘れているつもりでも、イヤでも思い出させられるの!

体験した人にしかわからないと思うけれど,
まさに,そのとおり!というのが下記の部分


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http://www5a.biglobe.ne.jp/~with3/gyakutai/morahara/owari.htm
その結果、被害者はひとりで責任を感じ、苦しんでいきます。
もし、それに耐えられなくなったり暴力だと気づいたりした被害者が、
加害者から離れようとすると、加害者は憎しみをあらわにし、今度は
明らかな悪意をもって、なお一層、被害者を攻撃していくのです。
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離れようとしたときから,完全に離れるまで,
どれだけ苦労したことか。。。

離れようとして,懸命にもがいていたころ,
私にぶつけられた,忘れられない一言がある。

「お前の家族全員,表に出歩けないようにしてやるからな。」

頭をトンカチで殴られたような衝撃を受けた事を
鮮明に覚えています。なんでこんなこと言われているのか。
なぜ,さらに苦しめられなければいけないのか。

実はその一言は,それからのさらに悲惨な攻撃の
幕開けにすぎなかったんだけれど,以下自粛。

この時に,完全に目が覚めたというか,自分の身の危険を
感じたなぁ。。このままこの場所にいるとまた
身体を壊して入院してしまう,って。

(実際,入院までは行かないまでも,自宅療養してた:笑)

苦しかったなぁ,,,あのころ。。。。


何年も何年も引きずって,私の苦しみは
誰にも,親でさえも理解してくれないってずっと
ひとりで悩んでいたけれど,この気持ちを共感してくれる
人がいたことに(不謹慎ながら)感謝します。

あぁ!!!ホントにスッキリした!!

自分は蔑まされるような人間でないということを
何よりも自分に証明してあげたかったけれど、
もうこれで苦しみから逃れられるような気がする。

早く、モラル・ハラスメントのことを知っていれば
あれ以上、自分を責めることなかったのに。

今日、買った本を読みながら、上手に自分を励ます。

「モラル・ハラスメント〜人を傷つけずにはいられない〜」

体験した人にしか理解できない本かもしれない。




5月6日(夜) 「最後の休日」


最後の休日は家族とのんびり。
昼間はお母さんと妹と、ガーデニング用の
花を買いに行ったり、お茶したり。

帰る当日にいつも思うことだけれど、
こんなに幸せでのんびりとした毎日が私の
日常だとしたら、これ以上、望むものは
もうなかったのに。。

お父さんが運転する車にスーツケースをつんで、
妹とお母さんも一緒に駅まで見送り。

そもそも駅の近くに住んでるもんだから、
車での移動時間はほんの3分ほど。
それでも、こうやって送ってくれる。
私、本当に幸せな娘だなぁ。。

「身体に気を付けてね。もう無理をしないでね。」

そうやって言葉をかけてくれた家族に向けて
「行って来ます」と元気よく。

ホームに電車が着くまでの時間は、
私の心が揺れてしょうがない。

このまま、この駅の階段をおりて、
もう一度、家に帰ったら、みんなどんな顔を
するかしら。

「もう、東京には帰りたくない。ここで、
 みんなと一緒に暮らす。」

こんなことを言ったら、私の人生はこれから
どうなっちゃうのかしら。きっと両親は両手を広げて
迎えてくれるだろうし、私もそれには感謝すると思う。

だけど、ココじゃ、私の夢はかなえようもない。
だけど、今なら、ココにある以上のものを望まなくても
十分に幸せを感じられるんじゃないだろうか。

いや、でも、人生は一度きりだし、私を守ってくれている
両親もいつかはいなくなっちゃうし、
やっぱり私は私の人生を生きなくちゃ。。

なんてことを考えるのが電車の中。

東京駅のホームに着いたころには、
帰りたいだの、帰りたくないだの、そんな迷いはもう
吹き飛んでいて、「東京にいること」に少し安心感を覚える。

まだまだ、私、東京で頑張らなくちゃいけないことがある。
本気で夢をかなえたいなら、夢がかなうまで
実家に帰らない覚悟で頑張ることも必要だよ、と誰かが昔、
私に言ってくれたことがあったけれど、

