3月31日(夜) 「エイプリルフールにはまだ早い。」

今日じゃなくても明日じゃなくても。
シャレになんない。
3月30日(朝) 「焦りと戦うこと」

少し元気になってくるとまたいつもの病気。
やりたいことがありすぎて焦る。
無気力でどうしようもなくブルーになって
落ち込んだだけ落ち込んでその反動での
やりたい病はいつものことだけど、
この天地が激しくて自分でついていけなくなりそ。

新しい職場にもなれて
新しい部屋にもなれて
それがすごい心地いいので
転職したこととか、引越ししたこととか、
迷いと焦りと苦しみの中から選んだひとつの答えが
そうそう間違いではなかったことを
確信して少し安心している。
自分にOKを出せたこと。
これは進歩かもしれない。

懐かしい人にメールを出したら
懐かしい人が返事をくれた。
「覚えてる?ってちゃんと覚えてるよ」だって。

変わっていくけれど、大切なもの。
走りながらも何度でも立ち止まってもいいじゃん。
なくしたと思っているものでも、
いくらでも取り戻せるかもしれない。

忘れさえしなければ
それはいつでも、手に入るものなのかも。

会いたい人にはそう思ったときに
連絡しよう。
今日はずっと前から大好きだった
雑誌の編集長さんに会います。
それも、ここがあったからこそ。

さて、今日もお仕事がんばりまっしょう!
3月29日(朝) 「カフェオレ」

すごいヒトを見つけた。
いい言葉を見つけた。
すばらしいサイトがあった。

リンクをたどっていてなんとなく。
いくつかのページを見てたらとまらなくて
最近は毎日のようにアクセスして
ひとこと、ふたこと、更新されるのを楽しみにしてる。
心にしみる言葉があるそこは、
居心地がよくていつまでもいたくなる。

その場所をその作者と共有していたいと思う。
愛するべき場所。愛されているヒト。

現にそこは愛であふれていて、
何気ない言葉の端々に、読み手への思いやりとか
やさしさとかが感じられる。

本能のままに書いてるようなヒト。
書くことそのものが、生きるための呼吸のよう。
酸素をほしがるように、読み手を必要として
自分の知識はもちろん、もてる愛情すべてを
その言葉にたくしているかのようにさえ感じる。

魂をもった言葉は尊い。
愛のある言葉は暖かい。

あたしもそんな言葉が書きたい。
自分のためにだけに、鬱憤を晴らすためにとか、
考えを整理するために、とか
そういう自己満足的なものじゃなくて、

愛をこめて、文章をつづっていけたら
それはどんなにかすばらしい人生になるだろう。

今、考えている新しいサイトに
もうひとつのコンセプトを加えよう。

愛ある言葉をつづる、ウェブライター。

本を読もう。
いろんなヒトに出会おう。
朝は早起きしよう。
チョコレートは少し控えよう。
毎日更新している一文でもいい。
愛をこめて言葉を綴ろう。

愛している。愛している。
3月28日(朝) 「歩きはじめました。」

あーさー♪
会社への行く道の桜並木は満開。
あぁ、日本に生まれてよかったなと思えるひととき。
はっくしゅん。
このくしゃみがなければもっといいのに。

昨日、本棚の整理をしてたら懐かしい本が。
「彼から再び愛される方法」
・・・・・そうそう、これ、読んでた。
恋愛に悩んでは、こういうマニュアル本に片っ端から
手をだしてはうーむーと唸っていたんだ。
なつかし。

その本にも書いていたんだけど、
「話を上手に聞けるヒトになりなさい」って。

これにはほんとに「うんうん」って当時も
うなづきながら嗚咽しながら読んだものです。

何か壁にぶつかったときは、
誰かにその苦しさを聞いてほしくなる。
とりわけ、自分を大切にしてくれるヒトに。

アドバイスも批判もなんにもいらない。
ただ、「あたしいま、こんなに苦しいんだ」って
いう気持ちをわかってほしい。
きちんと理解してもらえなくてもいいから、
わかろうとしてほしい。
そしてその気持ちを肯定してほしいんだ。

