3月31日(朝) 「今日は」

仕事帰りに、年下の男の子と一緒にお食事。
豆乳鍋に舌鼓を打ちつつ、あれやこれやと
ネット話しに花を咲かす。

女って経験や価値観を共有したがるけれど、
男って、情報や人を共有したがる生き物だってことがよくわかるわぁ、とか
インターネットが登場してきて「モテル男」の定義は変わった!!
とかとか。話しが通じる人とのおしゃべりは本当に楽しい。
(…そう思っているのは私だけかもしれないけれど)

家に帰るとやっぱり寒くて、キーボードを打つ手がかじかむ。
血行不良は筋腫の原因となるらしく、ここがなやみどころ。

予定どおりに身体に変化がおこらないので
おかしいなと思っていたら、2月は29日までしかなかったのね。
どおりで、やっぱり。

それはそうとイライラがマックス。
変なことを書かないうちにもうやめよう。





3月30日(朝) 「ぐったり。。」

病院をハシゴして、待ち合い室で2時間ほど待たされ、
ぐったりと疲れた。

入院するのはどんなことところかしらと、
病棟を探検。さすがにバブリーなつくりなだけあって、
いろんなところが豪華になってる。
パウダールームなんてあるし。さすが!

ちなみに個室の1泊のお値段は10万円以上!
どっかのスイートルーム並。

産科も同じ階にあるので、新生児まで見られる。
今日、産まれ立ての赤ちゃんを見つつ、
やっぱりイイナと思ったりして。

さて、今日もがんばりますか。






3月29日(夜) 「もうすぐ3月も終わり。」


昨日は、上野公園でお花見をしつつ
女の子の撮影を行った。
これで写真集のための撮影はすべて終了。
あとは締めきりまでに原稿をそろえるだけだ。
さぁ、頑張らなくては、と思っているところに
母から電話がかかってきた。


「弁護士さんとの話し合いはどうなったの?
 リハビリにはまだ通っているの?
 手術前の検査は、どうだった?
 お医者さんはなんていってるの?」

………。


そんなこと、ココ数日間はすっかり
忘れていたわ。

そうだ、あと2週間もすれば入院しなきゃならない。
入院の準備って何をしたらいいんだっけ?
3月いっぱいで、治療がカンペキに打ち切られるので
示談についても進めていかないといけない。
テレビの仕事もあるんだった。
私はよくテレビの出演と同時にその番組の
サイト制作まで頼まれることが多いが、
(YTVとかBBCとか)今回もそのパターンで
その打ち合わせも控えている。

これから忙しくなるなぁ〜と思いつつ、
今すぐやらなければいけないことは何もないので、
今日はゆっくりと時間を過ごした。
めずらしくどこにも出かけていない。
人と出会う約束もない。

というのは、私の体内時計の予定では、今日は強烈な
下腹部痛に襲われるはずだったから。
わりと正確な身体のリズムに自信があったのに。

なのに、来るべきものが来ないではありませんか!
手術前の最後となるあの苦しさをしっかりと
身体に覚えさせておこうと思っているのに、
一体、いつになるのかしら。そうこう思っているうちに
憂鬱になってきた。

誰とも会わない日曜日は、
洗濯をして、ビデオを見て、写真の原稿を整理して、
男写の編集をして過ごす。

いろんな考えごとをまとめなきゃ。
明日は産婦人科で診察があるので、聞きたいことを
全部聞いてみる。

全身麻酔なんですか?術後のトイレってどうなるんですか?
剃らなきゃならないんですか?失敗したらどうなるんですか?
間違えて、子宮を摘出したりしませんよね?

あと、念のために聞いておきたいことがある。
あの、その、手術したあとって、いつからアレしてもいいんでしょーか?

(いや、別にそんなことを聞かなくても予定は未定なのでいいんだけれど、
 万が一、人生に何が起こるかわからないしさ…)






3月28日(夜) 「勉強するぞ」

どうすれば、素敵に年を重ねていくことができるか
という命題に頭を悩ませて今日も一日が過ぎた。

「年を重ねて、キャリアを重ねる。
 いわゆる、仕事がデキル女というのは、男の人に対しての
 サービス精神というものに欠けていることが多い。
 いつのまにか男の人からけむたがられる存在になるのが世の常。
 私はそんなのに絶対になりたくないから、
 かわいがられる、大人の女になるぞ!」

と決心した。

#まだ、仕事がデキル女にもなっていないし、
#そんなにトシでもないのだけれど、



で、周りを見てもあまり参考にならないので
(そういう環境に自分がいないのでという意味です)
銀座の世界にヒントがあるのではないかと思い立った
というのが昨日までのあらすじ。

とはいえ、銀座に遊びにいくツテはないので困った。
いやいやそんなことであきらめてはいけない。
amazonで調べてみたら、やっぱりあるじゃないですか
その手の本が。さすが俺!!(照)

 *銀座バイブル―なぜあの女がナンバーワンなのか
向谷 匡史 (著)
* 可憐に、そしてしたたかに―銀座のママが教える魅せる女の十二章 
望月 明美 (著)
 * ホステスさんに学ぶもてなす女の美学―「いい女」になるための56章 
皆川 真一 (著)
* 美しく、強く、生きるワザ―銀座で学ぶ「仕事と華」 
原 利栄 (著)

他にも探せばいろいろありそうだけれど、
一度、本屋に行ってみようっと。

それはそうと。「人間関係」というものに非常に興味があります。
友達が「ペット」を飼ってるというので詳しく聞いてみると
それは犬やネコではなくて、「男」でした。
こんな話しを聞いたのよ〜、と別の友達に話してみるとその
友達には、あら、私にも「犬」がいるのよ〜、というので
冗談かと思ったら、それも「男」でした。

年下の都合の良い男の子のことを「ペット」にするのが
流行っているのでしょうか?

オジサマが若い女の子をあちこち、連れ出す。
もしかしたらそれは「ノラ猫」にエサをあげる行為と
変わらない事なのででしょうか?

普通、ペットと御主人様は、深い身体の関係になることは
ありえないけれど(動物と人間なので)、
奉仕をするというのはアリな世界なのでしょうか?

なんだかとっても、頭がおかしくなりそうです。

さらに、どうでもいい報告ですが、orkutこわいです。
私のように来るもの拒まずにフレンドリストにアドさせちゃうと
変な外人からしょっちゅうメールが送られてきます。。

他の女の子に送られたであろう、メールまで届きます。
熱烈なラブレターは私に送られたものと一緒なのに、
宛名だけが違うのです。




3月27日(夜) 「大人になるのは難しい」

桜がきれいな夜でした。
大人の人と出会うといつも思うこと。
対、大人の男の人との社会的な交流に関して。

若いころって、「若い」だけで、
ちょっと失礼なこと言っても大目に見てもらえたり、
夢ばっかり語っても、ほほえましいと思われたり、
ワガママな振るまいさえ、カワイイと捉えてもらえたり、
若さ故にいろいろと教えていただけることも多い。

私は常々、「若いっって素晴らしい!」と思っていたんだけれど、
誰しも、そのままではいられない。
そんなことに気付いて、変に焦ったりしている。

素敵な中年になりたいと思いつつ
それがどうしてもイメージできない。

夢見る中年女。アホっぽい。
仕事を語る中年女。ウザイ。
説教したがる中年女。最悪。

あぁ、どうしたらいいの!と頭を抱えたときに、
すっごくいい方法とその理屈が思い浮かんだ!

