4月30日(夜) 「イタイン」

手術のあとの傷口を一ケ所だけ
防水テープをはがしてその成りゆきを
見守ることにした。一日に何度も何度も
マキロンをかけて化膿しないように注意深く見守る。

テレビを見ながら、消毒でもするかと
いつものように傷口に向けて、マキロンを発射させた
つもりが白いドロドロとした液体が傷口を被っている。

あわてて、自分が手にしている容器を見たら、
トラベル用のビオレだった。全く紛らわしい。。

術後2週間を迎えようとしているのに、
実は出血がダラダラと続いている。(こんなものなのか?)
おなかが張った感じは少しずつマシになったものの、
歩き続けるのはまだしんどい感じ。

洗濯とか掃除とか食事の用意とか面倒。。
ということで、やっぱり実家に戻ることに。
ママにごはんつくってもらって、洗濯もしてもらって、
パソコンもない部屋で一日中、療養しよう。

きっと、こんな贅沢な日々って2度と来ない。






4月29日(夜) 「久々に」

昨日、久々に映画をビデオで見たせいか、
朝から英語が頭の中でグルグルと回っていた。

少し、調子取り戻してきた私は、
海外に行きたい、英語をしゃべりたい、アメリカ人になりたい。
なんていう一時的な欲求に身をまかせてみることに。
で、つい勢いでしたことは、初めての英会話喫茶へ。
久しぶりなのにうまく話せるかしらん。
映画のスクリーンを飛び出して現れたような
ナイスガイたちに、一瞬、目を細めながらも、
壊れた英語で楽しいひととき。
(文法とか気にしたことナイ)
言いたいこと言えてスッキリした。。。

家に帰って、
おへその上から貼った防水保護シートを
おそるおそるはがしてみたら、
瘡蓋で被われたおへそが目に飛び込んだ。

他のシートはまだ外す勇気がない。
一日も早く、元の身体に戻れますように。
今年の夏は、ビキニが着れますように。






4月28日(夜) 「昨日の思考の続き」

昨日考えたことをまたぼんやりと考えていたんだけれど、
(1)の生き方。自分のやりたい仕事を最優先して、
出産もあきらめて、仕事に生きるっていうのを貫くのは、
並み大抵の努力じゃ、どうしようもないよねぇ。。

#私はどうにもまだ覚悟ができていないらしい。

これは私の主観だけれど、女は30歳くらいになって初めて、
新卒の男の人くらいの「期待」をされるんではないだろうか。
女20代の仕事っていうのは、「若いし、カワイイし、女だし」
でいろんなところで甘く見てもらえてる。
(言い換えれば、一人前に見てもらえていない)

30代になって初めて、本気で責任を追求されたり、
怒られたりするようになるんだろうけれど、
ここが大きなギャップになるんだな、きっと。

30代女は「私はもう何年も仕事してるのだから、イチイチうるさく
言われたくないわ!」なんて自信もあるわけで、
周りからしてみれば、「一生仕事する気あるのなら、もっとしっかりせぇ!」
みたいな期待があったり、なかったり。

だから女ってヒステリックになるのよねぇ。
20代のころは、周りから大目に見てもらっているところで
「仕事もなんとなくできてる〜」と思って勝手に自信もってたのに
30代になったころからは、急に周りが厳しくなっちゃって。

「なんでみんな私のこと認めてくれないのヨ!!キ===ッ!!」

っていうその心理、わかるわ。すごくわかるわ。
30代になったら、絶対にしないこと10ヶ条で、
「ヒステリックにならない」っていうのを挙げたけれど、
意外と難しいことなのかも。環境がそれを許さない。
いやん、想像ばっかりが膨らんでコワイ。。

ほんで、さらに考えたんだけれど、何度か書いたように、
女も30代になれば、おミズなお仕事のテクニックに学ぶべき
ところがあるかも。なんて悠長なことも考えたけれど、
あれを実践するには相当のストレスがたまるそうだ。
(いや、聞いたところによるとそうらしい)

お金もらって仕事してるからこそ、
年下の女の子に気を使いぃ、年輩の女性の方々をたて、
笑顔をふりまきながら、聞き上手、話し上手。素直にハイハイ。
時にはやさしく、時には励まし、理想の女を演じることは
かなりの精神力を消耗する。
(自分を殺してるんだから当たり前か)

そんなことしているうちに、仕事が終わればストレス満タン。
お酒をガンガン呑んじゃったり、ホストクラブで
大騒ぎして、自分の気持ちを発散する。

何ごとも相当な努力なしじゃ成し遂げられないモンなのね。


あーーー、無理してカッコつけて生きるより、
オバチャンになって、今みたいにチヤホヤされることがなくなっても、
自然の流れに逆らわず、ストレスためずに、頑張らずに
生きてみるっていうのも悪くないかもな。

「10日間で、上手に男をフル方法」をビデオで見た。
考えたことがコレ。






4月27日(夕方) 「これからの人生について」

20代に必要なこと。
それは、10代のコンプレックスを解消すること。
それから、「何をあきらめるか」を決めること。
そして、覚悟することだと思った。

これから、どんなふぅに生きるかを飽きもせず
考えている。愚痴っぽくならないように。
悲観的にならないように。冷静に。理論的に考えていきたい。

いろいろな「女の生き方講座」みたいな本を読んだけれど、
性別こそ、「男と女」ふたつであるけれど、
女の生き方ってもっと多様なんだから、
もっと体系化してそういう本を出して欲しいもんだわ。

結婚する/しない も大きな選択だと思うけれど、
子供を産む/産まない ことの方がもっと大事な選択だと思う。

仕事に生きるか。主婦になるか。どちらも手にいれるか。
その場合はどっちに比重をおくのか。
パターンとしては4つくらいかしら。

★自分のやりたい社会的な仕事を持っている人の場合
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

1)自分のやりたい仕事を男社会でひたすら頑張る。
  その代わり、出産をあきらめる

(年を重ねるほどに、女が働くのって実は、しんどい。)

2)自分のやりたい仕事もやりつつ、「理想的な子育て」をあきらめ、
  できる範囲で、精一杯、子育ても頑張る。

(仕事も子育てもって、私には無理やわ。。)

★よき妻、よき母になることに使命感を持っている人の場合
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
3)仕事をあきらめて、家庭のために、専業主婦として頑張る。

(これは私には絶対に向いていない)

4)主婦としての仕事もこなしつつ、
  (家庭に支障がない)仕事を主婦業の傍ら取り組む。

(アルバイトやボランティアっていうのもなぁ。。)

★自分が何に向いているのか、どうしたいのかわからない人の場合
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

番外編)なんとなく仕事して、なんとなく結婚もしなくて、
    その先は本人もよくわからない。


あぁ、私ってものすごく中途半端でやる気のない人間だわ。
自分がどれに向いているのかをきちんと分析して、
方向性を決めたら、何をあきらめるのか「覚悟しなきゃ!」


いろんな本を読んだり、自分の子供時代を振り返ったり、
周りの人の話しを聞いて、なんとなく感じていることだけれど、
「全てを手に入れる」って普通の人には無理だわよ。

「やりがいのある仕事」と「理想的な子育て」を両立させるには?
「専業主婦」をやりながら、社会的にも認められ、自己実現するにはどしたらいいか?