簡単なようで簡単じゃなくて
それを実践してくれたパートナーには
未だにめぐり合ったことないかも。

たとえば、仕事のことで悩んでいたら
その思いを聞いてほしい。

「こうしたらクライアントは納得するよ」とか
「そんなんじゃ上司は説得できないよ」とか
「君の努力が足りないんだ」とか
「自分の選んだ仕事でなにグチグチいってるんだ!」とか
そういうのは一切聞きたくなくて、
「そっか、今、大変なんだね」って
その気持ちに理解を示してほしい。

それだけでどれだけ救われることか!!
(そうしてもらえなかったことで
 どれだけ苦しかったことか。。。とほほ)

自分の問題っていうのは基本的に自分でなんとかする。
パートナーに問題の答えなんて求めちゃいないし
そんなところに答えなんかあっちゃ困るのだ。

あたしがここを好きなのは、すごい大事なのは
こんなふぅに話を聞いてもらえるからかもしれない。

遠くで見守ってくれて、決して焦らせずに、
あたしが答えを見つけるのを待っててくれてる。

どこかでこれを読んでくれてるすべてのヒトに感謝します。
神様、あたしをありがとう。

3月27日(夜) 「新しいチーズを探しにいこう。」

やっと、光が針の先ほどに見えてきたような
気がしているように思えるようなそうでないような。
朝起きても、夜になるまでの時間を大切に思えるし、
今日は何の日だったか知ってるし
昨日は何をしたかも覚えている。
生きているリアルな実感を少し取り戻せたので
少しづつ答えを手にしてきてるんでしょう、きっと。
頭が全体を把握するまでに時間はかかるけれども、
身体は正直に満足な反応をしてる。

こういう感覚ってほんと大事なんだと思う。
うまくいかないとき、あまり正解ではないことを
考えているときっていうのは、
とにかく身体がだるくて、顔がむくんで、気分がよくない。
となるとますますいい考えもできなくて、
間違いを起こしやすくなって、凹みに凹む。

まだ完全復活ではないけれど、
思考がクリアになっていい感じ。

何が変わったかというと、
こわいものが少しづつ減ったから。

「恐怖」これがいけない。
プレッシャーよりもなによりも、自分で勝手につくりだす
この「恐怖」。

こわい、こわい、こわい、と怯えていたものに、
打ち勝つことだできたあたしは昨日よりも少し元気になった。

こわい、こわい、こわい、と思っていたBBSも
ちょっと復活させてみたり。

指先でコントロールできる世界から、
あたしはすべてを変えてみせる。

3月26日(夜) 「悩める時期」

悩める時期。毎日もがいてたり目の前の壁に背をむけたり。
どーしてもここって更新しなきゃいけないのかしら。
自分に向かいたくないときはパソコンすら見たくない。
欲しい答えは自分の中にあるときもあるけれど、
外の世界に目を向けたほうが見つかりやすいときもあるから。

今日こそはネガティブな言葉を吐かないようにしたいと
思いつつもやっぱりここにぶちまけてしまうのかな。。
休日はまるでプチひきこもりのように過ごした。
早起きはしようと思って目覚ましをかけて
シャワーを浴びて起きているのに寝ているように過ごした。
おもしろくないテレビをぼんやり眺めて
やらなきゃいけないこと、やりたいことを頭に描きながらも
「今は動きたくない」という欲求に素直に身体をまかせた。
これがよかったのかどうかはわかんない。
最近は休日が楽しみではなくなったことが少し寂しい。
かといって毎日がなだらかだというわけではないんだけれど。

今はとにかく「これから」のことを考える。悩む。
何が欲しくて何が大切で自分がどうしたいか。
欲しいものも大切なものもわかっていて、
自分はごきげんになりたいんだけど、なれない。
と、なると自分が「これは大事だ」と思って
しがみついてるものが、実はそんなに大事じゃなくって
それにこだわっているからこそ余計にうまく
いかないんじゃないかって思えてきて
自分の信じるものがわからなくなってくる。

こういうことって誰でもあって、
それなりにみんな乗り越えたり解決してきたりしてるんだろうけど
どうやってそれをしたのかほんと誰かに教えてほしい。
それとも、こんなふに考えすぎてぐるぐるしてるのは
あたしだけで、こうなってしまうのも
実はこのホームページのせいかもしれないじゃん?