そうか!そういうことだったのか!

中年になっても、アホ扱いされず、ウザがられず、
しかも、さらに女に磨きをかけつつ、カッコよく生きている
人たちの社会的な振るまいがそこにあるんじゃないだろうか。

そう、銀座の夜とかに…。

あの世界で中堅にもなってくると
若い女の子には気をつかいぃ、ママを立てて、
お客には、そうそう失礼も言えない。
話しをふられて「それ、知りません」では
商売にもならない。結構、キビシイ立場なはず。

それでもナンバーワンな人っているはずで、
そういう人たちの「社交術」って、
学ぶべきところがたくさんあるのかも。

女にとって、カッコ、カワイク年を重ねていくのって、
いかにつまらないプライドを自分にもたせないかとの
戦いかもしれないわね。

で、どうしたらそれを勉強できるのかが、また問題。
この発想って間違っていないと思うんだけれどなぁ。。




3月26日(夜) 「エアロビしてヨガして」

締めきり前になんとか原稿を書き上げ、
仕事を終えて、帰り道に夜ごはんの買い物をして、
食事して、着替えてジムに行く。
エアロビクスとヨガのクラスを受けて、
雨の中、走って再び帰宅。23時前。
これからお風呂に入って、ゆっくり寝よう。
それにしてもとにかく寒い。。

なんか書きたいこといっぱいあるけれど、
そういうテンションでもないので
今日はやめとく。




3月25日(夜) 「だらしない一日」

どうにもこうにも眠くて
ベッドにもぐりこんだのが夜の9時。
もちろんそのまま寝るつもりはなかったので、
服を着たまま、お化粧したまま、お風呂も入らないまま。

気が付けば朝。大急ぎでシャワーを浴びて
スッピンのまま、仕事へ。

ここ何ヶ月か、朝に化粧をするということが
なくなりました。

当然のようにスッピンで出てしまいます。
仕事で人に会う前に大慌てでお化粧。

オンナとしてどうかと思う。



3月24日(夜) 「真夜中の2時」

「僕と彼女と彼女の生きる道」の最終回なんか
のんびり見てるから、もう、真夜中の2時。
腰が痛いのを我慢してパソコンに向かう健気な私。
ようやく原稿を書き終えた!ヤッター!!

そうして明日は明日で別の原稿の締めきりが3本。
頭切り替えてチャッチャカ書いていこうっと。

自分の考えや思想を人に伝えようとするより
人からお題とお代をいただいて
書くことの方がよっぽど楽なような気がするこのごろ。

ここに書いてることって要するに、
考え事であり、自分への問いかけであり、
誰かに聞いてほしい気もする「ひとりごと」なんだもん。
別になんの苦労もなくて楽よね。

BLOGが登場して、毎日書くことが日常になって
きている人も増えている中で、男女の差って
はっきり出ていて面白いなぁ、と感心してします。

女の人ってやっぱりこういうのが多い。出来事報告系。
「ちょっと聞いてよ、今日ね、こんなことがあってね…」

男の人はどちらかというと、情報公開系。
「どこどこの会社がこんなサービスを公開した、あーだこーだ。」

最近、男女ともに見られるのが、心情垂れ流し系。
「感想」「欲望」「展望」「心境」なんかが、日々のなんて
ことのないことについて書かれていて、
そういう人って、私と同じように書かずにはいられない
体質になってるんじゃないかと思う。

誤解をおそれずにいえば、そういう人は(私を含め)
露出好きで、自己愛が強くて、マゾッ気がある。

どちらにしてもリアルで知っている誰かのことを
こんなふぅに分析するのはまったくもって失礼なので、
なるべく見ないようにしてるんだけれど、
それでも、どうしても見たくなるので(なんか安心する)
きっと私のも誰かに見られてルのかもしれないけれど、
そんなことは絶対に絶対に気にしない。気にしない。





3月23日(夜) 「書くこと」

寒い。寒い。寒い。
今日は耐え切れずにリハビリに。
だって、身体が起きようとしても
起き上がらないんですもの。
リハビリに行くと、途端に楽になる身体。

半年たってもこんな状態だなんて、
私ってもしかしてキズモノ?いやコワレモノ?

いつ治るの?治らないの?がすごく心配で不安で。
だって周囲の目だって「身体が辛いのに頑張ってる」から
「いつまでも治らないダメなヤツ」になるのは
時間の問題なわけですよ。事態は深刻なり。
休業損害がもらえなくても、リハビリに通うべきか、
我慢して仕事に励むべきか悩んでいます。。

弁護士に依託した加害者サンに電話してみたいです。
(小心者なんで事故以来、一度も連絡したことないけれど)

で、今日は仕事でフリーのコピーライターの人と
打ち合わせしたんだけれど、なんつか、10年以上も
東京でフリーで広告書いて、食べている人って
なんともはや偉大だナァ。。と感じたわけです。

あぁ。こういう人が「コピーライター」なんだ…。

同じコピーライターといっても、ようやく仕事が板に
ついたかついてないかの私に比べたら
仕事に対する考え方とか取り組み方とか全然ちがうくて、
自分のこだわりとか、表現に至るまでのプロセスとか
きちんと説明してもらえて、ほほう!と感心するばかり。

バブル時代の広告の話しとか好きな作品とかの
話しをしたりしているうちに、一緒にお仕事をすることになりそうな
予感はますます濃厚に。


「僕はあの広告を見て、コピーライターになろうと決意したんですよ」
と言った彼がいったのを受けて

「私は林真理子のエッセイを読んで、コピーライター目指したんですよ」

と言いかけましたがやめておきました。






3月22日(夜) 「イタイ日曜日」

やっぱりパソコン作業が辛いわ。
背中が痛くてしょうがない。
土曜日は祝日だったし、病院に行けないし
日曜日はもちろんお休み。
月曜日に病院に行こうかなと思いついたけれど、
そういえば15時に締めきりの原稿が
手付かずだったことを思い出し、
明日のリハビリを断念。

作業に行き詰まったので、ふらりと六本木へ。
私の好きな本屋を見つつ、写真集をぱらぱらと
めくりながら、自分の本がココに並ぶことを
妄想して、カフェをめぐる。

今日の夜ごはんは、ロブスターとかフォアグラのソテーとか。
六本木ヒルズの某レストラン。







3月21日(夜) 「日曜日」

昨日の夜は、なんだかいろいろ疲れて
ごはん食べたら胃が痛くなったので、そのまま、ふて寝した。
なんか、ムショウに寂しくなっちゃって、
こんなブルーな気持ちになるんだったら、
夜遅くても、会えばよかったカナと思いつつも、
「ここで、負けてはいけない!たくましく生きよう!」
と自分を奮い立たせる。
呼べばホイホイと付いていくような安モンになってはいけない。
(友達なら別。知り合いの場合。)