誰にだって完璧な幸せを手にする「可能性」は少しはあるけれど、
20代は夢見る少女じゃいられない。もっと冷静に、自分の適正を
分析する必要があると思う。


「自分は何をあきらめるのか。」「その代わりに自分は何を手にいれるのか。」
覚悟とあきらめと、強い意志を固めましょう>私。











4月265日(朝) 「悪夢」

二日連続で悪夢を見た。
自分の叫び声で、一瞬目が覚めたものの、
何度も何度も夢の中に引きずりこまれてしまい
本当に悲しかった。私は夢の中でどれだけ泣いて
いたかしら。

最初の夢は、自分のパソコンが盗まれる夢。
愛機であるMacのG4。

持ち去ろうとする誰かに向かって
必死に叫んでいた。

「そんなかには、私の写真集のデータがあるのよ!
 バックアップとってないんだから返して!!
 私の人生がそのハードディスクの中にあるんだから
 返せ〜〜〜!私の人生を返せ〜〜〜!!!!」

プライベートでちょっと腹立たしいことがあったので、
多分、そのことが夢に現れたんだと思う。
「ムカツクこと」私はいつもそれを「怒り」に消化できない。

普通の人なら「キ=====ッ!!」になるところが私の場合
深い悲しみとなって自分自身を痛み付けてしまう。

相手を責めたいのは山々だけれど、そんな勇気は全くないので、
「なんでこの人は、理解してくれないのだろう?」
「なんで、ここまで私が頑張っているのに、認められないんだろう?」
「なんで、私がこんな目に遭わなきゃいけないんだろう?」
こんな感情が、自分で自分をさらに苦しめてしまう。

矛盾や理不尽だと感じたら、相手に向かって攻撃すればいいものを、
なぜか自分に対して攻撃しているみたい。生きるのヘタやねぇ。










4月25日(夕方) 「今やりたいこと」

今の私のやりたいこと。

泣くこと。
笑うこと。
お風呂にはいること(一ヶ月くらいはダメだって)
おいしくごはんを食べること。

なんか悲しいなぁ。

身体が思うように動かなくて。
時間が思うように流れなくて。







4月24日(夕方) 「夕刊フジの取材を」

以前からお約束をしていた取材を受けることに。
術後の経過がこんなことになるとは予想外だったので、
電車にのるのはまずムリ。
自宅からすぐそばの喫茶店を指定して、
ご足労いただくことに。

テーマは、ネットアイドルを卒業して
新しい展開(写真家活動)をしている私について。

「アイドルって、究極のサービス業であって、かつ、
 消耗品だと思っていたので、あんなに楽しい仕事は
 ”これで最後かも”といつも思ってました。」

とか、なんとか言いながら…。
何を言うべきで何を言わざるべきか。
いつもなら、頭で整理してから話すのに、
今回ばかりはトンチンカン。

あと、ネットアイドルの取材を受けていたときに、
ついていた嘘も告白してはみたものの、
記事になるかしら。








4月23日(昼) 「生傷を見たくなくて。」

2時間ほど病院のロビーでまたされて2分ほどで消毒は完了。
防水シートもとられて、ガーゼの上にテーピングされる。

「これで、普通にシャワー浴びてもいいですよ。」

と言われたので、家に帰って、おそるおそる
ガーゼの下の傷に初めて対面した。

あかん、こんなん、無理やわ。。
病院で購入した防水シートを再び、自分の腹部に
装着して、しばらく過ごすことに決めた。

相変わらず、歩くことに不自由で、痛みのせいで
夜眠れなくて、気分はすごく「鬱」…。

身体に傷はついてしまったけれど、
子宮はキレイになったのだから、
もっと清清しい気分になりたい。





4月22日(昼) 「消毒のため病院へ」

つい最近まで入院していた病院へ再び。
この、防水シートを剥がしてもらい、
傷の様子を診察してもらう。

入院してからずっと一緒にいてくれた
妹が今日は帰郷してしまう。

ありがとう、アンタがいてくれて
どんなに心強かったか…。
「あんたが入院したときは、私が世話して
 あげるからなぁ」と玄関で見送る。

母から電話がかかってきた。
「退院しても無理だけはしないように。
 本当に大変だったね、ツラかったね。。」

本当に想像の5倍以上も大変だったよ。

手術時間は予定の3倍。
筋腫の数は予想の3倍。
気管支炎のため、私には使えない痛み止めの薬。
さらに、手術の合併症の「皮下気腫」…。

ようやくヨボヨボと歩けるようになったこの足で、
近所のスーパーへ夜ごはんの買い出し。
もっとマトモに歩けるようになりたい。



4月21日(昼) 「日常生活、できるかしら?」

リハビリのつもりで、近所のスーパーへ。
歩くということがこんなにも大変だとわ。。

妹がいてくれるので本当に助かる。
メールをチェックしたら千通以上もあった。
ほとんどがウィルスついてました。

4月20日(昼) 「さて、これから退院。いろいろ思うこと。」

さて、待ちに待った退院当日。
お迎えの車が来るまでの時間、うつうつと
振り返ってみることにする。

痛かった(今でも痛いが)、苦しかった。
よく乗り越えたもんだ。

いろんなことを考えたし、
すごくいい経験をさせてもらった。


■入院して感じた「女」の幸せについて

私が入院した病棟はA棟が産科。B棟が婦人科。
B棟の病室で隣のオバさんとおしゃべり。
髪の毛が抜け落ちてオシャレなバンダナを頭にまいている。

「私ね、ガンで子宮をとっちゃったの。もういらないからさぁ。
 これから放射線治療なのよねぇ。。」

もういらないってどうしてですか?子供さんいるんですか?
ガンってわかってどんな気持ちでした?
聞きたいことはあったけれど、聞いちゃいけない気がして、
私はただただ、「大変ですねえ。」なんて言っちゃって。
あぁ。私はなんて未熟なんだと思った。

A棟まで歩けば、そこは幸せな空気で包まれている。
ロビーには産まれ立ての赤ちゃんを抱いている若い女のコ。
おそらく初めて「おばあちゃん」になったと思われる中年女性。
その先の新生児室には、輝かしいほどのエネルギーがある。

子供を産むこと。子宮をなくすこと。子宮にメスをいれること。

女の性っていうか、幸せっていうか、不幸せっていうか、
そういうのってココには当てはめちゃいけない。
それでも、私は自嘲的にこう言わずにはいれなかった。

「あちらは、女の幸せ組で、こちらはそうじゃない組みね。」

別に自分が不幸せ組だと言うつもりはない。
ただ、あちらの「女の幸せ」が眩しかった。それだけのこと。



■摘出された筋腫について

筋腫の数は、4〜5個。手術は簡単で1時間程度。
そのように予想されていた手術が実は、大変なものに。

実際に摘出した筋腫の数は14個。
摘出された筋腫を家族は見たらしい。
看護士さんから、手術中のDVDとその筋腫を見ることをすすめられたが、
私はかたくなに拒否する。「得意じゃないので、いいです。」

あちら側では、玉のようにカワイイ赤ちゃんが毎日、生まれている。
私が母親に見せてあげられたのは、みにくい肉の固まりだった。
そのことをこれ以上、思い知らされるのはゴメンだ。
私はしらじらしく、今も悲しい。

■不完全な「女の幸せ」のカタチ。

入院しながらもいろいろ考えたけれど、
「女の幸せ」のカタチって、驚くほど不完全だ。

たくさんの可能性があればあるほど、
全てにおいて満足がおける人生などあり得ないような
気がする。

男の幸せはわかりやすい。
仕事して、出世して、女房もらって、家族のために働く。
男の人って自分が「働く」ことについてなんの疑問も
もっていないし、迷いもない。

女の幸せは、もともと、不完全なものかもしれない。

子供を産んだら、自分の時間をなくす。
運良く、自分のやりたい仕事を続けることだできたとしても、
「家族に対して申し訳ない」と自分を責めない女性が
果たしているだろうか?