東京で頑張り続けるためにも、実家での充電期間って
私には必要だな。

もう、無理をすることはヤメタ。

昨日も私、えげつないことも書いた。
ひとりよがりなところ、自分に甘くて、他人にシビアなところ、
白けた視線で周りを見ている冷たい自分。
過去にとらわれてウジウジして情けないところ。
うまく愛情を受け入れられないところも。

全然、カッコ悪いことだと思うけれど、
たまには、こうやって、イケていない自分も解放してみたい。


ムチ打ちの症状も今のところ落ち着いている。
筋腫はなくなった。手術の経過も今んところ良好。
新しい気持ちで、全速力、と行きたいところだけれど、
「無理せず、頑張りすぎず。」

予定より長くなった、療養期間は今日で終わり。
明日から社会復帰。



5月5日(夜) 「ふぅ。」


友達の家に遊びに行く。電車にのって上桂へ。
去年、結婚した彼女の家はまさにスイートホーム。
結婚式やハネムーンの写真なんかが
飾られていて、うーん。幸せムード満点。
既に2児のママである友達を交えて、
女3人それぞれの近況報告を語り合う。

新婚共働きな彼女。家事と仕事の両立って大変そう。
専業主婦な彼女。。二人の赤ちゃんを両手に大変そう。
いまだ独身の私。東京で夢を追うお気楽な暮らし。
(とはいえ、いろいろ大変なんだって)

それぞれがそれぞれに、違う生き方を選択していて
それでもこうやって一緒の時間を過ごせるって
すごく大切だな、宝物だな、と思う。

自宅に戻って、夜ごはんを食べる。
今日も母親となんだかんだと話しているときに
私の前々回の入院の話になった。
(当時、いろんなことに耐えていた時期のこと)

母の愛情にあふれる言葉は、私の気持ちを癒すどころか、
逆に耳に痛い。(こういうところはとても不器用だと思う)


あぁいう病気って、ストレスから来るんだってね。
なんであそこまでストレスをためてまで頑張ったの?
あの時のあなたって本当にかわいそうだったわ。
今も、悪夢にうなされるほど、苦しいなんて
よっぽど傷ついていたのね、かわいそうに。
カウンセリングでも行ったらどうなの?

私を心配してくれるのはとても嬉しいけれど、
もう思い出したくもないって言ってるのに、
傷口に塩をぬるようなことを、なんでするかなぁ。。

「今でも夢に出てきてうなされる」なんて、
ポロっと口にした私がうかつだった。


「思い出したくもないんだから、そんな話は
 もうやめてよ。これ以上、惨めな気持ちになりたくない」

と言ったら、母がこう返す。

「ほら、やっぱり、そうでしょ?あの時からあなたは
 成長してるの?どうしてあのとき、対処できなかったの?
 でも、もう二度と状況をつくらないならそれでいいじゃない。」

母なりに励ましてくれているらしい。。。。
痛い。過去の傷口から血があふれそうだわ。。
これじゃぁ、逆カウンセリングだよ。

いくら過去のことを反省したり、対処法を見つけたり、
二度と同じ状況をつくらないという確信が持てたとしても、
それは、過去の傷が癒えたということとは
まったく関係ない。

「あの時、こうしていればよかった…」なんて考えは
逆に自分を追い詰めるだけだ。

精神的にトコトン、虐げられたていた人間が、
そこから抜け出すのにどれくらいのエネルギーが
必要だと思ってるんだ。私がどんな思いであのころ
生きていたのか、このヒトにはきっと想像もできない。

でも、誰かから「愛される」ってことと、
私の気持ち全部を「理解してもらう」ってこととは、
イコールではないので、母の愛情には感謝しよう。

「私はね、あなたを、子供のころから、
 こんなに、こんなに大切に育ててきたのに、
 大きな病気にもさせずのびのびと自由にさせてきたのに…。
 あなたが大人になって、いろんなところでストレスを感じて
 自律神経がおかしくなって、身体を壊していくのを見るのが
 やり切れないのよ。」


そんな言葉を聞いて、このヒトって本当に
子育てに命かけてきたんだな、と改めて感心する。


だけど、強烈なストレスを感じていたのは、過去の話。
今は、昔みたいに、神経性胃炎にもならないし、
胃痛や頭痛で救急にお世話になることもないもん。

昔のイヤな出来事は全部忘れたい。
なんで今更、過去の記憶の断片に苦しまなければ
いけないのかしら?