こういう時に、電話したりお茶しにいこーよー、と
気軽に誘える男友達が東京にはいないことはとっても不便だ。

(いや、友達を便利/不便利という扱いをしているのではないので
 誤解のなきよう)

そりゃ、寂しくもなっちゃうわ。
だって、だって、今月に入って、キャンセルされた約束は4件。

なんか、私って仕事と仕事の合間にはさむ、
ジャストサイズな女なのかしらん。
仕事に良くも悪くも影響を与えないっていう意味では
確かに。

ほら、お弁当の仕切りに使う緑のやつみたい。





バラン



それはそうと、昨日の夜もそのまえの夜も
変な夢を見る。

登場人物は、学生のころの男友達だったり、
知り合いの男の人だったりするんだけれど、
どちらの夢でも私は相当「恥ずかしい」気持ちにさせられる。

「恥ずかしい」なんて日常ではあまり感じられない
感情の一つだったので、新鮮だった。

あー、でもあるある、「恥ずかしい」と思うこと。
書こうと思ったけれどやめておこう。

最近の私は書き過ぎる。







3月20日(夜) 「土曜日」

久々に撮影のない土曜日。
原稿の整理をしつつ「時間がナイ…」なんて
焦っている昼下がり。

洗濯モノを片付けて、コインランドリーに
向かおうと着替えるが、どうにもこうにも寒いので
お風呂に入ることにしたら、結局2時間も
ぼんやりしてしまった。指の先がすっかりふやけている。
忙しい、忙しいなんて言ってるワリに、こんなことに
時間を費やしてしまう自分が情けない。

さて、家事をバリバリして、仕事もチャキチャキしよう!
と思っていたところに友達から電話。

「取材で東京に来てるんだけれど、車あるから
 今夜は一緒にメシでもどう?」

え〜〜〜〜っと、と考えながらも、ひとりで食べるも
誰かと食べるも食事はしなきゃいけないし。。
と自分の中で思いつく限りの言い訳をして、

「8時ならいいけど、近くの通りまで迎えに来てくれる?」

と迂闊な返事をしてしまったよ。あぁ、どうにでもナレ!
今日の予定は昼間は仕事をすっかり片付けて
夜はビデオでも見てゆっくりする予定だったのに、
うまくいかないモンだわ(自分のせいだけれど)

彼には悪いが早めに切り上げて
夜はまた仕事に没頭しようっと。

こういう性格がロマンスから私を遠ざけている
ような気がするわ。


…4時間経過…。




と、上まで書いたのが今日の夕方。
「一緒にごはんを食べるだけ。」とはいうものの、
私もやっぱりオンナなので、殿方からのお誘いなわけで
嬉しくないわけじゃない。きゃはん。
部屋着でパソコンに向かっていた
そのまんまのカッコで出かけるわけにもいかないので、
お化粧したり、髪をブローしたり、いろいろしているうちに、
時間はあっというマに過ぎていく。
ギリギリまで仕事していようと思っていたのに、
これも大いなる誤算だわ。

ところが。「6時過ぎに一度、電話するよ。」といった
彼からの電話が一向にかかってこない。
7時を過ぎて、とうとう私も痺れを切らし、
電話をかけてみるのだけれど「ツーツーツー」と
空しい音が聞こえるばかり。

「もしかして、同時に電話しあっているのかしら…」
とまたもや前向きな勘違いでその場をやり過ごすんだけれど、
その後も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も
電話をしても、ツーツーツー。

とうとう約束の8時を過ぎても、電話はつながらなかったのでした。
「どうしよう。事故にでもあったのかしら。私のせいだったらどうしよう?」
なんて今度は後ろ向きな考えが頭をもたげてくる。
ニュースサイトをのぞいては「高速道路で玉突き事故」というトピックを
ドキドキしながらアクセスする。彼の名前はない。

約束を破るような人ではないと思っていたので、ここまで来たら、
「きっと事故か何かに巻き込まれたに違いない」と確信をもち
ひたすら無事をいのる私。

なので、彼から電話があったときは、無事か否かを確認することに
必死で連絡がなかったことの怒りは、どっかに飛んでいたのだけれど、
その理由を聞いてなんとも脱力した。

「仕事先でトラブって、ずっと電話をしてたんだ」だと。

それはそれは、ごくろうさまでした。

「彼には悪いが早めに切り上げて
夜はまた仕事に没頭しようっと。」

なんて思っていたのはコッチの考えなのに、
あちら側の方が仕事熱心だったなんて皮肉なもんだわ。

「今からになるけれど、いいかな?えっと10時くらいに。」

いやいや、私としてもこれ以上、仕事の時間を削るわけにはいかない。
というか、10時なんて遅い時間に車で迎えに来られたら
帰るタイミングが難しいので、友達とはいえ、ややこしいことになるのが面倒な
私は、明日は朝が早いからなんていいかげんな理由をつけて
お断りをすることに。

これから私は、夜おそくまでやってるスーパーに行って、
夜ごはんの準備をするんだけれど、こんな私って
どうかと思う。

っていうかどう思う?





3月19日(夜) 「検査」

昨日思っていたことは
・言いたいことが普段の生活の中で言えない私にとって、
 インターネット全体が社交の場になることに閉息間を感じる

・とはいいつつも、あっちに参加すれば参加したで、
 それなりに楽しくありつつも、やっぱりそこは社会の場。

そこで考えた。要するに切り分ければいいわけだ。
社交の場は社交の場で、自分の世界をひろげていけばいいし、
この場所はこの場所で自分の思いのたけを吐き出し続ければいい。

リンクさせないことだ。言ってみればこっちは裏サイトだ。
LOVERSDESIGNをメインとしてこれからやっていくよに
見せていけばそれで問題はないのではないか。
誰がここの存在を知っているのかなんてことはこのさい
全部忘れてしまおう。(考えてもキリないし)
そうとりあえず結論づけて、ぐじぐじ考えるのはやめた。

で、今日は病院で手術前の検査の日。そのついでに、
患者の遺伝子データを10万人分集めて、
それを今後の医学に役立てるという大きなプロジェクトを
やっているということで、ボランティアの参加を求められた。
要するに血液採取。血液をなんとか医療センターにサンプルとして送る。
つか、遺伝子データなんて究極の個人情報やん。どうしよう。。
少し不安はあったものの、協力に応じることに。

心電図や、尿検査や、血液検査、止血タイムをはかったり、
あちこち回らされてぐったり。

看護士さんが私にこう言った。
「まだ、お若いのによく決断されましたねぇ。すごい!」

え〜〜〜?なんて無神経なセリフなんだろう。
決断も何も、今の今だってこわいし、不安だし、迷ってるっつーの。
そういう彼女も私と同じ病気で、ピルを飲んで症状を抑えているらしい。
本当のところをいえば、検査の結果を見た勢いで
半年以上も後の手術の予約をして、ゆっくり考えればいいやと思ってたら
あっという間に時間が過ぎたって言うのが現状なんだってば。