大事だ、大切だ、続けていきたいと思ってるこの場所が
結果的にあたしの人生をうまくいかなくさせているのなら
それは本末転倒であって、そういうのならここはいらない?

でも、それっておかしくて、とにかく何かのせいにしたいだけ。
何だって使い方であったり、物事のとらえ方で
変わるものは変わっていくんだから。

見えそうで見えないのはなりたい自分。
もっと言えば、どんな服を着たいのか?

スーツの似合う女になりたいの?
いつまでもミニスカートはいていたいの?
とりあえずジーパンとシャツでいる?

突然、誰かがあたしの目の前に現れてこう言います。
「これが君のなりたい自分でしょ?」と
ピカピカのあたしが差し出されたとする。あたしは泣いて
「そう、それが欲しかったのぉ!!!!」
と喜んで受け取る。
「これをあげるかわりに君のいらないものをちょうだい」
といわれる。あたしにあげられるものって?

よーく考えてみよう。もっと想像してみよう。
どんなヒトがどんなあたしをもってきて、
あたしはいらない何を手渡すのか。

これで何か見えたよな気がするから
やっぱりこの場所は必要。
これで少し前に進んだのなら
毎日の更新は大切。

だらだら過ごすんじゃなくて、
すべてのことに意味と目的を見つけよう。

今日の朝ご飯も仕事もプレッシャーもストレスも
満員の通勤電車も、目のチカチカするバイオのディスプレイも。
自分のまわりにあるものがあたしの役にたってる、とか
あたしはそれらに愛されてると、感じることができれば
なんかうまくいきそうな気がするのだ。

始まりは不機嫌。おわりはご機嫌。
時間をかけて作り直そう。これからのあたしを。

3月25日(夜) 「このままじゃいけないのだ。」

っていうか。
昨日はインターネットテレビにでて
今日は週刊誌の取材を受けて。
なんだかマンネリになってる自分に気づく。
ホームページを立ち上げたきっかけは?
コンテンツのみどころは?
どういう男のヒトが好み?

いや、ほんとはずっと前から気づいていたんだけど
どうしても抜け出しせなくて。。。
どうしたらいいのかわかんないわけでもなく
それでもやっぱり迷いばかり。

ホームページを立ち上げてそろそろ2年。<
あのころは、、とにかく誰かに自分の気持ちを
わかってもらいたくて、世の中に自分の存在を
認めさせたくて無我夢中だった。
取材の話がひとつ、ふたつ増えるたびに、
天にも上る気持ちだったし、
友達にも誰にもいわず、自分が載ってる雑誌を
ひとりで見ながら「やったぜ!」とほくそえんでた。

それでも十把ひとかけらの ホームページやってる女の子のくくりには
されたくなくて、自分なりに頑張ってきたつもりだけど
現実はそんなに変わってないじゃない。

ここで「くやしい」と思えないことがくやしい。
だってそれはあたりまえで。
今までやってきたことが、そのまんま評価されてるだけだもん。
やるべきことが見えていたのに、
やってこなかったのは、あたし。
やりたいと思いながらも実行にうつせずにいたのはあたし。

失敗したらどうしようとか。
もうあまりしんどいことは嫌だなとか
怠けたいとか楽したいとかいう気持ちがありました。

けど、このまんま無駄な時間を過ごすのだけは
もうやだやだやだやだ。

また、倒れてもいいじゃん。腱鞘炎になってもいい。
こわがってたってしょうがないじゃん。
睡眠不足でふらふらになりながらも
パソコンにかじりついて「自分のやりたいこと」を
形にしてたころはそれなりにあたしも
生きていたような気がするもの。

入院もしたし、両手両腕ぐるぐるになったし、
自分の限界が見えて臆病になってたけれど、
もいっかい頑張ろう。このままじゃ、このままじゃ、
なんのためにあたしがインターネットという
武器を手にいれたのかわかんないや。