検討違いなところで、いきなり自分が責められたり、
全然関係のない、責任をなすりつけられたり、
公衆の面前で、恥をかかされたり、
一方的に批判されたり、バカにされたり、
自分の意見や意思がまったく、無視されたり、
自分に非がないと確信があるのにもかかわらず、
謝罪を求められたり、それに応じてしまったり、
恩着せがましいアドバイスに感謝の意を表することを
要求されるとかそういう理不尽な、出来事の数々とか、
誰かに助けを求めても、みんなが見て見ぬフリしていたこととか、
腸が煮えくりかえるほどの怒りを感じているのに、
口には出せず、心の中でたえず誰かを責めたりしていた自分とか
そんなことは忘れてしまえば、それでいいこと。

それに、謝罪の言葉を私は既に受け取っているのだから、
忘れてしまえばそれでいいこと。これ以上、どうしようもない。


ただ、私が知りたいのは、どうしたら「過去の自分」を
許せるのか?っつーこと。

何が悲しいって、自分を救えるのは、たったひとり、
自分自身だったはずなのに、私にはそれが出来なかったこと。
その事実が未だに、自分が自分で許せなくて。ね。

「トラウマ」って言葉を検索すると、
レイプとか虐待とか暴力とか、ヘビーな言葉の羅列。

私のイヤな思い出というのは、そういうのに比べたら
とってもとっても些細なことだ。

書いたらスッキリした。
無傷で生きるより、少々、痛いくらいの方が、
きっといろんなことを感じて、生きていけるはずだ。

この傷をなくすことじゃなくて、消すことじゃなくて、
愛する方法を考えるほうが、人生はもっと豊になるような
気がする。

うん、ちょっと前向きになってきたかも。






5月4日(夜) 「遊び疲れた」


そのあとは、地元の男友達と一緒に
映画を見たり、夜ごはんを一緒に食べたり。
いろんなことを語ったり、論じたり、問いてみたり。

焼肉を食べながら、彼に聞いてみた。

「ねぇ、自分の彼女が他の男のヒトとこんなふぅに
 遊びにでかけたりすることをどう思う?」

「うーん。俺やったら、それはアカンわ…」

まぁ、そんな彼も、自分は異性の友達を付き合うのは
いいけれど、彼女にはして欲しくないという
素直な分かりやすいヒトで、それは私もまったく同じ。

男女の友情は何ぞや?





5月3日(夜) 「しあわせなじかん」

とても温かくて幸せな時間が
流れています。

お父さんもお母さんも私の身体のことを
とてもとても心配してくれていて、
私がそばにいることを本当に喜んでいて
くれているようで、
一緒に夜ごはんを食べられること。
一緒にテレビを見て話をすること。
おやすみなさいの挨拶を家族にできること。

なんて幸せなんだろう…。
今日もなんにも特別な予定はなかったけれど、
今日の一日を思い出すだけで涙がでてきます。
何度も書くけれど、本当に本当に幸せだなと
心から思っているのです。

「このまま、ここで家族みんなで暮らしたい。」

そう思っている自分がいるのも正直なところ。
あぁ、切ない。

だけれど、せっかくつかんだ夢のしっぽを私は
手放すわけにはいかないので、
東京に戻らないとなぁ。。。

去年の事故に続き、先日の手術。
自分の娘の不幸を目の当たりにして、
ただ心配することしかできない母親の焦りや嘆き。

よく、「母親になって初めて、親の気持ちがわかった。」
なんていう人がいるけれど、私には子供を産まなくても
親の気持ちがわかる(つもり)です。
本当に愛されてる。感謝してる。幸せだなぁ。。。