またその彼女が必死に私を励ましてくれようとするのが
ありがたかったんだけれど、なんかズレてる。

「大丈夫ですよ〜。私の友達も手術したけれど、妊娠してましたよ!
 だから、きっと大丈夫ですってば!」

いや、ちがう。妊娠できなかったらどうしようとかいうのよりも
出血多量で開腹手術に切り替わったらどうしようとか、
尿道カーテルが痛かったらどうしようとか、
麻酔がきかなかったらどうしよう、覚めなかったらどうしよう、
実は、財前五郎のように末期のガンだったらどうしよう、
みたいな感じで、今の目の前にあることが不安なんだけれど。

結果的に妊娠できるようになるとか、そういうのは
今は気にしてられないっていうか、考えられないワ。
聞きたいことはいっぱいあったけれど、やめておいた。
経験すればわかることだ。

仕事の帰り、ずっと欲しかったスプリングコートをお買い物。
薄い落ち付いたピンクの色合いのコートは当初の予算より
大幅にオーバーしたけれど、やっぱり気に入ったんだモン。

これを着て、桜を見にいこうっと♪





3月18日(夜) 「インターネットな世界」

あぁ、私やっぱりこの世界が好きなんだな、と思った。
新しいことを知ればワクワクするし、
このモニタの中にも、モニタの向こうにも
私の心をゆさぶるものはたくさん詰まっていて
それに飽きることはないと思う。

ネットスケープがブラウザの代名詞だったころ。
そしてそのバージョンが2.0だったころから
私は常時接続な環境でネットにどっぷりと
ハマっている私はきっとこれからもこの世界を
愛し続けるだろう。8年近くやってるんだもんナァ。

こんな私にできることって何かあるだろうか?
そんなことを考えさせられた今日のセミナーの名は、
「ソーシャル・ネットワーキング ビジネスセミナー」。

本当におもしろかった。
久々に「インターネットの可能性にわくわくした」と
言ってもいいかもしれない。

「メールマーケティング」以来の、私を虜にした
キーワードです。「ソーシャル・ネットワーキング」。

BLOGってあんまり興味もてなかったし、
(見るのはおもしろいと思うけれど、やりたいって思えない)
orkutもアレはアレで、面白いところもあるのかなぁ…
でも面倒な作業がちょっとイヤかなぁ。
というヌルイ印象しかなかったんだけれど、
仕掛け側の発想を知ると、こんなに熱いモノないんじゃないの?
とさえ思えてくる。

今日あらためて思ったのは、

「技術」プラス「思いやり」ってすごく大事だなぁ。
(商売のやり方以上に!)

「センス」ってたくさんの人と出会うことで
磨かれていくもんなんだよなぁ。。

ってことで、いろいろ吸収した(つもり)で帰ってきました。

----------------
で、家に帰ってみてまたネットをうろうろして、

ただ、やっぱり変わらずに思っていることは
私みたいな自意識過剰というか思考が内向的な人間は、
キーワードや興味、関心でつながるネットでの
人間関係って適応できそうにありません。

ネットくらい、言いたいことは一方的でいいのではないかと。
思考の垂れ流しでも、愚痴の言いっぱなしでも、
ノートの落書き程度のものでも、誰にとがめられることもない。

誰かの注目を集めたり、たくさんの人に賛同をしてもらおう
なんて考えたり、自分を認めてもらおうなんてことに
必死になりだすと、心が丈夫じゃない人は
すぐに壊れてしまうんじゃないかと思っています。
いつかのネトアバブル時代のように。

orkutで顔も見たことのナイ友達の数を増やすのに
必死になってしまう思考って、どこか健康的じゃないし
(自分のことはとりあえずおいといて)
見ず知らずの人が判断する自分の評価を
知り合いがそれを見ているかもしれない状況って
なんだか気持ち悪い。
(だったらしなきゃいいんだけどさ)

インターネットってすごくプライベートな場所だったのに、
時代はソーシャルなのね。あぁ、すごく混沌としている。

知らない人と出会う場所と、知っている人と交流を深める場所が
おんなじフィールドになってきた。

「誰も知らない本来の自分になれる場所」は、いつのまにか、
「社会人としての仮面を外せない場所」へ。

息苦しくなった「みんなたち」は一体どこへいくのかしらん?


ここまで言っておきながら、GREE.JPからの招待状を待つわたし。







3月17日(夜) 「どうでもいいことにこだわりたい。」

◎最近、欲しいなと思っているもの。
シグマリオン。
(でも意外と高いナァ…)

◎最近、買ったものの使い方がよくわからないもの。
ニコンのデジタルカメラ。
(マニュアル見ればわかるものかしら)

◎最近、気に入っている場所。
アトレ品川
(特に4Fの空港のラウンジっぽいあたり)

◎最近、無性にやりたいこと
ここのリニューアル
(まったく時代遅れもいいところだ)

◎最近、考えると憂鬱なこと
交通事故の示談と来月の手術
(やるしかないんだけどな)

◎最近、めげてしまうこと
大人の女に程遠い自分に気付いたとき

◎最近、できた習慣
昔好きだった、芸人さんのサイトを見ること。
あの時の熱い気持ちが復活♪ライブに行きたい!

◎最近の妄想
ここに書けないくらい、人には語れないくらい。

◎最近のくせ
思いついたことをノートに書くこと。
(だからシグマリオンが欲しい)

◎最近、気になりだしたこと。
いつ、コタツをしまえばいいのか。
いつ、毛布をクリーニングに出せばいいのか。
いつ、シワができるのか。
東京に桜は咲くのか。

桜のことを考えたら地元がすっごく
懐かしくなった。

高校生のころ、缶ビールを買って、
円山公園に夜桜を見に行ったこととか、
お花見のほろよい気分で鴨川べりを歩いたこととか、
清水寺に桜の写真を撮りに行ったこととか。
海津大崎の桜のトンネルよりもひどく長い渋滞とか。

いつだって地元に帰ることはできるけれど、
私はあの桜を見ることはできないかもしれない
なんて思うと、ちょっと寂しい。






3月16日(夜) 「勝ち負けにこだわるとロクなことがない。」

ドラマやニュースでよく見る風景。
たとえば、裁判かなんかで

「お金の問題じゃないんです!
 どっちが正しいのか法で裁いてもらいたいんです!
 私たちは間違ったことをしてないんです!」

こんなふぅに熱くなってる人を見ては、
誰に認めてもらえようが、もらえまいが、
自分の中で正しいこととそうじゃないことが
分かっていればそれでいいんじゃないの?
こんなことにエネルギーを使うなんて時間の無駄だよ。
と、思っていた私だったけれど、弁護士のあまりにも
ひどい対応に、一瞬、熱くなってしまいました。
正直、くやしい。コッチは被害者だっつーーの。
保険業界はコワいと聞いていたけれど、想像以上だわん。

あまりにも身体が痛いので、そのことを聞いた母が、
保険会社の弁護士へ電話。
治療を3月いっぱいじゃなくて4月も見てもらえないでしょうか?
というお願いをするまでもなく、一方的に怒鳴られたそうな。