見てろよ。見ててよ。
3月24日(夜) 「あちゃちゃ。」

昨日の生放送。
テレビのインタビューっていう
いきなり本番っていうのに意外と弱いかも
。 ちょっと下世話な話なんかもしちゃったし。
ネットでは隠せる自分のちょっとイケテナイ
かもしれないところもバレてしまうのだ。
3月23日(夜) 「元気になろう」

せめて無理やりにでも元気になろう。
そうでもしないと、凹んでいるとまた
さらに凹みたくなる出来事がおこるかも。
最近ろくでもないことが多すぎる。
あたしになんか憑いてるんじゃないのかって
くらいなんだかうまくいかない。人生が。
あ。やばい。この書き方がやばい。
なんかこう書いてる自分も心が躍るような
読んでるヒトもなんだかわくわくするような
そんなことがどうして文字にできないんだろう。

昨夜の家の帰り道。桜の花びらが道路に落ちてた。
あぁ、いつのまにか春なんじゃない。
またお花見の季節がやってきたんだぁ。
あたしはなんも変わってないというのに、、って
この思考回路がいけない。

最近、non-noの表紙になってる宇多田さんが
気になります。
インタビュー記事を立ち読みしてみたんだけど、
いいこといってるんだよね。
自分ばっかりに目がいっちゃうと悲劇のヒロインになっちゃうって。

あ。まさにそーのとーり。あたし、それです、みたいな。
彼女のサイトの日記なんか、こうパワーあるもんね。
それも無理してるっぽくない等身大の。
器が違うかもしれないけれど、あたしだって
そういう姿勢で生きていればそれは無理じゃないんだってば。

さ。やることやろう。
今、うまくいかなくても、明日、どうしたらうまくいくかを
考えよう。嘆いてたって仕方ないしさ。
慰めてもらったところで、事態が好転するわけじゃないし。

自分の人生に責任もとーね。
結局はすべて自分のため。なんだからさ。

さて、今日は気楽にテレビでおしゃべりでも。
夜の22時放送らしいです。

http://www.itv24.com
3月22日(夜) 「今日も花粉と戦うのだ。」

朝マック。102のグッズが欲しいので
今日もコインでガリガリ。
あともうちょっと10点そろうというところで
親にとられてしまった。くそぉ。

今日の金曜日はインターネットテレビの
生放送に出演、土曜日は週刊誌の取材と撮影という
久々にネットアイドルっぽい予定があるというのに
さえない顔。カサカサの顔。しまりのない顔。

花粉症は顔の表面の水分をなくし、
かわりに顔をむくませて、
目を充血させ、まぶたは腫れぼったくなるという
最悪な状態にさせるため、ごきげんさえ憂鬱。

「あたしって敏感なのぉ〜♪」
なんておちょける元気もなく
今日もマスクとサングラスが手放せない。

さて。がんばりますか。
花粉でつらいのはあたしだけじゃないし。

3月21日(夜) 「ああ?」

えーーー。
花粉症は絶好調。
今日は油断してマスクもせずに外を
歩いたものだから鼻水が滝のように。
もうティッシュが手放せません。
新しいお家にも生活用具を揃えて。
自転車なんか買っちゃったりです。
車は前の家においてけぼり。
仕事があるときはこっちで、週末はあっちで。
放浪の旅の始まりってねー。

元気?大丈夫?
と、大切な友達からメールをもらいました。
多分ここを見てくれたんだろうけど
恥ずかしいような、申し訳ないような。

決して理由を聞こうとしないし、
遠くから見守っているよ、と伝えてくれる
その姿勢が嬉しくてあたしはまた
泣いてしまうのです。

泣いてばかりもいられないので
とりあえずの復活宣言。
ここで「ありがとう」を書いてみたら
どれだけの人に届くかしら。
ほんとに、ども、ありがとう。

あ。お風呂がわきました。
今から入ってきます。

明日は笑顔でいられますように。
「愛してる」の呪文をとなえながら
いい夢がみられますように。
3月20日(夜) 「なんだかんだ言いながら」

また。引越しをした。
この2年で4回はしている。
あたしの家は荷物を置きっぱなしのをいれるや
実家とか建築中のものをいれると、
5つになってる。まさに引越し貧乏。
・・・もっと楽しいようにかけないものかな。
初めてのワンルームだっていうのに。
あ、なんかやな書き方。
3月19日(夜) 「あたしもうだめかも。」