仕事のこととか、明日のこととか
ぜーんぶ忘れてリラックスした時間を過ごしている
のにもかかわらず、昨日は怖い夢を見た。

あるヒトから散々に罵倒される夢。泣きながら、
「私は彼方にバカにされるようなそんな人間じゃない!」
なんて必死に抵抗している私。

そのヒトとはもう何年も会ってないけれど、
私がどうしても許せないヒトで、
そのヒトと一緒にいる間はずっとずっと辛くて
プライドも精神もズタズタにされて
(ズルズルと付き合っていた自分が悪いんだけれど、
 別れる気力すらなかったという最悪パターン)
そんときのトラウマがいまだに解消されず。

思い出すこともないのに、覚えている必要もないのに、
夢を見るたびにうんざり。。

「また怖い夢を見ちゃった、もう忘れたいのに、
 なんで夢にでてくるんだろう、思い出すだけで
 あの時なんであそこまで我慢したんだろうって
 後悔の気持ちでいっぱいになってそのことが
 ものすごくツライ。。」

母に打ち明けてみたら、

「あんときのアンタは、すっかり自分を見失って
 自信をなくして見てられなかったわ。
 周囲の意見にも耳をかさず、自分の殻に閉じこもって。。
 男運のなさは誰に似たの?
 もうそんなツライ思い出は忘れたほうがいい。」

だけど、ひとりになったら、またちょっと思い出しちゃって
あんときは本当にひどい目にあったわ…なんて
センチになっちゃって、ちょっとしょんぼり。
でも、こうやって時間をかけて乗り越えていかないと。。

過去のツライ出来事を自分の体験として
受け止められるようになったのも、
今、自分を支えてくれている人がいて、
自分が愛されるべき存在であることを確信しているからこそ。

どっぽり愛情につかって、誰からも批判されることのない
安全な場所でひとやすみ。自分の心の傷を見つけて、
治して、また、元気になれたらいいな。

東京に戻ったら、過去の心の傷なんかに
いちいちかまっていられないもん。

精一杯、背伸びして、カッコつけて、競争して、
夢に向かって、走っていかないと。。。






5月2日(夜) 「予定のない日の過ごし方」

さて。予定のない一日。
なんとなく時間がすぎていく。

とりあえず起きて、妹と一緒に
ランチへ。実家に戻るといつもいくお店。
することがないので、二人でまんが喫茶へ。
2時間ほど漫画を読んだりして、
時間をつぶしたあとは、
おかんを呼び出してカフェでお茶する。

犬の散歩をすませて、スーパーでお買い物。
今日の夜ごはんはエビフライ。

絵に描いたような幸せな光景。
母娘3人で台所に立ち、
お父さんとおばあちゃんを含めた5人で
一緒にごはんを食べた。

そのあと母娘3人で、叔母(専業主婦)の
お家にお邪魔することに。

専業主婦同士(叔母と母)の会話は、
飼っている犬のこと。近所の家の子供が
どこの大学行ったとか、就職したとか、
結婚したとか、あぁしたこうした。
なんて平和なんだろう(素直に)

犬のしつけのこと。
洋服のこと。美容院のこと。
おいしいお店のこと。

専業主婦になりたくはないが、
犬は欲しい。犬が飼いたい。
私は思わずこんなことを口にした。

「私、子育てするつもりはないけれど、
 犬は飼いたいわぁ。
 このコのために、頑張って稼ぐねん。
 このコの、美容院代のために、
 このコに、かわいい洋服着せるために、
 頑張って仕事せなアカンって思いたいねん」

今は自分の楽しみのために仕事ができる。
海外旅行するために、自分の夢をかなえるために、
あの洋服を買うために、あのお店にいくために!!

だけど自分の欲望を満たすためだけに仕事してると
きっと「なんだか空しいなぁ。。。」なんて
思う瞬間がこれからきっと出てくるはずだ。
(私も歳を重ねていくのだから)

人間のエゴと言ってしまえばそれまでだけれど、
とってつけたような理由であっても、
「誰かのために」仕事したくなる時期が絶対に
来ると思うわ。

子育てを終えたうちの母と叔母。
彼女たちはなぜ、あそこまで犬のしつけや
犬の世話に夢中になるのか?

子育てを終えて、胸にあいた穴を埋めるために
必死に可愛がっているようにしか見えないんだもん。





5月1日(夜) 「明日」

実家に帰ってきたものの、
明日も明後日も予定はナシ。

ぼんやり犬とネコと遊ぶか。