「本人と話しをしてるんで、お母さんの出る幕ないです。
 あまりややこしいこと言うと治療も2月で打ちきりますよ!」
ガチャン。ツーツーツー。。

電話をかけ直した母はこう言ったらしい。

「センセイ。なんか勘違いしてはるんと違います?
 本人が痛い痛いいうてんのに、ちょっとはあの子の気持ちも
 考えてくれはったらどうですねん?」

弁護士がどう受取ったかわからないけれど、
とりあえず、私が交渉していたとおり、
3月中までの治療費は見てもらえることになったけれど
(っていうか、母が電話したおかげでややこしくなったのか…)

しかしよくよく考えてみると、
1回のリハビリにかかる費用はたったの500円なので
そんなものを面倒みてもらったところで、コッチは何も嬉しくない。


それでもやっぱり、治療費の面倒を見てもらいたいと
思うのは、お金の問題じゃなくて、自分の正当性を主張
したいんだな、きっと。
私はあの時、たまたま車の助手席にのっていただけで、
過失は全くないはずなのに、なんでこんなに精神的にも
痛めつけられなくちゃいけないのかしら。ってそう思うことで、
「治療の面倒を見てもらわないと気が済まない」
という思考回路になってしまうに違いない。

あぁ、なんて愚かなのかしら。
きっとこういうときは、保険屋さんとの示談をさっさとすすめて
粉センか日弁連にお願いするのが賢いやり方なのねん。
もうどうでもよくなってきた。どうでもいいって思おう。

保険屋に誠意を求めるのは、
八百屋にいって、「おっちゃん、いいサバあらへんか?」
って言うのと同じくらいお門違いっていうことを
誰かも言ってたっけか。

今朝はリハビリに行ったので身体が幾分か楽で、
夜は夜で、リハビリ筋トレのためにジムに行った。

保険屋の示談の話しがすすんだら、絶対にコッチも
弁護士を立てよう。





3月15日(夜) 「痛いよぉおおお(泣)」

起き上がれナイ。
身体が鉛のように重たい。。
背中が全体に痛む。頭痛もひどい。

久々のリハビリに当日の身体はラクだったものの、
翌日、一気にその反動が来た。
身体が思うように動かない。だけど頑張らなくッちゃ。

「彼女と一緒に海を見ていた」という理由で、
私が乗っていた車に追突しちゃった加害者サンへの
恨み言を言うのは精神衛生上よくないので、
なるべく考えないようにしているけれど、
こんな日はホントに呪いたくなるわ。

お金なんかいいから、元の身体に戻してクレ。
結局、夕方までベッドから出られなくて、
夜はキャベツを焼いて食べた。
(もはや料理とはいえない)

今日はお休みなのかといえば、厳密にいうとそうではなく、
原稿とか書いたりして時間を過ごす。






3月14日(夜) 「撮影です。」

2週間ぶりにリハビリを再開。
はっきり言って、痛いなんてもんじゃないです。
もうツラくてツラくて。
土曜日じゃないと来れないなんて
(休業損害が出ないので)
世の中に神も仏もあるもんかって感じ。

土曜日だったのでさんざん待たされてようやく私の番。
久々の診察。ドクターに背中を向けて、あちこち触られる私。

「まだ痛いの?どれどれ?ほぉおお!
 肩も腰も背中もはってパンパンだねぇ!!!」

患者の心理的には、ドクターがこれくらい
私の「痛い」を認めてくれるとちょっと救われた気分になる。

だって、痛かったモン。痛いのにリハビリに来れないんだモン。
保険会社の弁護士に治療の延長を申し出たものの
「休業損害は出ません」なんて言われたんだモン。
あぁ、なんてかわいそうなあたし!(涙)

「じゃー、今までのリハビリを続けましょう」と早速リハビリ室に
向かい、「これで身体が楽になるんだわ」と安心したのもつかのま。
時計の針を見てガクゼンとする。

「ヤヴァイ!時間がない!!」土曜日といえど、私にお休みはなく
今日も撮影だったりする。事情を説明し、全てのリハビリを終える
ことなく、マッサージだけを受けてモデルさんとの待ち合わせ場所へ向かう。

男写でお馴染みのヒカルくん。
2回目の撮影だったので、もうちょっとなんとかならんもんかな
と思っていたので、今回はなんとかなった。

こんな身体で、今月はすでに4人目の撮影。
そうして、すでに5人目の撮影の準備にもかからなねば。







3月13日(夜) 「この時期に思うこと。」

今日もオカンから電話。
「この前、買ってあげた黒酢は飲んでるか?
 あれは毎日、続けなアカンで。
 それからムチ打ちはどうや?リハビリ行ってるか?」
いつまでたっても、私は子供なんだなぁ。。
はいは〜い、と適当に相づちを打つ私に
「アンタも、ええかげんもう若くないんやから」
と言われてしまった。がっくり。
(まだまだ20代なんですけど!)

それはそうと、
昼間はすっかり春らしくなってきて、
毎年のことながら「ひらめき」か「思いつき」
のように湧き出てくるアノ衝動を押さえるのに
とてもとても苦労する。

そろそろ暖かくなってきたので
さくっと、子供でも産んでみたい。

……。

なんでこんな発想が出て来るのが
自分でもとっても不思議なんだけれど、
お腹を風船のように膨らませて、
足の間から、赤ちゃんを引っぱり出してもらって、
自分のお乳をあげてみたいという、
妄想にとり憑かれてしまいます。

多分、これも単なる本能。ただの欲求なので、
なるべく自分の中で排除しようと思うんだけれど、
産みたくて、産みたくて、モンモンとするのよね。
思春期の第二次性徴みたいなもんだと思う。
いや、これこそ第三次性徴かしらん。

思春期のときに起こる身体や心のいろんなことは、
脳の指令で、性ホルモンが活発に分泌されるかららしい。
この私の変な気持ちになっちゃう状態も、きっと、脳の
働きにちがいないわ。

「第三次性徴」なんてホンマにあるのかと疑問に思って
検索してみたら下記のような文面に遭遇。

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■性徴

動物の雌雄が識別できる肉眼的な特徴。
第一次性徴(生殖腺および内外生殖器官に見られる性差)
第二次性徴(思春期以降に出現する外観上の性差。例えば男性の口ひげ、女性の乳腺発達など)第三次性徴(行動、心理に見られる性差)を区別する。 
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あ〜、子供が産みたい!産んでみたい!
ストレートに欲求を叫んでみたところで、実際問題、
私は多分この先、一生、産むこともないだろうし、
育てていく自信もないので、理性をもって
この欲求を抑えるんだけど、それもやっぱりストレスです。

そこで、私の欲求不満解消法。
友達の赤ちゃんを借りて、自分のおっぱいを吸わせてみる、
というのはあまりにも無理があるので、
育児本を読みふけることにしました。

さっきも、本屋で立ち読みをしてきたところです。












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「子供が産みたい」なんて欲求は、人間(女)が持つ
「キレイになりたい」「おいしいデザートが食べたい」
「みんなにチヤホヤされてみたい」と思うような
当たり前の欲求の一つであって、そんなに特別視することでも
ないって思っていたけれど、実はそうでもないのかもね。

私のお母さんのお母さんのお母さんのお母さんのお母さんの
お母さんのお母さんのお母さんのお母さんのお母さんのお母さんの
お母さんのお母さんのお母さんのお母さんのお母さんのお母さんの
もそう思ったからこそ、今、私がここにいるわけで、
人間のDNAとか遺伝子の働きとかそういうことまで考えはじめると
「女」である自分って面白いなと思いました。