家庭のために、自分のやりたい仕事をあきらめた人は、
「子供がいなければ…」と、心のどっかで、思っているに違いない。
それが一瞬であったとしても。
(もともと、仕事が好きじゃない人はそうじゃないと思うが)

自分の夢や仕事のために、出産をあきらめた人は
40歳や50歳くらいになって、
「私も子供をひとりくらい産んでおけばよかった…」なんて、
ある日、憂いに思うこともあるに違いない。


子育ても完璧にできて、自分のやりたい仕事もバリバリして、
家庭も円満なんて、よっぽどの好条件が揃わない限りムリだ。
努力とかそういう問題じゃない。

幸せになるためには、なるべく早く何かをあきらめることだと思う。
特に「やりがいのある仕事」と「理想の子育て」の両立は難しい。

私はどっちも欲しい。中途半端になるなら要らない。
だから、私はあきらめる。出産することを。

自分の子供を不幸せにして、誰かに責められたり、
自分を責めたりするくらいなら、
産んであげない方がいい。









4月19日(夜) 「やっぱりダメかも。」

まだ、ダメっぽい。
頑張って病棟内を散歩してみるものの、
1周もすれば、ヘトヘトだ。

こんな状態では、
家の近所のコンビニですらたどり着けないや。
念のため、入院をもう一日延ばす。

入院生活の楽しみは、新生児室をのぞくこと。
毎日、赤ちゃんが増えている。(当たり前か)
産まれ立ての赤ちゃんをガラス越しに見つめながら、
癒されるひととき。

産みたい。でも、産まない。

新しくママになった女の子を、私はどんな顔で
見ていたかしら。


4月18日(夜) 「退院を断念」

朝から診察を受ける。
やっぱりまだマトモには歩けない。
エコーや内診、触診を受ける。
異常なほどの腹部の痛みは、
手術後の合併症であることが判明。
手術に用いた炭酸ガスが体内に残留しているとのこと。
「皮下気腫」だって。。

どう考えても、こんな痛い状態で
家に帰れるはずがない。
退院を延ばすことにする。
相部屋が空いていないので、個室へ移動。


4月17日(夜) 「痛いんですが。。」

術後二日目。
とにかく痛い。
予定では、明日退院だけれど、
どう考えてもムリでしょう。

だってまだマトモに歩けないんだも。


4月16日(夜) 「歩行開始」

目が覚めても、相変わらずひどく痛い。
冷静に身体を眺めてみると、
身体からチューブが出ていたり、
尿道カーテルが突っ込まれていたり、
血栓予防のための機械が足にとりつけられていたり、
点滴がさされていたりする。

午後になってようやくそれらは取り除かれ、
歩行訓練が開始された。

トイレの往復だけで、大仕事だ。
だって、とにかくお腹が痛い!

夜は信じられないくらい、痛くて痛くて、
ナースコールで注射をしょっちゅう打ってもらった。

痛みを感じていない一瞬だけが、生きててよかったと
思える時間。




4月15日(夜) 「手術後の強烈な痛み」

手術開始予定時刻が変更。
午後2時からくらいになるらしい。
田舎から、母と妹が上京。
朝から何本も点滴を打ったりして、
事前準備は以外と大変。
お腹の中はカラッポになった。

麻酔注射をして手術室へ。
ドラマで見た風景の中に自分がいることが不思議。
「あれ?以外と意識がはっきりしてますねぇ。」
「そうですか?まだ大丈夫みたいですよ。」
と言いながら、手術台へ移動して手術室の風景を
見たところまでは覚えている。
それからの記憶はナシ。

朦朧とした意識の中で母親の声を聞いた。

「お姉ちゃん、よくがんばったねぇ、大変だったねぇ。」

一瞬、意識が戻りそうになって、強烈な腹部の痛みを感じた。
また気を失って眠りにつく。

目が覚めたら夜中の11時くらいだった。
とにかく、痛い、痛い、痛い。
なんなの?この痛みは?思わずナースコール。

「痛いんデスけど…」と泣きべそをかいているわたしに、
「あと、1時間くらいは痛み止めの注射を打てないので
 我慢してください。喘息がある方は座薬がつかえないんですよ〜」

白衣の天使が悪魔に見えた瞬間だ。
遠のく意識で聞いた母の言葉を思い出した。

大変な手術だったんだろうか?
もしかして、開腹しちゃったとか。
それで、こんなに痛いのかしら。。

それにしても、こんなに痛むなんて、予想外だった。
覚悟ができていなかったのよね。甘かった、私。




4月14日(夜) 「入院した、手術は明日だ。」


同じ病室の中年女性たち。
子宮けい癌の手術を終えて、放射線治療に入る人。
糖尿病で透析中の人。
よくわからない子宮の病気をもっている人。

こんな場所で「女」の幸せについて
考察するのは、あまりにも不謹慎のような気がする。


久しぶりにゆっくりとした時間を過ごす。
とはいえ、手術前日ということで、
いろいろなスケジュールをこなす必要あり。

気管支炎があるということで、全身麻酔をしたときに
いろいろと問題が起こりうる可能性もあるということで、
呼吸器科でいろんな検査を受けることに。

呼吸検査。何度も吸ったり吐いたり。
数値はギリギリで正常の範囲。
吐き出す空気の量の曲線がぜんそく患者特有のものだと
呼吸器科のドクターに指摘された。
実は、昨日、軽い発作を起こしてました。
花粉症の症状が少し出たと思ったら、呼吸ができなくて、
酸素不足でフラフラ。メプチン吸い込んだら、
手が震えて仕事にならなかったし。

こんなんで大丈夫かな、私。



4月14日(朝) 「入院当日の朝」

気が付けば、入院当日の朝です。
明日は手術です。

私は喘息持ちなので、全身麻酔には
ちょっとした危険がともなうらしく(鬱)
呼吸器科でさらに手術前検査をする必要があるらしい。
花粉症の症状で、気管支がちょっと炎症を起こしたっぽく、
昨日はメプチンを吸入したら、手の震えがとまらなかった。
デリケートなんだから、勘弁していただきたい。

スーツケースに着替えと本をたくさん入れて、
ついでに、ダンベルも。筋トレもできるかしら。

本当に勝手なことを言うようだけれど、
手術に向かうのって無駄に精神力が必要。
ストレスも半端なく感じていたので、はやくひとりで
ゆっくりと休みたい。

家族からの心配はすごく嬉しいけれど、
過度に心配されたり、あれやこれや言われると
ただでさえちょっとナイーブになっているのが、
とことん鬱になります。

「簡単な手術だから大丈夫だって。心配しなくて平気だから。」

自分に言い聞かせるように、周りの人にはそんなこと言って、
内心はこわくてしょうがないけれど、口には出すこともナイ。
きっとこういう性格がストレススパイラルから抜けだせない原因。

でも、私以上に、私を上手になだめられる人
いないんだからしょうがないジャン。

予定では、月曜日か火曜日には帰って来られるんだって。
私の居場所がどうか、ココにありますように。

ただの「女」になって帰ってきます。




4月13日(夜) 「ようやく見えてきた…かな?」

なんでこんなにも悩み続けなければいけないのか。
「女の幸せ」ってなに?
私がなりたい「大人の女」ってどんなの?
考えて、考えてまだ、スッキリとした答えは出ない。
あぁ、ホントにイライラするわ。

思えば事の始まりは「負け犬の遠吠え」を読んだときから。
20代でありながら「負け犬」に大きく共感したものの、
私に衝撃的なインパクトを与えたのは、
「勝っても」「負けても」女が30代になるっていうのは
大きな憂いをともなうことであるということ。
痛いほどよくわかった。というか、改めて認識させられた。

20代も長いことやってるのに、どんな
「大人の女」になりたいかなんて、あまり真剣に考えて
こなかったなぁ、と今さらながら反省。

仕事の目標はありました。あります。
だけど、「女の幸せ」とはなんぞや?
どんな「大人の女」になるのか?というのはさっぱり。

私もしかしたら、自分より年上の女の人のことを
ちょっと意地悪な目線で見てたかも。

(上京してきて、仕事に狂う女性を見たり、
 酒場で荒れる女性を見たりしたからかしら)

いや、素敵な人もたくさんいたけれど、
人は人、自分は自分で、その人の姿に「なりたい自分」を
重ねて見ることはなかったモンなぁ。。

常々、30女との仕事はやりづらいと私に愚痴を
こぼしている知り合いの男性(34〜35くらい)に聞いてみた。

「あのですね。。私、歳をとるのがすっごいコワイんですけど、
 どうしたらいいっすかねぇ?」

すがるような思いで相談したのに、彼から一言。
女の旬は短いから覚悟しておけ、とのこと。
でもよくよく話しを聞いてみると、話しを聞かない、
すぐヒステリックに怒鳴り散らす、そんな30女との
仕事はイヤだけれど、プライベートでは30代の友達女性と
親しくはしているようだ。

そんな彼の言い分は、こういうこと。

「若い女のコに気を使うのがめんどくさい」
「仕事の悩みなんかは、若いコに言っても理解してもらえない」
「若いコと話しをしても、実りのあるトークができない」

疲れた男を癒してあげられるくらいの気配りのあるトークができて、
しかも対等に、仕事について語ることができる。
うん、これは確かに20代の私にはできないことだ。
もっと修行を積まなければ。

でも、それを突き詰めていくと、
何日か前に、考えていたように、理想的な大人の女の人って
水商売の中堅どころ(新人以上、ママ未満)の能力に
近いような気がするのよね。やっぱり。



適度な色気があって、男の人をつつんであげられる包容力があって、
若い女の子を立ててあげる大人の余裕。
相手を息苦しくさせないさりげない気配り。
目上の人を敬う姿勢。
他人のことを思いやり、励ましてあげることのできる女性。


うーん。そんな女性に私がなりたいか、なりたくないかは、別にして、
こういう女性って(見たことないけど)悪くないなぁ。。

でも、水商売の人ってお金をもらって、プロ意識があるから、
男にとっての「理想の女性」を演じきれるのであって、
素人である私がそこまでなれるのか、とかちょっと疑問だな。
そんな生き方は相当ストレスがたまりそうだ。
というか、どうやったらそんな女になれるんだ?