愛している。愛している。
あぁ、神様ごめんなさい。
いくら前向きに生きようと思っても
そう思えば思うほど、
自分の心の中の歯車がきしんで
この場で嘘の言葉をつづることができません。

ずっと大切に守ってきたものを
目の前でぐしゃりとつぶされてしまった気分。
それも突然に。なんの前触れもなく。
「腐っていくのをじっと手をこまねいて
見ているのなら潰したほうがマシ」
そう思う人もいるとは思うけど、
それが腐っていても、そうでなくても、
あたしには大切なものでした。それは。
それを壊された悲しみはどこにもっていって
いいのかそれこそわからない。

それはあたしのものではなかった。
大切にしていたものはあたしのものではなかった。
だからそれが腐っていようが壊れていようが
消えてなくなっていようが
私の気にするところではない。

そんな思い込みも空虚で
自分にとってなんの慰めにもならない。

愛している。愛している。
今のこの悲しみすらも。

3月18日(夜) 「たくさんのヒトに助けられて」

愛している。愛している。
これからはこの言葉を自分に語りかけてから
今の思いを形にしよう。
それってとてもごきげんな気がするから。

凹んでしまうような出来事があって、
ほんとにほんとに悲しかったので、
ヒトリで映画でも見ながらお茶をすすって
なんとか自分の気持ちをごまかしながら
週末を過ごそうかなって思ってた。

それもどうかなとか思って、
動いてみたらこれが結構よかったりするんだ。

「助けて」って言葉にしてみると、
誰かに泣きついてみると、ちゃんと受け入れてもらえるの。
嬉しかったぁ。すっごい嬉しかった。

励ましてくれる友達がいて、
慰めてくれる母親がいて、
遠く離れた友達からは嬉しいメールが届いた。

たくさんのヒトに愛されてる自分を自覚して
自分の居場所をもう一度確認して、
あぁ、愛されてあたしはここにいるんだなって
そう素直に思えた。
「愛される」って重たいことでもなくて、
受け入れることに頑張ることもなくて、
なんていうかそれはとてもやさしい。

やっぱり、今までずっとずっと我慢してきたし、
言いたいことも言えなかったし、
頑張らなきゃがいつのまにか、
頑張り続けなきゃになってて、
それってやっぱり辛かった。

今こそ、自分の底力を信じよう。

我慢するのがいやで、
言いたいことが言いたくて
ここにいたのにいつのまにか
ここでも我慢していたような気がする。

理解されなくてもいい。
言葉にできない思いを形にすることは
やめないで生きていこう。

愛してる。愛してる。
思いを言葉にする前にこの呪文をとくと
素直な気持ちがここにあらわれる。

3月17日(夜) 「楽しいよ、それでも。」

愛している。愛している。
現実のすべてを受け入れよう。
今日は朝まで友達の家でのみ騒ぎ。
あー。久々に、笑った。語った。
誰かにそばにいてもらえることが
こんなに嬉しいこととは。なんてさ。
繋がるところは繋がるんだ。
こたつの上にちらばった、紙コップ
ウーロン茶のペットボトルにお菓子。
完徹したあとで、みんなで行った朝マック。
こういうのずっと欲しかったんだよね。
今、気づいた。
どうして今まで我慢
していたんだろ?
3月16日(夜) 「出来事に意味を探す」

昨日のV6に続き、今日も偶然な出来事が。
朝から、人身事故に遭遇。
担架で運ばれる何かを見た。毛布しか見えなかったけれど。
そして東京駅で偶然、もう2度と会うことが
ないと思っていたヒトを見かけた。
すっかり様変わりしていたので、
声をかける勇気もなく。ただ、見ていた。
細胞分裂してたんだもんね。どういうわけだかすごい!
遠くからその様子を見ていたけれど、
なんだかすべて見えてしまった気がする。
すべて見えたあとは、それに、なんの興味もわかないのだ。
ただ、それは、それで、それだけのことだったんだな。
妙にさめてしまった。あれはただの思い出。