以上。

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3月12日(夜) 「白いキョトウ」

真夜中のラブレターと同じく
真夜中の日記はいかがなものかと思う。
昨日はあまりにも熱く綴ってしまった。
別に、書かなければいけないことでもなかったのに。
当時のことを思い出して、思いがけずブルーに
なってる自分がますます鬱。

遅めの夜ごはんを食べながらドラマ「白い巨塔」を見る。
どんなに強い人間も病気の前には無力なモンだなと
思いつつ、手術のシーンなんかは、来月の自分のことを
思うと他人事ではなく、私は今から全身麻酔が
効かなかったらどうしようとか、間違って肝臓を切られたら
どうしようなどと考えては、ちょっとドキドキしている。
(このドキドキは決して嫌いではないんだけど。。)
ちなみに、私の病院も実は某大学病院なんだけど、
あのドラマみたいに、上からたくさんの研修医に
覗かれてしまうんだろうか。
そしてやっぱり教授はザイゼンなんだろうか。
そんなわけで最終回がとっても気になる今日このごろ。

胴長美人と言われたこのお腹に傷がついてしまうことが
ちょっぴりやるせなく、携帯電話で自分のお腹をパチリ。


実家のオカンからは
「アンタ、お医者さんにいくら包んだらいいと思う?」
と電話がしょっちゅうかかってくる。

あのドラマみたいに、まんじゅうの中に忍ばせておけば
いいのか、看護婦さんにドクターの住所を聞き出せばいいのか
さっぱり見当もつかないんだけど、どうしたものか。

研修医が担当したらどうしよう。
医療ミスがおこったらどうしよう。

手術の前にしておくべきことを考えてみた。

・傷のないお腹の写真を撮ること。
・切った筋腫を見せてくださいとお願いしておくこと。
・マンガイチのために、手紙を書いておくこと。
・子供を産む気もないのに、子宮だけは大事にしたいなんて
 自分の矛盾に気付くこと。

人生をドラマティックに楽しもう。




3月11日(夜) 「真夜中の3時」

リハビリに行かない毎日は
(忙しくて行けないので)身体に相当、ツラく、
今日も夜の9時には力尽きて眠ってしまった。
真夜中の3時半。シャワーを浴びてパソコンに向かっている。

で、写真集の原稿の締めきりと連載の原稿の締めきりを
気にしつつ、来月はなんと子宮筋腫の手術。
それと平行して保険の示談もすすめていかなくちゃいけないなんて、
ちょっとヘビーだわん。

今日、テレビを見てたらあるタレントさんが
「私が上京するとき、最後に父といた喫茶店でこの曲が
 流れてその時に父が泣いたんですよぉ。」
と言っていたのを聞いてちょっとうらやましくなる。
上京物語。誰にだってドラマはあるんだ。
成功して人だけが人に語れる美しいストーリー。

ちなみに、うちの父上は、私が上京したことを1年以上も知らなかった。
それもそのはず。私は必死になって必ず週末は実家に帰っていたから。
最初の1年間は、関西〜東京を毎週往復。
半端じゃない体力と気力を使って。
誰のために?って誰のためでもない。
単なる義務感とへなちょこのプライドが私をそうさせていた
だけのこと。

そういえば、私が上京したころってどんなだっけ?
上京を決意したこと。東京にやってきたその日のこと。
いろいろ考えるところがあってそのときの気持ちを
ここに書かないでいたので、実はあまりよく思い出せない。
いや、思い出したくもないほど、どん底の毎日だったなぁ。。

記憶はどんどん劣化していきます。
あのときの真実に近い妄想を記しておきます。
いつか、私がこのときのことをまた思い出せるように。

記録を見ると上京して1ヶ月後にはこんな弱音をはいていました。
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悲しいことはストレスの原因がわからないこと。
普通の生活して、普通に生きているのに
こんなに自律神経まいっちゃって
何がいったいあたしをダメにしていくんだろう?

最近、実は、特にイライラしたり、
むかついたり、怒ったり、泣きたくなったりすることがありました。
今まではそういうの我慢してきたし、
感じないようにしてたから、
怒ったりできる分だけ、あたしも自分の気持ちに
素直になれたんだな、とか思って
自分の成長を喜んでたりしたのですが、
どうやら身体はそれを受け入れてくれなかったみたいです。

よく。わがままとか自分勝手とかいわれます。
それは本当のことで、あたしは自分のことが一番大事だし、
あたしのことを大事にしてほしいし、そのためにはなんでも・・・
もちろん、我慢もする。
自分が何をしていても自分の気持ちだけは絶対にまげられないもの。

我が強すぎて社会に適応できないという人もいます。
家族と一緒に住むことすら、あたしにはできなかったし、
でも、それはこれからしなければいけないことであり、
ちょい辛いことでもあるんだよね。


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あぁ、思い出すだけでこのころの私ってかわいそう(笑)
人生の迷い道。光りが見えない真っ暗のどん底。
当時、「なんで、上京してきたの?」って聞かれたとき
私はなんて答えてたんだろう。。

「自分の夢をかなえたくて東京に来ました!」っていうのが
一番、シンプルでわかりやすい答えなんだけれど、
当時の上京は、私にとっては「現実逃避」でしかなかったもんな。
(え!そうだったっけ?と自分でも驚いてみる)

一番大きな理由は、「実家に帰りたくなかったこと」でした。
ひとり暮らしを続けたかった。自分のペースで生きたかったんデス。
3階建てエレベーター付き、衣装部屋付きのおうちを建てるから
ひとり暮らしをやめて帰って来なさい。やっと家族みんなで
暮らせる家が完成するのよ!なんて今さら言う
両親と一緒に暮らすことに絶望感を感じていました。
実家に帰ったら、もう頑張れないような気がしてた。
正直、許せなかったんです。いろいろと。
(思い出したらなんか悲しくなってきたぞ)

だからといって、「じゃ、東京にでも行くかな〜」なんて
気まぐれに行動を起こせるほど、単純思考ではなかったんだけど、
東京行きの切符は、まるで運命のいたずらのように
私の手に渡されたのです。

転職が決まっていた会社の大阪支社の部署がなぜか突然、
廃部になり、(そんなことってあるのか?)関西での仕事がないので
東京で仕事をしませんか?という思いがけないオファー。

そのときの私の選択肢は、3つ。

・当時の仕事をやめずに、そのまま地元で働く。
・転職活動を別のところで始める
・言われるがままに、なんとなく東京に行ってみる。

3番目を選ぶことに、なんの抵抗もなかったのは、
とにかくめちゃくちゃ疲れていたからでした。
何も考えたくなかった。周りに自分のことを理解して支えて
くれる人はひとりもいなかったし、東京に逃げれば楽になれるような
気がしてたんですね(余計に苦しんだけど)

一番大きな理由は、「実家に帰りたくなかったこと」でした。
と、書いているわりに、「実家に帰らなければならない状況」でした。

適当な土地が見つからず、家の建て直しに何年もかかって、
仮住まいのマンションを転々として、私は家族と離れひとり暮らし。
ようやく5人で新しい家に住めるねってときに、
自分の我が侭で上京したんだから、そのときの家族への
罪の意識というのは半端なモンではなかったです。