でも、少し見えてきたぞ、うん、いい感じだ。


さて、日付けでいえば、明日から入院。
私の子宮にメスが入いります。

よくよく考えたら「女の人生」にとっては一大事。

でも、私が手術を決断した理由は「仕事人生」のためなのです。


私くらいに、症状がそれほどひどくない女性の場合、
ほとんどのが「結婚の予定があるし、妊娠したときに困るから…」
という理由で手術を決断するのに対して、私は
「妊娠の予定は一切ないが、仕事に集中できないのはイヤだから」
という理由で、決断しているのです。

手術を決断した半年くらい前は「女」として、どう生きるかというのを
これっぽちも考えてなかったよ。トホホ。
女の一生。考えるのもやっぱり大事だ。気付いてよかった。



誰にも邪魔されることなく、
「女の幸せ」について「なりたい大人の女」について
私は思う存分、考えるつもりです。


入院中に読む本を今日も買ってきました。

「若さを長持ちさせる本」
「大人の女のマナー」
「かしこい女は、かわいく生きる。」
「美しい女になる」


特にこの中の一冊の本の帯には、
「女の幸福とは、仕事の成功や名声、富ではなく、
 女としてのアイデンティティの中で生きること」
なんて書いてあるもんだから、果たしてこの理屈に
私が共感してしまうのか、否なのかすごく楽しみ。


そういえば、入院は4年ぶり(なんて、病気がちな私!)
前回は緊急入院だったから、ロクな準備もできなかった
けれど、今回は新しいパジャマも3着も買っちゃった。


地元に住んでたあんときの入院は、外出許可を無理矢理もらって、
新幹線にのって、上京してモデルの仕事をしたり、
無断外出をして、舞台の本番に出演したり、いろいろ無茶したけれど、
(ほんまにムチャクチャやわ)今回はおとなしくしてよう。

決して、病院の近くのネットカフェに行ったりしない(多分)









4月12日(夜) 「入院の準備をしたり。」

入院の準備のためのお買い物。
新しい下着。バスタオル。洗面用具。スリッパ。
「大人の女」について悩んでいる場合じゃない。
ハっと気付けば、手術の日が迫っている。
ついでにいうと今日は写真集の締め切り日。
何もかも大詰めだ。

今日、立ち読みした本は
「30代は女のベストシーズン」という本だった。

その中でちょっと気になった部分はココ。
「私の知ってるモテている30代、40代の女性は
 こんなオバサンでごめんね、なんてみじんも思っていない」

これには大きく頷く。
そら、そうだよね。やっぱり卑屈になるのは
よくない。

でも、どうすれば、30代になって
「こんなオバサンでゴメンネ」という情けない気持ち。


「歳をとった私は昔より価値がない」という
自己否定から逃れることができるのか。


私はそれが知りたいのよ。どうしたらいいのさ。

で、それはやっぱり20代をいかに過ごすかが
大切だと思うのよね。(というか、そうするしかないわよね)

20代という時代は、自分のコンプレックスを
解消することに全力投球すればいいのかなぁ。


だとしたら、私の場合は異常なくらいに、
「周りの人にチヤホヤされたい願望」があったんだけれど、
おかげさまで、インターネットのおかげで、
その欲求はほぼ満たされつつある。

なんてことないフツーの私が、
ネットアイドルのブームによって、
ワイドショーに特集されたり、グランプリもらったり、
いろんな新聞社や雑誌にも取材もしてもらった。
グラビアのモデルも経験させてもらったし、
トレカにもなったし、写真集まで出してもらったり。

ここまでの機会に恵まれて、
「満足しました」と言えないくらい私は欲張りではない。

10代のころの私は、やっぱり人並みにモテてみたいと
思っていたし、男の人から「カワイイ」とも言われたかった。

望んでいたとおりの現実は手にはいらなかったので、
20代になって私は必死になってリベンジした。
モテない女が、パソコンに向かい、勝ち得ることのできなかった
モノを屈折しながらもようやく手にいれた。満足した。


んじゃ、これからは、コンプレックスの裏返しの頑張りではなく、
素の自分で、自然に頑張れるのではないかしら。

この展開はいい感じ。

で、私の場合、自分を客観的に見ていても、
痛々しいぐらいに、前向きだったり、
わざとらしいくらいに、頑張っている、と
周りから見えているかもしれない。

でも、それは10代のころに満たされなかった欲望を
必死になって満たしているのであれば、それはそれで
悪いことじゃない。

10代のころに手にはいらなかったものを、
20代で必死に努力して、コンプレックスを解消する。
30代になったら、力み過ぎずに、もう一度、ゼロから
スタートする。

この計画はいいぞ!
昨日、書いた「30代になってやらないこと10箇条」の
4番目にかなり効果がありそうだ。

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4.男性が若い女の子をちやほやしているのを見ても
 嫉妬しない、ひがまない、くやしがらない。
-------------------------------------------


私はよく30歳を迎えた女性が、

「20代じゃなくなるのすごくコワかったんですけれど、
 30になったら、なったで、そんなに別に周りも自分も
 変わるわけじゃないし、そんなにビクビクすることも
 ないかなって思いました。えへ。」

という脳天気なコメントをしていることがある。
女が歳をとるってもっとシビアなことだと思うぞ。

気が付いたらオバチャンになってたではあまりにも悲しい。


30代、みんなで歳とりゃこわくない。

そうじゃなくて、逆らえない時間の流れの中で
私は私が求めているものを確実に、手にいれていきたいと
そう願っているのです。










4月11日(夜) 「はっきり言って恥ずかしい」

どうしたら自分のなりたい「大人の女」像を
見つけられるのか。

こんなことで、悩んでいるなんてまるで思春期の
まっさかり。だけど、今、きちんと悩んで答えを
出すことが必要だと感じています。

「なるようになるさ」とか「今が楽しいんだからインじゃない?」
「自分のやりたいこときちんと実現してるし心配ないよ」
なんてあまりにも苦悩している私をみかねて
やさしい言葉をかけてもらうこともあるけれど、
ココはきっちりと苦しみたい。

「もうこれで歳をとることなんてコワくない!」と
悟りをひらけるまで頑張ってみたいのです。

今まで、歳をとることはそんなにイヤなことがは
なかったような気がします。

小学生のころは、中学になったら、あの制服を着て
どこどこの部活をして、こんなことをして。

中学生のころは、受験が終わってあの高校に入ったら、
彼氏をつくって、デートとかして。。

高校生のころは、女子大生になったら、
車の免許とって、合コンして、、

大学生のころは、就職したら、
ボーナスであれ買って、これ買って、
あんな仕事してこんな仕事して。。

で、仕事にも慣れて仕事の目標もとりあえず
明確になってきたところで、仕事の成功以外に
楽しみなことが見つけられない。

「30代になったら、あれして、これして」
なんて考えられることが今のところ何もないのです。

20代にできなくて、30代になって、ようやく
できるようになることってあるのかしら?