最近は一日がすごく重くて長くて忙しい。
メールとか電話とか。。
なんていうんだろう、これって意外と便利であって
そうじゃない。

来たメールには返事を書かないとメールは楽しくないし、
書けなかったり、わからなかったりするとそれは 無視したことになる。微妙なニュアンスをれを言葉にして
返事にするのは難しい。脳みそがしびれる。
電話は電波が届かない、それだけで
とんでもない誤解を生んでしまって、
その修復だけで多大な時間を費やすことになるんだ。
今日なんて、おとついのメールが届いて、
自分が置かれている状況に今気づいてあたふたしてる。
サーバのごきげんでヒトのごきげんが左右されるなんて
ちょっとおかしくないか?

「すぐつながる」便利さは「すぐつながらない」ストレスを生み出す。
誰からかかってきたかわかる電話は、
とらなくいい電話を明確にさせる。

そういうわけで、ブルーになりつつも
今日は元気。朝からしっかり朝ご飯。

松屋の鮭定食、330円なり!

3月15日(夜) 「運命の出会い」

今日は、USBケーブルを買いに秋葉原へ。
会社のお使いみたいなもんでした、はい。
駅前にちょっとした人だかり。
カメラがあってどうやらロケみたい。
見たことあるような顔があるような、、
ないような。
あ、どっかで見たことある。でも思い出せない。
もしかして?もしかして??
よーーーくみると、V6のおふたり。
名前が思い出せません、
はっきり言って、TOKIOとV6の違いすら
よくわかんないあたしですから。
坂本くんと、もひとり、カレーのCMで
「あれ?りんごいれないの?」
って言ってるひと!
それにしてもかっこよかったです。
ドキドキしました。はい。
彼らの視界に自分がいるというだけで
心臓はバクバク。
素人さんをひきこんでインタビュするような
企画みたいだったので、
「あたしを呼んで〜」と心で叫びつつ
熱い視線を送るあたし。
おっとそういえば、仕事中だった。
仕方なくお目当てのパソコンショップへ
足を運んだのでした。くーーー。
できるならずっとあの場所に行きたかったわぁ。

あー。テレビもたまには見ないとね。
好奇心を忘れたときから
おばさんか現象が始まるのよね。

やば。そして、今日も頭が痛い。
花粉症のお薬のもうかな。
3月14日(夜) 「そういえば」

仕事っていうか、そう、仕事。
夜のお仕事は撮影。
しかも撮られるほうじゃなくて
撮るほうの仕事。
クライアントの目の前で商品を撮るのって
すっごいプレッシャーだよって誰かが
言ってたけれど、
まさにそのとおり・・・。
何はともあれ、ひとつの夢が完成しました。
「カメラマンになりたい」
これで満足です。はい。
でも、セカンドチャンスがあるのなら、
もっとしっかりした仕事がしたいなぁ。。
3月13日(夜) 「そういえば」

たまには早く寝てみようかな。
3月12日(夜) 「そういえば」

今日は薬を飲んでない。
あわてて薬をのんで、午後からの予定に備える。
マスクでの通勤にもなれた。
花粉よこの世からなくなれ!なんてことを
本気で願ってしまいそうになる。
そうなったら、酸素なくなるんだっけ。
早くーいやーーーー。

最近、ちょっと変わったことがある。
今まで「怒っているヒト」がとても嫌いだった。
今日は少し好きになった。

だって、言いたいことも言えずに
お腹ばっかり壊しているヒトより
ずっとずっとマシ。
ある意味、エネルギッシュ。

3月11日(夜) 「ヒト恋しい季節」

友達と鍋をかこんで楽しいひとときをすごして。
ひとりぼっちになったあとは
さみしさが倍増します。。。
ひとりでぶらりとゲーセン行っちゃったぁ。
キーボードゲームに燃えたりしちゃってさ。
あぁ、なんか空しい。余計に。
画面にむかっているときだけだよ、
楽になれた気がするのは。