元々、離れて暮らしていたから、父上は私が上京したことすら
知らなかったけれど、お母さんにはこう約束しました。

「どんなことがあっても、毎週、ココに帰ってくるから」

ちなみに、実家は関西です。むちゃくちゃ東京は遠いっちゅうねん!
それでもやり遂げました、1年間は。
書きたかったこと、書けなかったこと、実はたくさんあるんです。

あぁ、いつか、全部、全部、全部を書いてみたい。

※ちなみに今は2回めの再上京。戻ってきた理由はわかりやすい。
 もちろん夢をかなえるため。




3月10日(夜) 「リハビリ」

治療を打ち切られ、3月からリハビリのない
生活を送っているんだけれど、
これがことのほかツライ。

頭痛はするし、背中は痛いし、
「そうそうムチ打ちってこんな感じだった」
と今さらながらに思い出している。

どうにもこうにも痛いので弁護士に電話。
「あのう。。あと、1ヶ月くらいなんとかなりませン?」
交渉してみる価値はあるもので、3月いっぱいは
治療を続けてもよいということになった。
「ありがとうございますぅ!」と喜んで電話を切ったものの、
思い起こせば、私は被害者だ。

あんとき追突されなければ、こんなに痛い思いも、
治療を終了することの不安も後遺症の心配もしなくてイイと
思えば、もうちょっと図々しくていいんじゃないかとさえ思う。

示談に向けて資料をつくったり、来月の手術の準備をしたり、
何かと雑用が多いこのごろ。

そいえば、写真の撮影も大詰め。今週は久々の男写ですわ。




3月9日(夜) 「古いアルバム。」

とよみさんの生い立ちみたいなものを、
かるーく流したいので、昔の写真とかないですか?

そんなことをテレビ局の人に言われていたのを
思い出して、昔のアルバムをひっぱりだしてみた。

あれも、これも、それも懐かしい。
おびただしい写真の数の中で光るのは、
我が家の名カメラマンであるお父さんの作品。

私のお宮参り。初めてのお風呂。1歳の誕生日。幼稚園の入園式。
愛にあふれた写真を見つめて、「最高!」と言ってみる。
赤ちゃん(←自分)って本当にかわいいなぁ。。

アルバムの隣には、私が今まで出演してきた
テレビのビデオが。結構あるもんだ。
某地方局で流れていた、テレビCMまで。
(なつかしい!!!)

ここでまたもやいつもの得意の妄想モードに入ってしまうんだけれど、
私が万が一、有名になったとして、「過去のお宝映像の公開!」
なんて企画になったときにどうしても見られたくない放送がある。

あれは、私が14歳のとき。
あくまでも「仕事」とわりきって頑張っていたんだけれど、
某お笑い番組のコンテストに出場したときのこと。

思春期の女の子にあるまじき大胆な一発芸がインパクトあったらしく、
私はグランプリをとってしまったばっかりか
グランドチャンピオン大会にまで出場し、親に言わせれば
生き恥をさらしてしまったのである。

あの放送を見ていて私のことを知っているという人が、
たくさんいた当時。突然、知らない人から
「あの芸をナマで見せて欲しい!」と言われて
テレビの力ってすごいもんだナァ。。。と感心していたのも
ちょうどそのころ。

あの時の芸って今だにできるんだろうな。
でも、絶対に人には見せられない。




3月8日(夜) 「フェスティバルゲート」

季節はずれの大雪の中、
大阪市内の某嬢の自宅を訪問。
私の妄想を形にするべくシャッターを押す。押す。
脳内のファンが早くも色めきたつ。
とにかく、公開が楽しみだ。

撮影を終えて次ぎの撮影場所へ移動。
あの有名な(?)フェスティバルゲートへ。
初めて、新世界を見た。本当にビルの間を
ジェットコースターが通っているんだわ。

去年、突然に会社をやめて、「私、歌手になるねん!」
と言い出した大学時代の友達。彼女のライブの撮影。
堂々と歌い上げる彼女の歌声に身体の芯から痺れた。
夢中でシャッターは切ってはいたけれど、
実は写真のことなんか考えられないくらいに、
その歌にすっかりハマってしまっていたんだ。

人の歌を聞いて、魂がゆさぶられる。
そんな経験をしたことがなかった私にとっては、
ホントに貴重な経験になった。

友達だから。昔から知っているから。仲良しだから。
そんな理由なんかじゃなく、彼女のもつ魂の
エネルギーが、とにかく真直ぐで気持ちイイ。

学校の中で見たことのナイ、イキイキとした彼女の表情を
見るにつけ、つくづくこう思った。
卒業をした私たちは遠回りをしながらも、
やっとそれぞれの居場所を見つけられた。

流されずに、あきらめずに、自分を探しつづけてきて
よかったねって言い合いたい。
成功するとかしないとか、そういうのはとりあえずおいといて、
「挑戦し続けている」そんな姿勢でいられることが素敵!

特定のファンも増えてきて、
とうとう、インディーズでCDを出すんだって。

「ライブに来てくれてありがとう。今から東京で仕事やねん。」

そう言う彼女とバイバイしたけれど、心の中は
ずっとずっと暖かいもので満たされたよん。

彼女は歌を歌う。
私は写真を撮る。

学校で学んだものは何かといえば、
学者の目で語られた「お芸術」のアレコレ。

自由に表現することの難しさを知っているからこそ
「ありがとう」を素直に言える。



3月7日(夜) 「久々の」

久々に友達と再会。
近況報告をおしゃべりをかねての撮影。
もともと知り合いを撮影するのは得意では
なかったけれど、今日はましてそうだった。
ある程度内面を知っているので、
「知りたい」という欲望がないので
妄想イメージがうまく働かないのが原因。
とにかくおしゃべりに夢中になってしまって
シャッターを押すどころではない。
関西人同士の会話ははずみまくり。

東京の男の人ってどんな感じ?と聞かれたので
「関西弁の女の子っていいよね。」とたまに言われるとで答えた。
「でもな、本気で関西弁で関西ノリでしゃべってしまうと
大概の男の人はひいてしまわはるねん。要注意やねん。」

あくまで関西弁がかわいいのであって、関西ノリが好ましいと
いうわけではないということに気づくのに
私はどれだけの時間がかかっただろうか。
今となっては後の祭りという経験が多々ある。。。

東の男の人がいう「好きな関西弁」というのは、
私たちが普段、しゃべっているそれとは全然違うらしい。

「うち、そんなんいややわぁ。」←しなをつくってカワイク!
「ほんまに?うれしいわぁ、おおきに」←京都弁かこれは。。。

こういう言葉を使う分には、非常に男受けはいいんだけれど、
(私の勘違いかもしれないが:笑)
地ではないので、そう長くは続かず、
「なんでやねん!あほちゃうか!」なんて行儀の悪い言葉が
ついつい飛びでてしまう。