20代で、海外旅行にも行くし、おいしいものも知ってるし、
ひととおり仕事も覚えてそれはそれは楽しい。
お化粧だって、洋服だって、普通に仕事してれば
楽しめるだけの収入はあるわけで、
何ひとつ不自由はない。
しかも私の場合、上京してきてひとり暮らし。
口うるさくいう親も近くにいなくて、
快適そのものの毎日。

でも、30代になれば、一緒に遊んでくれる友達の数は
グっと減るはずだし、
化粧のノリも悪くなるし、
洋服だって、何着たらいいかもわかんない。

子育てでもしているのなら、
「子供が生まれた!」「子供がしゃべった!」
「子供が立った!歩いた!」という、日々の成長を
楽しみにしつつ、やれ小学校の入学式だ、受験だ
なんだと、約束された「楽しみな出来事」があるはず。

「子育てしない」と、もう決めている私にしたら、
これから「楽しみな出来事」を何に設定すればいいのか
わからなくなってしまうのです。


思えば、若いころから、「大人の女」の人には、
ずいぶんと脅されてきたような気が。

「あんたたち、今はいいけれど、25を過ぎたら
 肌が変わってくるのよぉ。」
「今はいいけど、いつまでもフラフラしてると
 結婚できなくなるわよぉ。」
「そうやって、遊んでいられるのも今のうちよぉ。」

なぜ、私のまわりの大人の女のひとたちは、

「30代になるとこんなに楽しいことがあるのよ!!
 あんたも早く、30代になりなさいよ!」

と言ってくれなかったのでしょー?
(別に聞かなくてもわかるが)

で、身近に参考になる人がいないので、
芸能人を見つつ考えてみたのですが、

「早く30歳になりたかった!」とエッセイでも書いていた
藤原紀香は確か、まだ独身だったと思うけれど、
見ているとチョット痛々しい。なんか無理してる感じがする。
なんだか疲れている。(私の先入観かもしれないけれど)

それに比べて、30を目前としている、松嶋菜々子なんかは、
結婚もしているせいか、女としてすごく満たされているような
感じもしつつとってもいい感じ。

そういうのを見ると、もう20代で恋愛をたっくさんしたら、
30歳になるくらいに、サクっと結婚っていうのも
悪くないのかな、なんて思ってしまいます。
(まあぁ、それもどうかと思うが)

で、こういう憂いを、私はまだ、女友達に
打ち明けたりしたことはないのだけれど、
同い年の男友達に、「歳をとるのがコワイ」なんて言っても、
驚くほどに理解してもらえません。

そらそーでしょう。
だって、男の人といえば、30代、40代が旬だもの。
20代の努力の結果がやっと形になるのが30代。
彼らにしてみれば、早く歳をとりたいとさえ思うのかも。


20代は「女」であることを満喫し、
30代は「母親」であることに専念する。

子育てしない人は、じゃぁ、何をすればいいのか。
男の人とチャラチャラデートしたりすることを卒業して
「自分」を追求するのが、30代。というのはどうかしら?

うん、悪くない。でも、その「自分」ってだれ?


ここでまた行き詰まった私は、
本屋に行って何冊かの本を買いました。

「いい女は頑張らない」
「もっと魅力的な女性になるための自分学」
「女20代をもっと素敵に生きる本」
「こんな女とは結婚したくない!」

などなど。
参考になることがあるかどうかは別にして
とりあえず今から読破します。


で、もういい加減、本当にしんどいので、
人生をシンプルにしたいと思っています。

あれも、これも、欲しい。
仕事も、恋愛も、夢も、お金も、美しさも。
全てを手に入れるためには、
あれもしなくちゃ、これもしなくちゃと
考えてばかりで疲れてばかり。

何をするかではなくて、
何をしないかを考えることにしました。

私が今、人生のポリシーとして
「しないこと」としてあるのは、

1。いくら好きでも、彼氏である男以外とは
  セックスしない。
2。人の悪口は(なるべく)言わない。書かない。
3。自分のプラスになりそうもない人とは付き合わない。

これだけで、今のところは十分なんだけれど
あえて、「30代になったら絶対にしないこと」を
今から考えてみたいのです。

1.自分のことを「オバチャン」扱いしない。
2.自分が若さを保つために、いかに努力しているかを
 アピールしない
3.子供がいないことで、自分がいかに幸せかを主張しない
4.男性が若い女の子をちやほやしているのを見ても
 嫉妬しない、ひがまない、くやしがらない。
5.「私だって若いころはモテたのよ」なんて絶対に言わない。
6.知らないことを知っているかのようにふるまわない。
7.これ以上、太らない。
8.下品なシモネタを絶対に言わない。
9.頼まれてもいないのに人前で大きな夢を語らない。
10.男に結婚を迫らない。


今日はここまで考えてみて、一日が終わり。
ちょっとだけ出口が見えたような気がします。

いや、まだまだかな。。。

自分でも自覚があるんだけれど、
こういう思考のプロセスをこんなところに書いている自体、
ものすごく恥ずかしいことだとつくづく思います。

できれば、誰にも読んで欲しくないです。
ただ、書かずにはいられないだけなんで。。









4月10日(夜) 「明日は撮影なのに」

毎日、毎日、よく考えられるなぁというくらい
「なりたい大人の女性像」を求めています。

負け犬とか勝ち犬とか、関係ないです。
自分が結婚をするとかしないとかじゃなくて、

意志とは関係なく、避けることのできない、
年を重ねるということを、これ以上恐れないために、
私はきちんと目標を持っておきたいのです。


私は「どんな大人の女性になりたいのか」「どうすればなれるのか」
「そのためには何が必要なのか」と。

これをいち早く、言葉で表現できるよう具現化したい!
で、できればこれをマニュアル化していきたい。

あまりに考えすぎてしまったので、ここらでちょっと休憩。
視点を変えてみることにしました。

大人の女性が欲している情報を
知るために女性サイトをぶらぶらと見てみる。

女性向けサイトがビジネスモデルとしてどうのこうのって
いうIT業界人っぽい考察は抜きにしておいて、
やっぱり、人気のあるコンテンツってグルメ・旅行らしい。
(コスメ関係の情報は、専門サイトのが人気あるみたい。
 だって、女性向けサイトの美容コンテンツは広告だもんね)

美味しいもの食べて、スイートルームで宿泊して…。
うーん、いいねぇ、私もこういうの好き。


(思考中)

あれ?なんか変?

勝手な思い込みなんだけれど、
「レストランガイド」や「ホテルガイド」を購入するのは
もっぱら、男性の役割ではなかったのかしら?


「若い」のころは、男性がその役目をしているのに、
「大人」になれば、女性自らがそういう情報を求める。らしい。

ひとりでも気軽に入れるレストラン情報
レディースパックと称したホテルのサービス

大人の女が欲している「自分のための癒し」

こんなところでしょうもない分析していても
あまり役には立たないけれど、
そういう背景って、

・男性がホテルやレストランに場所に連れていくのは、
「大人の女性」ではなく、「若い女性」である。

・「大人の女性」には、自分のために使えるマネーがある。

・大人になると、仕事も忙しいので、男性に気を使いながらの
 アレコレは面倒くさい。

と、いうのがあるんだろうなぁ。。。と。

でね、でね、いろんな女性サイトを見ていると
「旬」な女性にインタビューみたいな特集があるわけだ。

そういう人って一応キレイで、ビジネスにも成功していてって
「女だけれど、がんばって成功しました!」とか
「キレイを保つためにこんなことしてます!」とかいってる。


ここに、注目したい、ここが重要だ、ここがなんかオカシイ。


女性サイトを編集しているスタッフって、女性であることが多い。
そんな女性に選ばれた女性が、こういった特集に出ている。
つまり、女性がカッコイイと思う女性にスポットライトを当てて

「さぁ、みんなで、この人みたいになれるよう頑張ろう!」

みたいなことを主張してるんでしょ。

いや、でも、それでいいのか、と。私は考えたい。
私はこのへんをすごく考えたい。

ほんまにそうなのか、と。私が目指すのはそこなんか、と。
このへんの勘違いがなんかをおかしくしてるんとちがうんかな、と。

あぁ・・ここでもう思考停止。




(3時間後)