やらなきゃいけないことはあるので
まだ眠れず、パソコンを立ち上げていると
目がたまらず痛いです、はい。

明日中にやらなきゃいけないことを
考えてるうちに実は明日になっていて
もう夜中の3時。

つくづく自分の扱い方が下手です。
明日はポジを探して、画像を見つけて
たまったメールの返事を出して、選択して。v タグを組んで。やります。やりますよ。

雑にやるから雑用なんです。
なんでも一生懸命やりますよ。はいはい。

3月10日(夜) 「いた。」

今日こそ
「転職成功だ」と思った日はないかも。
自分の欲望にもっと素直になりたいこんな日は
気持ちは踊るものの、身体がついていけず
偏頭痛をおこしたりするのです。
3月9日(夜) 「いた。」

東京に雪がちらつくこんな日は
花粉もちょっとはマシかしら?
お薬を飲んだせいか、一日中、マスクと
サングラスをかけていたおかげか、
昨日よりかはマシです。
あの、気の遠くなるような苦しさと
身体中の不快感。
もう二度と経験したくない。

職場でも、サングラスとマスクで通したので
変な目で見られたけれど、
我が身愛しい。
とにかく自分を守らなければって
そういう意識しかなかったです。

それにしても顔がベタベタ。
春先ってなんでこんなにお肌の
調子まで悪くなるのかしら。

ほんとの春がはやく来て欲しいなっ。
そして、明日はこの冬最後の鍋パーティ♪

3月8日(夜) 「ばくじょん。」

ティッシュと仲良し。
くしゃみと鼻水がとまりません。
近年まれにみるひどい症状。
頭はガンガン。熱もあります。
集中力のかけらもなっしんぐ。
息ができないので酸素欠乏症になりそ。
こんなのやだーーー。

仕事中、見かけたパンダの写真。
薬局らしい建物にひきこまれるように
入ったそこはやっぱり薬局。
市販薬を買うつもりが、そこは
漢方薬の調合をしてくれるところ。
症状を話して3日分のお薬をもらった。
効いてるような効いてないような。
明日はマスクとサングラスで出かけよう。

身体中が鉛のように重い。
おやすみなさい。
こんなにつらいなら明日は雨のほうがいい。
3月7日(夜) 「電磁波シャワーいやん」

今日、会社の帰り道。
時間があったのでパソコンショップに立ち寄ってみた。
新しいデジカメ、カシオのQV2300UX.
んー。ほしいっ。でも、今のでも十分使えるので
ここは我慢のコとなろう。

それにしても、あの空間の電磁波シャワー。
職場でもパソコンに囲まれて
やたらに圧迫感を感じたり、モニタのチカチカに
目が疲れてしょうがなかったりしてるところに
パソコンショップはつらかった。
ああいうところで働いている店員さんてば
身体は大丈夫なのかしら。

前にも同じようなことを書いたことがあるけれど、
急に心が動き出すと、自分の中に処理できない
感情が生まれてどうしたらいいかわからなくなる。
素直になることと、それを表現することの
さじ加減なくてあってないようなもので、
自分の思い通りにならないことにいらだちを
ヒトにぶつけてしまっている自分に自己嫌悪。

なによりも、いつまでも、
自分と仲良くつきあうことが難しい。

3月6日(夜) 「ぐるぐるしよう。」

誰かにかわいそうなんて思われたくないし、
幸せになるために苦労するのは
ちょっと違うと思うし。

もっと気合をいれて生きていたいし、
寝なくても大丈夫な身体がほしいし、
ほんとは、もっとほしいものがあるのに、
別のもので満足してるふりはしたくない。

欲しい、欲しいと思ってるうちに
自分が惨めに思えてくるのは悲しいし、
ほんとは今でも宝物いっぱいもってるのに
それに気づけないと大事にもできないし、
自分のどこをどう育てたらいいかわかんないし。

誰かにあたしを見つけてほしい。
こっちにおいでって言って欲しい、多分。

3月5日(夜) 「こんな休日もいいかも」

今日は一日中、寝てしまった。。
朝の8時半に起床。
あさごはんを食べて、、台所を片付けて。
11時くらいからお昼寝。
起きたのは午後3時で、それから洗濯を。
お風呂にはいって、出かける準備をした。
出かける前に、ビデオを見ようとして
再び睡魔に。
いつのまにか寝てしまったらしく
起きたら午後8時。
実家に戻って、食事をして、デザートを食べて
帰ってきたら午後11時。
一日が終わっていた。。。。