そういえばこんな話を友達から聞いた。
ある東京の男の人が京都の女の子と付き合っていたときのこと。
二人が愛し合ってるときに、彼女がこんな言葉を発した。

「っっ…。アカンて…。堪忍して。。。っっ」

それを聞いて、同時にその彼も発したらしいが、
東の男の人っていうのは、そういうときの京言葉っていうのが
すごくセクシーに聞こえるんだってさ。

河原町のイタリアンレストランでそんな話をしつつ
二人で大爆笑してたんだけれど、(撮影のことはもう忘れてた)
私も一度そんな台詞を言ってみたい。



3月6日(夜) 「かえってきた。」

今日、最後の原稿を書き上げたそのとき、
妹からメールが入った。
「オイ、オマイ!東京ではみんながサンダルはいてるって
 嘘をつきましたね!すっかりだまされてました。。」
またもや上京してきた妹。
こちらの気候を尋ねられたときに、うっかり冗談を書いてしまった。
かなりお怒りのご様子。ほんとにサンダルで来るアホがいるかいな。
まさか、間に受けるとは思ってもみなかったわ。

そういう私は、今、妹のパソコンからこうして
今日のどうでもいい独り言を書いている。

妹は東京。私は2ヶ月ぶりに実家に帰って来ている。
久しぶりにのような気もするし、東京での生活は
私の妄想で、実は私は昨日もおとついもずっと
ここで生活をしていたような気もする。

道行く人から聞こえる関西弁がすごく心地いい。
早く寝て、明日の撮影に備えようっと。

そういえば、今日、ここに来る前に、
品川に新しくできたアトレに寄ってきたけれど、
それはそれは素敵な空間だった。
ああいうレストランでデートしてみたい♪



3月5日(夜) 「テレビ局の人と打ち合わせ」

自宅でテレビ局の人と打ち合わせ。
自分の生き方とか考え方とかこれからのこととかを
えんえん話しつつ、結局、出演する方向で話しは
まとまった。

明日からちょっとした撮影旅行。
女の子が3人。新しいカメラを持って出かけるのだ。



3月4日(夜) 「イタタ」

頭が痛くて寝てました。
リハビリが打ち切られて4日目。
身体が悲鳴をあげています。

リハビリがあってこそ、まともに
生活ができていたのね。

弁護士に相談しようかしら。
後遺症診断はいいので、治療の打きりを
取り消ししてくださいって。




3月3日(夜) 「相談です。悩んでいます。」

写真集の出版も決まり、連載ももうすぐ始まり、
女流写真家としてのテレビ出演の話しもある。
少しづつ妄想が現実に近付いてきた。
写真を好きになって本当によかった。

昔は時代が私を「ネットアイドル」なんて呼んでいたわ…。
なんて過去を懐かしがっている場合ではない。
私はあの時何を学び、何を得て、何を失ったか。
それをきちんと知っておかないと、
いつ足元をすくわれるかわからない。
今、真剣に悩んでいるのはテレビ出演のこと。

いわゆるトーク番組で、私の仕事風景などを
取材して「こんな女性もいますよー」なんてことを
世間につたえるためのものなんだけれど、
テレビというからにはやっぱり面白くなきゃいけない。
意外な一面を見せるのもひとつの方法だし、
徹底的に自分をさらけだすのも、演出した自分になりきるのも
やりよう一つだと思う。
ただ、番組の制作サイドの方から
私が作業をしている事務所や自宅にカメラを入れたい
というからこれは困った。本当に困った。

私は今まで、テレビの取材も雑誌の取材でも、
「自宅を映したい」と言われれば一度も断ったことがなかった。
それは私が上京する前の話しであって、
言葉に出すのも恥ずかしい「ネットアイドル」時代のことだ。

浮かれていろんなメディアに出ていたようで、
あの時はあの時でいろいろと考えていた。
だってもういい年した大人だもん。

「アイドルとは消耗品である。」
「アイドルとは究極のサービス業である。」

人々の関心が自分に向いていたのも、いわゆる時代の流れに
うまく自分がのれたからだ。才領はない。
自分にアイドルなんていう究極のサービス業が向いているとも
思ってなかった。
これが最後のテレビの仕事かもしれないと思いながら、
思い出つくりにも似た気持ちでそれぞれの取材を受けていたから
無茶もできたし、その場その場を楽しんでやってきた。
当時はそれでよかったんだ。

しかーし。今度は違う。
今度の肩書きだけは、私にとっては一生モンでなければならない。

決してメディアの消耗品になってはいけないのだ。
しかも私なんてまだヒヨッコもヒヨッコ。
この写真の業界にはドエライ先生様がたくさんいらっしゃる。
私生活をさらけだしても、大丈夫なほど私は私の地位を
確立しているわけでもないし、エレベーター付きの実家ならともかく
こんなオンボロ賃貸じゃカッコもつかない。
3年後には、恵比寿にマンションを買うなんて豪語してはいるものの、
何にもない全てを曝け出して、一体なんになるいうのか。
飽きられて、けなされて、身も心もボロボロなんてのは、
もう二度とゴメンだわ。
(昔の番組でひどいのがあって、既にトラウマ:涙)

私はこれから、たくさんの作品をつくり出していく立場にいるのに、
中途半端にメディアに出ていいんだろうか。。

いや、多分、私のことだから、出演はすると思うけれど
どういうスタンスでこれからやっていけるのかがとてもとても不安。



3月2日(夜) 「イタタ…」

痛い。痛い。身体が冷たい。
エアコンを最高温度に設定して、腹巻きを2枚して、
カイロもつけて、コタツに入っているのに、
指の先は氷りのように冷たい。

冷えるから筋腫ができるんだろうか?
それとも、筋腫があるから冷えるんだろうか?

どっちでもいいんだけれど、筋腫をとっても、
子宮をとっちゃうわけじゃないから再発する可能性は
あるわけで、根本的にこの体質を改善しないと
どうにもこうにも毎月がツラいなぁ。。

この前買った、デジカメ。
初めてファインダーをのぞいで、シャッターを切ってみた。

ゾクゾクした。初めてのニコン。
今週末は3人の女の子を撮影する予定。



3月1日(夜) 「イタタ…」

また、今日もデート。。。3日連続で遊んだ。確かに疲れる。
表参道でご飯を御馳走になり、カフェで
おしゃべりでもしてまったり過ごそうかと思いきや
背中と腰がやたらに痛い。手の先が冷たくて寒くてしょうがない。
「今日って何日だっけ?」「2月29日だけど」という会話をしつつ
下腹部の鈍痛もひどくなる。身体の芯から冷えるようだ。
赤い悪魔のご登場。

「ごめんね、気分悪いからもう帰りたい」と言いつつも、
歩くのさえ億劫で、寒いのに眠くてしょうがない。
情けないカッコも見せたくなかったのでココでバイバイしましょと
強く拒んでみたものの、こんなに痛いのはちょっと不安で、
結局、家まで送ってもらって(申し訳ない)デートは中断。

身体が弱っているときに、やさしくされると女っていうのは
弱いモンです。人のやさしさに甘えてみるのも悪くないって思った。

「アタシって子宮筋腫で子宮内膜症で卵巣のう腫の疑いもあるのぉ〜」
とは言えなかったけれどね。つか、言ったらヒクだろ!多分。