自分のための思考散文は、終わりがないのでツライ。
パソコンに向かいながら、思考げ継続していると、
書きつづけてしまう。

でも、自分の思考のプロセスを残しておくため
私は書かねば。


(さらに、1時間後)

おぼろーげながら私が見えてきたなりたい「大人の女性」というのは、
少なくとも男性から「ああいう、30女と仕事をするのは疲れるんだよ」とか
「頑張っている姿が痛々しいんだよね」と揶揄される人ではない。

「女性が憧れる女性」ノットイコール「誰からも愛される女性」
であることは明白でありながら、このへんがポイントではなかろうか。


大人女性は「頑張って努力して成功した女性が好き」
一般的な男性は「自然体で若くて、俺色に染められそうな女性が好き」


女は才女がエリートと結婚するのは許せるが、
アホ女がエリートと結婚するのを許せなかったりするので、
「がんばってー、がんばってー、やっとー、幸せを手にしましたーー物語」
を愛する傾向があるのではないかしら。

何回も同じことを書いてるような気もするけれど、
女性に好かれるのは「努力して」幸せを手に入れた人。
特集されるのもそんな人。
女性が目指すべき対象として啓蒙されているのもそんな人。
女が憧れるのはシンデレラストーリー。


で、特集されている女性の記事を読んでみると
いくつかのキーワードがでてくる。

「いろいろな苦労を乗り越えて自信がわいてきました」
「人の3倍は努力してやってきたんです」
「仕事は趣味みたいなもの。でも、私の生きがいなんです」


自信、努力、生きがい。
なるほどねぇ。。。。。。。。。。(思考中)


どのへんがズレているのかわからないけれど、

女は「幸せになるために必死に努力」をするけれど、
その努力の方向はちょっとピントはずれの場合も
あるということか。

じゃぁ、一体、誰を参考にしたらいいのか?
何を参考にしたら…。


(思考中)


わかった!私の読みが少し甘かった。


世の中には素敵な女性って絶対に存在していて、
そういう人は女性向けメディアに登場していることが多い。

でも、そこで書かれていることって、
仕事に対するスタンスとか、趣味はどうとか、
キレイの秘訣はどうとかそういうことばかりじゃない?

そういう情報を知りたい女がいるから、そういうことを
インタビュアーが聞くの?

それともインタビュアーがそいいうことを知りたいの?

私は特集されるような女性に聞きたいよ。

「あなたが同性から嫌われないようにしていることは何ですか?」
「今の成功が永遠だと思いますか?不安になることありませんか?」
「自分で男性にモテると思ってますか?モテるために努力してますか?」
「若い女性に嫉妬しませんか?しないためにはどうすればいいですか?」


これだ!これだ!(大騒ぎ)
私が知りたいことってまさにこれだ!

こういうことを書いてる本ってあるかしら?
ないならつくってみたい。

活躍している女性の趣味とか、美容の秘訣とか、
休日の過ごし方とか
知ったところで、なんかのヒントになるか?
いや、それはそれで、なるかもなぁ。。
でも、本当に(私)が知りたいことって、さっきのだ。


あれ?


(思考中)



そうか〜〜〜〜〜。わかった!
女って複雑だなぁ。。。ここにもまたカラクリがあったよ。

以前、なんかの雑誌で、「大人のイイ女」である代名詞の
黒木瞳のインタビューで

「黒木さんのキレイの秘訣は?」という問いに対して、
彼女は「特別なことは何もやってません。」なんて返答を
していたのね。


でもよ、実際のところは、どうかわからんよね〜。
毎日、エステに通ってるかもわからんし、高いサプリを
飲んでいるかもわからん。(本当のところは誰も知らんと思うが)

だけど、彼女は公の場で「努力は何もしてません」と言っている。

この言葉の選び方自体が、
「同性に嫌われないコツ」であり、「男性からもモテるコツ」
なんじゃないだろうか。


世の中は複雑なロジックでてきている。


・「女性プランナー」が「旬の成功した女性」を選ぶ
(一般女性が憧れそうな女性がチョイスされる)

・「女性インタビューアー」が、仕事・美容・趣味について問う
(一般女性が興味を持ちそうな話題をふられる)

・「旬の成功した女性」がそれに答えて、記事となる。

(その答えが、一般女性の目標となる。でも、その答えが必ずしも
 本音とは限らないので要注意)


女性に支持される女性、憧れられる女性の言動を、
そのまま鵜呑みにしちゃぁ、まずいってことね。
言葉の裏の裏を読まないと。。。


で、今日、考えるだけ考えて、結論として導き出せたことは、
下記のとおり。


1.多くの女性が、女性に憧れられる女性の「記事」を参考としている
 現状がある。(努力して、頑張って、成功しました物語)


2.だけど、そこには、上辺だけの情報が多く、特に
 女性は「イイカッコしてみせたい」ものなので、本当のところが
 いつまでたっても伝わらない。
 (社会的には成功していても、その他はどうなの?ってところ)

3.本当になりたい「大人の女」になるためには、そういった記事の
 シンデレラストーリーにまどわされるのは注意!
 「こんなに頑張っているのに、誰も私を認めてくれない!」という
 ひがみ根性が出やすくなります。その結果、男女ともに嫌われる
 ウザイ大人の女になってしまう。


4.幸せな大人の女性に、私はコレが聞きたい。

「あなたが同性から嫌われないようにしていることは何ですか?」
「今の成功が永遠だと思いますか?不安になることありませんか?」
「自分で男性にモテると思ってますか?モテるために努力してますか?」
「若い女性に嫉妬しませんか?しないためにはどうすればいいですか?」


5.聞くためには、どうしたらいいか?


…それはのちのち考えるっていうことで…。

・出版社に本を書きたいと企画を売り込む
・人脈を駆使して、大人の女性に会いに行く
・誰かからのメールを待つ

いろんな選択肢がありますが。。







4月9日(夜) 「脳内メモリ不足」

私は脳内のメモリがすぐに、足りなくなってしまうタチで、
最近はノートに自分の思考を書きながら、
自分の考えをまとめることに凝っている。

今日の脳内トピックも、いかに年を重ねていくか。

ノートに箇条書きにしたのは、
「なぜ、30代になりたくないのか」
「自分が思う30代のイメージ」
「自分がなりたい30代のイメージ」

ひとつ自分のモヤモヤが形になってきたのは、
自分の中に燃えさかるであろう「若さへの嫉妬」を
どんなふぅに処理するのか。

「若さ」ゆえに、いろんなところで
優遇されてきたワタクシ。

それを少しづつ失うことが
とってもとってもコワい。

私が失ったものを、持っている人たちを見ると
うらやましい。くやしい。ひがんじゃう。
いじけちゃう。そして腐っていく。
このパターンだけは避けたい。

そうならないために。何をしたらいいか。
明日はこれを考える予定。

どうでもいいんだけど、私の周りにいる
男の人ってほとんど例外なく、若い女の子が好きだし、
みんな口を揃えて、30過ぎた女は不要!
みたいなことを平気で言うのよね。

中には、不倫するなら30代がイイとか
言ってる人もいるし。

男性のDNAが、生殖機能的にも優れた
若い♀を欲するのは、人間の生理として理解できるものの、
どこか腑に落ちないワ。





4月8日(夜) 「勝ち犬?おんなのメッセージ」

私もわりと思いつめるタチで、
興味のないことは知らなくても全然平気なんだけれども、
「女の幸せ」については、興味アリアリで
負け犬論争から始まったそれに、朝から晩まで考えずには
いられません。

で、本屋をぶらぶらしていると、
「勝ち犬?おんなのメッセージ」というちょっと興味
をひかれるタイトルの本を見つけました。

筆者は24歳で結婚され、お子さまもいらっしゃる。

世間では、「勝ち犬」と呼ばれてますけれども、
主婦には主婦でいろんな大変なことがありますのよ。
だけれども、小さな出来事に幸せを見つけて、
勝ち犬は勝ち犬でがんばっていきましょうよ。

ということを伝えることが主旨らしい。
勝ち犬人生を歩む予定のない私には別世界。

立ち読み程度しかしていないので、
全容までは実はわからないのだけれど、
ただただ、その筆者の幸せボケに、感動してしまった。

「売春してまで、ブランド物のバッグを買う女子高生がいます。
 それが私には信じられません。」

と始まるその文章の続きには、若いうちは自分に投資を
するべきときであって、中身がともなわないうちに
そんな高価なものをもってもしょうがない云々いうことを
おっしゃっているのですが、、、

そっちの方が、私には信じられませんでした。
「これが、本当に、子供をもつ母親の、大人のコメントなのか…」
としばし呆然。


確かに、言ってることは正論だけれども、
全然、間違ってはいないけれども、
どうしてわからないのかしら?