マニキュアを塗りなおして、明日着る服を用意した。
あとはもう一度、お風呂に入って寝るだけ。

疲れはだいぶとれました。
でも、考える時間があるとやっぱりよくない。
気づいてしまったことは忘れられない。
うたたねの間に何度も繰り返してみた夢を
思い出してはため息。

また、泣くことになるのかな。
3月4日(夜) 「待つ時間」

待つ時間が苦痛だ。
待っても待っても、自分の思い通りにならなかったら
どうしようという不安と、今は待つことしかできないと
いうあきらめの気持ちと、今、この時間が
無意味なように思えて仕方ない焦り。
なんでかな。気持ちに余裕がなくなるこの時期は。

さて、花粉症です。
今日はだいぶマシですが、昨日とかかなりきつかったです。
息できないし、目は痛いし、頭はがんがんするし。
例年より症状がひどいような予感。
ここ数年は悩ましいことはなかったのに。

明日くらいに薬局にでもいこうかしら。
また、常備薬がひとつふえて、
病人意識になるのはやだけれど、
こればかりは仕方ない。
予防薬とかあったらいいのに。
あ。お風呂が完成した。
夜のうちに洗濯もしてしまおう。

3月3日(夜) 「おなかすきました?」

ビーフシチューをつくりまっした。
あい。つくってみました。
赤ワインなんかいれてみまして、
フランスパンなんかも買ってみたりで、
優雅な気持ちです。しあわせ。
自炊って楽しい。
何にしても何かをつくるのって楽しいです。
ひとり暮らしをプロデュースしてるって
思えば、さみしくはないよねー。
そんなもんだよねー。

3月2日(夜) 「なんでもイブが一番素敵だ」

今日はイブですか?
ええ、イブじゃないですか。
ハッピーヒナフェスティバル。
飾らなくなってもう何年たつんだろう。
ひな壇をしまうのが遅くなるとお嫁に行くのも遅くなる。
そんな迷信を子供のころから聞かされてたけれど、
あれって本当なのかしら?
もしかしたら、そのせいで、まだ、お嫁にいけないのかも?
それどころかひな壇を出していない今じゃ、
お嫁に行くことすら無理だとか?
昔の人はうまく言ったもので、後片付けもできない
だらしない女の子じゃ、お嫁さんにもなれないよっと。
そんなことが言いたかったんだと勝手に解釈してます。

今日は「おほしさまありがとーー」と叫びたくなる
くらい嬉しいことがあったので、チョーごきげん。
友達が「おほしさまに願いごとをいうとかなうよ」
って言ってたけれど、それは本当かも。

・・なんて、これも迷信みたいなもので、
自分が「こうしたい、こうなりたい」と強く思えば
世界は変わっていくんです、そういうものなんです。

明日は友達においしいやきとり屋さんに連れて行ってもらう予定。
仕事が終わったら電車にのってー。のってー。のってー。
学芸大の駅前に最近できたんだって。
3月1日(夜) 「もう三月なの?」

今日は渋谷で、WOWなイベントがあったので
いってまいりました。
パイナップルカンパニーさんの、
東京事務所のお披露目。
いやいやほんとにうらやましい限りの素敵なビル。
そこで、またまたいろいろな方とお知りあいになれました。
よくわかんないなりにも楽しかったです。

昨日読んだ本のことを電車の中で考えていたんだけど、
「喧嘩をはじめるのは仲直りとセットで」って。
誰かに、あるいは、自分に対して怒りやいらだちを
感じることはもちろんあるんだけれど、
あたしはそれをうまく処理できない。
これって結構なストレスであることに気づいてた。
感情のままに怒るのも精神的によくないけれど、
おさえこんだところで、やっぱりしんどい。
「何も感じない」のが自分なりのやりかただと
思っていたけれど、それがベストじゃないかもって。
仲直りの方法かぁ。自分が勝たずしてそうする方法。
難しいなぁ。。。自分と喧嘩して自分と仲直りするのも
意外と大変だったりするのに。

あ。もう怒ってないです。
数日前のやるせなさは自分の中で昇華されたので
今はごきげん。