売春してまでブランド物のバッグを欲しがる女性高生の気持ちを
「信じられない」のひとことですませてしまっていいの?

私は売春の経験はないけれども、あくまでも想像の範囲で
売春してまでブランドモノを持ちたがる女子高生の気持ちはわかる。
彼女たちの無邪気なまでのブランド志向や、
自分の身体を傷つけたい衝動や、何もかもどうでもいいと思える瞬間とか、
自分の身体を自分のものとも思えない、自己喪失感とか、
友達と同じモノ、それ以上のモノを持ちたいと思う欲求とか、
堕落した日常から抜けだせない自己嫌悪とか。
身体を求められているときだけ、自分が愛されてる錯角に
陥るその感覚とか、さみしさとか。

こういう母親って、自分の子供のことを盲目的に
信じてるんだろうけれど、ちょっと間違えれば、しっかり裏切られそう。
負け犬の私が心配してしまいます。(大きなお世話)

さらに読みすすめていくと、消費者金融でお金を借り過ぎて
追い詰められて自殺してしまう人の話しが書いてあったんだけれども、
その話しの下りには、

「人間死ぬ気になればなんでもできる。その土地にいられなくなったら
 別の土地に引っ越して、イチからやり直せばいい」

なんてことが書いてあってコレまた卒倒しそうになりました。
本当にこのひと本気でこんなことを思っているんだろうか?

死にたいほどに追い詰められる人に対して、
「新しい土地でイチから人生をやり直しなさい」なんて
その人のことをますます追い詰めることに他ならない。

普通の精神状態だって、
新しい土地でイチから人生を始める(転職とか引っ越しとか)のって
とんでもないエネルギーを必要とするのに、

生きることを続けることのエネルギーさえ残っていないところまで
追い詰められる人に向かって、新しい土地でやりなおせ。
死ぬ気になればなんでもできるって、一体。。。

これも私の勝手な思い込みですが、
こういう親にかぎって、自分の子供が登校拒否とかになって、
リストカットとかして、

「もうやだ!あたしもう、学校にも生きたくない、死にたい!
 お母さん、私の気持ちなんて全然わかってない!!」

なんて状況のときに、

「死ぬ勇気があるなら、学校くらい行けるでしょ!」

なんて見当違いな叱り方をするタイプだと思う。

人間の心の病みとか闇とか。
そういうのに全く鈍感な人が勝ち犬のカリスマ的な本を
書く世の中に、ただただ、びっくりしました。

(勝ち犬の人すべてがこういう人ではないと思うけど)

いやーー、私も人生まだまだわかってなかったなぁ。。。


とココまで書いて、かなり反省しています。
消さないけれど。

ねぇ、こんなふぅに、負け犬はキャンキャンと
遠吠えをしてしまうのね。

20代にして、負け犬人生を歩むことを覚悟した私が
勝ち犬に向かって、文句のひとつも言いたくなるなんて
自分で情けないけれど、なんてたって、負け犬なんだから、
ちょっとくらい、いじけてみせてもいいよねえ?





4月7日(夜) 「どうしたらいいのかしら。」

今日も「負け犬」にならないためには
どうしたらいいかをずっと真剣に考えてしまった。
周りを見ても、素敵な大人の負け犬にはお目にかかれない。
イヤでも年はとってしまう。あぁ、私は「大人の女」として
どのあたりを目指したらいいのかしら。

#ふと思いつくのは、黒木瞳だけれど、
 ああいうのは奇跡というか怪物みたいなモンなので、
 現実的な目標してはいけない。

別に、「結婚できないこと」が私は敗北だとは思わないけれど、
30歳を過ぎたころから、若い女性にはけむたがられ、
男性からは仕事以外では相手にされなくなる
そんな現実こそ問題だと思うわ。

仕事をしている「勝ち犬」は家に帰ればダンナが待っているので
そんな現実は気にならないはずだし、専業主婦ならなおさら。

で、あの本にも書いてあったけれど、
30女の何がイケナイってこれですよ、これ「若さへの嫉妬」

この「嫉妬」こそが、時に女をヒステリックにさせ、
無理のある可愛さでオバカなアピールさせちゃったり、
若い女の子にデレデレする男を見下してしまったりと、
ちょっとイヤな感じにしちゃうのね、きっとそうよ。

では、どうすれば、若さに嫉妬しないでいられるか。

あぁ、なんて難しい議題なのかしら。
私はまだ20代だけれど、今日はとっても若いカワイイ女の子を
見て「若いっていいなぁ〜〜〜」なんてしみじみ思ってしまったもん。

無くしたものほどよくわかる。

そういえば、カリスマ主婦っていうのはあっても、
カリスマ30代OLっていないよなぁ。。




4月6日(夜) 「負け犬の遠吠え」

芥川賞受賞作に手を出さなかった私が
ついついこれには手をつけてしまった。
「負け犬女の遠吠え」BY酒井順子。

彼女のエッセイは好きで前から何冊か読んでいて、
その分析力は素晴らしいなと思いつつ、
「その先は一体、どうなんだ?だからどうなの?」
といったところがいつもグレイなままで
読後感がイマイチスッキリしないのが気になって
いたんだけれども、今回もやっぱりそうだったよ。

負け犬の生態の描写はお見事でした。
そして、私は根っからの負け犬体質であることが
よーくわかりました。まるで私のことが書いてあるみたい(藁

疑問に思っていたことが自分なりに解釈できてよかった。
なぜ、30を過ぎると女はモテなくなるのか。
女は30になるまでに何をしなければいけないのか。

本の中に明確な答えはないのだけれど、
ヒントはたくさんある。

もっと見つけられるはずだ。




4月5日(夜) 「とまらない憂鬱」

あぁ、なんかとっても鬱っぽい、わたし。

誰かに聞いて欲しい話があります。
それは、手術のこととか仕事のこととか
将来のこととかと全然関係なくて、
むしろ大昔のことの話しです。

中学生から二十歳くらいまでのころの話し。
「誰も私の気持ちなんてわかってくれない」
そう信じて生きていたころ、私が本当は何を感じていたのか。
どれだけ苦しんできたか。

だけどそれは私のことをよく知る誰かには
絶対に話したくないこと。
友達や家族にはもちろん知られたくないこと。

ただただ、「こういうことがあったんですよ。」
っていうのを聞いて欲しい。
別にアドバイスとか感想とか全然いらないので、
「へー、そうなんですかぁ。」っていう相づちだけでいい。

そんときのこと、思い出すだけで悲しくなってきちゃって
泣けてしょうがなくて、だけど、誰にも聞いてもらうことは
できないので、そのことをひたすらノートに書くのだけれど、
「思い」があふれてどうしようもなくなってしまう。

あのとき、もっと上手に泣いていれば、
あのとき、もっと誰かに甘えることができたら、
あのとき、誰かがそばにいてくれたら、
あのとき、もっと自分を大事にしていたら、

こんなに大人になってしまった今でも、
「昔の自分」が、急に現れて、
「もっと私の気持ちをわかって!」と暴れ出すことは
なかったような気がします。
私はどうしたらいいのかわからなくなります。

ノートに自分の感情をなぐり書きしていて思い出しました。
あのころもずっと、こうやって、書いてきていたんです。

誰にも知られることがなく、紙の上で死んでしまった言葉たち。

私にはこの場所があるけれど、それでもやっぱり書けないことが
たくさんあって苦しいです。




4月4日(夜) 「イターーーーーッ」

身体がだるくってずっと寝てました。

4月3日(夜) 「キターーーーーーーーーッ」

地味にそれはやってきたものの、そんなにもツラくない。

「こんなに平和な毎日なら、決心するほどでもなかった…」

そんなふぅに、昼間は思っていたけれどとうとうやってきた
地獄のような苦しみ。それは、先月よりもまた一段と
パワーアップして私を襲ってきた。

「いた〜〜〜〜…。。。。。」

身体の力が入らないし、変な汗まででてくる。
私は決して、マゾではないが、この痛みは非常に嬉しい!

ひたすら妄想に走るワタクシ。
こんなのがもし、仕事中だったら?もし、撮影中だったら?
(先月はデート中だったので、相手の人にかなり迷惑をかけた)
あまりの痛みにベッドに横になったら、意識が遠のく。
気が付いたら朝だった。

朝になっても、下腹部の鈍痛は続いている。腰痛もある。
はっきりいって身体はしんどいが気持ちはむっちゃハッピー!

今までモヤモヤしていた最後の霧がすっぱり消えた。
手術しよう。



昨日、杉田かおるのドキュメントやっていたけれど、
あの人も筋腫もってたんだ。
薬物療法でホルモンの作用で、閉経状態にして、
筋腫を小さくする方法をして、どうにもならなくって、
手術をしたらしい。そのときには薬の副作用で髪の毛が
だいぶ抜けてたってテレビでは言ってた。コワ。。

手術はコワいから、まずは薬でなんとかしようっと。
おそらく大部分の人がそういう道筋を通るんだと思う。


私は医療関係者じゃないので、これは単なる主観でしかないけれど、
あんな副作用の強いリスクのあることするよりも、
さっさと手術に踏み切ることの方が、人生を豊かに生きれるような
気がする(だから私はそうするんだが)

私は多発性なので、きっと今の3〜4個よりも、他にも
筋腫の芽をもってるだろうし、きっと再発もするだろうけれど、
筋腫ごときに、私の人生をふりまわされたくないわ!
(でも子宮をとるのはイヤだから、筋腫核だけとる)

「手術をしてよかった!」絶対にそう思えるように、
今もこの痛みをしっかりと味わっておこう。







4月2日(夜) 「来ない…」

先週の日曜日から身体はずっとダルイ。
下腹部がひどく痛むときとそうでない時がある。
ただずっと精神的には不安定な感じ。
イライラしたり、急に悲しくなったり。
さぁ、いよいよ始まるか、と待ち構えているのに
今月に限ってなかなかやってこないアレ。

なんだか気持ちが焦るばかり。
手術を受ける前に、強烈な痛みを味わいたいわ。
貧血で倒れるくらいまでヘロヘロになりたい。
吐き気や頭痛がするくらい壊されたい。

地獄のような苦しみを味わってこそ、
「手術が終われば、きっと楽になれる!」
と自分を励ませるような気がするのよ。

生きていくのがイヤになるくらいの
痛みを感じたい。

だって、今になって迷うんだもん。
こんなにフツーの毎日なら、別に手術を
受ける必要なんてないんじゃないかなって
思えてくるんだもん。

何度も考えてココまで来たけれど、
やっぱりコワイ。

いわゆる、マニュアルでは、
日常生活に支障ナシの人は、特にすぐに
妊娠を望まないかぎり、手術を受ける必要はナシ
とされてる。(筋腫は緊急的に、命にかかわることじゃないので)

手術が必要とされているのは、
こぶし大の大きさの筋腫。
中には胎児くらいの大きさの筋腫を持っている
人もいるそうな。(その場合はやっぱり開腹かな)

私の場合は4センチちょっと。
経過観察しても本人さえよければ問題ない。

ただ、筋腫の大きさに一喜一憂して
身体の変化をこわがりながら生きていくのも憂鬱だ。
筋腫は発見されたときから、少しづつだけど
確実に大きくなってきているし、
癒着がすすまないうちに、腹腔鏡で対処できるうちに、
切ってしまったほうがいい。

それに、そうよ。
来年以降は、かなり売れっ子になっているんだから、
もっと仕事は忙しいはず。(何の根拠もないのが)
では、やっぱり。タイミング的にはやっぱり今か。。。

ねぇ、これって結婚を決めた花嫁の気持ちと同じかな。

「私、ホントにこの人でいいの?」みたいな。。







4月1日(夜) 「4月か。。」

今日も何かと忙しい。
ジムに行く予定だったけれど、なんとなく
身体がダルいということを理由にお休み。
中途半端なことになかなか、始まらないアレ。

写真集の原稿の締めきりが今日までだったので
それを準備していたりする。
明日は、テレビの打ち合わせと写真集の打ち合わせがある。
出演する番組のホームページの企画まで請けることに
なっている。いろいろとやるべきことがいっぱい。

さて。4月になって、相変わらず慌ただしくて
実家の母親から何度も電話が入るようになる。

手術の準備はどこまですすんでいるの?
保険の書類を送るからあぁして、こうして…。
送ってあげたお薬はのんでるの?どうなの?
退院してもすぐお仕事しちゃダメよ!

あぁ。なんだか大変なことらしい。
勢いで手術を決めたのは事実で、
その当日の日まで半年以上もあったので
途中でキャンセルすることも可能だったし、
何度も何度も考え直したけれど
それでも「今のタイミング」がベストだと確信できたので
手術を受けることの覚悟はできている。

だけれど、
周りがあれやこれやとうるさいと、こっちまで
身構えてしまうではないの。

2泊3日の予定だった入院は、先日の診察時に
4泊になるかもしれないことを告げられた。
先日、遺伝子なんとかに協力を依頼され承諾したけれど、
まさかそのデータ集めじゃないだろうか…。
大学病院へちょっぴり不信感(白い巨塔の影響)

執刀医へのお礼(お金)の渡し方はどうすればいいのか。
だいたいの相場はいくらくらいなのか。
腹腔鏡手術の跡はどのくらい残ってしまうのか。

疑問が不安になり、不安が違う何かに形を変えてしまう。
とにかく疑問を拭うことだと思い
そんなことを今日は検索しまくっていた。
インターネットって本当に便利だ。

そこで、私は信じられないいくつかのコメントを目にする。
腹腔鏡手術の職場復帰は退院してからだいたい2週間後。

え!!!そんなアホな!


私はてっきり、手術の数日後から、職場復帰は可能だと
理解していた。それは本から得た知識だったか
担当医からのコメントだったか今となっては定かではないが。

他のサイトを調べていくと「手術の翌日から復帰可能!」なんて
いう病院のコメントもあるのだけれど、もしかしたらそれは
とても「無理をした場合」の話しではないのかしら。

手術を受けた人の日記や体験談を読んでいると、
職場復帰して、イスに座っているだけで、お腹がひきつれる。
腰が痛くて仕事に集中できない。吐き気がする。
手術後に無理をすると、不正出血をまねくことも。。。

そんなことが書いてある。いやん、マジですか?
えーーーーーーん(大泣)


私の予定では今のところ、退院して翌々日には、
仕事復帰するようにスケジュールを組んである。
2週間なんて、年末年始でもそんな休暇ないわよ。休めない。
絶対に絶対にそんなこと許されないわ、無理だわ。
私が書かなきゃ、アレやコレやとどうなるものかわからない。

また、大変な思いをして原稿を書く日々が続くのかしら。

こんなことは自慢じゃないけれど、
半年前の追突事故に遭ったときでも、私は事故の翌日から
痛む身体にムチ打って仕事復帰している。

あんときも座っているだけでツラかったし、
1時間もパソコン見てたら頭がグラグラしてたし、
少し書いて、少し休んで、家に帰ったら、倒れこむように
ひたすら眠りこける。そんな感じだったのよ。
事故後の3ヶ月間なんて生きた心地もしなかったし
精神的にもかなり不安定だった。

もしかして、そんな毎日がまたやってクルのかもしれない。
やっとリハビリも(打ち切られ)ほぼ、終了して人並みの
生活が送れるようになって、人と出会う元気も出て来たというのに
そりゃナイわ。

思えば私、「仕事」と「健康」を両立できたことって
一度もナイかもしれない。人間失格やん。